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楽園の王に告ぐ.  作者: sajho
第二章『ゴールド・エッグ_Ⅱ/You Lose.』
427/430

最終節『親愛とは』




「観念しようと思う」


「……、」




「防衛術式にエラーを噛ませた。数時間は持つはずだ。その間にお前は、お前がしたいことをすればいい」




 夜。

 今宵も訪れた侵入者に、ボストマンは言う。




「防衛術式は、帝国の財産たる人材を守るための、()()()()()だ。術を受けた者にオンオフの権限はない。だから、数時間だ。それが過ぎれば騎士が俺を探し始めるだろう」



 それまでに、俺を殺せ。

 そう彼は言う。



「……ああ、分かるとも。観念などしてほしくなかったんだろ? 俺も苦肉だ。もっと良い方法はあったんだろうな。上手に悪役を演じて、勢いのままに殺されてでもやればよかったな。――お前の失態だ。俺を追い詰めすぎたな?」



 彼は言う。



「孤独になって、負った責任の支払い日を待つ囚人になって、……ついでに言えば睡眠不足にもなったな。多種多様な方法で思考能力を削ぎ落されたおかげで、俺は、自分というものを理解した」



 言う。




「――彼女を殺して、すまなかった」
















「……………………………。」
















 ボストマンは少年を見る。

 灯を落としたテントの向こう、この領の一日が終わって久しい宵闇の風が、布戸を揺らしている。


 それが時折、月を室内に齎して、侵入者の表情は逆光により判然としない。



 ――目だけが、爛々として見える。











/break..











 より良く人を導くには、如何にすべきか。

 答えは簡単だ、ニーズと道理を理解すればよい。


 例えば、カネがないと心の底から咽ぶ国政の被害者がいたとしよう。

 そこにカネを落とすのが急務であるとした際に、()()()()()()()()()()()()


 カネがあるところから毟ればいい? ()()()()()()()()

 金持ちなんて幾らでいるだろう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 適切な使い方をされていない税金から賄えばいい? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 聖者の類いが上に立てば、これらの問題に太刀打ちが出来ない。

 人を導く立場にあるモノは、大前提としては名誉欲の亡者であるべきだ。


 ――或いは、

 欲などという原動力がなくとも常に最適効率で最適解を出し続けられる有能であっても、当然構わない。


 ボストマンが目指したのは、そういう王様であった。




「  」




 この世界には、無能が擁立されてしまうような虚弱な社会性は存在しない。


 一つ一つの国家の中には無数の治外法権(ギルド)が設置されて、各国家で既存の、伝統的な慣習による()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、その第三者(ギルド)がためらいなく「おかしい話だ」と声を上げる。


 例えば流通。

 生産箇所から需要のある箇所へのバケツリレーないし、需要のある箇所での買いあぶれが起きないための在庫番として存在するのが仲介者であるが、その数が多ければ多いほど、当然ながら生産物の価格は上がる。

 多かったとしても、それでも関わる人の数が妥当なら、それは適切な価格であると言える。

 ()()()()場合には、得てしてそこには伝統が関わる。昨日と同じ今日を求めた保守派たちの選択の蓄積によって、物流の中継地点は「減らされずに増やされ続ける」


 そして当然、それは物流に限らず「流動する全てのモノ」に発生し得る主要である。

 ギルドの存在意義とは、……実のところ、ギルド創始者たるとある青年にとっては、そこにあった。


 おかしいことをおかしいと言わぬ保守派の群れ。これが一つのコミュニティを生成したなら、それは肥えた果実のような楽園となるだろう。蜜を溜め込み、枝を軋ませ、なにかを切り捨てることが出来ぬからこそ、その果実はいずれ落ちる。


 そうならぬように、世界をその足で歩き回って「良い国と悪い国」を見てきた人々に、()()()()をしてもらう。

 それが品評者にとって「良すぎる国」だったなら、その報いは品評の言葉ではなく、彼らに蜜を啜られて適度に痩せ細ることで為されるだろう。そしてその果実に住まう人々は気付く。「我々は、我々自身をないがしろにし過ぎていた、ないし他者に怯えすぎていたのだ」と。

 或いは「悪い国」なら、報いは打撃によって起こる。受け入れた品評者をカモにしたなら、きっとその国はもう二度と品評者たちに信用されないだろう。もしくはいっそ、徒党を組んで反撃される可能性すらある。

