2-4
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森を抜け、街道を辿る先にて。
先ほどのような少女二人分の絶叫は消えて、それに代わり、
――今また、剣戟が響いた。
「ちっく、しょうッ! リベット! 無事ですか!?」
「無事よ一応ね! こいつら、どこから湧いてくるのよ!?」
広い平原に終わりは見えない。
それが、指針のないままに進む航海のようにどこまでも不安を催す。
どこに逃げようとも景色に文明の兆しは見えず、その内にも追走する狂信者は増えていく。
……森が揺れて、
今また、雪崩か何かのように狂信者の群れが吐き出された――。
「(これは、本当にマズい!)」
そう、エイルは思わずにいられない。三分前の油断し切った自分をぶん殴ってやりたくてたまらなくなる。
平原は、どれだけ地平に向かっても平原のままだ。これだけの狂信者どもを引き連れてどこかに逃げ込むわけにもいかないが、しかしこれではあまりにも救いがない。
まさしくこれこそが、最も凶悪な物量戦術に違いない。
命の数で、見果てぬ地平で、少女二人の精神を荒々しく削り落としていく。
――諦めた方が楽になるのではないか、と。きっと、彼女らがそう思うまでこの群れは吐き出され続けるのだろう。エイルの思考は、少しずつ、けれど決定的不可逆的に、暗転で濃く深く塗りつぶされる。
「(クソッ! 流石に一度、全力で退くべきか!?)」
『熾天の杜』の狂信者どもの目的は、あくまでご神体、爆竜の護衛にあるはずだ。
自分たちがここで退いても、後ろにはあの異邦の英雄たちが控えている。彼らなら、きっと、自分には思いつかないような奇跡の一手で、或いは神の一撃で、こいつらなんて鎧袖一触なんじゃないのか!?
そんな思考が、
ただ一歩、エイルの足を下がらせた……。
「エイル!?」
「ッ!?」
たった一歩の躊躇。
それが、致命的なほどの物量の目の前にて致命に至る。及び腰になった剣筋は遂に狂信者の首を跳ね損ね、その一人が首から血を吹きながら、エイルを喰わんと大口を開く!
「(――ああ、そうか。ちくしょう)」
無呼吸運動からの開放で、エイルの思考が途端に空虚となる。
見えるのは、狂信者の凶暴な表情だ。不潔な喉と、不揃いの歯が見える。粘つく唾液が、スローモーションに彼女の頬に垂れる。
そして、
「――――ぇ」
死を覚悟したエイルに、
しかしその結末が、いつまでたっても訪れない。
視覚情報を認識せず、ただ景色を映すガラス玉のようになっていたエイルの両眼が、次第に色を取り戻す。
どうしようもなく倒れ込んだエイルの見上げる先で、彼女に覆いかぶさる狂信者は、
そのまま、しかし彼女から視線を切って、ずっと遠くのどこかを見ていた。
「ぁ、ぅ?」
「エイル! 連中に踏み殺されたくなかったら立ちなさい!」
リベットの声だ。
それからエイルは、強引な力で身体を起きあげられる。
「…………、 ……、 ……ッ!?」
ここは、戦場であった。
それをエイルは思い出す。ならば今までは「何を思っていた」? そう追懐し、そして気付く。――自分は今、何を諦めるつもりだった!?
「ああ、くそ。……クソぉ!」
敵に退き、それでも追いつかれ、覆いかぶさられて、あまつさえ命を差し出そうとした。
公国騎士に、それは決してあり得ない行為なのに!
「――くっそがあああああああああぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
自分を追い抜き、或いは衝突してなお先に進もうとする狂信者どもを、エイルは手当たり次第に斬る。
首を飛ばし、腕を飛ばし、胴体を両断する。それでも、それでもなお狂信者は止まらない。一度流れ出した川の行く先が人の手では決して変わらないように、エイルは今、狂信者どもの群れの意識から完全に投げ出されていた。
「(どうして……っ?)」
斬り飛ばし、張り飛ばし、殴り飛ばす。
「(どうしてッ!?)」
止まらず、群れは地平を目指す。
どれだけ抗おうとも、その流れを止めることが出来ない。
「アアアアアアアアあああああああああああああああぁあああぁぁぁぁああぁぁぁ……」
悲鳴が消えていく。
周囲にはもう、狂信者の群れはない。
力なく剣を虚空に薙ぎ続けるエイルがいて、それを沈痛に見るリベットがいて、それだけだ。
それに気付いたエイルは、剣を持つ手を脱力し、
それで、
手から抜けた剣が音を立てて落ちた。
「……、……」
「エイル……。あ、あのっ」
「あいつら、私が負けを認めたのを見て標的を変えやがった」
「え?」
食いしばった歯の隙間から、そんな言葉と、言葉を塗りつぶすほどの憤怒が漏れ落ちる。
「私が戦意を喪失して、それで標的から外しやがった! 私が退いたのを見て、敵じゃないってみなしやがったんだ! くそ! くそくそくそ! クソッタレ!」
「あのっ、エイル! 落ち着いて!」
夜の平原に怒号が響く。それから、幾度と無く地面を蹴り砕く音が反響する。
それが、やがて止んで、
エイルが今度は、
小さく、
呻くように口を開いた。
「アイツらは、絶対に操られている」
「……、……」
「確実に黒幕がいる。そうでなくては、この直観に説明がつかない」
それは、
……あまりにも暴論だ、とリベットは思う。
黒幕がいると直感した。なのに黒幕がいないのでは理屈が通らない、と。彼女はつまり、そう言っているのだ。
――実績を解除しました。
「……え?」
――スキル、剣聖《Ⅵ》が、剣聖《Ⅶ》に昇華しました。ステータス・スキル項に反映します。
「 」
世界の声とは、
思念による音声でありながら、実音が伝播するのと同様に聞こえ、残響し、空気を伝うにつれて薄れていく。ゆえにリベットは、殆ど耳元で鳴ったようにその「声」を聴いた。
ならば、これはリベットにとっての当然の疑問である。
《Ⅶ》とはなんだ?
スキルとは元来、《Ⅰ》から《Ⅵ》で練度を示すものではないのか?
彼女は、何に至ったのだ?
「……エイル?」
リベットが呟くと、エイルは、――なるほど。と言った。
それに続けて、――そうか。誇りを磨けば、それでいいのか。と。
「リベット」
「……、……」
「リベット、聞いてください。私は怒りました」
「……(それは知ってるわ)」
「アイツらは恐らく、ミクス平野の交戦拠点に向かっている。爆竜に連なるためにね。私たちも今からそこに向かいます。……どうしてだか分かりますか?」
「……えっと。わ、わかりません?」
「それはね、私がね、――これ以上なく怒っているからです……ッ!」
「(あ、それは知ってたわ)」
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安寧と、等間隔の揺れに満たされていた馬車が、一つ大きく揺れた。
「――――。」
レクスが言うのを止めて、後方の気配に意識を注ぐ。
ベアトリクスが、そこに、
「敵ですね?」
「ああ、さっきの連中と似たような気配だ」
問い、レクスが短く答えた。
馬車の内部に、――唐突に満ちる緊張感。
馬が、それを感じ取ったのか低く嘶いて、運転手がこちらの様子を窺い、きょろきょろと振り向く動作を取る。
俺は、
「……よくわかるな?」
なんかちょっと感心しちゃって率直にそう言う。
レクスは、それに、
「――慣れてるからな」
と、ユーモアの欠片もない台詞を返した。




