〈急〉
『谷』について。
それを為す両壁は青褐色。光源はどこから来るのか、気付けば『彼ら/彼女ら』は視界を十分に確保していて、壁面に映る照り返しさえも視認している。
臭いは空虚。微かな湿気。
水を帯びた埃を呼気から吸引する感覚。息苦しさを隣人として『彼ら/彼女ら』は久しい。
天蓋。
それは見果てぬほどに見えたが、アレに到達した人類は確かに存在する。
……ゆえに『冒険者ら』はそれまでの距離を目算する。無粋に数値化すれば、500メートルほどと定義出来た。
下層。そこが最も狭い。
そこから少しずつ、輪が広がるように空間は放散する。ゆえに『彼ら/彼女ら』はここを谷と呼んだ。
谷底は狭く、空に近づくほどに広くなる。
だから、天蓋の向こうには自由があるように思えたのだ。それほどに、この空間は寒くて不自由であった。
ただ、――一端の戦闘は可能である。
この空間を情緒的に見るか、冒険者として見るかによって見えるモノは変わる。
階段はないが階層がある。ボーダー模様のように『谷』にはバルコニーが等間隔で用意されている。あれらを魔術的機動によって三次元的に移動すれば、『冒険者ら』は無重力の最中のように虚空を舞える。
硬質な壁面。魔術があれば垂直疾走が可能であった。またあの硬度であれば、地を割るつもりで足を踏めば弾頭のように空を飛べる。敵を叩きつけるアテにも十分に見える。
空間も十分。剣は振える。
空気は重いが、呼吸に苦はない。
以上が、戦闘状況を前提とした場合の『谷』の描写である。
それを彼女、エイリィン・トーラスライトは一拍、脳裏に描いた。
そして、――その扉を押し開く。
接敵は、その時点でのことであった。
楽園の王に告ぐ 第二部
第二章『ゴールド・エッグ_Ⅱ』
エイリィン・トーラスライト
――16/90
メタ―フィア・ガルルメシュ
――12/25
――絨毯爆撃。
「――ッ!!」
彼女、エイリィン・トーラスライトはその数を目で追う。
28。更に後続が9。これらすべては一撃必殺の爆薬である。つまり、求められるのは撃墜であり、あれらの制空権への到達は敗北を意味する。
嗚呼、魔術さえ使えたならと彼女は思う。
しかして、それを彼女は一笑に伏した。魔術を使えぬ程度で、騎士は騎士たることを喪いはしない。
「『魔物魔術:握撃』!!」
彼女はその指で傍らの壁を抉る。それを握りつぶし、石礫の弾幕として虚空に放つ。
――そして、衝突。
空を裂く爆雷。彼女は炎を背に疾走し、『谷』の中央へ。
そして、呼吸一つ分以下の時間立ち止まり、直上を見上げた。
「……、」
――見果てぬ天蓋。広大なる地の底。
煙を纏う空気感。距離感の果てに曖昧とする彼方。その場所に、『母体』はいる。
「……。」
それを以って彼女は戦場の前提を全て理解する。
どれだけ走れど、飛べど、振えど、この空間を手狭に感じることはないと。
彼女は剣を抜く。脚に力をと魔力を篭める。先の『握撃』を合わせてこれで二つ。脳裏に数値として浮かび上がる残リソース。彼女が使用できる魔術の回数は、確実に目減りしていく。だけど彼女は、ただの登攀/敵との距離の削減に魔術を使用することをためらわなかった。
「『魔物魔術:円環』!!」
その言葉と共に一足。
それが地を蹴ると衝撃に代わる。重力はこれを以って彼女を捕縛し損ねる。彼女は、『谷』の外周を一直線に割って『母体』へと奔る。そして今、敵の姿は闇より這い出す。
天蓋の暗幕。
敵は、闇を水影のように帯びて姿を現した。蛸のようなシルエット、ただしその容は硬質の一言で、頭部は骸骨を模して見える。何よりもその額。
そこには、ヒト型の上半身がある。女性的な胸部と粘土造りのような粗末な毛髪。表情はなく、目鼻口もない。ただその上肢が蠢くような挙動をして、蛸の頭部が一際肥大した。
「(後続――!!)」
エイリィン・トーラスライトは剣を引き抜く。その疾走の軌道を模して、白銀の彗星が谷の表皮を駆け上る。踏みしめる大地/壁面を切っ先で穿ち、それを礫として空に撒き散らす、――それと、次の爆撃の開始はほぼ同時であった。
――二度目の爆雷。
それは重力じみた突風を熾して、不確かな重力に頼って壁を走るエイルを虚空へと絡め取った。
「(ま、ず――!?)」
一拍、彼女は重力から解放される。
上昇と下降。これが対消滅してゼロとなる。彼女の時間はゼロになる。これを捕捉した『母体』は、八肢を用いて彼女へと襲来した。壁を伝い、その巨体は優に虚空に投げ出された彼女に覆いかぶさる。彼女の姿が、巨影に紛れる。八肢。その爪先が彼女を狙っている。彼女は『決して折れぬ剣』を構えることしか出来ず――、
衝突。
