さらば、ライフサーガ 倉前とシャイル編 後編
前回のあらすじ
元の世界に戻った倉前。彼は愛する恋人とやがて産まれてくる新しい命に誓いを立てた。
そして、今、神楽は走る。
自分の冒した失敗を償う為に。
いや、一人の少女を救う為に。
神楽と響子がギルドに駆け付けた時には既に武闘ギルドの扉が開いていた。いや、開いていたとは言い難い。片側の扉は取り外されて床に横倒しになっているという方が正しい。
「これは……あーちゃん?」
彼女達を追って来たアスタロトが扉に手をかざしてみた。
「魔力を感じるね。無理矢理に扉を外した……そんなところだけど……」
「くっ!」
「あ! お姉様っ! ご用心を!」
素早く部屋に入るなり、ギルド長であるシャイルの部屋に飛び込んだ神楽が見たものは。
「シャイルっ!」
真っ赤な血溜りの中、上半身を花音に抱き上げられたシャイルの姿であった。
「神楽……すまん。もう少し早く俺が気付いていれば」
「……神楽……さん……」
彼女の胸に突き立った短剣。息も絶え絶えにかすれた声を絞り出した。
神楽は花音からシャイルの体を受け取り、両の手で抱き上げた。
初めて気付いた。気丈に武闘ギルドの長として振る舞っていた彼女の体がいつも道場に通う子供達のように軽い事を。
「バカッ! バカバカバカッ! なんで、あんたが……子供のあんたが責任とんなきゃならないのよっ!」
今、神楽の心にはシャイルの苦しみが痛いほど理解出来る。
「……私は……ギルドの……長だから……みん……な……を……ゴホッ!」
無理して話そうとしたシャイルの口から吐き出された真っ赤な血が神楽の顔を赤く染める。だが、神楽は全く目を背けない。
「お姉さ……シャイルちゃんっ!」
「きょ……うこお姉ちゃん……」
響子とアスタロトが続いて部屋に入ってきた。響子は神楽に抱え上げられたシャイルを見て血相を変えた。
「あーちゃん! 早くっ! シャイルちゃんを!」
アスタロトは神楽にシャイルを床に寝かせるよう指示し、小さな声で魔法を詠唱した。
「おぉ! 胸に突き立った短剣が!」
淡い光が彼女を包みこむ。即座にフッと短剣が消え、彼女の胸から溢れていた出血が止まった。
「……あ」
「もう痛みもない筈。起きてみ」
シャイルは不思議なものを見る目で自分の胸に手を当て、顔を上げた。
パンッ!
「お姉様っ!」
顔を上げたシャイルを待っていたのは、厳しい顔をした神楽の平手打ちであった。
「か、神楽さん……」
シャイルは自分の頬に手を当てて神楽の顔をまじまじと見つめた。頬の痛みより、締め付けるような胸の痛みを感じていた。
平手打ちした手を上げたまま神楽は泣いていた。歯を食い縛り、声を出さずに。
スウッと息を吸い込み、吐き出す。心を落ちつかせる為の深呼吸。
「……いい? あなたはギルド長だけど、その前に一人の女の子なのよ」
「………………」
「この世界でたくさんの人が命を失った。……ミカエルに体を奪われたあなたが友人の命を奪った事は凄く悲しいこと」
「………………」
「だけど、自分の命を絶っても彼女達は生き返らない。人は死んだら甦られないの。ゲームとは違うの」
じっと話を聞いていたシャイルの口が開く。
「でも! 私はギルド長だし、みんなを守らなきゃって思ってたのに、出来なくてっ! ゴホッ!」
感情が優先し、早口で息継ぎなしに喋る子供のしゃべり方。
神楽は彼女の頬に手を触れて、じっと目を見つめる。
「あなたのおかげで命を失わずに済んだ人達もいるって事も忘れないで。……あたしもその一人なんだから」
「え?」
「……だから、あたしはあなたが死んだら凄く悲しい。あたし以外にも響子やアスタロト、花音さんも悲しむわ」
黙って二人の会話を聞いていた響子と花音も涙を流している。
「それに、倉前さんだってあなたにお礼言っといてって頼まれちゃったし。死んだら、倉前さんに嘘つく事になったんだぞ」
ペシッ!
人差し指で軽く額をはじく。デコピンともいう。
「神楽さん……」
「だから、生きなさい。もし、落ち込んだ時や困った時もあたしを思い出して。そうね……あたしの為に生きてちょうだい」
「神楽さんの為に? 私の為にじゃなくて?」
神楽は微笑んだ。もう、彼女から涙を降らせる雨雲は通り過ぎていった。
「そう! 分かりやすいでしょ。誰かの笑顔の為に……それは必ず自分の為になるから……ね!」
「うん! ありがとう神楽さん!」
チュッ!
「あ!」
シャイルは神楽の頬にキスをした。
「花音さん! 早く行きましょ。元の世界に帰らなくちゃ」
「お、おい! 待てよ」
シャイルを追って花音もギルドを後にした。部屋に残された三人は互いに顔を見合わせる。不思議な感覚であった。
「はぁ、人間の心って難しいわね。さっぱり分からないわ」
アスタロトはため息混じりに呟いて部屋を出て行った。アスタロトが部屋を出て行くのを確かめて、響子が言う。
「さっきの言葉は本当ですか、お姉様? シャイルちゃんに助けられたって話ですけど」
「そうね。もし、あの時、彼女を守る為ではなく、ミカエルを倒す事を意識していたら……あの一撃、外してた……かもね?」
ドキッ!