 そして、「良い国」には良い風が回る。「良い国」を知った品評者たちは、それを理想として各国を回る。その理想郷の噂は土地の住民の耳にも入り、もしかすれば、「自分たちが置かれた状況は少しおかしいのでは?」と気付くかもしれない。


 それが、切磋琢磨というモノだと青年は知っていた。

 自己成長とは、辛く苦しいだけのモノではなく、憧れから始まって目を輝かせながら続けるべきものだと。

 だから彼は、「荒くれものどもに職を与えて治安を維持するとともに、民間単位での自衛手段の確立を行う組織」という名目で国家に依存しない組織体であるギルドを創設した。


 或いは、人々が積極的過ぎてもいけない。

 仮に国家総体が積極的人格者の集まりであれば、そこに産まれ落ちるのは混沌とすら真逆の毒の秩序であるためだ。

 

 例えば、先の「カネが無いと切実に訴える国政の被害者」

 これらすらが積極的であったならどうか? 被害者が一念発起して、巨悪たる政治を華々しく打倒する? 否である。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 すなわち、その国からは悪性を断罪する「感受性」が失われる。個人にとっての善悪などは個人の裁量で決定すればよいものだが、コミュニティ総体での善悪が仮にあるとするならば、その悪が集まる箇所とは弱者が押し付けられるようにして集まった箇所のことだ。そして、共に手を取り合おうという意思がないのでは、弱者の依り場所は永遠にそのままである。ゆえにヒトには、保守という機能が備わっている。


 昨日と同様の今日が来ますようにと、当たり前の弱音で手を取り合う。

 そうして集まった小さな人々の、弱音という名の善性が蓄積したのなら、いずれは悪を排すことすら可能かもしれない。だけど、よく考えるべきだ。「カネが無いと切実に訴える国政の被害者」にただ求めるモノを渡したとすれば、それはモノを奪った場所に「カネが無いと切実に訴える国政の被害者」を生み出す行為なのではないか? そうとも、難しい問題だろう。だからこの世界には騎士がいる。


 この世界の騎士の祖は、とある少女であった。

 彼女は、この世界を回すのは有限のリソースであることを知っていた。誰かに渡されるものは、誰かから奪われるものだと。――だから、せめて悪党には渡らないように。第三者(ギルド)を口説くだけのリソースすら持たない弱者を救うのは、『第三者』ではなく『隣人』であるであるべきだ、と。


 だけど、

 ……それなら、努力と悪徳をどう見分ける?


 努力にせよ悪徳にせよ、リソースが集中してしまう真似をしていることには他ならない。

 いっそ共産にでも転じればどうだ? 目まぐるしいほどの成長速度と輝かしき多様性は失われるだろうが、それと等価交換で手に入るのは安寧と繁栄ではないか? なら、世界全体が未熟な今は資本主義であればよくて、いずれ共産的に振る舞えば良いか? なら、()()()()()()()? 今まさに苦しむ「リソースが薄弱な箇所の人々」の声には耳を傾けなくて良いのか? 或いは、いずれ来る発展の否定の日を誰しもが受け入れるとは決まってもいないのに?


 だから祖たちは互いに、()()()()()()()()()()()()()()()()


 ギルドは組織の機能的ふるまいとして、或いは人間の性として、結果的に必ず国家を品評する。

 騎士は敗者を守る。人間が組織的生物である時点で、どんな世界にも必ず騎士は生まれ、そして滅びぬのだから、せめて初めのルールを完璧に敷く。


 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 繁栄と発展の匙加減は、誰かが決めるモノではない。

 だから、誰にも決められないように、その守護者たちに不届き者を追い払う力を与えた。ギルドと騎士堂は、以上の理由を持って国家に属する選択肢を永遠に捨てた。すなわち、――不届き者も無知蒙昧も、この世界の守護者たちによって擁立を認められぬのである。


 ゆえに統治者は名誉欲の亡者であるべきだ。

 自分を評価させるために広く民に成果を見せつける。聖者ではない統治者は、恵まれない相手だと言うだけで手を差し伸べたりはせず、数学に基づいてリソースを分配する。全ては、自分の輝かしき名誉のために。それで結果的にコミュニティ総体が発展し、反映するのであれば、その欲望は正しいものでしかない。