振り下ろされる槍のような八肢が彼女を捉えて撃ち落とす。そして墜落、八肢の膂力を一身に浴びて地面に叩きつけられた『標的』は、砲丸のように地表を割り、それでも足りぬと土煙を撒き散らして、
――しかし、その災禍の中央に『彼女』は不在であった。
『……、……』
「残念、あの剣は何をどうしようと折れませんよ。
――怒髪天ッ!!!!」
その声は蛸の背後、この空間で最も天蓋に近い場所から降り落ちた。
そして、共に衝撃。少女の踵が蛸の胴体を貫き、遂に『母体』は地表へと墜落した。
/break..
「まず、この空間が『終わった何か』であることに異論はありますか?」
と、『冒険者ら』は所管を共有する。
聞いたのはエイリィン・トーラスライト、それに答えたのはメターフィア・ガルルメシュであった。
「いいえ」
「……、……」
終わりの気配。
例えばそれは、騎士が夫の戦士を伝えた或る家庭。
老年の騎士の死を、老いた妻は受け取った。子は既に巣立ち、その家屋には人間二人分の空白がいつもあったとすれば、その表情、その感情こそがエンドロールである。遠からず、その女性は天寿を全うするだろう。
或いは、旅の終わりの夜半。
見知らぬ土地での、異邦者としての週末の最終日。その夜に異邦者が上手く眠れなかったとしよう。その異邦者は、姿を掴めぬ睡魔のせいで脳に熱を持っていて、それを晴らすために宿部屋の窓を開ける。
少し慣れた、その土地の匂い。
湿った香り。頬を風が撫でる。それに異邦者が睡魔を思い出した時、エンドロールは流れる。
それか、年の明ける前夜。
最後の一日は、そのまま最初に一日に接続している。だからそれは終わりではない。真に終わりを兆しているのはその直前の一日である。
街は騒ぎ疲れつつある。だけど、今日を超えれば明日は新世紀である。だからその日は静謐とする。
歩けば、静寂。だけど不快でも寂しくもない。見上げれば空はきっと晴れている。その時、主観者の脳裏にはエンドロールが流れている。
――それらが、流れ切った後の舞台。それがここだと二人は感じていた。
ヒトのいない家。旅人の巣立った街。終わる日のままでいる夜。それと同様の何かであると。
その直観を論理的に説明することは出来ない。だからこそ、それは『青が青であり、空は空である』ほどに明白だった。
だから、『冒険者ら』はこうも思う。
「感覚が共有できているのであれば、これは事実としていい。なら、終わって生産性のない世界において未だ潤沢にリソースを爆撃する『母体』には補給線への打撃は有効でしょう。メターフィア、貴方はどう考える? 『母体』はどうして銃弾を尽かさない?」
「情報は不十分ですので、これは仮説です。その上で、……まず、『母体』の弾倉は蛸型の頭部です」
「……、」
「爆撃の間際には、その箇所がシルエットを大きくしていた。そして、吐き出して小さくなった。これは事実でここからが仮説です。考えるに、吐き出された『魚雷』の総量と蛸型の頭部の容量は合致していた。つまり、『母体』の頭部は空洞に近い。そこに『魚雷』をギリギリまで溜めていて、爆撃の際には頭部を膨れさせて内部構造に『魚雷』を吐き出すための余裕を与える。吐き出した『魚雷』は単体ではなんの機動性能も持ちませんが、落下という自然由来の推力をコントロールする程度なら可能だった。30機に満たない全長30センチほどの機雷が、撒き散らされるのではなく脅威になる程度にはあなたに殺到した理由はここでしょう。まずの仮説として、『魚雷』は重力に頼っている」
「なるほど?」
「そして、次の仮説。――『魚雷』の装填については、あなたが言った通りだと考えています。終わった世界でリソースの尽きていない存在がいるとすれば、そこにはリソースを作り出す存在がいて然る。それが『母体』自身であったなら考察の筋を変える必要はあるでしょう。ですが……」
「…………どう見ても、そんな機能的余裕はない、と」
「ええ。馬車を引く馬がニンジンを自ら生み出さないのと同じです。或いは、そんな奇特な馬がいたとしてもニンジンの材料は必ず外部から取得しているはずだし、その物質変換には必ずエネルギーと時間の消費がある。『母体』があの程度の巨体の内側に『魚雷』の生産設備を確保しているという可能性もゼロにはなりませんが、それでも一つの器機が『リソースの使用機能』と『リソースの生産機能』を同時に内包する理由はない。この二つはそれぞれで『エネルギーの消費』を行うことになります。一つの器機に二つの『エネルギー使用経路』を与えるのは非効率以下の酔狂です」
「つまり――」
「リソーススタンドがある。それは、『母体』が住処とする天蓋付近にある可能性が高い」
/break..
