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学園英雄記譚 - Lenas (レナス)-  作者: 亜未来 菱人
ライフサーガ編
124/290

第百二十四話 追憶 前編

前回のあらすじ


自身がサーヴェの体にある事を立石達に告げたアリス。


アリスはサーヴェの体に彼女の魂と共存していた。

今から少し前、予選開始前のこと。





アリスは走る。サーヴェは追う。



だが、いくらアリスがアスタロトの魔力を譲り受けているとはいえ、城内に張り巡らされた魔力を遮断する結界と右足の怪我により、その速度は人のそれと変わりない。



だが、サーヴェは暗殺者として最高位クラスのレベルに達している。今は生身の体であろうと、その速度はオリンピックの陸上選手を遥かに凌ぐ。



(いた!)



サーヴェの前方10メートル辺りにアリスはいた。絶え間なく動いていた脚も、太ももから流れ落ちる真っ赤な血で染まり、徐々に速度を落としている。



「見つけたぞ、曲者め。今、止まれば極刑だけは許してやろう」



脅しである。



大概、逃げる相手に背後から自分の存在を伝えた場合、相手のとる行動パターンは3つある。



一つは速度を上げる。だが、それは逃げる者に余裕がある場合だ。今の手負いの曲者にはそれが無理だとサーヴェも気づいている。



二つ目は立ち止まり許しを乞う。今までサーヴェが狙った獲物の行動の大半はこれだ。無論、「はい、そうですか」と、暗殺者がターゲットを許すはずもない。彼女はこのタイプの獲物は全て始末してきた。



三つ目は立ち止まり、交戦してくる相手。これが一番厄介に思うだろうが、サーヴェにとっては実に願ったり叶ったりである。



何故なら、それは彼女が自分の能力スキルに絶大なる信頼をおいているからであった。



(止まった。さぁ、かかって来なさい)



アリスは立ち止まり、振り返った。どこかしらか取り出した巨大な鎌を両手に構えてサーヴェの動きを探っていた。



(無駄よ。ここでは私が有利!)



ここは城の天井裏。外観はヨーロッパ中世の城の造りだが、何故かこの天井裏に関しては和の建築内装であった。



縦横無尽に梁が並び、彼女達の頭上は30センチほどの隙間もない。そんな中で体格に似合わない大鎌を振れるはずもない。かつ、薄暗い天井裏で相手との間合いを測る事は至難の技である。



(今回も楽な仕事ね。つまらないけど…ねっ!)



サーヴェはゆっくりと速度を落として歩き始めた。



アリスとの差が縮まる。



4メートル、3メートル、2メートル…



なおも歩き進める。いかに薄暗かろうが、2メートルの距離にいる相手には気付かれて当然の距離である。しかし、彼女の能力はそれをさせない自身があった。。



特殊能力『五感無効』。これが、彼女…サーヴェのスキルであった。



一旦能力が発動すれば、彼女が解除するまで全ての『人間』が、彼女を見る事も、触れる事も、匂いを嗅ぎ付ける事も不可能であった。さらに、彼女が発するあらゆる音も聞こえない。まして触れる事がない為に味覚さえも感じる事はあり得ないだろう。



『人間』ならば。



「残念ね。貴女は私を知らずにあの世へ行く事になる。お別れの言葉も聞いてあげられないけど許してね…アーメン」



「貴女、暗殺者なのに神に祈りを捧げるの? 不思議なことね」



「!?」



サーヴェはアリスの声に驚きを隠せない。全身が粟立ち、汗が吹き出した。



(私の能力が通じない? あの紫苑様も最初は全く捉えられなかった私の能力が?)



アリスはサーヴェの目をじっと見つめる。



(私が見えている? 瞳孔から分かる距離感も間違いない!)



慌てて飛び退る。



「貴女の能力、人の五感を無効化するみたいだけど、私は半分『悪魔』なの」



アリスは大鎌を水平に構える。



(半分、悪魔…? な、何よ、それ? ハッタリに決まってる。何かしらトリックがあるはず!)



トリックなどない事は分かっていた。今、自分が対峙している相手は今までの獲物とは違う。暗殺者の最高位にいる自分と同様、もしくはそれ以上の実力者である事を認めたくなかったのだ。



「貴女…」



再びアリスが口を開く。



「人を…殺した事はある?」



「は? 何を言い出すかと思えば。私は暗殺者だ。王族から貴族、騎士、商人と今まで何十人という殺してきた」



アリスは目を閉じて首を振る。



「ゲームじゃない。本当の人間よ」



「…本当の人間…」



サーヴェの脳内に在りし日の記憶が蘇った。






一昨日橋おとといばしの欄干の上に立ち、体を宙に預けながら、藤川早苗ふじかわさなえは考えていた。



(私はいない方がみんな幸せになるんだ。だから、もういいよね)





