〈破〉-7
『母体』
それを発見したのは、分析能力に長けた「冒険者連合」のある参加者だった。
まずのシルエットは、巨大なタコだ。上背は目算で6メートル。灰褐色の身体は剣で叩くまでもなく見て分かるような硬質であり、その八肢は数センチごとの関節によって軟体を模倣する。ゆえに、頭部は鉱物コーティングの塊だ。分析能力に長けた彼は、だからこそその存在の戦闘能力の底を見出すには至らなかった。
当然、冒険者には得意とする分野がある。戦闘なら戦闘に、踏破なら踏破に。
戦闘をブランドとする存在なら、その人物は多くの敵を倒せる。そして、その分だけ踏破は遅れる。踏破を得意とする冒険者は、その道中にて多くの戦闘を回避する。だからこそ彼は『母体』との戦闘を回避し、その上で踏破も諦めた。曰く彼の本旨は、戦闘による打倒でも踏破による完遂でもなく、分析による下地の理解と、それによる完全無欠の成功策の再現である。ただし彼は、その完成を待たず消失した。恐らくは『智典教』に吸収されたのだろう、とはメターフィアの弁。
分析とは、トライアンドエラーである。常人ならば1しか得られぬ経験に、2か3か10かを得る。それが『分析』だ。
その上で、メターフィアが知る情報は「10」ではなく「2か3」であった。メターフィアは情報収集のすがらに他勢力からの接収を受けたとの解釈を聞いたが、普通に考えればその人物は、ただ死んだはずだ。
希望的観測。
これを同盟相手の私に伝えた理由は、心に留めておくべきことだと私は思う。
彼女は、希望的観測を行う人物であるのか、欺瞞を行う人物であるのか。
ただ、それに答えが出る時間は、今ではない。
――今はとかく、目前の敵への解答を。
「つ、つよい……! 母体つよい!!!」
「だから言ったでしょおバカ! 絶対打ち合わせ必要だって言ったんですよ! 生き残れてよかったですね!!!」
と言うコトで、場所はG-9の侵入経路辺り。
この空間に連なる『谷』は、それぞれが「谷に葺かれた円形扉」のうちのアタリの一つを介して移動することになる。……これを以って、ここを住処とする生命の『谷』同士の行き来は頻繁ではないことは分析できる。でなくては『扉』が、同時に複数の人物を通せない大きさに収まっていることの理由が説明できない。
「しかし、これはマズいですよメターフィア。……この感じだと戦力の分析が出来ません。出会った瞬間に『魚雷』で絨毯爆撃じゃ」
「……それよりも、先に論じることがあるとも思います、エイル」
ちなみに、彼女ことメターフィアには「エイルと呼んでいいよ」と伝え済みである。なぜかというと、基本普段は私の周りって私のコトエイルと呼ぶ人しかいないのでいきなりエイリィンと呼ばれるとビックリするからである。
「先に?」
「G-9には、本当に智典教が不在だった。……どうしてこの状況を予測できたんです?」
「……、……」
どうしてそう読めたか。
それは、私視点で語るのは簡単だった。つまり、ハルの思惑に、私たちの「智典教の拠点』への到達が加味されていそうだったから。
まず、智典教が殺人を躊躇しないという書置きは何のためにあったのか。
この書置きがハルによる暗躍であるという前提での考察として、普通に考えれば「智典教を避けてもらうため」である。だけど一方で、参加者に智典教を避けてもらうことに智典教側のメリットはない。この書置きを素直に信じた場合、智典教は私たちとのランダムエンカウントの機会を喪い、翻っては他勢力の戦力の削減/吸収の機会を喪う。また、この書置きがハルによるものではないとしても結論自体は似通る。
結局、書置きに従った場合の全ての結果は私たちの時間の浪費に通じる。だから私は、時間を浪費した場合に何が起きるかを考えればいい。
時間を対価交換した場合に現時点の私たちが得る可能性的なアドバンテージは「情報収集/戦力の拡充/タイムラインによって発生する何らかの偶発的出来事への参加権利」であり、時間を浪費して喪うアドバンテージは「何らかの、時間経過によって参加権を喪い得る決定的出来事への参加権喪失」である。
ゆえに、私は後者を取った。上記時間対アドバンテージに対する前者の構成要素はどれも後から捲り返せるが、後者は唯一にして最大の、二度と捲り返せない要素を等価交換することになる。
だから、私は後者を選んだ。
相手を全力の黒幕気質と仮定した場合、必要なのは「何も失わないコト」であると考えたためである。彼の本領は「何よりも自由であるコト/何よりも選べる選択肢が多いコト」だ。だから『彼を敵とする者』は、なによりもまず自由度を喪ってはならない。あの男は、仮想敵対者の知らぬコトを知っていて出来ないコトを出来るからこそカモを上回る。それに抗うには、この程度のアドバンテージを稼ぐためにも命を賭ける必要があるゆえに。
そして、
……これを、どう言語化するべきか。
私たちの行動は既に決定され、行われ、結果も出た。
私が具申した通りにG-9は安全地帯であって、そこにいた脅威は唯一、智典教勢力によって一度無力化された後にリブートしたらしい『母体』の半壊体のみであり、私たちはそれにも負けた。
この状況を、さてとどう言う?