エイリィン・トーラスライトは落下する。
直下には『母体』
彼女は地底から視線を切って、天蓋に接続する最上層の景色を一瞥し、
「(……、……)」
確認する。
等間隔の孔。あれらこそが『母体』を爆撃機たらしめるリソースの補給線である。彼女は理解する。あの孔の奥には、察するに未だ眠る『魚雷』が満ちている。――つまり、破壊などあり得ない。あの孔を破る行為とはダムを自ら決壊させる真似に他ならぬと。
一拍、彼女は考察した。あれらは火薬庫に繋がる導線でもある。そこに布石の一つでも置いて、『母体』の裏をかくような一手はあるまいか? ……そこまでで、重力は彼女を捕縛した。落下のすがら、彼女はその搦め手を虚空に投げ捨てた。今の彼女には遠隔起動できる類の術式はなく、時限式で作動する魔術を布石するほどに敵を知らぬ。なら、彼女に出来ることは――
『――――ッ!!!!』
目下、『母体』が吼えたように見えた。ただし、それは錯覚である。アレはただ胃の腑の大気を全て吐き出して絶叫するように挙動しただけだった。地上にて、『母体』が姿勢を取り戻す。エイルはその時点で、『母体』の空洞の胴体を攻撃することは風船を殴りつける程度の真似でしかないことを理解した。
無論、予期していたことである。エイルは今、『母体』の胴体に叩きこんだ本命一手の威力範囲圏外にて、落下の風圧を愉しんでいる。
――破裂。
いや、それ未満の災禍ではあった。硬質ながら柔軟にカタチを変える蛸の頭が、光を撒きながら急速に膨れ上がる。音はくぐもったようで、炎煙は蛸の下部、『魚雷』を吐き出す口から上がっている。
先の一撃で、エイルはここまでに接敵した『魚雷』の内臓を一つ『母体』の内部に叩きこんでいた。ここまでに発見した『魚雷』は8機。エイルとその協力者は、ここまでに「『魚雷』のどの内蔵器が爆発を齎すのか」を既に確認している。
それは大人の小指ほどの大きさの、液体に満たされた管であった。
刺激でもなく、別薬品との化合でもなく、それはどうやら外気への接触によって反応を起こす。……ただ空気に触れただけの二次的反応で壁を割るような液剤など、エイルらの世界には存在しないモノである。この確認もまた、『冒険者ら』へ考察を促した。
過剰なまでの攻撃性。機械すら欺瞞を用いる悪意の戦場。
終わった世界は静謐だが、終わるまでの物語はきっと、筆舌に尽くしがたい。
――この世界には何があるのか、ここの上では、何があったのか。
この空間には、あまりにも敵の気配がない。この稚拙なる叡智を霊長に取得させた大いなる侵略者は、今はどこで何をしている?
