1-6
「――まず」
そう、神が奏いた。
その音色で、世界が歓喜に震える。栄華の橙火に浮かぶ緑の惑星。この世界における唯一絶対の恒星から、波及するように世界が脈動する。
「あなたを見た時から、似合うと思ってたのよ。花と愛。あなたは愛嬌があるし、それにお花みたいに可憐なんだもの」
「――――ッ!」
返事は声ではなく、剣戟で返る。
この世界の全ての武技を統合したような、或いはこの世界のどこにもないような戦闘技術。
修練の積み重ねにより身に沁みつけた技ではなく、目前で常に編纂され編み出されるような鮮烈たる拳撃。その幾層たる群れ。
リベットは、自分だけが思考を禁止された状態でチェスを打つような、理不尽な感覚と不条理たる圧力に晒されながらも、なおも互角に剣を弾き言葉を聞く。
「名前って、ルールがあるじゃない? アナタたちの文化なら、先に来るのが名で、後ろに付くのが性よね。……実は、今とは逆の、アルソン・リベットなんて名付けるのも考えてたのよ?」
神が撃つのが至上にして最適解たる『その場で思考しゼロから作られた体術』なら、リベットの撃つ剣は全く逆と言っていい。
彼女の剣には、どこまでも『歴史』がある。
過日、竜を屠った一撃が、悪逆の市政を貫いた速撃が、魔王を手玉に取ったフェイントが、屍となってなお磨いた神技が、『超高速思考で編纂された剣』に真っ向から食らいつく。
英雄体系魔術第二層:『逆条の枝の冒険譚』。
それは、文字通り逆条の全てを記し再現した「彼らという『歴史』を対象に付与する」魔法である。
「でもね」
――神と、魔王。
神と猫。神とヒト。神と屍人。神と鬼。神と星墜し。神と竜。神と妖精。そして神と、とある魔王の友人。
神の英知を『歴史』が砕く。ヒトの歴史を『英知』が貫く。凄絶にして華美なるその戦場には、しかしなおも、「言葉」が浮かぶ。
「あなたたちの文化じゃ、性は、あなたたちを連綿と繋いできた歴史のことを言うじゃない? ……あなたはたぶん、あなたを作った性が愛だなんて、名乗りたくもないでしょう? だから却下。だけど未だに悩んでないわけでもないのよねぇ。親しいヒトに名前でアルソンって呼んでもらえるだなんて、素敵なことだもの」
私は悪逆の邪神だけど、人の名前にまで呪いをかけるほど悪趣味じゃない。と神は言う。
「あなたのお母さんね、外の世界に放り出されて二日で発狂したのよ? やっぱり世界の極彩色は身体に悪かったのね。……ってのは後になってから知ったんだけど」
なにせ興味がなかったから、と彼女は更に続けて。
「あなたまで発狂してしまったら私がつまらない。だから、『愛』で人を、『花』で世界を、あなたに教えておいた。……どう? その後の暮らしは。結構スムーズに軌道に乗ったんじゃない?」
剣戟、剣戟、剣戟。
限界ギリギリまで呼吸を使い切って応戦するリベットは応えられない。神の力を二分し完全に戦況こそ拮抗しつつも、そもそも呼吸を必要としないポーラはあくまで悠長に語り続ける。
「希望を与えておいた甲斐があった。強くなったわね、リベット。ようやく退屈が紛れたわ。私、この数億年の間は暇で暇で仕方なかったのよ」
ひときわ強く一撃同士が重なる。それで以って両者が弾き飛ばされ、刹那、戦場に静寂が一つ。
「……、」
「……、」
「さあ、前口上はこんなところかしら。――私にこれを使わせたこと、誇りに思いながら後悔しなさい、リベット。下らなくなんかないって思わせてくれたのは、他でもないあなたなのよ」
――神器創成。
そう呟いたポーラの掌に、目を焼くほどの極光が収斂した。
「参考:存在強度:デュランダル」
光が弾けると、ポーラの手には神域の覇気を纏ったような美しい長剣があった。――と、それを刹那凝視したリベットの視界が、ただ一瞬でポーラの姿を見失う。