……せめて負けなかったらなぁ。力づくで「結果オーライでしょ」で押し通せたんだけどなぁ……。
「――その問いの答えとして」
「……、……」
やはり、迷う。
既に私は一度、彼女への返答に極限まで日和っている。だからこその苦悩だ。
この問いは、――彼女に『彼』の脅威を正しく伝えるための千載一遇のチャンスである。
「先ほども言った通り、私は鹿住ハルをこのクエスト最大の脅威と見ている」
「それは、先ほども聞きました。その方は何でもできるから、私たちは時間の浪費によって『出来るコト』を減らすのが最も悪手であるとも」
「結構。では、『書置き』に日和ったことで私たちが得るアドバンテージとディスアドバンテージも理解してくださるでしょうか?」
「ええ。ここの上に何かがあるなら、地下で手に入れたアドバンテージもひっくり返る可能性がある。一方で、ここの上に何があるのかという現状で最大の情報アドバンテージを手に入れた後なら、その一段前にいる勢力の情報のコントロールは容易ですし、その情報を手に入れていない全ての勢力はそもそも戦場に立てていない。……なるほど? 現状は、智典教以外の全ての勢力が戦場に至ってもいない、とエイルは考えていると」
「……、……」
彼女の言う、智典教のみがこのクエストの現状での実質の参加者であるという言語化は、私は彼女には伝えていなかった。
ゆえにこそ思うことが一つ。彼女は、私の言動を解釈しようとしている。つまり、考えようとしていないわけではない。
ハルはきっと、これの揚げ足を取るのだろう。考える敵は考えない敵よりもずっと簡単だ。なにせ考えない敵は、対話余地がないのだから行動を支配する余地もない。……彼女は敵じゃなくて、だからこそ難しいんだけども。
「ええ。だから私は、G-9を安全地帯と見た」
「……、……」
さて、ここで私は一つ、名案を得る。
メターフィアは私の次の言葉を待っている。当然だろう。私の今の言葉は何の説明責任も果たしていない。
だからこそ、思いついたのだ。今の彼女は、今まで私がされ続けてきたコトと同じコトをされている感じになっているのだと。
ゆえに私は、こう言うのだ。
「理解出来ましたね? では、次の考察に移りましょう」
「え。…………………………えっ(わからない)」
と、心当たりのある顔を彼女はする。
なんて情けない顔なんだ。まるでアホじゃないか……。
「……えっと、何が分かりませんか?」
「論理性に飛躍があります……!」
「どこに?」
「そ、それは、……えっとですねぇ!」
さて、ここで私の名案について。
一言で言えば、それは時間稼ぎである。先に明言しておくと、私の導いた答えは『思考停止こそが最もハルにとってクリティカルである』というモノだった。だけど、これを率直に説明するのはどう考えたって聞こえが悪い。
……まず、G-9が安全地帯だと予想できる理由について。
わざわざ書置きを残したってことは、それ以外には他勢力とのリソースを裂いていないか、そもそもいつ来てもいいから用意していないことが予想できる。なにせ、この一手で智典教は強襲の選択肢を喪っている。
また他方で、この書置きが本気で見逃されたモノだったとしても、それなら問題はないのだ。私なら、智典教の一団と接敵した時点で且つメターフィアを小脇に担いでいたとしても智典教から走って逃げ切れる。屈辱の半生ではあるが、この培った魔物魔術が素人程度に負けるというのは私の戦闘行為が最大限下振れたとしても在り得ないことだ。
一方で、ここまでに語った時間制限について。これはそもそも「すでに最大勢力を得ている智典教」にとってそこまで重要な要素じゃない。仮に私たちが今から何らかの『これから起こる致命的出来事』のイニシアチブを取ったとして、それでも彼らほどの大手勢力なら後手から捲り返せる。だから問題は『智典教が書置きを残した理由』に集結する。
そう。どう考えても思考の攪乱以外に理由がない。強襲の選択肢を捨てた彼らは、その代わりに他勢力への情報的牽制を撒いて、動きを遅くした。だから私は思考停止を、――『最適最短の最速行動』を最善手とみた。
……なんなら仮にハルがマジで書置きを見落としたんだとしても、ハルがわざと見落とした可能性と比較すれば、どっちに裏切られたほうがマシかは明白だ。
ほらね、説明なんてできるわけがない。
私は今、ハルに怯え切って思考を放棄したわけである。
……だからこその、この時間稼ぎなのだ。
私は今から、彼女との対話のうちに『もっとマシに聞こえる言い回し』を見繕う腹積もりなのである――!