引っ込み思案な性格の彼女だったが、子供の頃から事あるごとに、何かしら頼まれると断れない性格だった。



小学校では放課後の掃除当番、中学校ではクラスメイトの宿題など、『厄介なことは藤川に』が合言葉として同級生の中で当たり前になっていた。



しかし、そんな彼女にも彼氏がいた。幼馴染である長瀬雄一ながせゆういちという男子生徒である。長瀬は高身長、スポーツ万能、成績優秀、おまけにイケメンと全て完璧な男子であった。



幼い頃から共に一緒にいた間柄だったが、思春期にお互いに意識し合う年頃になると恋愛感情に発展するのもごく当然なのだろう。



しかし、見た目から成績、スポーツなどいたって中の中である平凡な早苗には不釣り合いな彼氏だと彼女自身も考え始めていた。



きっかけは同じ高校に通う二人をうとましく思っていたクラスメイトの篠田由梨花しのだゆりかの一言であった。



「川崎ってさぁ。B組の長瀬ってどう思う? 幼馴染なんでしょ? 色々、知ってんじゃん? 教えてよ」



「え? どう…って言われても…」



言葉に詰まる。同級生にこんな質問をされたのは産まれて初めてであった。



「長瀬って彼女いないよね。あたし、付き合っちゃおうかな」



明らかに嫌がらせである。この篠田という女生徒は大手ゼネコンの社長の一人娘である。金の力と父親の権威を傘に、彼女に群がる男子生徒は数え切れない。篠田はその時により気分次第で彼氏を変えているような異性との交遊に明け暮れていた。



「あ、長瀬くんの気持ちもある…んじゃないかな?」



「だよね。んじゃ、聞いて来てくれる? あたしの代わりに。出来るわよね? 出来なきゃ、あんたのお父さん大変な事になるかも知れないしぃ」



川崎の父は篠田の会社の下請けであった。早苗の父は、コツコツと頑張って働く真面目な性格で小さな町工場を営んでいる。不況の煽りを受け、借金が積り、最早倒産寸前だったところに篠田の父の子会社から受注を受けたのだ。これを気に会社を立て直す見通しが出来たと喜ぶ父の笑顔が思い出された。



(もし、私が断ったらお父さんが。聞いてみるだけなら…)



篠田は彼女の性格を知っていた。



「分かった。放課後、聞いてみるよ」



「約束だかんね。そだ、もし、あたしの気に入らない返事だったらパパに言うからね。川崎のお父さんのこと」



「え!?」



篠田はニヤリと笑みをこぼした。



放課後、早苗は長瀬に事の次第を話した。幼馴染の彼は聡明で、彼女の話をすぐに理解した。



「分かった。早苗、任せておけ。少しの間だけ、篠田の彼氏のフリをするよ」



「雄一、ごめんね」



長瀬は早苗の黒髪のおかっぱ頭をぽんぽんと優しく叩いた。



「一つ貸しだからな。今度アイス奢れよ」



「うん」





しかし、事態は二人の思いを余所に急速に展開してゆく。



篠田は彼を父親に紹介する。篠田の父は人を見る目は優れていた。聡明で真っ正直な長瀬を大層気に入り、高校卒業後すぐにでも彼を新入社員として引き入れたいと申し出たのだ。



しかも、篠田の婚約者としてという条件付きで。



だが、全てにおいてオールマイティーな長瀬も、一つだけ他人より引け目を感じている事があった。



彼は母子家庭で、パートタイマーの母とまだ小学生である三人の妹達がいたのだ。そう、彼は貧しい暮らしを余儀なくされていた。



だが、そんな長瀬も早苗に対しての愛情は人一倍強かった。



彼はすっぱりと断る…つもりであった。



しかし、彼の耳元で篠田が囁く。



「川崎のお父さんって、パパの会社の下請けやってるんだ。わかるよねぇ?」



「な!?」



頭の回転の早い長瀬には、すぐに理解できた。



(俺が承諾しないと篠田は叔父さんへの仕事を棒に振るつもりだ)



彼は悩んだ。篠田の父には、まだ子供な自分の意志だけで決められないと保留にしてその場をしのいだ。



篠田家を出るとすぐ様、長瀬は携帯電話で早苗に事の顛末を話す。



長瀬は早苗が引き止めてくれる事を期待していた。



だが、違った。



「うん。仕方ないよね。あたしが…諦めたらみんな上手く行くんだもん」



「何を言うんだよっ! 諦めるって何だよっ!」



長瀬は憤慨した。過去、小さな事で喧嘩をしたことは何度もある。しかし、この時の長瀬は今までにないほど激しい怒りを露にした。



「子供の時に言ったじゃないか。二人で叔父さんを支えていこうって。あの約束は嘘だったのかよっ!」



電話の中から聞こえて来るのはひどく小さな彼女の声。



「…ごめんね」



プツッ!