かもねのタイミングで発動した神楽の必殺ウィンクの前に、思わず魂を奪われそうになった響子。
「ま、まぁ、お姉様がそうおっしゃるなら今回はそういう事にいたしますわ。それと、私、湯里響子もお姉様の為に……あ! お姉様、置いていかないで!」
シャイルは元の世界に戻る魔法陣に足を踏み出した。
背後では、神楽達の見送りの声が聞こえていた。しかし、彼女はもう振り返らない。
一瞬、意識が遠ざかり、再び目を開くと、どこまでも真っ白な空間に一人さ迷っていた。
「シャイルさん……いえ、団子さん」
「え、誰? あたしの名前、なんで知ってるの?」
突如、空間に美しい女性が現れる。
「私はミカエル。貴女の事は全て知っています」
「ミカエル!?」
(私の体を奪った張本人!)
シャイル……いや、彼女、甘味屋団子は警戒した。既にこの空間ではあの世界での能力は失っていたが、彼女は本能で身を守る態勢をとる。
「もう、あなたの好きにはさせないんだからっ!」
「警戒しなくともよいのですよ」
「え?」
肩の力がすっと抜ける。外見と同じく彼女の美しく透き通った声がそうさせたのだろうか。
「あの時の私はある者に体と心を奪われていたのです。今の私は神楽さんの協力もあり、記憶と体を取り戻しております。それで、本来は人前では決して見せないのですが、貴女にはお詫びを申し上げなければならないと思い姿を現しました」
「例え姿を現して謝られたって、ルーは帰って来ないんだからっ!」
涙が滲む。例え天使とはいえ、親しき友を失った事には変わりないのである。団子はミカエルに敵意の眼差しを向けた。
「シャイルさん!」
「え? この声は……」
聞き慣れた声。ヘッドフォンを通じて画面の中の彼女の声は何度も聞いてきた。間違える事はない。
「ルー!」
「シャイルさんっ!」
あの時見た、魂を失い冷たくなった体を地面に横たわらせていた彼女ではなかった。しっかりと目を開けて、団子を優しく見つめる瞳。そして、何より違うのは……
「翼に輪っか!?」
「はい。ミカエル様により、与えて頂きました。私、天使になれたんですよ」
クルリと体を回転させると、翼から光が溢れてくる。彼女の頭の上には丸い輪っかがあった。
「この輪っか、天使見習いにつくらしいんですよ。私、人間としての命を失ったけど、ミカエル様の元でみんなを手助けできる天使として新しい命を授かったんです。だから、ミカエル様を恨まないでください」
天使として生まれ変わったという彼女の表情は、まるで新しく生命を授かった赤ん坊が無邪気に笑うそれと限りなく似ていた。
(そうか……ルー。貴女も神楽さんに助けられたんだ)
団子の胸の中が熱くなる。
「彼女を人間として甦らせる事は無理でしたが……私にとって出来る力の最大限として彼女に新しい生命を与えました。彼女も満足されている事ですし、お許し頂けませんか?」
「あ、あはは。天使……ね。いいじゃない。やるわね」
まさか、一人の人間が天使として生まれ変わるなど誰が想像出来たであろう。団子の苦笑いの表情の下には、感謝の気持ちが胸いっぱいに広がっていた。
「ありがとうございます。それでは、私達はやらなければならない事がありますゆえ、失礼いたします。貴女に幸あれ」
「シャイルさん。元の世界に戻っても負けないでくださいね。貴女はいつでも一人じゃないから……」
ゆっくりと消えてゆくミカエル。そして、ルーも。
「ありがと、ルー……」
ピピピッ!
ガバッ!
小鳥のさえずりで目を覚ます。カーテンの隙間から射し込む日射しが眩しい。
甘味屋団子は自室のベッドから跳ね起きた。
久し振りの制服に袖を通して、二階の自室から出て居間への階段を降りる。嗅ぎなれたみたらし団子の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「あら、団子。朝ご飯はまだ……って、制服っ! あ、あなたっ! 団子が、団子がっ!」
「だ、団子! お、お前……」
甘味処あまみや。それが団子の実家である。
団子という名前は、タクシードライバーだった父が仲間との団結を大切にして欲しいと付けた名前。一年前に突如、タクシードライバーを辞め、甘味処屋をやるといい出した時から、彼女は不登校になったのである。
後で団子が聞いた話では、甘味処屋は貧乏で団子一本も食べさせてもらえなかった父の子供の時からの夢だったらしい。
団子を焼いていた父と母が驚いた表情を見せている。そう、不登校気味で引きこもりだった娘が突然いなくなり、突然自室に姿を現したのが一週間過ぎた昨日の晩。その翌日の朝に制服を着ているのだから二人が驚くのも無理はない。
「母さん、父さん。朝から驚かないでよ。学生は学校に行くのが仕事なんだからね! ほらほら、朝御飯の支度、私も手伝うから」
そこには太陽の朝日に負けないぐらい、眩しい笑顔があった。
彼女にはあの世界での記憶はない。ただ、誰かが背を押してくれる不思議な感覚だけがあった。
(今日も一日頑張らなきゃ! ……父さんや母さんの笑顔の為に……そして自分の為にも)
現実世界に戻った団子を待っていたのは、ありふれた日常であった。
不登校児であった彼女は自分の生きる道を見つけたのである。
なくなった記憶と引き換えに彼女の心には、希望の光がいっぱいに溢れ出していた。
次回 さらば、ライフサーガ 解明と……編
今回もご覧いただき、ありがとうございました。




