04.
冒険者オルハの逡巡は一瞬のことであった。
「……、っ!」
ただの一瞬で彼は、人生で一度も経験したことのない落差での落下に覚悟を決めた。
……先に入った冒険者たちであれば難なく衝撃を緩衝した数メートル下への着地。
それを見ていたからこその慢心もあったかもしれない。彼は、その落下たった一つで、自分が全身を貫くほどの衝撃に襲われるだなどとは想像もしていなかった。
「――! ――!!」
幸運だったのは、彼が大前提として自分が「みっともない弱者」だと理解していて、それが骨の髄にまで染み込んでいたことだろう。ゆえに彼は、身体を襲う痛みに即座に反応し、転げまわり、声を吐いた。それが、結果的には彼の体内を暴れ回る落下の衝撃を体外へと排出した。
「――、――。」
視界の明滅。遠き空へ向けた目が眩む。痛みが波のように引くのを待って、彼はようやく、自分が「穴の上に戻る術を持たない」ことに気付いた。
然るに、だからこそ先に行くほかにない。先に行ってもどうしようもないという自覚は、不思議と、彼に足を進めさせるだけのモチベーションになり得た。
冒険者たちは、既に後ろ姿も見えぬような暗闇の先へと進んでいる。
だから彼も、その背を真似る。先へ行く。
……彼にとっては手段でしかない『冒険者』が、この場においては、彼にとって唯一の光明であったゆえに。
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私、リベットは、今まさに煩悶に立たされていた。
煩悶、苦悩、苦慮。つまりは難解なる考察だ。
……私は現在、理由も分からず偽名を使って活動をしている。それを踏まえて、では、それはなぜなのか。
私はどうして偽名を使っているのか。名を暴露されたらどうマズいのか。
それを私は悩んでいる。悩んでいる理由は、実に明白だ。
「そこに隠れてる奴、名乗れ」
女性の声。或いはいっそ、少女の声である。
「……、……」
参った。カモだと思ってた『やつら』が謎にちょっと有能だった。
少女の声は、あくまで高圧的に私に言う。私はそれに、観念して言葉を返すことにした。
「……名を聞くなら、まず先に名乗ってみたら?」
『やつら』
――彼女らは、一団であった。
「マナーを守れってか? 冗談だろ? 間者風情が吠えるなよ」
「……喋ってるヒト。まずはあなたが、先に姿を現して。じゃないと敵対もやぶさかじゃないケド」
「はぁ? ……ははは、はははははは」
一団。
十余名の屈強な男性冒険者である。装備や体格からして彼らは「パーティ内で役職を分け合っている」わけではなさそうだ。
……この世界において、パーティとは二種類に分けられる。つまりは専門者の集まりか、そうではないかである。
前者であれば、パーティ一つが一個の生物のようにふるまって、攻撃役の前衛、壁役の前衛、前衛の介護にあたる中衛、安全圏から場をコントロールする後衛などと言った仕事を、それぞれのスペシャリスト達がこなす。この例で言えば、人間は1+1が10にも20にもなるだろう。
それに対して後者の場合、その人物らはそもそも群れる必要がないゼネラリストだ。攻撃も、防御も、自らの尻を拭うのも戦場をコントロールするのも自分一人で行う。……前者と後者のどちらが効率的かと問えば答えは状況によるだろうが、少なくとも才能、強者であるという点においては、スペシャリスト風情はゼネラリストには適わない。なにせスペシャリストは、ゼネラリストにはなれなかったために役割を分け合っているのだから。
その、後者が目前にて徒党を組んでいる。
そして、『その後者』どもがパーティを組む場合というのは、スペシャリストがパーティを組む場合と比較して、まったく別の意味で分かりやすい。
スペシャリストたちは脇を固めるために徒党を組む。
ならば、そもそも個人で隙を埋めきるに足るゼネラリストがそれでも徒党を組む場合というのは、示威行為をおいてほかの理由が見当たらない。
やはり、『彼女ら』はゴールドエッグの参加者一団で間違いあるまい。
考えていなかったわけではないし、むしろ大いに憂慮していたことだ。
一つの組織が、大人げなく全力を投入してこのクエストに挑む可能性。