長瀬はスマホを手にした手をだらりと下げ、ただ、その場で立ちすくんでいた。



彼は窓から様子を窺っている篠田に気付くことはなかった。



ピッピッ…トゥルル……



「あ、あたしだけど。後は頼んだから。…うん、好きにしていいから。じゃあねぇ」






彼女は帰宅後自室にカバンを置くと廊下へ出た。母が気付いて声をかけたが、学校に忘れ物をしたから取りに行くと制服姿で家を飛び出す。それからどこに行くあてもなく、夜半までほうぼうをさ迷い歩いた。何時間歩いたのだろう。ふと気付けば町外れの一昨日橋の上にいた。



全長10メートル足らずの橋だが、高さは20メートルはあろうか、はるか真下には渓流が見える。



子供の頃には自殺の名所だとか言われて近づく事も出来なかったほど怖かったこの橋も、今ではすんなりと渡る事ができた。



(もしかしたら、私ここに呼ばれたのかな)



子供が安易に乗り越えないように、少し高め欄干に手をかけた。



腕におもいっきり力を入れて欄干に上る。下を見ると冷たく吹き上がる風が髪を撫で、スカートをひらめかせる。



(私はいない方がみんな幸せになるんだ。だから、もういいよね)



早苗は身を投げ出す覚悟でいた。



(自分さえいなければ、お父さんも雄一の家族もうまく行くんだ)



体重を前にかけた。後は重力に身を任せるだけだった。



「え?」



いきなり背後から抱き抱えられた。



(雄一…?)



早苗は振り返った。その顔に自然と笑みが浮かんだ。が、すぐにそれは絶望の表情へと変わる事になる。



それはいつも側にいた長瀬ではなく、彼女が全く見た事もない男達であった。



「お姉ちゃん、死んだら遊べなくなっちゃうよ。どうせ死ぬなら、俺達と遊んでからにしなよ。なぁ?」



「い、いや! 離してっ!」





次の日、彼女は学校を休んだ。



クラスメイトも真面目な早苗がどうしたのか、担任も保護者から

連絡を受けていないという。



翌日、早苗は登校した。



クラスは騒然となる。呆けたような表情に、よれよれの制服。髪はバサバサに乱れていた。



担任は驚き、彼女を職員室へ連れて行く。



比較的、仲の良かったクラスメイト達も彼女を遠巻きに見るだけであった。もう彼女に用事を頼む者もいないだろう。



(………)



担任に腕を引かれながら職員室へ向かう早苗を見つけ、隣のクラスから長瀬が廊下に飛び出してくる。



「早苗っ! どうしたんだよ。あれから家に帰ってないって叔母さんも心配して俺に電話して来たんだぞ。叔父さんも仕事休んで探し回って…」



早苗を心配して長瀬は背後から声をかける。すると、教室から出てきた篠田が無理矢理に長瀬の腕に自分の腕を絡ませた。彼女はジト目で早苗を見つめる。明らかに汚ならしい物を見るかのような蔑んだ目であった。



「篠田っ! やめろよ!」



「し…知らないっ! もう、誰も知らないっ!!」



早苗は、どこにそんな力があったのかと思うほど強い力で担任の腕を振り切って廊下を走る。



長瀬が急いで後を追おうとしたが、



「長瀬くん、授業中だよ。あのは先生に任せとこ?」



「そうだ長瀬。後は大人に任せて、お前は授業に戻りなさい」



(早苗…)




学校を出ると、早苗は駅に向かい電車に乗った。とにかく、誰も自分を知る人間がいない遠くの場所へ行きたかった。



(財布にはお年玉でもらったお金が残ってる)



彼女は電車を乗り継ぎ、自宅から離れた街に着いた。



直ぐに古着屋で買った安い古着に着替え、美容室で髪を短く切り、真っ赤に染めた。



(自分を知ってる人が見ても私って分からないよね)



あてもなく歩いた。スーパーで安売りのパンを買い空腹をしのぎ、公園で寝泊まりしながら、とにかく歩いた。



一週間が経ち、二週間が経ち、遂にはお金が底を尽きた。



物乞いをするわけにもいかず、出来るだけ動かず、誰にも目立たないように、彼女は路地裏に体を委ねた。



(お腹空いたけど、もう体も動かない。そういえば、猫って死期が近づいた事を悟ったら、誰の目にも止まらないようなとこで死ぬんだよね。私も猫と一緒。もう、このまま…)



空腹と疲労で早苗の意識は遠ざかって行った。




サーヴェの過去の記憶が呼び起こされる。


藤川早苗。


彼女は誰よりも優しく、誰よりも献身的で、誰よりも弱い人間である。


彼女は何故、サーヴェとしてライフサーガ内にいるのか。


次回 追憶 後編 にて



今回もご覧頂き、ありがとうございました。

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