否。見失ったのではなく、いると認識できぬほどの圧倒的初速でポーラが接近していたのだとリベットは気付く。
ゼロから100への圧倒的加速がリベットの脳裏に錯視を催し、それにより彼女はただ一手で致命的なまでの後手に追い込まれた。
投擲されたブーメランように身体を回しながら、神剣の切っ先に物理的限界まで膂力を溜め込んだポーラが、その一撃が、もう既にリベットのこめかみ間際まで迫っていて――、
「(防御を――ッ、いや、駄目だ!?)」
反射的に手元の剣を剣筋に挿したリベットは、鉛のように暴力的な「予感」に殴られ無理矢理身体を仰け反らせた。
交錯は刹那。切っ先がこめかみを微かに裂いて抜ける。
空振りの一撃はそのまま虚空を薙ぎ、大気が破裂音を立てて打ち震えた。そして、
「その剣、カルティスからのプレゼントでしょ? 立派だけど、神器と比べたら流石に型落ちよね?」
「――――ッ!!!!??」
逃げ遅れた剣が、まるで元来の造形からそうであったかのように、なめらかすぎる切り口で以って真っ二つとなっていた。
「(ふざけてる! カルティスの武装の中でも最上級の剣なのに!?)」
「これはね、あなたが知らなくて、私が知ってる神話の剣なの。まあ正確に言うと、それの名前と性能を参考にしたオリジナルなんだけどね? あの話、中々素敵な物語なのよ? あなたにも読み聞かせてあげたいくらい」
無理な体勢での回避によって、リベットは今完全に無防備であった。その晒された脇腹をポーラは、先ほどの空振りの勢いを載せて蹴り飛ばし、次なる詠唱を開始する。
「神器創成」
「(マズい――ッ! マズいマズいマズいマズい!!!!)」
「参考:必中:グングニル」
ふざけた距離をボールのように蹴り飛ばされながら、リベットは激痛に明滅する視界を無理矢理ポーラに向ける。
と、その視界で彼女は、飛来する槍と目が合った。
「(この槍は!)――再現召喚ッ!!」
詠唱と共に、不可視の竜爪が槍を掴む。
しかし槍は投擲の推力を失ってなおも不自然に竜の手の中を、蛇のように暴れ拘束を振りほどこうとしている。
「その魔法、ひとまずはそれが厄介ね。――『神器創成。参考:竜殺し:アスカロン』」
彼方から聞こえる声が詠唱を紡ぐ。対するリベットは、
「(この槍はヤバイ! もし複製が出来るとしたら私の再現召喚のリソースを超えて、数に圧殺されかねない! とにかく距離を詰めないと!)」
ニールの竜魔術からワープの魔法を再現、展開し、ポーラの魔力に干渉。時間停止スクロールにありったけの魔力を注ぎ込んで二つの現象を同時展開する。
停まる世界。その0,3秒の静謐の中で、リベットは停止解除ギリギリで転移を完了し、――そして、再生。
ポーラの背後に現れたリベットはとあるスクロールに手を伸ばそうとして……、
「 。」
「私の力、取られるのは仕方ないけどね。流石に取られたことに気づかないわけはないでしょう?」
不思議と、リベットはその言葉を静かに聞いていた。
その違和感の正体は、やがて、波に追いつかれて浸透していくように露となる。
時が止まったかのように、戦闘が一時停止を起こしていた。ただしマグナの時間停止の類いではなく、止まったのはお互いの剣だけだ。加速度的に冷静さを取り戻す空気感が、リベットへと刺さるポーラの視線をなぜだか浮き彫りにする。
――自分の一手は、どうなった? リベットはふとそう思う。
手をかけたはずのスクロールは、その絶大なはずの効果はどこへ消えた? その疑問がリベットの視線を自然と手元へと落とし、そして、腕が落ちているのが見えた。
「 。 は? 」
見ればそこには、血を垂らす剣が一つ。
それを握るポーラは、憐れむような視線をリベットに送り、そして半身退く。
「あ」
すると、その半身分だけ視界が開けた。
そこに見えたのは、先の『必中を語る槍』が拘束を振り切って、リベットへと奔る光景であった。
./break..