「(稚拙なる悪意の取得。つまりここの霊長は優秀で平和的だった。……この戦争における霊長種は、イノベーション抜きで高度技術だけを潤沢に使っている。洗練された『勝つためだけ』の戦争は、だからこそ悪意は必要最低限で効率を重視するのに。つまり、感情論抜きの勝利への方程式なら、戦争とは相手の裏をかくのではなく根本を断つ。そして、ここの霊長にその発想はない)」
気の毒なほどに素直だ、と彼女は思う。
勝つための戦争ではなく、それはやり返すための戦争である。難しいのが、霊長は勝利を捨てていたのかという一点。
彼女視点では、何の根拠もない結論がある。
ここの霊長は、勝利を捨ててはいなかった。より相手を傷付けて勝とうとしていただけだ。
「(天蓋の間際にリソーススタンドはあった。なら、この『谷』は他の居住区とは違う可能性がある。『母体』は一機なのにスタンドが複数あったというんなら、元はここにはもっと多くの『母体』がいたか、或いは『母体ら』が行き来していた。そして戦時にがあの天蓋から『空』へと『母体』は出陣した。なら、あの天蓋の先には戦場がある)」
思う。
――冒険の本髄を、彼女は。
「(【冒険者は、地に在って空を見出すのだ】)」
――実績を解除しました。
エイリィン・トーラスライトは称号:冒険者〈Ⅰ〉を取得。
「さて」
さて、彼女は今、冒険者としての一歩目を踏み出した。
【冒険とは何か】
その問いのはじめの一歩を彼女は踏む。いずれその稚拙な答えはグチャグチャに論破され、塵も残らず、彼女は大いなる苦悩に立つだろう。しかしながら、それらの予期可能な全ての波乱は無価値である。波がいずれ静寂を為すように、彼女はこの時点で希望の到来を確信している。
知らぬものを知った、と彼女は思った。
だからそのナニカに対して、彼女は現時点で出せる答えを出した。冒険者は地に在って空を知る。見果てぬ天蓋の先に凄惨な戦場を予期したように、【見えぬものを見出すのが冒険者である。】
――これが、スタートラインだ。
騎士としての究極に指を掛け、冒険者としての一歩目を踏み込んだ彼女を試す壁は、今は地表にて爆炎の余波に蹲っている。
「魔物魔術:墜花!!」
魔物魔術は、胎内を一つの世界と見立てて成立する。
肌を宇宙に見立てた生命結界。……実際にはそれほど高度な性質をしているわけではなく、これは後天的な意味付けである。外世界の内側に世界がある場合、肌を宇宙境界と見立てるのが、この魔術を人語に解釈する上で最も都合が良かった。
つまり、魔物魔術とは胎内という時空間に対する世界魔力魔術である。
だから魔物魔術は胎内世界において火を熾せるし、水を生み出せるし剣を為せる。或いは、術者を身体の持ち主と定義するならば、術者は世界において万能である。
ゆえに彼女は、
――この瞬間のみにおいて自らの『神器生成』を凌駕する!
「――――ッ!!!!」
『――――ッ!!??』
世界を司るものは、その内包する摂理を弄ぶ。
時空間すらも、今の彼女にとっては四肢と同義だ。空間を、彼女は何重にも重ね合わせて収束させる。その果てに成立する「世界摂理」とは、重力の増減である。
墜落。或いは着弾。
未だ煙吐く蛸は流星の着地にすら見まがう。そんなものが自らに降ってきたなら、機械ですら息を飲む。
――ただし、それは着弾でも墜落でもなく、サマーソルトであった。
『母体』はくの字に折れ曲がり、女性的な上体に設置されたその貌が、エイリィン・トーラスライトを瞠目してみる。無論、『母体』の上体に目はなく、それは錯覚である。だけどエイルは、その視線をまっすぐに受け止めた。
大地が軋み、破裂する。その衝撃が伝播して、天蓋まで伝う。
――そこまで終わってようやく、『音』が鳴る
『―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!!!!!!』
確認しておくが、エイルとその協力者は『母体』の胴体への攻撃には意味が薄いことを理解している。
それでも彼女がその悪手を選んだ理由は一つ。
この一撃は殺傷ではなく、勝利を引き込む狼煙であった。
/break..
