第十話 岬と神楽、ついでに弟
「たのもー」
ノックなどお構いなしに学園長室に踏み込む。既に先客がいたようで、神楽は声をかけた。
「あら充之、あんた早かったわね」
「そりゃ、学校にいたんだから…さ」
充之は客人用ソファーでゆっくりくつろぎながら弁当を頬張っていた。後ろからその光景を見た響子は驚きつつも充之の前に腕組みし仁王立ちになる。
「真田充之っ! あなた、学園長室で…しかも学園長の前で何してるのっ!」
「何って、見てわかんだろ…」
そういうなり、最後の米を口にし残っていた茶を一気に飲み干した。
「昼飯だ」
馬鹿にされたと感じた響子は顔を真っ赤にし、小刻みにプルプルと震えている。冷徹生徒会長として、いや彼女の産まれて初めての屈辱だった。大手レジャー産業として名高い湯里開発の一人娘として産まれ、周りからちやほやされた彼女である。
「湯里くん、彼を責めないでくれ。食事を摂るのを許したのは私だ」
「が、学園長…」
学園長、時雨岬は響子をなだめながら充之を見た。
(この姉あらば、この弟ありか)
「さて、今から二人に大事な話がある。湯里くんは例の作業に移ってくれたまえ」
「わかりました」
響子は一瞬、充之をキッと睨むとサラサラとしたセミロングをかきあげ、退室していった。対して充之は何事もなかったようにひとつ大きな欠伸をし、不意に立ち上がると屈伸を始めた。
「さて、眠くなる前に用件とやらを聞きますか」
岬はあきれ顔でため息をついた。
「とんだ食わせ者だな君は。響子くんに嫌われるぞ。…それはともかく、神楽すまなかったな」
「恋人としての意見と元生徒会執行部の意見。どっちから聞きたい?」
ニッコリと微笑み学園長に詰め寄る。流石の岬も経験から流れが分かっている。真田姉弟とは自身が学生時代からの付き合いだ。
「こ、恋人としての…だな」
「…そうよね。このバカーーーっ!」
神楽は岬の胸元を両手でがっしりと掴み、力任せに椅子から立ち上がらせる。おもわず仰け反り、万力かと違えるような握力で首を締め上げられる。が、微動だにしない。気を失いかけているのか、はたまた自分を睨み付けつつも彼女の潤んだ瞳から溢れた涙の一滴が落ちたのを見たからなのか。
「何にも言わずに連絡もくれずに二年間もいなくなっちゃって。どれだけ心配してたと思ってんの」
ここまで抑え込んでいた感情が爆発したかのようだった。
「ごめんな…神楽」
ふと、普段の学園長とは違う強気な物言いから、彼氏が彼女に語りかけるような口調に変わった。
「み、岬…」
二年間の時が戻った感じに神楽は心を打たれたかのように両手の力を緩める。二年前の楽しかった学園生活が神楽の記憶に甦った。岬はそのまま神楽の頭を優しく撫でる。暫しの時を経て、神楽は涙を拭った。
「つ、次は元執行部四天王リーダー真田神楽として聞いてあげる」
明らかな照れ隠しに充之は笑い声を堪えるのがやっとだった。普段から気丈な姉のこんな姿を見るのは久しぶりで自身も不思議と笑みがこぼれた。
「これを見てもらいたい」
そういうと岬は懐から折り畳まれた一枚の便箋をとり出し、神楽に手渡す。充之も歩み寄る。
「私の父、時雨進が10年前から行方不明だということは知っているとおもうが。これは父が失踪する前に残した私宛の置き手紙だ。祖父が亡くなる直前、私に手渡された。父の書斎で見つけた物らしい」
内容は。
『岬へ。
私は見つけた。
この世界を…腐りきったこの世界から人類を救う手掛かりを。
開発中であったレナスにより様々な異世界を見てきた。限られた時間の中で私は異世界の中で人類が繁栄を維持できる世界を探しだし、必ず12年後の災厄までに戻ってくる。岬は、選ばれし100人の男女を集めてくれ。異世界へ連れてゆく新しき世界の住人達を。これをリターンゼロ計画と名付ける。
進。』
手紙の裏には、10年前の日付が刻まれていた。岬は学園長室のブラインドを下げ、椅子に深く沈み混むように座るとゆっくりと話し始めた。
「私の父の時雨進は息子のいなかった前学園長の娘である母に養子縁組みで結婚した。父…彼には当時、身籠っていた許嫁がいたらしい。しかし、熱心な研究者の彼は自身が開発する環境保全システム研究費用として時雨家の財力の方が魅力的だったようだ。母と結婚し、財力を手にした彼は学園の講師として働く傍ら、地球温暖化を始めとした様々な害悪を除く環境保全システムの開発に着手した…筈だった。しかし、偶然と言っても過言ではないだろう。彼は開発中に時空間転送プログラムを発見してしまった。これを元に開発されたのが、伝説の時を案内するシステム…タイムマシンでもあり、異世界への転送装置とも言えるのだろうが…。『レジェンドタイムナビゲーションシステム』彼は『レナス』と呼んでいる。この手紙を読む限り、彼はレナスを起動し、異世界を行来しているらしい。そして、十二年後…つまり、二年後戻ってくる」
「災厄…の最中に…ね」
神楽は真面目な顔で親指の爪を噛んだ。何かにつまずいた時や考え事をする時に爪を噛む、子供の頃からの癖だった。
「災厄が何であるか分からない。二人ともノアの方舟の話を知っているだろう? 方舟に乗れたノアの家族や動物達はよいが、乗れなかった者はどうなった?」
「…大洪水でみな流され、絶滅した」
充之は驚きと戸惑いの表情で岬の質問に答えた。しかし、腑に落ちないのか反論を始める。
「この手紙が本当だという証拠はあるのかよ」
「それを説明する為に呼んだのだよ」
岬はデスクの下部にあるスイッチを押す。すると本棚が左右に分かれ隠し扉が現れた。
「こんなのあったんだぁ。まるで映画の世界ね」
神楽も初めて知ったらしく、若干驚きの表情を見せた。
「ここが明勇学園の心臓部である地下…『レナス』への入り口だ」