私、リベット・アルソンの人生の、始めの半分はまさしくクソであった。
「……、……」
想像する限り全ての教育を得られず、そのくせ精神的、肉体的な地雷は髪の毛の先からつま先の爪の先まで所狭しである。そんな私の歩んだ道のりの、
……まあ、正直に言えば、残りの半分はそれなりに楽しかった。
「……、……」
――始めに謳歌したのは、夏空を駆ける風と、緑色の絨毯であった。
威圧感を与えることのみを目的にしたような石造りの教団拠点を一歩出て、まずそこにあったのがそんな景色である。
夏の兆しと、海の匂いのする風。といっても匂いの方は、初めて嗅いだ時は「不思議な匂い」としか思えなかったのだが。
「……、」
気付いた時には、教団は殆どもぬけの殻であった。
あの思い出したくもない神儀のペースが徐々に落ちて行って、外から聞こえる不気味な祝詞が聞こえなくなって、それでも食事は毎日用意されていた。アレはどうやら、他所に行く場所がそもそも無い連中からの施し、或いは罪滅ぼしの類いであったらしい。
いつもの配膳位置に、いつもよりも少しだけ豪華な食事が用意され始めて数日。私は実に数週間を掛けて、牢屋の施錠がなくなっていることに気付くのであった。
私が牢を出てからの反応は面白い限りだった。下卑た目でこちらを視ていたクズどもが(頭数こそ減ってはいても)揃いも揃って目を伏せて、私を存在しない者のように扱うのである。
まあ、正確に言えば、私の胸や太ももにそれと無く突き刺さる幾つかの視線はあったのだがそれは置いておこう。
周囲の反応の変化に気付くことも出来ぬほど自我に希薄であった当時の私は、とかくそのまま外に出た。あと、そういえばその日が初めての、母以外の「女」という生物を見た日であった。
閑話休題。とかく、私は外へ出た。
外へ出て、そして、夏の日色に目を焼かれたのだ。
「……、」
石の暗室にこもりきりだった私は、まず肌と網膜に強い痛みを感じた。
突き刺すような、鮮烈な痛み。ただし、それに倍する感情で以って、私は敢えて空を見た。
花やかな青。花やかな昼の色。花やかな青草。
花やか、という当時の私が知らぬ言葉に紐づいて、私はその美しい世界の名前を知った。空の花やかさは突き抜けるようで、真昼の花は天中に咲く。花ではないはずの緑色の地平が、それこそ花のようであると私は感じた。敢えて確認しておくと、それまでに私は「花」など見たことはなかったのに。
痛みという名称らしい不快感など、私の胸中には一つもなかった。痛いのかもしれないし、実際に火傷という怪我をさえ負っていたのかもしれないが、そんな「私に都合の悪い感情」など目に映らなくなるくらい、私は世界に「愛」を感じた。
「愛」など知らなかったし、だからこそ比較検討などでもして、これを「愛という感情である」と確認する術もなかったけれど、それでも確信があった。これが「愛」だと。
そして、「愛」を知った私はそれ以外の全ても知った。……正確に言えば当時については、「愛」と「愛ではないもの」の区別がつくようになっただけであるが、「愛」以外の感情を真に理解するのに時間はかからなかった。
「愛」は私の胸の近くにあって、「嫌だ」は私の身体の外側の、ずっと遠くに在処を感じた。私は感情を、距離になぞらえることですぐに理解した。
そう。「愛」とは離れた所に「嫌だ」がある。
それでもって私は「空腹感」が「愛ではない感情」であることを理解した。
……それからの数週間は、私はまさしく獣の生活を行っていた記憶がある。
「……、」
「愛」を求めて「嫌」には都度都度対処する。
