『英雄誕生前夜_/6』
『英雄誕生前夜_/6』
私、リベット・アルソンの半生は、暗闇と孤独と男の精液に彩られていた。
私の持つスキル、『邪教の巫女〈EX〉』は、人の、「その時代背景下での倫理観を逸脱した宗教」における「巫女」に当たる存在が持つ称号だ。
――巫女。
それは、ヒトの身に神霊を宿す、破格の降霊体質を持つモノ。
私の両親が先導していたその宗教でも、他のそれと変わらずに、信仰者は敬虔に神に奉仕する。私の場合、神が人々に求めたのは「男に貰う悦び」であった。
私の生涯の半分において、私には自我がないことになっていた。私が自我を許されたのは、その邪教が空中崩壊した後のことである。
いや、そういった意味で言うのなら、私にはまだ自我が許されてはいないのだろう。だから私も、許さないことにした。
邪教崩壊の後、その「神殿」はとある国によって隔離され、準二級未満の冒険者には開かれていない。二級以上の冒険者は、逆に積極的に歓迎しているらしい。
その「神殿」という腫瘍を抱えた彼の国は、未だその恐怖に怯え、悪神を殺す勇者を待望している。
――悪神・ポーラ・リゴレット。
私の半身の主であり、私が許さないことにした、殺すべき敵である。
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彼、レブ・ブルガリオは、
「……、……」
その異様な光景に沈黙する。
目の前にあるのは、結局名も知らぬままであった少女の両断体だ。それはいい。疑問はその先にある。
――どうして、
あとは崩れ落ちる他にないはずの死体が、未だ立っているのだ?
「……。」
額が、割れている。
彼の一撃を受け、弾けて飛んだ手首が、そのまま彼女自身の額を割ったのだ。
それに片方の瞼がズタズタになっている。あれは、彼女の掲げた短剣を叩き割った際に、その破片が切り裂いたものだ。
それに何より、身体が左右二つに割れている。そのはずだ。切っ先が背中の向こうまで突き抜けた感触はなかったが、それでも内臓の一通りは蹂躙したはずだ。それでも彼女は、立っていた。
「テメエ、もしかして生きてる?(笑)」
彼は言う。極めて軽薄に酷虐なその口調は、しかしどこかが無味乾燥だ。
あまりの光景に彼、レブ・ブルガリオの思考は今、完全に停止していた。
――そこへ、
「生きてるわよ。立ってるでしょう?」
粘ついた血ばかりを溢れさせていた唇が、妖艶な声を発した。
「……。」
彼女の声だ。少なくとも彼女の声質であるはずだ。しかし、彼女の声には聞こえない。
「……、誰?」
彼が聞くと、「彼女」は、
「礼儀があるんじゃない? 色男?」
そう言って、自身の切り開かれた身体を手で縫った。
――或いはそう、あればボタンを留めるときの動きだ。と彼は思う。
「彼女」は、まるでボタンを留めるようにして切り開かれた身体を繋ぎ合わせ、手袋をするように折れた手首を嵌めなおし、まつげを整えるようにズタズタの瞼を元通りにした。
「……、……」
無論ながら、それで人の身体は治らない。
なのに、
――血が止まっているように見える。
「礼儀、知らないの?」
「彼女」は言う。
「人の名前を聞くときは、まず自分から。私も、あなたの名前は、まだ聞いてないしね? ちょうどいいじゃない」
色男って呼ぶんじゃ味気ないでしょ? と「彼女」は言う。
「……レブ・ブルガリオだ」
「そう? じゃあ私は、ポーラ・リゴレット。あなたに呼ばれるなら、ポーラで構わないわよ?」
「…………それは、良いのか?」
「なに? 遠慮してるの? うぶで可愛いって言ってあげようか?」
「頭、割れてるけど」
「うん?」
彼が言うと、「彼女」は遅れて気付いたように額に触る。
ぴちゃり、と音を立てて、触った指先が粘性の強い血液を引く。
そしてそれが、ぬるりと滴った。
「いいじゃない。結構おしゃれ」
「……、……」
「でもまだ足りないわね、肺を一つ潰しましょう」