「リソースを尽かせたなら」
と、言ったのはメターフィア・ガルルメシュであった。
さて、――その時点で私、エイリィン・トーラスライトは別の感傷に駆られていたように思う。
「……、……」
「それ以降は消耗戦です。つまり、今あるモノのみで戦う戦場。エイル、あなたはこの場合の勝機を如何ほどと見積もりますか?」
その問いに対する答えはすでに確定している。
なぜって、私は騎士だから。
……だけど、
「私は騎士です。敗北を見て剣は持たない」
「なら、その見識は改めるべきでしょう。今のあなたは冒険者では?」
勝ちの目は如何ほどか、と彼女は改めて私に問う。
私はそれに、沈黙を返した。
ただ、ぐうの音も吐けなくて黙ってしまったわけではない。それをメターフィアは理解してくれたみたいで、私の次の言葉を待っている。
音の亡い、湿度の地下世界。
静寂は足元に溜まり、沈殿していく。その感覚が、私の脳から熱を奪う。
騎士と冒険者。これは不思議と対比で語られる。
騎士はヒトを守り、冒険者はヒトを進める。騎士は必ず勝ち、冒険者は最低でも引き分ける。騎士は私であり、冒険者は私の目前にいる人物である。
この差異だ。
思えばどうして私は、自分が必ず勝つと思っているのだったか。
「……イマジネーションを言語化するのは難しい。無根拠ではなく、経験則の集積による直観です」
「どういう意味ですか?」
「木の板は魔術抜きでも貫けますが、鋼鉄は不可能です。理由は、硬いから。……木の板は私にとっては柔和です。この説明が私にとっての最大限の約分だ。ソレと同様で、あの程度の敵になら勝てると私は考える」
「では、質問を変えましょう。戦略を教えてください、エイル」
「……刻一刻と変わるものに対応することになる。だから、この場で事細かに説明するには私の戦術論をまずは語る必要がある。それでも無理やりに一言にするなら、…………」
「するなら?」
「…………アレの、まだ見ぬ全ての一手に私は対応しきれると思う。……という説明になります」
「……、」
冒険者とは、冒険者である限り必ず敗北はない。一方で騎士は、敗北した時点で騎士ではないから騎士に敗北はない。これは致命的な差異である。負けないのが冒険者で、負けたら騎士ではないのだとすれば。
いつからだろう。私は勝利を前提に言葉を吐いていた。最初の私なんかは、勝利なんて夢のまた夢だったくせに。
一度勝って、二度勝って、数え切れないほどに勝ち続けて以来敗北は在り得ぬものであった。なにせ、負けたら騎士じゃない。負けたら私じゃない。
負けられないから、負ける可能性を視野に入れられない。これは、
――たぶん、私の弱みだ。
「客観的根拠がないというなら、その通りです。私は私が勝つ理由を説明できない。……どう考えますか、メターフィア。貴方が、私を信用できないと言うのなら――」
「いいえ。」
「……、……」
刃物にうなじを晒しているような気分だった私に、彼女は言う。
「どうせ、冒険者に敗北はない。引き分けに持っていくのは先輩の仕事だと飲み込みましょう。ですので新人は、試しにやってみればよろしい」
「……。」
――嗚呼、私は、
あの時、見果てぬ地平の先へ行けと送り出した冒険者の背中を、わずかに見たのだと思う。
「魔物魔術:『鉄拳――
着地。
天蓋付近からのサマーソルトにて叩き落した『母体』の傍らに私は墜ちた。
ただし、手動制御している術式未満の魔素運用によって衝撃は体外へと放出した。私の着地には、その結果として音が伴わない。
魔物魔術とは、胎内という世界に対する異界においてのみ成立する魔法である。この際には世界魔力は必要とせず、その代わりに私たちは身体を灼べる。世界魔力の変圧器として最適化された体内魔力をわざわざ溶かして薪に変える。ヒトの体内魔力は魔物のそれに対して脆弱だから、原初のヒトは迫害され、魔術の黎明を経てヒトは世界と和解する。つまり、ヒト全てには体内魔力運用自体は可能である。
魔物とそれ以外を隔てる定義とは、体内魔力の回復機能の有無である。魔物のそれは生理的に補填され、それ以外の存在なら外界からの摂取に依存する。それだけのこと。
手動制御、墜花、円環、怒髪天、当然これだけじゃない。
実のところ、私の人生の走り出しは目も当てられないような落ちこぼれだった。
魔力なんて影も形も不明瞭で、魔術なんて空想上のご都合主義に思えて、周囲のヒトビトは異形に見えた。……いや、そこまで言う必要はないか。