石に食欲は湧かないが、動物や果物はおいしそうに見えた。風を浴び、雨を浴び、日差しを浴びて、本能に準ずる。文化的な生活とは言えないけれど、でも間違いなく心地はよかった。
そんな私が、「文化的」という概念に出会ったのは更に先の事。
何のことはない。野性的でこそあっても、何せ私は見た目だけのために種の掛け合わせを行って生まれて出て来たような人間である。私という見た目の良い野生児を、とある物好きの冒険者グループが拾ったのである。
ではさてと、それからの生活は、
……まあ、一転二転と経たうえでだが、良くも悪くも冒険者的なものに落ち着いた気がする。
「……、」
私の第二の人生のはじまりは、とある冒険者の町の、ギルド付きの家畜小屋から始まった。
そこはいわゆる辺境の街で、交通の不便から外部文化との接触が廃れて久しいらしい。その結果に発生するのが、どこか歪で確実に不可解な倫理観が共有された「狭い社会」である。今でこそイカれてるとしか思えないが、当時の私は犬のように可愛がられていた。侮蔑の意味ではなく、正しい意味で。私は彼らの、正しい意味での愛玩動物としてしばらくの時間を過ごした。
……ああ、
勢い余って思い出してしまったけれど、出来ればこれも、思い出さずにいられたらよかった。
とかくである。私はそうして更にしばらくの時間を過ごした。
そんな私に訪れた転機は、さてと、いつの季節の頃であっただろうか。
「。」
とある雨の強い日。その街に珍しく外部の冒険者が訪れた。
それがまた分かりやすく粗暴な男で、或いはそれゆえにか、外部との倫理観の差というハードルを乗り越えて、私は彼に紹介をされた。
当時の私は、既に知っていた「愛」にある意味では囲まれて不自由などない生活を送っていたので、自分の犬としての立ち位置に違和感は覚えなかった。
そんな私に男は一言、「犬みたいな女だ、恥ずかしくはないのか」と哂った。
そこで私はようやく、自分が犬ではないのだということに思い至った。
私が巫女の力を使ってあの街を逃げるように後にしたのは、それからすぐの事である。
「。」
さて、そんな私は改めて「人」を模索する。
例の街での犬としての生活を経て、私には既に「文化」という概念は備わっていた。備わってはいたが、縁はなかった。ゆえにまずは模倣である。あの街の人間に倣いコミュニケーションを行って、アレに倣い日銭を稼いでそれを食事や宿に使う。
それにあたって私が選んだのが冒険者という職業である。
と言っても当時は大した思い入れなどなく、金策の効率が良いからという一点で選んだ立場であったのだが、そこはそれ。私はこの巫女の力を十全に使って、冒険者としての成果を走り抜けるようにして残し続けた。
そして、そんな折に事件が起こる。
というのも、忘れもしないあの日、私が適当に選び取った薬草採集の依頼者が、あろうことか教団の元関係者の顔見知りだったのである。
「。」
依頼人との面談で、私は初めて「怒り」と呼ぶべきなのであろう感情に襲われた。しかし当時の私はその感情の意味を未だ理解しておらず、ただ目を伏して彼と話をする。
ゆえに、彼の表情は覚えていない。
彼はまず、何やら私に「思い出話か懺悔かのどっちか」みたいな話をしてから、その後に依頼内容の打ち合わせを始めた。それから「裕福ではないが、依頼料には色を付けさせて欲しい」みたいな話をしていたのだったか。
ちなみに、確かその依頼で求められた薬草というのは特殊な病に薬効のあるものだったらしい。男は教団を抜けてより身分を変え元々の恋人と結婚したのだとかで、頼まれた薬草は、その伴侶のためのものだとか。
私はその辺の全ての話を聞き流し、ゴーレムのように無感情かつ最高効率で依頼を達成した。これ以上その男に関わるのが「嫌」だったからである。