 けれど、それなら機械的に物事を判断するのでも同様の真似ができるはずだ。

 ボストマンには名誉欲というモノが無かった。けれどこの帝国は世襲制だ。彼が統治を行う時代は必ず訪れる。


 だから彼は、モチベーションがなくとも執務を完璧にこなせる王を目指したのだ。

 彼自身は、本当は画家になりたかったのに。






「……。」






 許される行いでは()()()()()()()()()()()、と思う程度だった。

 罪を清算したいから罰を受けたいわけではない。罰でもなんでもすればよいと捨て鉢になっているだけであった。


 死への知的興味。

 それ自体は誰しもが一度は持つモノだろう。これを彼は、誰しも以上に希求したいと感じた。

 胸中に思い描くモノを実像として描き出してみたい。だけどそれには、彼には画力も意識との対話能力も不足していた。当然だ、練習などしたことも無いのだから。


 したいことも出来ず、モチベーションが完璧に無い仕事をそれでも完璧にこなす彼には、領民への愛など生まれる余地がなかった。それはすなわち、ヒトへの愛と共感能力も同様であった。


 自分の成果で下々が喜んでいる。彼はそれを、無感情に眺める。こうして彼の感受性は失われ、ヒトというものが自分と同じ生命であるという感覚を忘れていった。彼自身に言わせればそれが「自分の怪物性」なのだろうが、もっと適切に表現するなら「現実感の希薄さ」と出来るだろう。


 そこにちょうど、美しく、穢れを知らず、そして活きの良い子供が現れた。

 完璧な王として清濁を併せ吞み続けていた彼は、書類仕事を澄ますような感覚で少女のフィルム作成を依頼した。父から手渡された薄汚れた領のために自身の手を汚すことは幾度としてあったが、自分のために自分の手を汚したのは初めてだと、彼は依頼を終えてから気付いた。


 そして、フィルムは滞りなく手に入った。

 彼の灰色だった休日は、その日を以て花開いた。諦めていた「死への興味」が、失って久しい「現実感」と共に訪れたのだから当然だ。彼は、初めて自分のために人を殺したという鉛のような現実をようやく理解して、――さて、彼が狂っているとすれば、ここからだろう。この日に彼は狂った。


 罪のない少女を娯楽のために殺したと気付いて、それを否定するために彼女を女神に設えた。

 彼自身は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それがこの機会では、このように破綻したのであった。






「…………。」






 そして、破綻したのちも人生は続いた。

 気付けば彼は、……仕方なくといった形で、この仕事に愛着を持ち始めていた。





















最終章

『親愛とは』






















 僕ことオルハは、爽快な景色に辟易とした表情を向けた。


 日差しがまだ紫を帯びるほどの早朝。

 ナッシュローリの北東深く、ヒトの文明が介在しない草原の果てには、とある切り立った岸壁がある。


 海面までの距離は十数メートル。なだらかな登り勾配があるので、見下ろしてやらないと下は見えない。

 壁面に沿って昇る風が、時折大きな音を立てるのを僕は知っている。そしてそれは、この時間帯には止んでいることも。


 だから、静かな朝だった。

 傍らで気絶するボストマンの呼吸が聞こえてきそうなほどに静かで、……だからこそ、ここまでコイツを抱えてきた疲労がずっしりと効いてくる。




『そろそろ、起こすか?』


「いや。いいや」




 声に返答を返すと、向こうはそれっきり黙り込んだ。

 だけど、あの決戦の夜以来、頭痛とは縁がない。これなら別に、バンバン話しかけてくれてもいいんだけどね。




『なワケに行くかよ……。俺なりに鎮痛としてるんだから』


「…………。」




 まぁ、そうなるのか。

『彼』はどうやらしばらく前から僕の主観を共有していたらしい。なら僕の何でもかんでもを知ってるワケだ。なら、共感できる動機があるような復讐だった幸運を、ひとまずは喜んでおくしかないかな?



「……ちなみに、マジで何でもかんでも知ってるの?」


『意識のオンオフが出来るとだけは言っておこう』



 オーケー、男娼パートはオフにしてくれてるんだと思い込むしかないな……。



「…………さて、そろそろ時間じゃないかな?」



 今日まで僕はボストマンを襲撃し続けてきたわけだけど、それと同時に情報収集も欠かさず行ってきた。

 具体的に言えば、翌日のボストマンの動向の把握だ。『彼』が中々に便利で、入れ違いで()()()おけば睡眠を多少無視して動けるみたいだった。とはいえ身体の疲れは据え置きだし、全く寝なくていいというわけでもないみたいだけど。


 ってことで、ボストマンを襲った後はその場で意識を入れ替えながら見張り番をして、午前中の作戦会議もしっかり内偵していた。見張り番の方は、あの仮設テントを物色する次いでではあるけれどね。


 で、その経験則から、コイツはそろそろ目を覚ますはずなのだ。

 これ以上失神が浅くなる前に、やることがあれば済ませておこう。


 腕と足の縄は十分にキツいし、ロケーションも悪くないし、……あとは、何があるだろうか?


