『英雄誕生前夜』
『二章 英雄誕生前夜』
01
――竜種と言う存在は、この世界における一つの頂点だ。
過日、先代『空の主』のとある竜種と、当代『空の主』の特級冒険者との戦いは、冒険者の内では一種の神話と化している。この世界において、最高位の竜種と特級冒険者は共に、殆ど「神」と同一視される存在である。
ゆえに、「彼ら」には信仰者が存在する。
思考する津波どもの巣を信仰する者がいて、
彫像を形為す白い糸群を信仰する者がいて
天を突く威容の巨人竜を信仰する者がいて、
悪意の粋を集めた黒蛇を信仰する者がいて、
そして、かの「大陸」を神とし信仰する者たちがいた。
爆竜パシヴェトにつくカルト集団。「熾天の杜」
彼らがその「杜」に据えた「知識」は一つ。爆風に撒かれて絶命するような肉袋を捨てることこそが、人の極致であり神の慈悲であるという、冒涜的な理念のみだ。
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少女、リベット・アルソンは光景を見る。
暗い森に、ぽっかりと空白が生まれた。エイルによる長剣の投擲が、森一つをまっすぐに伐採して見せたのだ。
ふざけた膂力だ。木々も、人も、当たり前のように両断され山積している。
それは、まるで地獄の血河であった。
「……、……」
森の胎内より、
ソレらが這い出す。
「……。」
幽鬼のように首を垂れて、続々とソレが姿を見せる。
みすぼらしい象牙色の衣で頭からつま先までをすっぽりと覆っていて、目深のフードから除く眼孔だけがどこまでも昏い。
絶望をした者の目だ、とリベットはふと思う。
俗世に絶望した者が、更に数段ぶん道を外しても、なおこれには足るまい。この世界にはいくらでも、優しい宗教は存在するのだから。
だからこそ、ならば彼らは、
――ただすらに、狂人の衆だ。
「リベット!」
「分かってる!」
エイルに叱咤され、彼女の用意した「武器の壁」からリベットは中短剣を二つ手に取る。
その間にも、「熾天の杜」の狂信者どもは魂が抜けたように動かない。
意図が不明だ。
攻撃も退却も彼らは匂わせない。本当にただ、そこに立っているだけだ。
先ほど明確な攻撃を受けたリベットであってさえ、かようにただの「カカシ」と化した人間を斬り飛ばすのには躊躇が立つ。
不可解なにらみ合いが、夜に降りる。
そして
「――ぉぶぁああああああああああぁあアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ッ!?」
胃の腑を凍らせるような狂声が響く。
一人が叫び、二人が叫び、狂信者どもの悲鳴が層を成す。
彼らは、ただ叫んでいるだけだ。
背面を崖に断たれたリベットらには、しかしその絶叫から距離を置くことが出来ない。出来るとすれば、ただ棒立ちで悲鳴を上げる彼らを斬り進むか、斬らずに間を通り抜けるかの二択だけだ。
リベットが周囲を見れば、
絶叫を上げる幾つもの視線が、彼女の両眼を射止める。それだけだ。
「どう、どうするのエイル……っ?」
異様に過ぎる。
剣を一つ牽制に投げてみても、彼らはなお悲鳴を続けるのみである。
頭がおかしくなりそうだ、とリベットは思う。このまま狂人の声を浴び続けていたら、自分も頭がおかしくなるのではないか? などと、
しかし、
……ならば、どうする?
彼らの間を縫って進むか?
あの狂人どもの声を、視線を浴びながら、森奥の昏闇を目指すのか? そんなもの、本当に気が狂ったっておかしくない。
でも、だったら、斬って進むべきか?
相手はただ棒立ちなのに、それを自分は斬り飛ばすのか?
その行為こそ、自分が狂気に充てられた証左なのではないのか!?