しかしながら、その話の結末として言えば、
――私が依頼を達成して戻った時には、その男は妻と仲良く自宅で首を吊り死んでいた。
遺書曰く、自責の念に駆られたらしい。男は病気の妻を一人残すのが忍びなかったとかで、妻の殺害を認める文章も同時にしたためられていた。
かくして、私は人生で初めて、自分の関与した「死」というものに立ち会うこととなる。
「死」を間近に感じて、他人ごとではなくなって、更に言うとその男に再会した時の怒りや、復讐でもしておけばよかったのにただすら自死を許した無念などで私の心は一段階成長した。
正確に言うと、「愛」か「嫌だ」でただすら二分されていた私の感情が、もっと細かに分類分けされ、更に「嫌だに対処しないととても気持ち悪い思いをする」ということと、「他者に『愛』以外を感じることは当然としてあり得る」という二つの事実に出会ったのである。
その結果私は、これまでのツケを清算するように自分の置かれた不遇に気付いた。
教団で受けた凌辱やあの街で犬扱いされた理不尽が掘り起こされて爆発を起こして、人生丸ごと一つ分を凝縮したド級の怒りの強襲に、私は頭がおかしくなりそうになりながら、とかくとかくと暴れ回った。
ちなみに、そのあとは普通に捕まった。
――いや、
ちなみに、などと簡単に済ましてしまうには、あの夜はあまりにも濃厚であった。
或いは、あの日こそが私の転機、冒険者として生きる『リベット・アルソン』の誕生前夜だったのかもしれない。
「」
よく晴れた夜であった。
鉄格子に面した通路は、浸透した湿気の匂いが漂っていて、小さな窓の外へ、それが抜けていく。
外の音が震えるように流れ込んで、それに私は耳を浸しながら、懐かしき「狭くて暗い石の壁の中」にて不思議な安寧を覚えていた。
それは殆ど、私の最低たる『半生』の焼き増しの光景である。拘留が一日の夜半のみと確約されていたとはいえ、過日を思い出して発狂しなかったのは奇跡的に違いない。
……ただ、トラウマの一つが刺激されなかった理由には、少し、心当たりがある。
――あの日にはなかったもの、つまりは、窓から差す月明かりが、
心地いい理性と微睡みを、私に、抱きしめるようにして、一晩中浴びせ続けてくれたのだ。
「」
「死」を考察した。
「愛」と「花」に次ぐ、新たなる感情のきっかけ。一つ目とも二つ目とも同じように、三つ目の知らなかったものは、紐づいて私にたくさんの事を告げた。やることもなかったものだから、私はそれに身を浸す。
「死」とは何か。「死」に付属して熾った、この感情群を何と呼ぶのか。「愛」だの「花」だのと過保護な言葉しか知らなかった私は、だからこそ遂に、「現実」を知った。
表裏。
この世界には、それがある。
美しいものと同様に、見るに堪えないものがある。というか私など特に後者に寄り添って生まれ育ったものであったわけで、直視さえしてしまえば理解は早い。
ならどうして、この世界には見るに堪えないものがある? 綺麗なものだけがあればいい、なんて、誰にだってわかることであるはずなのに。
……しかし、それでも「ソレ」は、この世界にあるのだ。ならば「ソレ」が淘汰されぬ理由は、「ソレ」がこの世界に未だ存在する理由を知ればおのずとわかる。
そして、「ソレ」の世界で生まれた私だからこそ、結論はやはりすぐに出た。
この世界に汚いものがあるのもまた、「表裏」に理由があるのだと。
正義で例えれば、その裏には悪がある、正義は綺麗で、悪は汚い。だけれど正義の席は少ないから、どうしたって悪の椅子に座らなきゃいけない人間が出てくる。なら、更に具体的に例えてみようか。ここに人間が二人いて、椅子が二つあるとする。片方の椅子に「正義」と名付けて、もう片方に「悪」と名付けたなら、「悪」に座った人間は『悪者』だろうか。