 ああ、復讐が今日終わると思うと居ても立っても居られないようで、だけど不思議と、冷静な自分も自覚できる。

 見ている『()()』がいるからってわけじゃないとは思うんだけど、どうだろう。

 その手の情緒はもう捨てたつもりだったけど、でも、()()()()()()()()がいるからかもしれない。



 ――この場所には、僕が彼女のために作った墓がある。

 遺体はないので祈りを込めて下手くそな木造りの十字架を地に立てただけだけど、せめて景色のいい場所を彼女のために選んだ。


 今日も十字架は、穏やかな晴れを浴びてそこにある。

 彼女の死出の旅路が、あんなふうに静かなモノであることを、僕は願う。











「……、生きているのか、俺は」


「ようやく起きたか」











/break..











 まず、美しい場所だとボストマンは感じた。


 霞を帯びる朝。

 穏やかな草原と、その果てには潮風の香り。


 風が無いのが不思議なほどに空虚なる景色の、その中央には()()()()ような木の継ぎ接ぎ。


 考察などは不要であった。

 アレは墓であり、ここは墓地である。


 ――そして墓守が、あの少年だ。




「あの子の遺体を発見したのか?」


「あの子と言うな。親密そうな言葉を使うな、反吐が出る」



「……出してみろよ。それを言うやつが本当に反吐を吐いたのを俺は見たことがない」




 少年がボストマンの腹部に爪先を叩きこんだ。




「見ろよ、出ただろ?」




 嘔吐の反射で身体が暴れそうになり、気付く。

 当然のことだろうが、拘束されているらしい。




「……何が目的だ。あの墓に向けて懺悔でもしろと?」


「いや。……僕はね」




 芋虫のように這いつくばって、少年の表情を見上げる。

 ただし、その貌は今も、逆光によって判然とはしない。平坦な語り口調が少年の感情を覆い隠している。




「なぁ、ボストマン」


「……。」




 少年の前髪がさらりと、微かな風に揺れる。

 それを脂汗まみれの自分と比較しそうになり、ボストマンは思考に蓋をする。


 ……この一景を切り取って、それだけでどちらが勝者であるかなどを判断するのは早計に違いない。






「お前、――多分もう、化け物じゃないよな?」


「なにを、言っている……???」






 いいや、と思う。

 自分は化け物であると。芸術という慰みに命一つを消費できる悪徳を持ち合わせ、その命の散り様と引き換えに我が領を完璧なモノに誂えた魔物であると。


 自分は、悪魔の契約が如くして、供物に対価を与える悪魔だと。

 あの子がいたから、死んだから、この領は今日も美しいのだと。



 ……蓋をしたはずの思考で、ぐつぐつと蓋を沸かせるようにして。




「ここは彼女の墓だが、彼女の遺体はここにはない。だから、空想してやる必要があるよな?」


「……。」




「思い描け、彼女の顔をだ。

 ――そうしながら、僕の言葉を一言一句聞き逃さずに聞け」




 どういうつもりだ、と再度は聞かなかった。

 代わりに彼は『女神』の顔を思い浮かべる。従順になったわけではない、意図せぬ反射としての行為であった。


 浮かべた『女神』の表情は、……良く見知った、獣のような死に際のそれであった。











/Film.1











 彼女はこのナッシュローリに、望まれて生まれた子であった。

 人間二人分の、生涯を賭すほどに切実なる祈りと願いを込められて彼女は生誕した。



 人間二人は誓った。

 互い同士にではなく、己と世界にである。



 ――生まれてきてくれてありがとう。


 君の生涯全てを見届けることは出来ないし、望みもしないけれど、

 見届けられている間は、自分どもが、責任を持って君を幸せにすると誓う。











/break..