「思考を言語化できないなら、それは後でお一人でどうぞ。それよりも『母体』の攻略です。あの絨毯爆撃の攻略方法を考察しませんか?」
「いいえ! 待ってください……。やはり私は思う、こんなにも天蓋に近い経路を敢えて残した智典教には思惑があったと! 智典教が『天蓋の上にはなにがあるのか』を情報的アドバンテージと見るなら、『母体』という門番を攻略した登りやすい谷を残しておくことは悪手中の悪手です! これはどう考えたって罠だ!」
「不思議な事を言いますね? 最大手勢力が敢えて伏兵に頼る必要がどこにある? すでに道を切り拓かれた『谷』を発見し、気を抜きながら登攀する冒険者を伏兵が撃ち落とすための敢えての野晒しだというなら片腹痛い。そんな真似をする必要がないほどに智典教の総員は巨大では?」
「それ以上にこの地下迷宮が広大だったとしたらどうです!? 智典教ですら人海戦術で網羅しきれないほど巨大だったとすれば、あなたの言う戦略では他勢力の無力化が追い付かない! 巨大な智典教母数を多少希薄化させなければ全域に行き渡しきれないとすれば、G-9を罠として敢えて空白化することにも理屈は通る!」
「通るのは、理屈だけですね。せっかく数のアドバンテージを得た智典教がその密度を希薄化させるのはないでしょう。私なら、迷宮全土に浸透させるほどの人数は確保しきれていないと理解した時点で、そもそも他勢力への牽制を捨てます。だから、彼らは敢えて書置きを見逃したのでは?」
「っ! ……で、でもですねぇ、それは全部状況による推測で――」
「では、他の推察をどうぞ。私は待ちますよメターフィア。自分が正しいと確信しているから」
「そ、……それは、どうしてそう思えるのです!?」
「簡単な事」
ちな、今から言うコトは今思いついたことである。
「この天蓋の先には、これまでに見た地下迷宮がちっぽけに見えるような世界が広がっている。だから智典教はここにはいない。智典教は、先に進んだのです」
「!!」
私の言葉に、天啓を得たような表情を作るメターフィア。
さすがは冒険者、隣人に置いて行かれるのが何よりも苦痛な人種である。
「そ、その判断の根拠は……?」
「でないとおかしいでしょ? 実際に、智典教はここにはいないんだから」
この言葉がトドメになって、彼女は呆けたような表情を作った。
おそらく、彼女のうちでは今、膨大な四則演算が行われている。+と-と×と÷だけの地道な計算だ。つまり、それでは論理を飛躍は出来ない。私がハルにどれだけビビってるかという計算上の前提条件を見出せない。つまりは勝ちだ。だけど、こういう勝ち方にするつもりは私にはなかった。
……つまるところ、私は『ハルはマジでヤバイから思考停止しただけだよ』という判断根拠をオシャレに伝えることに失敗したわけだ。
さあ、この爆弾はどこかで上手にガス抜きしないとまずい気がするぞぅ!
「分かりました、エイル」
「……、……」
「あなたに賭けます。では、『母体』の攻略に移りましょう。差し当たって、あなたはアレの弾倉に、どれだけ意識を割いていましたか?」
「……」
なにも割いていなかった私は、ゆえに軽やかに鼻を鳴らす。
私は顔が良いからさ、こういう風に意味深な顔するとみんな納得してくれるんだ。お得だよね。
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彼、ティッツ・バルトガランは目を覚ました。
「――は?」
ここが天国でも地獄でもないことは、即座に理解できた。
そういう聖域の類にしては、彼の見る光景はあまりにも俗世的であった。