それだけだ。彼女が言ったのは。
たったそれだけで、ぶちん、と音がして、遅れて「彼女」の口から血が溢れ出した。
「どう? 素敵でしょ?」
「……、……」
「美しくって声も出ないって? ありがと、レブくん」
レブは、
状況を図りそこなう。
逃げるべきか、ここでヤツを止めるべきなのか。
どう考えたって逃げるべきはずの状況で、しかし足が後ろに進まない。これはきっと、本能だ。本能が彼の足に後退を許さない。
恐怖、ではない。
彼は今、――見惚れていた。
「……魅了のスキルか? 悪趣味だな」
「あなたと一緒にはなりたいケド、あなたと一緒にされるのはごめんだわ。あなたが私を綺麗だって思うことに、理由なんてないわよ」
「何が言いたい?」
「私は、基本的にはあなたを傷つけない。気付いてるんでしょ? だから、逃げようなんて思えないのよ」
レブは、その言葉で遅れて自覚する。確かにこの感情は恐怖ではないし、それどころか自身の胸中に恐怖と呼べるような感情は一つとしてない。
これだけの異常事態において、今まさに人体が冒涜されている光景を前に、彼はしかし一つとして恐怖を覚えられずにいる。
これはそう、殺気に充てられるのとは逆のものだ。と彼は気付く。
「……。」
殺気が「殺意の共感」なら、これは強制的に「安心を共感」させている。
「彼女」の、むせ返るほどに母性的な立ち居振る舞いがそうさせているのだ。それこそ、恐れ戦くべき光景を塗りつぶして然るほどに。
「じゃあ、なんだ?」
彼は、たまらず言う。
「傷つけるつもりもないって奴が、どうしてこの場に立っている?」
「目的が、聞きたいって?」
「……。」
沈黙を以って、彼はそれを答えとした。
「彼女」が血を吐きながら、首を傾げて少し考えた。
「本当なら、あなたに抱いてもらうつもりだったんだけどね。残念、もう時間がないみたい」
「……何?」
「この娘が起きちゃうわ。……ごめんね、最近は全然ゆっくりできないのよ」
本当に、心底残念そうな口調で彼女は言う。
「ああ、あと」
そして――、暴威が吹き荒れる。
「ッ!!???」
「傷つけないって、ウソになっちゃったケド、一応さっきまでは本気だったんだからね?」
否。その旋風は、「彼女」の移動で巻き起こったものだ。
気付けば「彼女」はレブの目と鼻の先にいて、レブの胸には短剣が突き立てられていた。
「肺と、」
呻く余裕さえもない。
もう片方の短刀の柄が、レブの頭を陥没させる。
「頭と、」
衝撃でレブはどうしようもなく「くの字」に折れる。その挙動で肺に到達した短剣が抜けて、ごぼごぼと血が溢れ出す。
「その剣も長くてズルいわね。その代わり二つにしてあげるから、それで許してちょうだい?」
きぃん! と澄んだ音がして、長大な刀が真ん中から真っ二つになる。
そして、遅れて、
「おぉ? お、ぉおアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああ!!!!??」
激痛が来る。
胸が、頭が、際限なく体内の血を吐き出す。
「私の血は止まってるけど、キミは男の子なんだから、そのくらいはハンデってことにして頂戴ね」
「ガアアアア! あぁあああああ!!?? テメェええええええええええッ!!!!」
「悪かったってば。怒ったって仕方ないじゃない。それよりほら、この娘、もう起きるわよ?」
「あぐ、ぎぃ!!? く、くそ、……クソがぁぁああああああああああああああ!!」
「それじゃ、頑張ってね。レブくんに、……あなたも」
直後、洞窟内に響く絶叫が二つとなった。
</break..>
私の意識が戻る。
その直後に私は、胸の奥に奔る激痛と、額に感じる致命的な喪失感に悲鳴を上げた。
「――――ッ!??」
ヤツが来た。
私はそう気付く。
あの最低の、クソ最悪の、決して許すことなんてできない諸悪の根源が、また私の身体を弄んだ。
それが、
本当に許せない――ッ!