「何のつもりだ」


 耐え切れず、ボストマンは問う。



「良いから聞けよ。この加害者が」











/Film.2











 この美しい領で、彼女は健やかに育っていく。

 彼女は始めに、母を呼ぶ言葉を覚えた。それに父はどれだけショックを受けた事か。


 仕方ない事とは理解している。なにせ、家内にいる時間の差というものがある。

 それでも、……それでも、もしかしたらなんて思っていたのに、と。


 だけど、そんな嫉妬は、この溢れるような感情に比較してしまえば小さなものだ。

 その日、その家は、両家祖父母もわざわざ呼び立ててのお祭り騒ぎだったんだとか。



 ――さて、言葉を覚えれば人間の情緒の完成は近い。

 言葉とは定義の手法である。定義してしまえば、それは理解されて彼女の知性の一片となる。


 なんだかわからないけど口に含めば笑顔になってしまうソレは、どうやら『パン』というらしい。

 なんだかわからなかったこの感情は、『おいしい』というらしい。


 だから、率直に口に出した。

 彼女からすれば、事実を事実として指摘しただけであった。


 それを聞いた父は、これまでの生涯に一度もなかったような感動に襲われることになる。

 自らが焼いたパンを、我が子が『おいしい』と笑ったのだ。


 この栄誉に比べれば、ただ最初に父が呼ばれなかった程度、なんという些事か。

 彼にとっては家業でしかなかったその仕事は、その日を以て、彼の守るべきものを全て守るための熾烈にして誇り高き使命に変わった。











/break..




「……、」


 何のつもりだと、再三問うつもりにはなれなかった。

 少年の意図を、理解したためであった。











/Film.3











 言葉を覚え、情緒を覚えれば、……次に覚えるのは反抗だ。


 服を着せるのも顔を洗うのも、あれだけおいしいと笑ってくれたパンを食べるのにも、彼女は一手の反抗を挟むようになった。


 両親は大いに参る。

 我が子の「いやいや」など子猫のように可愛いものだと言い聞かせながらも、チリのようなストレスは蓄積していく。


 先に音を上げたのは母であった。

 当然だ。母の方が、彼女と共にする時間が長いのだから。


 それに、間違いなくショックでもあった。


 何の気なしに聞いてしまった自分をすら呪った。


 食事を作り、「おいしい?」と聞いてしまった自分を恥じた。

 きっといつものように、「おいしい」と笑ってくれるなどと、何も考えず思っていた自らの浅慮を。



 ああ、それにしても。

「おいしくない!」なんて言われただけで、こんなにもショックを受けるものなのか……?



 ……さぁ、この日両親は遂に必要に駆られた。

 なんなら、必要であるかすら判断に迷う。この程度のコト、子供の無邪気と笑って流すべきなんじゃないか?


 だけど、このまま育ったら?

 この小さな家とは違って、世界は広く、シビアだ。


 彼女を思うなら、今ばかりは、心を鬼にするべきなのか?


 ……生まれてきてくれた時点で、こんなにも自分らに幸福を与えてくれた彼女を、傷付ける権利が自分どもにあるのか?




 と。それ自体が思い違いであったことを教えてくれたのは、母のとある友人であった。

 友人は先に子に恵まれた先輩である。母は、店で一番立派なパンを手土産に先輩に教えを乞いに行った。


 そこで母は、一計を伝授されることになる。

 曰く、叱るという行為には種類がある。相手を怯えさせて言うことを聞かせるなどというのはその内でも下手も下手。


 まだ彼女に多大なる愛があるなら、その苛立ちは海にでも叫んで捨ててきてあげて、と。

 先輩は、母としての当たり前のストレスは許容して受け入れながら、そう教える。



 さて、一計を為す方法は決めた。

 作戦決行は、父が休日となる、とある日にしよう。











/break..




「……」











/Film.4











 母は、先輩の教えに従い海へ行った。

 帰りは夜になるらしい。昼食は父の用意だ。


 しかし、……まさか昼の家内がこんなにも忙しないことになっているとは。


 夜の彼女などは序の口だった。なにせ夜は、もう彼女は眠くなっている。

 小さな彼女からすれば家ひとつが大きなジャングルジムのようで、跳ねまわったかと思えば家財の上で丸くなって眠っている。家の中で人間を見失うこともあるのだと父は知る。


 しかし、今日は作戦の決行日だ。彼女の奔放さを上手くコントロールしなくては。

 チャンスは昼食後。眠い目をこすり始めた彼女に、父は一つの相談を持ち掛けた。



 ――最近、お母さんが疲れてるみたいだよ?


 彼女はそれを聞いている。



 ――いつも頑張ってるお母さんに、お礼をしてみない?