「エイルっ! エイルッ!???」
「――躊躇の必要はありませんよ?」
彼女、エイルはそう言って、
そして、狂人どもの首を手当たり次第に斬り飛ばした――。
「そん、な!?」
「分かりませんか? 彼らの教義に則れば、私の斬ったのはただの肉袋です。それに、ほら」
言って、エイルの視線が狂人どもを指す。
そこにあったのは、先ほどまでの棒立ちの群衆ではない。もっと攻撃的に姿勢を低くした、カカシをやめた「ナニか」であった。
「……え?」
「無抵抗の連中を斬り飛ばすのは気が引けましたか? それが連中の狙いです。彼らは私たちを森に誘って、そこで仕留めるつもりでしょうね」
……なにせ、幾ら私たちが背水でも、こんな開けた空間では彼らにはどうしようもない。
彼女は、そう言い切る。そこにあったのは、騎士としての誇り、「ここより一歩も引くことはない」と語る強い矜持であった。
「……、エイル」
「ほら、しっかり。退却が始まりますよ。連中は狡猾だ、私たちにしたって、ここを仕切り直されて森で強襲をされるのは少し対処が難しい。
――掃討戦です。死にたくなるほどの後悔をしたくなければ、手当たり次第に殺すほかありませんよ」
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森に剣戟が奔る。
火花が散り、肉と血が飛ぶ。
エイルの一挙手が狂信者を砕き、リベットの一投足が烏合の衆をドミノ倒しにした。
「……、……」
……連中の殺意は本物だ、それは認めよう。
エイルはふと、そう思う。
敵陣の前衛が特攻を行う。どうやら彼らは、後衛が退却するまでの時間稼ぎを行うつもりらしい。エイルの喉を狙う馬鹿正直な突進を、彼女は難なく剣でいなし、次の一人は頭を蹴り砕き、三人目も四人目も同様に屠殺する。それでも後続が来る。これでは、本当に後衛の退却を許しかねない……。
「エイル! 一人森に這入る!」
「武器生成! リベット、閃光に備えて!」
詠唱で、森の間際に槍の檻を生成する。森の領域に沿うように等間隔に生まれたソレが、幾人かの狂信者を貫く。
しかしそこには拘泥しない。なにせ他にも、森に接近する狂信者は幾らでもいる。
リベットに向けた警告への反応は待たずに、エイルはそのまま次の魔術の詠唱を開始する。
「トーン・スピル・ドゥウェイル、――竜条紫槍!」
彼女の持つスキル、『雷属性魔法』が「詠唱」をカタチに変える。都合六つの雷が地面と水平に走り、軌道上の狂信者を灼いて、そして槍の檻に着弾し閃光に変わる。
――否。閃光に見えたのは、槍の檻が融解し、槍を成す魔力鉄が炸裂した光だ。
それで更に、狂信者どもが山積するように絶命する。それでもなお、前衛は怯みもせずにこちらに向かってくるし、退却者は何も見えていないかのように死屍累々を踏み越えて森へと殺到している。
「――――。」
――確かに、
狂信者どもの殺意だけは本物に違いない。
しかしこれならば、ゴブリンとでも戦った方がまだ難しい。
なにせアレには戦略があり、悪意があり、害意と殺意がある。なのにこの狂信者にあるのは殺意だけだ。戦略も悪意も害意も何もない。空っぽの殺意一辺倒が剣を振るのは、あまりにも急所を狙う剣筋が見え透いていた。
「……、……」
違和感を覚える。
先ほど狂信者たちが見せた、あの「悲鳴による精神の摩耗」は間違いなく「戦略」であった。
どうして唐突に、戦略が無くなった?
或いは、
「(殺意ではない? これは、殺意ではなく目的意識なのか?)」
前衛一群は、「自分たちを殺すのが目的」であるから自分たちに殺意を向けている。
退却者は、「退却することが目的」だから退却以外を行わない?
狂信者どもが持っている唯一のものが、仮に、
――「殺意」ではなくて「目的」なのだとしたら?
「リベット! 魔術反応の索敵は可能ですかっ?」
「魔術反応っ? 出来るけど、どこを探したらいいのよ!?」
「彼らです! 彼らはもしかしたら、精神操作を受けているのかもしれない!」
「なっ!?」
精神操作とは、文字通り精神を操作する魔術である。この魔術で可能なのは概ねで二つ、術者による遠隔操作か、或いは事前に設定した命令の傀儡にすることだ。
狂信者たちのこの特攻は、この、命を計算に入れるのを忘れてしまったかのような突撃は、少なくともどう考えたって人の本能とは逆行している。
彼ら「熾天の杜」の教義がいかに人の身体と言う肉袋を捨てることであったとしても、かような命の軽視は在り得ない。洗脳による「自死の美化」でも薬物投与による「意識の混濁」でもなく、彼らは今、ただ単に生命と言う概念を欠乏している。
そして、そんな風に人をゴーレムにするような術を、エイルはたった一つしか知らなかった。
――が、
「ない! ないよエイル! アイツらは何の魔術効果も受けていない!」
「――――は?」
「アイツらは正常だ。イカれてるわけですらない! うそだ、そんな、アイツら。……アイツら、死ぬために生まれた命運になってる!」
その不可解な返答にエイルは、ステータス看破のモノクルを「生成」する。
それで確認する限り、
「 」
――「ここで死ぬもの」。
それが彼らの名前であった。