「ぁぁああああああああああああああああッ!!」
私を見下ろすな。
私を蔑むな。
私を、まるでモノか何かのように、取るに足らない存在のように、好き勝手に扱って当然の豚を見る目で見るのをやめろ。
私は、――見下ろされていいゴミじゃないし蔑まれていいモノじゃないし、それに私は、絶対に人だ!
「ちっくしょうがあああああああああああああ!!」
怒りが、痛みを塗りつぶす。ブラックアウトしていた視界が真っ赤に染まる。輪郭を失う。それでいい、それぐらいがちょうどいい。
それくらいでなくては、自暴自棄と呼ぶには足りない。
「――起動ッ!」
私は叫ぶ。スキルではない。スクロールを発動させる。
「ッ!?」
痛みに呻くままで男、レブ・ブルガリオが私を見る。出方を見て、回避挙動でも取るつもりだろうか。それではいけない。私を見ているのでは、この一撃は避けられない。この一撃は、
――テメエがビビッて撃たなかった「最適解」だクサレボケ!
「攻撃魔法!? テメエは馬鹿かッ!」
例えば、そう。
四元素の内の「火」を起こしたなら、この洞窟は瞬間的に酸素欠乏の死の密室となる。
「水」を使えば壁が脆くなって崩れるし、「風」を使えば天蓋が崩落する。「土」を使えば土壁を保つギリギリの均衡が土砂崩れするだろうし、それ以外の魔法でもやはりここは一瞬も持つまい。
だから私は、……「風」の魔法を天蓋に放つ。
天蓋が、
そして、――割れる。
「……うおおッやっぱりやべええええええええええええええええええッ!!」
私は率直に感情を声にする。
勢いでやったけどこれはヤバい。普通に私も死ぬ。私は、突然の土砂降りでそうするように頭を両手で守りながら、どこかにあるかもしれない安全地帯を全力で探す。しかし、
「(ば、馬鹿な! 安全地帯がないだと!?)」
そりゃそうである。そんなもんラッキーで見つけられたら私はあんなクソの家系に生まれてなぞいない。そして、
「馬鹿女ァ! 馬鹿女がよォオオ! 安全地帯はこっちだクサレ〇〇〇女!」
「土砂」降りの向こうにそんな声が聞こえる。レブの声だ。察するにこの拠点を用意したのは彼であるからして、拠点を崩落させられた場合の対処も用意していたのだろう。場合によっては彼自身がこの「脆い拠点」を吹き飛ばすのを最終手段に据えていた可能性すらある。
ただし私は、彼のその勝利を確信した声を、
悲鳴に変える方法を、一つ知っている。
「……起動」
私の、
――手持ちのスクロールの内で、
これは、最も高価であり、最も桁外れであり、そして最も「単純」な効果を持つものであった。
先ほどの「風」のスクロールは「空気圧を魔力で味付けして殺傷性を持たせたもの」だが、しかしこれは、ただ「モノを呼び出すだけ」である。
……私の「声」で以って、スクロールが不可逆的に光り輝く。
起動命令が今、実際的な災害に変わる。
私はそれを確信して、スクロールを天に、――ちょっとだけあのクサレチ〇ポの声がした方向に傾けて掲げた。
そう。
――このスクロールは、ただ単に桁外れな量の「ソレ」を呼び出す。
「……ッくらえこの、クソ野郎ぉーーーーーーーーーッ!!」
呼び出すのは、「単純な水」だ。魔力による味付けも何もない「ただの水」が、致命的破滅的圧倒的な物量で以って掲げた先へと噴出する!
「――――ッ!?? ――――ッ!!!!」
「土砂」降りの向こうから再び声が上がる。
しかしそれは、先ほどのものとは明確に違う悲鳴だ。それはそうだろう、天蓋を作っていた土の全てが泥に変わって雪崩を起こしているのだ、悲鳴の一つや二つでは清算が間に合わないほどの天災に違いあるまい。
そして、
「――――、あぁ」
――崩落が終わり、
静寂が戻って、
晴れた天蓋から、木陰を透いた緑が降りる。
暗闇に慣れた私にとっての、それは朝日にも相違ない。光を浴びた個所が、なんだかじんわりと温かい気がした。
それで以って、確信を得て、
「ああ、
……――おわっっっったぁーーーー!!!!」
私は一人、「勝鬨」を上げた。