周囲の人々は私よりも一つ臓器が多い様な化け物みたいだったけど、対話を経れば友人になれた。友人らが用いる魔術なる異能は、理論を以ってなるただの技術であった。魔力は見えぬだけでそこにあり、今なら分かる。私は、ただのスロースターターだったのだと。
だけど、……それまでの、「無能な少女エイルの物語」は半生でこそあれど、無意味とは程遠い。
まず、私は騎士を志すことが出来た。ゆえに私は敗北を知らず、騎士を目指すと決めた時点で、今までの「敗北にそっくりな何か」は全部ただのノーゲームだったのだと判明した。勝負はまだついておらず、ゆえに私は、まだ負けてない。
かくして私は、私に可能な研鑽を探す。世界魔力は私に見向きもしないけど、私は私を愛してくれた。だから最初は、そこから始めたのだ。
そして、物語は進む。
私は騎士を見習い、騎士となり、騎士を辞めて『騎士』となった。いつからか世界魔力は掌を返して私に従順になった。だけど、そんな尻軽ヤローに優しくする道理なんてない。私はずっと、敬愛を込めて世界魔力を使い潰し続けてきた。そして、私はたぶん今も私を大いに愛している。
私は私を知っている。だから私は私がして欲しいことが分かる。私は私を労われるし、私が憤っているならその背中を押してやれる。
『――――――ッ!!!!』
……気付けば、妙な思い違いをしていたものである。
たかが世界魔力が引っ込んだ時点で怖気づくべきだなどとは片腹痛い。私を灼やせば、私はこれまでだって光り輝いてきただろうに。
名付けたのだろう? 私は。
これらすべての魔物魔術を、一つ一つ大切に。
――――制圧』ッ!!!!」
先に答え合わせをしておこう。
この魔術は、まだ魔術を使えなかった私が、それでもどうしても憧れた魔術の模倣である。
「――――おォ!!」
『――ッ!?』
その由来はダニー・エルシアトル・カリフォルニア帝国の黎明。
彼の国は火を扱う。【ヒトの領域外】にあったとある大陸を踏破するのには、ヒトには火が必要であった。
故に、彼の国にて熾る文明は火を友とする。
闇を払う火。魔を追いやる火。ヒトの領域を照らす火。
不明という闇に満ちたその大地を照らしたのは、火であった。この術式はその一つ。
燃える拳。火の応酬。それはまるで、黄昏を終わらせる夜の文明の黄金のように。
この拳二つに、
燃えて、宿る。
「――――――ッ!!」
墜落の衝撃で以って地面に縫い留められていた『母体』
ばかり、とその巨躯が立ち上がる。八肢により肥大化した巨大なる影が、私の両手に宿る炎を受けて膨張している。ただし、それを気に留められるものなどいない。世界は既に、火によって暴かれている。
目映く。八肢の一つを私は掴んだ。刹那拮抗する膂力。然して敗北するのは私の方だ。それは分かっていた。その触手を『母体』は私の拳から力づくで引きはがす。それを私は誘ったのだ。拮抗した膂力の強引なる突破により『母体』は姿勢を仰け反らせる。つまり、胴体がガラ空きとなる。
「――ッ!!」
威勢を撒き散らし、一方で思考は良好に。敵には稚拙な、――つまり過剰を愉しむ類の悪意がある。
なら、たった一手で稼いだ隙になど罠が張られていて然る。『母体』の崩れた姿勢。そこに踏み込めば、あの爆弾を旺盛に吐き出していた「腹」と相対することになる。つまり、この『母体』にはまだ体内に残存する『魚雷』がいる。私はそこを、敢えて真正面にて踏み込んだ。
目前にて『母体』は上体を逸らす。「腹」と目が合う。
その奥に、悪意の気配を私は認めて、――拳を握る。
故に、『鉄拳制圧』
この魔術は私が、騎士学校で先輩の男子生徒35名に体育館裏に呼び出された日の前夜に編み出した、対多数特化の瞬発魔術である。
「どォ――ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおラァ!!!!!!!!!」
ちなみにその呼び出し騒動と言うのは、私が自らの誇りを守るために喧嘩を売った先輩が実は騎士学校内でたった一代で派閥を作ったエリートヤンキー野郎だったみたいで、「落ちこぼれオンナにテスト結果で勝つために違法ドーピングをしたらしい」という私の誇り高き情報攻撃に完敗してどうあがいても内申点が捲り返せない状況になって破れかぶれで私に果たし状を叩きつけてきたというお話であるのは今は関係ない。なにせ勝ったからね。あの時のあの雑魚の泣き顔は今なお新鮮にお酒のお肴になる。