答えは、――きっと、とても抽象的だ。だからこそこの世界には「汚い」がある。この世界に綺麗なモノしか存在しないとしたら、それはもう「綺麗」ではなく「当たり前のコト」なのだ。綺麗ではないものを、人は、便宜上「汚い」と呼んでいるだけなんだろう。
では、さてと、
見るに堪えないものを「悪」としたなら、見るに堪えないものが存在する理由にも心当たりが生まれそうである。
理想があるから、「理想的ではないもの」が同時に発生する。いっそ目の前に二つの「理想」があったとして、それだって比較すればどちらかが「理想的ではない」に降格だ。表裏、或いは勝ち負け。これが、この世界を形作る大きなルールの一つに違いない。
ああ、
――私はあの日。あの夜に。
どうしてだか、そう。何かをきっかけにして、果たして「負けず嫌い」と相成った。
あの夜には結局具体的な答えが出せずに眠りについて、私は、看守の呼び声で目を覚まし、牢屋を出たその足で朝のギルドに向かった。
なにせ、もうその時点で、私は私の歴史に埋没した「負け」が、そのままになっているのが「嫌」で「嫌」で仕方なかったのである。
「」
――なんてことを、ふと思い出した。
私の生涯は、語ってしまえば概略はこんなものである。
走馬灯。
「 」
それはまるで人生の後日談のように、『リベット・アルソン』の歩みを慚愧と郷愁に乗せて語る。だけど、
……人が走馬灯を見る理由と言えば、眉唾らしいが、こんなふうにも言われているらしいではないか。
「 。 ――――ッ!」
走馬灯とは、人生で得た全てのもので危機を乗り越えるための記憶の参照システムであり、生存本能の断末魔である、と。
私としては、何ならそちらの方が好ましい。ただでさえ私はこの決戦に文字通り人生の全てを賭けて挑んでいるのだし、終幕に湿っぽいエピローグなんて正直私のガラじゃない。
それに、そもそも、
――私はまだ、負けてない。
生存本能とやらが私を活かそうとしてくれる気持ちはありがたいが、しかしながら断末魔を挙げるというのは、尚早だと言わざるを得ないのだ。
./break..
――目前に迫るは必中の槍。
ポーラが半身分明け渡した視界の最中央にて、それが私に突き刺さらんと唸りを上げる。
対する私は、息も絶え絶え。ポーラの徒手空拳をモロに受けて身体の内側はズタボロなうえに、駄目押しとばかりに片腕まで落とされた状況である。……或いは更に加えて言えば、感覚的に『再現召喚』も封じられたようである。察するに、これが私の腕を落とした『アスカロン』なる剣の効果なのだろう。
まさしく絶体絶命。少なくともこれで、私は確実に死ぬ。
だけど、そこまでを織り込めば、やはり走馬灯など尚早が過ぎる。何せ私は、――ハルという友人と出会ったあとだけでも、もう二度も死んでいるのだから。
「さようなら、リベット」
表情を殺した声でポーラが言う。それと共に、私の心臓寸分たがわずに必中の槍が突き刺さり、噴水のように私の血液がまき散らされた。しかしながら、
人でないポーラは、こんな「生物のルール」を、果たして知っているだろうか。
生き物というのは、致命傷を受けたって消滅するわけじゃないし、身体と意識があるうちは無理矢理にでもすれば数秒くらいは動けるということを。
「――――ッ!!!!!!!」
声にならぬ絶叫を、私の全身が絞り出す。
歯を食いしばり、奥歯に仕込んだ「カプセル」を噛み砕きながら、残った方の腕で取り落としたスクロールを拾い上げる。