 彼女はそれを聞いている。



 ――ひと眠りしたら、お買い物に行こう! お母さんにごはんをつくってあげよう!


 彼女はそれを聞き、……首を振った。



 しくじった! と父は反射的に思った。

 満腹の時なら「いやいや」も控えめになるかと思ったが早計だったか!? こうなれば、買い物自体は一人ででも――!



 そう悶々と唸る父に、しかし彼女は言った。



 眠る必要はない。

 疲れてるなら、時間をかけて、たくさんの料理を作らねばいけない、と。











/break..




「ボストマン、お前は」


「……」


「今なら、……いや、()()()()()()()()、この話を理解しながら聞けてるんじゃないのか?」


「……」











/Film.5











 献立はハンバークとビーフシチューとグラタンとスクランブルエッグと言うことに決まった。


 ……ものの見事に彼女の好きな食べ物ばかりだ。

 きっと、彼女は「おいしい」と思ったものを端から選んだのだろう。自分がおいしいなら、母もおいしいに違いないと。そのあまりに素直な感性に、不思議と父は嬉しくなってしまう。


 が、流石に全部はどうなのだろうか……? せっかく作ってくれた料理なら自分も妻も全力で喰らい尽くす所存だが、妻は女性だ。どうしようもない胃の容量というモノはある。


 今だってほら、彼女は保存前提みたいな大容量の挽き肉を肉屋に注文している。

 待ってくれ娘よ、その抱えている巨大な肉の塊は、流石に今日のビーフシチューで全部使うつもりじゃないよな……???



 さて、閑話休題。

 父は大人の奸計として「翌日以降に残しておけばずっとおいしいご飯が食べれるね!」という甘い言葉を以て彼女にお残しを認めさせた。


 では、ここからが本番である。調理開始だ。


 ……ただし、ここについての詳細は省こう。

 父は、まだ半分も終わっていないキッチンの掃除を急ピッチで進めながら、掃除道具を両手に母の帰宅を迎えたのだった。











/break..




「……もう、結構だ」


「そういうわけに行くかよ」











/Film.6











 一計について。

 母に音を上げさせたのは「おいしくない!」の一言だった。


 それ自体が子供のわがままの延長線上であることは理解している。気に病むほどのことではない。

 それは分っているが、それでもダメだった。


 だけど、きっとこれを頭ごなしに叱りつけるべきではない。

 叱るという行為が「自らの心も痛むからこそ乗り越えるべき苦境である」などという価値観は古代の妄想だ。親という役割に求められる仕事は、社会が時代と共によりハイレベルに進展していくように、進展している。


 頑張ったのだから美談だ? 片腹痛い。考えるのが大変だから辛い方に逃げるのは良いが、それに人を、それも我が子を巻き込むな。考えるのが大変なほど追い込まれているなら、全力を以て考え方を変えるべきだ。


 ……そんな理想論を実際に成し遂げられないのでは親失格だと、分かってはいても人の能力には限界というモノがある。

 二人は、親として以前に大人として、頼れる隣人と友人がいる幸運に大いに感謝した。


 つまり、――我が子に理解と反省をさせられるなら、圧をかけるような真似は避けてもそれは「叱る」という行為だと。



 楔を打つ。


 父は、……今ばかりは心を鬼にして言う。



「おいしくないって思われたら、どうしよう……」



 その言葉に彼女は、雷に打たれたような表情を見せた。




 ――さて、

 その晩、一計は叶った。


 彼女は自分の振る舞いを、自らの力のみで理解し、反省し、母に謝ることが出来た。

 その日の食事は、これまでの人生では想像も出来なかったほど、明るく楽しく、幸福なモノであった。











/break..











/Film.7











 決戦を終えたその夜、父の父が家に来た。

 妻から相談を受けていたらしい。


 彼は手土産の酒瓶を、眠ってしまった母と彼女を起こさぬようそっと手酌で息子に注いで、言った。



 ――よく、一人で頑張った。

 頼ってくれても、それはそれで構わないつもりではあるが、



 ――お前はもう、父親だ。




 その日の晩酌は、静かだけれど、これまでの生涯では想像もできないほどに幸福なものであった。











/break..











/Film.8











 幾年経って、彼女は遂に入学の年を迎えた。

 初めての登校日だ。こんな小さな身体に、あんな大きなリュックサックを抱えさせるなど鬼畜の所業である。せめて最初の数か月は荷物持ちをさせてほしい! と一日目の朝に咽び泣いたのは母であった。


 ……てっきりそういうわがままは自分の役だとばかり、と父は脱力しながら、胸を張って行く娘を見送りながら母を羽交い絞めにするのであった。











/break..











