魔王の死
前回のあらすじ
魔王ベルゼブブに向けて、阿修羅と邂逅した神楽の奥義が射ち放たれた。
実は彼女は阿修羅の存在を知っていた?
その頃、彼を守るべく動き出す小さな眷属達が柊の体を動かした。
王を亡くしてはならないと……
蝿達は思う。
主を守るべき我々に今、何が出来るのかを。
薄暗き一室で、柊零次の指は驚くべき速さでキーボードに新しきプログラムを打ち込んだ。
彼等はベルゼブブを唯一の王とし、常に王あっての彼等である。
それ故に、ベルゼブブの意思の尊重より、ベルゼブブの生死を望んだ。
そう、彼の目的とは異なる手段をとる事で。
(はぁ、はぁ……やっぱり一筋縄ではいかないわね。あの強力なバリアみたいのが壊せれば話は変わってくるんだけど)
円のありとあらゆる強力な魔法をもってしても、サタンに致命的なダメージは一度足りとも通っていなかった。
魔王の体に張り巡らされた瘴気が全ての攻撃魔法を遮断しているのである。
火炎も吹雪も、稲妻も、毒も、石化も、破邪の光さえも全ての魔法が無効化されてしまうのである。
(このまま長引いては、あたしが先に殺られる……)
体力や魔法力は温存していた円だが、こと人間の集中力には限界があった。しかも、彼女はまだ中学生である。いかに、全ての魔法を極めた賢者という職についていても、少しの判断ミスが死を呼ぶのである。
それに比べ、人を超越し、何万年の歳月を生きてきたサタンにとって、一年……いや、千日戦争となろうとも魔力が枯渇する、もしくは精神の集中を切らす事はあり得なかったのである。
「小娘よ。我の力に抗う人間の小娘よ。我は最大の賛辞を送ろう。よく、我の攻撃に耐えここまで生き延びた。そのおかげで我の力も最盛期に近付いて来ておる」
サタンの言葉は決して嘘ではない。
円との魔法の撃ち合いが続いて僅か五分足らずだが、その間にサタンの魔法力は格段に上がって来ていた。
その証拠に、サタンの攻撃に対し序盤は二倍の魔法を撃ち込んで優勢であった円も、今はほぼ回避、または防御と劣勢に追い詰められていたのである。
「ふん! まだまだ、あたしは闘えるっ!」
(これ、本当に負けちゃう敗者の台詞よね! ヤバい!)
理解はしていても、反撃の糸口さえ掴めていない自分にはどうしようもなかった。
「そろそろ終わりにしようか。最後はこの世界全てを破壊し、貴様やセト、そして役立たずのベルゼブブ共々、冥府へ送ってやろう!」
(あ……本当に、最後の攻撃が来る! ごめん、セトさん。あたしにはもうどうにも出来ない!)
空中にいる円は、遥か下の地上で二人の戦いをただ見守るセトを見下ろし、涙する事しか出来なかった。
「さらば……」
プチュン!
「ほ……ぇ?」
せめてもの防御の姿勢をとっていた円は自分の視界を見回す。サタンの姿はなかった。サタンの邪悪な魔力も消えていた。
「え……なんで?」
いや、それは自身の間近から消えていたのであり、瞬時にどこか別の場所に転送されたと魔力認識できた。
「あそこって……確か、カイザル?」
(すまない。ミルフィー、君の……いや、『私の』願いは叶えられなかった……)
神楽の奥義を目の前にし、ベルゼブブは自分の生死すら諦めざるを得なかった。
(内藤さ……ベルゼブブ……)
ベルゼブブの体内に匿われていた栞の魂が激しく揺らぐ。
(貴方の悲しみが……ミルフィーさんへの愛が……痛いほどに……)
瞳があれば涙を流しただろう。胸があれば、苦しい胸を両の手の平で押さえつけただろう。
だが、今の彼女には何も出来なかった。
(ありがとう……栞……今のわたし……)
(え……貴女は……ミルフィー……さん?)
それは、ベルゼブブの本当の愛が彼女の中のミルフィーに届いた奇跡であった。
栞の中のミルフィーが目覚めたのである。
(彼が最後に気付いてくれたの。だから、私は彼に答えなくちゃならない)
栞は、ミルフィーのベルゼブブに対しての肉親、恋人……いやそれ以上の深い愛情に魂が熱くなるのを感じていた。
「(ベルゼブブ様。もう、およしになってください)」
「(ミ、ミルフィー! この声は……今度こそ、本当に君なのか?)」
栞はこの時、初めて気付かされた。あの時、香川さんの前で演じた芝居は既にベルゼブブには気付かれていたのだと。
「(貴方はご自身の深い寂しさを満たす為に私を甦らせようと望んでいたのですね)」
「(ちが…………いや、もう隠す必要はないな。そう、私には君が全てだった。あの時、初めて出会った時から。君の側に居れるのであれば、私は魔王を……悪魔であることさえ止めても良かった。君を利用し、私は私の欲望を満たそうとしたのだよ)」
「(……いえ、貴方は間違ってます)」
ミルフィーの声は小さな子供を優しく叱る母親のような愛情を持っていた。
「(間違っている事は……)」
「(そうではありません。私も……貴女と共にいたかった)」
「(!?)」
「(貴方が私を想っていてくれたように、私も貴方を想っていた……)」
栞は二人の会話に口を出す余地はない。自分はミルフィーというひとつの魂から生れた彼女を守る為に造られた別の人格である。
(二人を……二人の心が……やっと、ひとつになったのね。これで、私の役目は……)
(あぁ、約束だ……)
(!?)
自身の役目を終え、消滅を意識した彼女の心の中に残されていた想い。
(香川さん……)
微動だにしないベルゼブブを神楽の奥義、旋風龍牙鳳凰掌がまるで燃え盛る龍の巨大な顎門の如く、唸りを上げて飲み込もうとしていた。
プチュン!
「な? 何だと! ぐぉ……」
突然、ベルゼブブと龍の顎門の間に現れた黒い影。まさしく、それは先程まで円と戦っていたはずのサタンであった。
「ぐぉ……ぉぉ……」
龍はベルゼブブなどお構い無しにサタンをその顎門に捕らえ、飲み込んだ。
それは地獄の炎よりも熱く、神の雷よりも激しく、サタンの体を守っていた瘴気を容易くかき消し、彼の体を燃やし尽くす。
「ベ……ルゼブブ……裏切り……おった……な……」
それが大魔王サタンの最後の言葉であった。
サタンは一欠片の灰も残さず、舞台上から跡形なく消えさった。
結果として、ベルゼブブの身代わりとなり、神楽の奥義に抗う術もなく消滅した大魔王サタン。
ここに地獄、魔界、更に人間界や妖精界までを巻き込んだ恐るべきベルゼブブの策は幕を閉じた。
だが、まだ終わらない。
次回 全てを越える力 前編
今回もご覧頂き、ありがとうございました。