……というのも置いておいて、
さて、目前には今まさに破裂する直前の絨毯爆撃。
これを私は、拳にて叩き落す。
これもまた、予期していたことだった。
リソーススタンドの袂にいてなお、『母体』は爆弾を温存している。でなくては悪意ではない。だけど、稚拙程度の悪意はどこまで爆弾を温存し続けるか。
オーバーキルに快楽を覚えるような、脂肪肝みたいにみっともない精神は自分の危険を卓上に投げ捨てない。自己の損失はどういったモノであっても死と同意義であり、ゆえに唐突に訪れた死の可能性の前に箍を失くす。
――地表への墜落。それを為す手段を持った敵対者との邂逅。そして、ゼロレンジでの接敵。
これだけのシチュエーションを揃えれば、機械の類であろうと心が弱ければ全てを撒き散らす。
「――――おォオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!!!!!!!」
憧れたのは、『ゴールドラッシュ』なる黎明の大陸魔術だった。
だけど、思うのはおじいちゃんから話して聞かされた英雄の物語の一節である。それに出る騎士は、その拳で以って悪を叩き潰す。
一度では足りぬなら存分に。殴りたいだけ殴りつけて、そう、――最後にはこう言う。
「どオラァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
数え切れぬ殴打。ターン性のバトルならルール違反の、相手にターンを渡さぬ類の暴力である。
いや、戦場においてはこれこそが王道の戦闘だろう。まずは先手。そうして得た主導権を如何に敵に渡さずに戦闘を終局に出来るか。やはり、この空間の霊長は悪意の用途において稚拙だ。戦闘の支配は対話の余地の削減であり、相手の見るに堪えない悪あがきを待たずに勝利は出来ぬなら、戦闘者は相手にターンを渡す必要がある。だから、相手はターンを渡してくれるとも思う。
真なる戦闘は、そうではない。戦い闘むのであればそこに贅肉は必要なく、求むるは勝利だ。相手の死に際の表情など燃え尽きた灰に変わっていなくてどうする? 相手が如何に悔しそうだったとして、死ねば関係ないだろう? それを、
『。』
――『母体』は今、理解する。
敵対者の痛恨を味わう行為は自慰でしかない。勝利の前に、愛撫はノイズの類であると。
『――――――。』
今一度、私は思う。
この世界の元霊長は愛と平和に満ち足りた生命であったのだと。
仮に、命一つをすべて燃やすとしよう。問題は主観と客観だ。
主観において、命はこの上ない価値を持つだろう。その生命一つには数え切れない歴史があり、その歴史の一ページごとに自我があって、だからその生命一個は世界と等価値である。一方で、命を客観視すればどうだ?
命一つは、ありふれた自我のうち一つでしかない。主観で見る自らの生命は確かに代えがたいのだろうが、お前の価値をお前以外が、お前と同じくらいに見積もるのは難しいだろう? お前にそっくりな生命は、その辺にいくらでも転がっているんだから。
だから、自らの価値は自らで証明するのだ。
価値を証明する前の命を如何に火にくべようと、それはそこらの薪にも劣る。
「(――自爆、する気か)」
目前の機械には意思があり得る。
でなくては、死のとばりにて命を燃やすまい。『彼』は今、生涯においてはじめて混じり気なしの勝利を求めている。
私の強襲による致命傷。或いはそれ以上だ。一息の魔術によって彼は体内の爆弾と、さらには八肢のうち5本を喪っている。この時点で彼にはリソーススタンドへ帰還する機動力がない。この地の底で私に勝つ以外に、彼は自らの生涯の価値を証明する術がないのだ。ゆえに彼は命を燃やした。その消えかけた生涯を何かに捧げて、どうかこの決戦に報いるべき一矢をと。
だから、私は思うのだ。
彼らは、嗚呼、気の毒なほどに平和である。
「魔物魔術:鋼鉄」
そして、爆発。
私が仮に生身なら、この爆風一つで身体がちぎれていたに違いない。
だけど、そうはならぬ。
そうはならぬのだ。
嗚呼、
「……、……」
冒険とは、かようにも残酷であるのか。
命が瞬く余地は、ただの経験則にて刈り取られる。彼が見出した「この世界にとって前人未到の、敵の苦痛を見て楽しむためではない害意」を、私は予期して打ち払った。
――以上。
これを以って、波乱万丈たるべき私の冒険は、幕を下ろすのであった。