/Film.9











 入学して数週間。

 彼女が、泣きながら帰って来た。


 何があったのかと母は聞く。

 悪意に晒されたのだというのなら、その時はこの身を捨ててでも彼女を守ると覚悟をしながら。



 ただし、聞けば、……友達が出来なくて寂しいんだとか。

 最初は笑ってしまった。なんて子供らしい悩みなんだと。


 笑う母を見てショックを受けたらしい彼女に気付き、慌てて母は「友達なんてすぐに出来る」と励ました。こういう時は上手く論点をすり替えるのだ。敢えて道化を演じてあげて、ショックを自分への怒りに変換させる。


 ということでコチョコチョ攻撃開始だ。

 彼女は笑いながらも、「ほんとうに困ってるのに!」と憤慨する。


 これなら上々だ。自分のミスはこの一言で取り返せるだろう。


 ――ごめんごめん。今日のご飯はグラタンにするからゆるして!



 すると彼女はまんざらではないという表情をしながら、……しかし振り上げた怒りを簡単には下ろせぬと顔を取り繕って、遊んでくると外に逃げていった。


 ああ、なんと可愛らしい反応なんだろう。

 これは、絶対に許してもらうためにも、今日のグラタンはなんとしても逸品にしなくては!






 そう意気込んでキッチンに立つと、途端に正気が襲い掛かる。

 たった一人、孤独に家に帰る彼女の小さな姿を想像してしまい、少しだけ泣いてしまった。











/break..











/Film.10











 彼女はきっと、同世代よりも大人びている。


 親の目では信用など出来ないだろうが、彼女は可愛らしく愛嬌があって魅力的だ。


 だけど、少しだけ奥手なのだ。

 だから、少しだけ時間がかかるのだ。


 彼女の人生は、まだまだ長い。

 自分ども風情がとはいえ全力で育て上げて、そして胸を張って送り出した彼女の魅力に、世界はまだ気付いていない。


 だけど、いずれ気付く。

 その日まで、自分どもは、この天使を守り、育み続ける。











/break..
















/Film.11











「それを、お前が殺した」
















/break..






「……。」



 分かり切っていた終わりを迎えて、ボストマンはただ俯いている。

 知っていた。彼女の生涯はバッドエンドを以て幕を閉じる。その終わり際を、彼は何度も眺めてきた。



「僕は、お前に期待する」


「何を」



()()()



 反射的に顔を上げそうになった。

 拘束されたままの芋虫として、目前の断罪者を見上げそうになり、


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




「お前は自分がサイコ野郎だと思ってるらしいけど、僕の見解は違う」


「。」



「素晴らしい領だ。色んな人を見てきた。使命に燃える人も、闇から救い上げられそうな人も、暖かい場所しか知らない人も、暗い場所を知ってるけど、切っ掛け一つで吹っ切れられた人も。

 ……どの人も、環境が良くなくちゃそうはならない。明日が今日より良くなるって思ってるから、素直に状況を受け入れられるし頑張れる」


「。」



「これをお前が作ったんだよ。『幸せな場所』をお前が作ったんだ」


「。」



「つまり、お前は並み一通りの幸せの定義を知っている。他人が笑顔になる切っ掛けを知っている。

 そんなお前が、彼女に願われたモノを理解できないはずがない」


「。」






「お前は終わりだ、ボストマン。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「。」






 嗚呼。

 そんなのは、


 ――実のところ、言われなくても分かってはいた。




「それで? どうする? 俺を殺すか?」


「求めるのは彼女への謝罪だ。そこに墓がある。這って行って頭を下げろ」



「断ると言ったら」


「断らないと思っている」



「なら断ろう。お前の考えはまるで的外れだ。俺に反省の意志などはない。ここで生かせば、同様の被害者をまた生み出すぞ」


「そうはならないと思う」



「良いから殺せよ。あのガキの仇だぞ? あいつが俺が生きているのを望むわけがないだろ? どれだけ傷付けて殺させたと思ってる? ああ、最後の悲鳴は滑稽だった」


「そうか?」



「そうとも! あの……、表情が……っ!