それにあたって行う示威行為として、その組織にとってのオールスターを惜しげもなく投入するというのは、理想的と言っていいほど王道のやり方だろう。
「……、……」
屈強な男ども十余名。彼らの顔には、『そういった自負』がありありと浮かんでいる。
一人でも並大抵のクエストなら片手間で攻略するスタープレイヤーの群衆。英雄の集合隊。自分どもが立つこの場所こそが、絶対不可侵の聖域である、と。
……ただし参ったことに、みんなして自信満々のところ申し訳ないけど誰も見たことない。
地元の有名人なのかな? だとしたら油断は禁物だ。この世界、どこに無名の有力者が埋没しているか分かったもんじゃないし。
ただ、
「――笑われるのは嫌い」
「え?」
そう、私ことリベットは笑われるのが嫌いである。特にこういうのは嫌だ。まだ負けてないのに負けたみたいな気分になるから。……笑い声をあげた彼女的には「自分らってすごいけどね?」以上の感情はないんだろうけど、それでも腹が立つのは腹が立つのだ。
なので私は、神域の膂力を一部開放して足元の石を拾って投げつけた。
その石は音速を超えパッコーンと空気の壁を割って、スッパーンとオールスター諸兄の内の手前の一人を昏倒させた。
「え? ……え!?」
その人物は、ぴゅるぴゅると額から血を噴き出してのけぞって、そのまま受け身ナシで仰向けに倒れる。一応、死んではいないし脳みそもまろび出てたりはしていないはずだ。
「……えーーーーーーーーーーー!!?」
「威嚇射撃よ。私、隠れてたけど弱くはないから」
「えーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「敵対するなら、今のが一人一個飛んでくからそのつもりで。……そっちが先に、名乗ってくれる?」
「どえーーーーーーーーーーーーーー!!!????」
「いやうるっさいなあ!!!!」
ちょっとイラっとした私が悲鳴の方向に(割と力を篭めて)石を投げると、パキャーンと綺麗な音が響いた。……驚いた。近くの誰かが武器で弾いたらしい。音を鑑みるに武器の破損を免れるほどの技量ではなかったらしいが、しかし今の投擲は、カルティスでさえ気を抜いていたらこめかみを撃ち抜けるキレの良さだったはずである。やはり、見知らぬ顔であっても舐めてかかるのは得策ではなさそうだ。
さらに言えば、今の投擲は完全なる悪手でもある。それは私も自覚していることだ。
ゼネラリストとして冒険者稼業をつつがなく運営し、(推定)地元の有名人にさえ至る猛者たちの集まりである。先の二度の投擲で、私の隠れた位置は完全に把握されてしまっていた。
故に私は、闇から姿を露出させる。……片手で、ぽーんぽーんと石を弄びながら。
さてと、当初の予定の五倍くらいの濃度で敵対姿勢をアピールすることになった私の登場に、彼女らは果たしてどう反応を返すのか。
……個人的には、あれだけビックリしてたんだしそのまま降参して私のパシリになってくれると非常に都合がいいんだけどどうだろうか。さすがに駄目かな、(おそらく)ボスに当たる人物を石で狙撃しちゃったわけだし。
「……、……」
「……。――おま、えは」
――さて、
屈強なる不詳のオールスターズの向こうから、依然と少女の声が響いている。
姿は未だ判別できない。この分だと、男性らの背丈に埋没しているのかもしれない。改めて聞けば、その声も「予想できる背丈」に適う程度には幼く聞こえる。
いや、幼いというよりは若いというべきなのだろうか? 生意気というかイキが良いというか。そんな声が、
私が文脈的な義務感で求めただけの『名乗り』を、
――本意気を篭めて、放った。
「よくも、やってくれたな? 誰か知らないけどオマエ。……今ここで、償わせるから覚悟しろ」
「……、」
「私は、ツナミという。おm――」
「そう」
お前の名は? と問うつもりだったのだろう口を、私は力づくで塞ぐ。
力づく。つまりは、――攻勢で。
そう。私は気付いたのだ。
名乗って良いのか分からないのなら、なあなあにすれば良い。
オールスターズ人材で出来た人垣の向こうに見えた、予想よりもずっと小柄な少女と、その子が携える冗談みたいなシルエットの武装。
――フランベルジュ。
掲げられたそれに私は、自らの脚を撃って、その不可視の火花を開戦の火蓋に変えた。




