『英雄誕生前夜_/5』
『英雄誕生前夜_/5』
激痛に思考が軋む。
不愉快な耳鳴りが脳髄を揺り動かす。
「確認したいところだな、テメエなんで死んでないんだよ?(笑)」
そう言って、レブ・ブルガリオがこちらに歩み寄る。
私は、
「(こんなところで……ッ!)」
奥歯に仕込んだ薬剤を噛み砕く。
すると、……じわりと口内にぬめつく苦みが広がり、失血に冷え切っていた私の身体が一瞬で沸騰した。
「なんだー? おい?」
「ぃッ!!」
悲鳴が未だ口端から漏れる。そんなものに拘泥している暇はない。私は涎を拭うことも出来ずに、とにかく男、レブから距離を取った。
「だはは、サルみたいになってんな、おい?」
呼吸が荒い。喉が鳴るのを止められない。
未だ思考にこびりついたままの痛みが視界を赤く染めている。
「傷、治ってんじゃん? エリクサー的な?」
正解だ、と私は思う、が。
「いや馬鹿な(笑)。雑魚冒険者にんなもん買えねえわな」
レブは私の返答など待っていなかったというように、一人、そのように納得した。
「(なに、が、……起きた!?)」
痛みが晴れるにつれて、視界が収まっていく。
オーバーヒートを起こしていた思考が沈静に向かう。そうしていくほど、私は、先ほどの不可解な出来事にどうしようもなくパニックを起こす。
……背後を取ったはずだ。
向こうが仮にこちらの強襲に気付いていても、それで、振り向いて私の右手を取り直してこっちの腹に逆に突き立てるような芸当は不可能だ。絶対に。
「(違う、違う! 私は自分で自分を刺した! 何が起きた!? どうしてこんなことが!?)」
「おいおいテメエな? なんで生きてんだって聞いてんだよ。……あー、いや。もしかして、俺が怪しいって気付いたからとかそんなとこ?」
そう言えばそっちから刺してきたもんな? とレブは言う。
「じゃあよ、質問を変えるぞテメエ。おーこら? なんで俺がヤベエって気付いたの?(笑)」
「(腕は動く。右手も、……右手? いや待って、左手は自由に動いていた。右手だけが勝手に私を刺した? 右手? 私が、アイツに踏まれた右手が??)」
「何無視してんだテメエぇオォイッ!!!」
――男性の怒号に身体がこわばる。思考が一気にゼロに立ち返って、私の視界一杯にレブの靴底の、ソレが迫っているのが見える。
「(――靴底に、刻印ッ?)」
それが私の自我を取り戻した。すんでのところで私は、その一撃を避ける。つま先が宙を舞い、そしてレブは、
「へへへ(笑)」
と嗤った。
「ちょー外した。恥ずかしいぜ、なあ?」
「……、……」
「なあって?」
「…………、……」
「オオォイ! 無視してんじゃねえぞブスがよぉッ!」
それは、どこまでも「抜身の怒り」だった。それが私の胃の腑を凍らせる。狭い空間で、ささやかなトーチだけが照らす狭い空間で、レブの、自分の優位を確信して脂ぎった表情があまりにも不快だった。
「なにが、……したいのよ」
「うん? なぁに?(笑)」
「どうしてあなたは、そんな……っ」
「なんだって聞いてんだろおーコラ? もしゃもしゃ聞こえねえ声で喋りやがってなぁおい?」
ゴミを見るような目だ、と私は率直に感じてしまった。
さっきまであんなにも火照っていた身体が恐ろしく冷たい。四肢が冷えて、掴んだ土の冷たさで指が取れてしまいそうな気がした。
――怖い。
どうしようもなく怖くて、それなのに私の背後には逃げ場がない。あるのは狂信者どもが入り口を塞いだ袋小路だけだ。
「やめ、やめてよ……っ! 大きい声出さないで!」
「ははは、おーおー絶対テメエのが声デカかっただろおーコラァ!」
「――――。」
喋れなくなる。
思考が勝手に、……言葉を紡ぐ。
「あなたのやり口、分かったよ……っ」
「……、……」
「靴の裏の刻印を見た! あなたはそれで、私の右手を操った! さっき私を踏んだ時に、それで刻印を刻み付けたんでしょ!?」
「……だよ? で?(笑)」
「 」
喋るのをやめろ、と。
私は、喋り出す前からずっと胸中で叫んでいた。これはきっと、相手の生命線の手札だ。だから、もっと効果的な場所で使って、揺さぶりをかけるべきだ、と。
それでも私のどうしようもない本能が、今ここで少しでも優位にしがみつこうとして手札を全てドブに捨てた――。
「ぁ、……ぅ」
「お終い?(笑) ねーえー、終わりかよぉ?」
「ッ!」
短剣を構える。レブのトーチが、少し揺れる。それで私が、どうしようもなく土壁に写った影を見ると、
……レブが立っていて、私が跪いているように見えた。
「……、だ、っァアアアアああああああああああああッ!!」
「なんだよ? やめろよ」
立ち上がり、襲い掛かろうとすると、それでようやく私は、自分の腰が抜けてしまっていることに気付いた。限界ギリギリまで失血していた私は、同時に眩暈のような感覚も起こして、結局はもう一度、レブの前に首を垂れることしかできなかった。
「え?(笑)なに?(笑) ねえ、なにがしたいの?」
「うるさぃ……、うるさいうるさいぃ!」
「テメエだそりゃあよォ!!」
蹴りが飛ぶのが見えた。刻印をもう一度食らうのだけは絶対にマズい。なのに手足がマトモに動かない。必死になって転がって避けると、髪の毛が泥でべちゃべちゃになる感触が後頭部に残った。
「だからよ? なにがしてーの?(笑)」
「…………っ」
どうしようもなく、……この男が怖い。
私はそう感じている。服から露出した肌が全部冷たくなって、それを晒しているのがどうしようもなく恥ずかしくなる。額をこすりつけて頼み込んででも逃がしてほしい、と。そう感じている。
「(……これは、スキルだ。恐慌を喚起するスキル。心を強く持たないとダメだっ!)」
「なんかダセェこと考えてない?」
また、蹴りが飛んできた。私はそれを転がって避ける。口の奥に苦い味が広がって、それをたまらず吐き出す。口端から垂れたのは、いっぱいの涎とほんの少しの泥だった。
男はきっと、そんな私を楽しんで見下ろしていた。
「うっそ! 泣いてんの!(笑)」
「…、」
挑発だ。聞く必要はない。
それよりも、そうだ。今の「回避」で位置取りが少し良くなった。これならきっと、向こう、洞窟の奥に走って逃げられる……!
「ッ!!」
「逃げんの?」
レブは、
……もしかしたら私を捕まえられたのかもしれない。
だけどそうはせず、耳元で屈辱的な言葉を吐いて、腕を引く代わりに私の胸を撫でて、
それで、……私の逃走を見逃した。