 ――いいから殺せ!」


「断る」



「どうして……! そのためにここに来たんだろうが!? 今更日和るなよ! 全部の葛藤を超えてきたんだろ!? 人殺しが怖いのか!? なら俺が一人で勝手に死んでやろうか! そんなこと、無意味だろうが! お前が俺を断罪しなくて、どうしてあのガキが浮かばれると思う!?」


「残念ながら、……もう彼女は死んでる。浮かばれるだのは無意味だ」



「だったらお前の感情はどうなんだよッ! 人生かけてここまで来て! それでこんな終わりか!? なにも成し遂げずに終わるのか! お前がお前の手で幕を引け! 復讐を終えて次に進め! 俺を殺して!」


「……」



「聞いてくれ! 殺してくれ! お前の手で終わりにしてくれ! 俺は罪を受け入れる! 殺されるほどのことをしたと思ってる! もういいだろ、こんな仕打ち――ッ! 嗚呼ッ――











 俺は、なんであんなことを――」



「それが聞ければもう良い。それじゃ、もう二度と僕に関わるな」
















/break..
















「これで、本当に良かったのか?」


「……、」




 ――彼女の墓前を後にして。


 ボストマンの声は遥か後方。

 僕は、草原の真ん中で待つ馬車から降りた人物に、そう声をかけられた。


 ……彼ことカズミさんは、この場を設えてくれた立役者である。

 この状況を作り上げるまでの相談役から、この場所に来て帰るまでの馬車の手配まで。考えてみると、どう考えても最初の僕のやり方じゃ穴だらけだった。このヒトの『人を手のひらで操る為だけの才能』みたいなものがなければ、絶対に成功なんかしなかっただろうな。


 ……けど、それにしても今話しかけてくるかなぁ?

 もう少し浸らせてほしいんだけどなぁ……。




「そもそも、反省の意志があるなんてよく見抜いたな?」


「僕も同様だったからです」



「というと?」


()()()()()()()()()()()()()




 嗚呼。そして僕らは、それを認められない。

 本当は僕だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 だから、儀式が必要だった。

 あの頃と同じだけの怒りを維持するための手順と、自分に言い聞かせ続けるというルーティンワークが。



 今こそ、認めよう。彼女は僕にとっての過去に成り果てた。

 それがいつからだったかは、もう覚えていない。


 今はもう、鎮痛な思いだけが胸にある。




「半端な復讐に付き合わせてしまってすみませんでした。何かでお返しできればいいのですが……」


「いや、それはいいよ。こっちにはこっちの意図があった。そっちの仕事はこれで十分だ」




 それより、と彼。




()()()()()()()()()()? 足はつかない。アイツのここまでの転落劇と併せて整えれば、アイツの立場を踏まえても楽勝で()()って風に片づけられるが」


「…………。」




 飄々と、そう言う。

 彼の感情は掴めない。真っ黒な悪意で以って言う他にない様な言葉が、風のようにつらつらと流れて聞こえた。


 だから、僕は本音で話せた。




「もう、彼女の死に燃やす熱量はないんです。ただ、鎮痛に受け入れるだけです」


「そうか?」



「ええ。だから、今は彼女に敬意を表せる。以前は、故人が望む所業かどうかなんて関係ないって言いましたが、今は違います」


「……」



「故人が望まないかどうかは、無意味です。死んだ人は何も思わないと思いますから。

 だから、生きていた頃の彼女に敬意を表す」




 ……今話しかけるかね、なんて思ったのは撤回だ。

 言語化出来ていなかった感情が、流れるように言葉に変わる。




「親愛とは、その全てにきっかけがあります。どうして、彼女は僕と友人になってくれたのか」




 親愛とは、作り出した信頼のことを言う。

 彼女が死んで、短くはない時間が経って、その果てに僕が変わってしまたら、それは信頼への裏切りである。


 故人は過去にしかいないとしても、


 彼女が、

 ――今も親愛なる友人であることに変わりはない。






「そうですね。

 そうです


 ――彼女は











 僕が良い人だったから、僕と友人になりたいと思ってくれたんです」











 もう神格化はやめだ。

 彼女を一人の人として思い返そう。僕はきっと、彼女に救われたんじゃない。


 友達になっただけだ。僕もきっと、彼女に何かを返すことが出来ている。





「と、思いますから

 だから、もう大丈夫です」





 ――そうか、と彼は答えて。

 静かに馬車の裏側へ回った。


 僕は、




 ……その気遣いに感謝しながら

 少し、色々と思いに耽ることにした。











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