第百五話 青年の夢
前回のあらすじ
魔王ベルゼブブの企みにより、自我を崩壊させ、魔人の力を手に入れたNPC。
混沌の世界の中、彼に来客が訪れた。
シュオッ…
「……相変わらず血生臭い部屋ですね」
ベルゼブブの背後、山積みになった肉塊の傍らの血みどろの壁に、亀裂というには真っ直ぐな白線が現れる。それは導火線のように四隅から時計回りに四方を繋ぎ合わせ、長方形の扉を形成した。扉は静かな音を立てスライドし、まるでそこだけ空間を無視するかのように夕焼けの太陽光を部屋に取り込む。ベルゼブブの住む魔界は永遠に闇に閉ざされた世界であるのに。
何故なら、それは距離や時間を越え、あらゆる空間を繋ぐ扉であるから。
『彼等』はこの扉を『アストラルゲート』と呼んでいた。
夕焼け空の世界から、ベルゼブブの部屋に足を踏み込む青年。
綺麗な顔立ちに、幼さを残した瞳。しかし、彼の前方…つまり部屋の中へ、漆黒というにはいささかほど遠い澱んだ影が、無数の魂を地獄へ突き落とした彼の生き様を写し出すかのように伸びていた。
まるで今にも影の中から、地獄へ落とされた亡者達が腕を突き出して彼を巻き込もうとするかのように。
「いつにも増して、濃い影ですね。魔界にもこれほど悪しき恨みのこもった影の持ち主はそうそういませんよ。今回は何人を手にかけて来たのでしょうね」
青年は朗らかに笑った。嫌味さえ感じない素の笑みである。
「はははっ! 好き好んで人斬りをやってるわけじゃありませんよ。普段から言ってるでしょう? 私は『義』によって事を成すだけだと。今回の島原の乱は多勢に無勢でしたからね。少しだけ能力を使わせてもらっただけですよ」
青年は別に言い訳をしたのではないことをベルゼブブは理解している。
「さて、どうでしょうか。維新の志士を何人も誅殺していた君のあの時の目は殺しを楽しんでいたように見えましたけど」
「それは皮肉ととってもいいのかな、ベルゼブブさん。あなたも人を屠る事は好きではないと言ってるくせに」
青年は柊であったモノの背中に指を指して微笑みかける。あまりに無邪気なそれは、ベルゼブブさえも青年の胸中を読みとる事は容易くなかった。
「ふっ、私も目的の為にやった事です。…それはともかく、上手くいったのですか?」
「ぬかりはありませんよ。近藤さんの元で学んだ天然理心流は無敵です。今の私には官軍だろうが徳川幕府であろうが、蠅…いや、失礼…小川のせせらぎほどにしか感じていませんから。何人足りとも、私の『夢』の邪魔をする者は消すだけですよ」
青年は手にしていた刀を振る。まだ乾ききっていない刃の先から血がほとばしる。
「流石は沖田君だ。で、天草四郎は下ったのかな?」
「えぇ。中々に骨が折れました。私は近藤さんのように交渉事には長けていませんから。どちらかと言えば土方さんのように、今までこれでやってきてますから」
振るった刀には全くの血糊さえ残っていなかった。刀の良し悪しか、はたまた青年の優れた技なのか。
「おっと、話が反れてしまいましたね。安心してください。天草さんは『改心』して主とは縁を切りましたから。彼はもう私達の仲間ですよ。あの人は晴明さんと違って賢い人ですから、前回のような失態を『あの方』に見せるような事はないと思います」
「ふむ。次の失敗は彼の機嫌を損ねるだろうからね。ま、私は彼に借りはないから好きにやらせてもらうとするよ」
ズダンッ!
「?」
青年の後方で火薬の発火音と共に鉛玉が発射される。火縄銃特有のそれは、刀傷を全身に負った血みどろの男の最後の意地であった。彼はうつ伏せで青年の背中を狙って打った。幕府側の兵である彼が、今まさに尽きようとする命の灯火をその銃の引き金に全て注ぎ込んで放った生涯最後の一撃であった。
キュインッ!
「仲間の仇…がっ!」
彼の命をかけた最後の一撃も、青年が振り返る事なく軽く振るった刃により阻まれた。いや、軽くという表現はその見た目だけ。実際は、刀の反りの反射角度を計算に入れて鉛玉を打ち返したのだ。
これは、刃の部分で鉛玉を割るより遥かに難しいことこの上ない。
跳ね返された鉛玉は吸い込まれるように男の額に命中し、絶命させた。
「鉛玉で人を殺すなんて馬鹿にしていますよね。土方さんも最後は多数の鉛玉を体に受けて亡くなったんですよね。…さぞ、無念でしたでしょうに」
「………」
先程まで朗らかに微笑んでいたと思えない凄みと、陰惨で虚ろな表情が現れる。
(彼は人間にしておくには実に惜しいな)
青年の主張よりも、青年の魂の強さと闇を抱えた心にベルゼブブは飽くなき探求心、そして好奇心をくすぐられていた。
青年。彼は新撰組一番隊隊長、沖田総司。
幼き表情の表の顔とは裏腹に、裏の素顔は幕末の維新の志士を多数斬殺した悪鬼羅刹であった。
「そうでしょ? ベルゼブブさんもそう思いますよね? 私は無念極まる中で死んでいった近藤さんや土方さんを救う為に『あの人』に協力するのです。彼の時を自由に行き来する力を使えば、またあの京を駆け抜いた時間に戻れるのですよ。病を治してくれた『あの人』の指示に従えば、今度こそ私の夢が叶うのですよ。これを『義』と言わず、何と言いましょうか」
沖田総司は歴史上では結核に侵され、失意の中倒れるのだが、ある人物が彼を救っていた。
総司は彼を『あの人』と呼ぶ。
新政府軍に捕らえられ処刑された新撰組局長の近藤勇。
彼の死後も最後まで新撰組として官軍と戦い続け、討ち死にした土方歳三。
『あの人』は病で死の淵にいた自分のように彼らを救う事が出来ると総司に語った。
「ふふっ。もし、私が神界を征服した時に、彼…時雨進が敵に回ると考えたら恐ろしいものだな」
「あはっ! 大丈夫ですよ。その時は、私があなたを殺しますから」
新撰組一番隊隊長、沖田総司の命を救っていた時雨進。
時雨進の命令により、沖田は島原の乱で命を落とす筈の天草四郎時貞を救いだした。
果たして、時雨進は本当に生きていたのか?
彼の存在と目的は果たして?
今回もご覧いただき、ありがとうございました。