超高密度思考で剣撃を編み上げていたポーラも、私の破れかぶれじみた行為には流石に頭を空っぽにしたらしい。憐憫から、驚愕へ。そのコンマ一秒の感情の推移の隙間にこそ、私にとっての唯一絶対の勝機がある。
「何をッ、――ッ!!?」
ポーラが叫んだ。それも当然に違いあるまい。
なにせ見ろ。既に私の身体には傷一つさえないのだから。
奥歯に仕込んだカプセル、『世界樹の葉』の効能は劇的だ。超速回復だとか早回しの逆再生だとかなんてちゃちな効果じゃなく、損壊の否定。これにより私は、怪我どころか、服に散った自分の血液までもを元通りに恢復させる。そして――、
「起動! スクロール:剣聖〈Ⅵ〉ッ!!」
エイルから受け取ったそれ、エイルの誇りたる剣聖がそっくりそのまま落とし込まれたスクロールを起動。更に、
「接続! 神器創成解除!!」
ポーラリゴレットの半身たる私の命令で、目前の竜殺しの剣と背後の必中の槍が消失。無手となったポーラと、私の視線が交錯する。
ならば、
――そうとも、今こそがこの決戦の絶頂だ。
「『逆条の枝の冒険譚』。せっかくもらったんだから、上手く使わないと怒られちゃうわ」
「――――。」
「こざかしいことたくさん言ってくれちゃって、しょーもないったらないわ。名前の順序がどうしたとか、今日まで暇で暇でしょうがなかったとか、そんなの全部興味ない! ええ! アンタの愚痴なんて何一つ興味ないのよ! ――まずは、アンタ! お高く留まってかっこつけたこと抜かしてんじゃないわよ! そんなんで剣を振るなんて、私に失礼だろうが! もっとちゃんと、偽悪ぶらずに破れかぶれになってみたらどうなのよ!」
「――――、」
「それとも、私じゃ役者が足りてないって? ――それなら、良いよ。見せてあげる。私と私の後ろにいる人たち全員の全力全身を! いい、ポーラ!? はっきり言っておくけどね!」
「――、」
「ここまでの盤面、アンタが私を一度殺すところまで合わせて予定通りなのよ!!」
……まあ、腕を飛ばされて走馬灯まで勝手に再生されるとまでは思わなかったけど、そこは愛嬌だ。
今はとにかく、思いつく口上を全部吐き出して、心の底からアイツと戦う。取り繕う暇なんてないし、そんなものは必要ない。思考のリソースは全部、アイツに怒鳴るのに適当な言葉を探すのと、あいつに勝つ方法を探るのに割く。
――私にとっての一番のアドバンテージは、一度までなら死んでも構わないという一点だった。
まずはそれまでに、ポーラの戦い方、魔法、可能な限りの確認できる攻撃手段、それら全てを確認しておく必要がある。
そして、その上でこの好機。私は完全にポーラの懐に潜って、しかもこの身にはエイルと逆条のみんなの最高峰が再現されている。――さあ、今が絶頂。この局面こそが私の見たかった光景そのものである。魔力の隆起も、互いに今が最佳境。私の渾身とポーラの渾身が、
今、絶叫を上げる!
「神器生成ッ!」
「神器創成!!」
同時同出力の衝突。しかし内包する技術は全く別種だ。
トラベラーズ・ログによって引き出したカルティスの剛剣を、ポーラの流水のような剣裁きが見事にいなす。剣を打ち合ったはずなのに、私は空振りでもしたかのようにその場でバランスを崩し、そこをポーラの追撃が狙う。が、
「――ッ」
そこで私は地を掴み身体を上下に反転、ポーラの振り下ろしを紙一重でかわしながら、ブレイクダンスのような蹴りを二つ放つ。
しかし、不発。どれもポーラは剣で受けた。私は更にもう一つ蹴りを放ち、剣の感触を足場にして更に反転、ポーラの散歩先の位置に降り立って、
「(停止――)」
そこで時間を停止。0,3秒で再びポーラの懐に潜り剣を打つ。
「んな!?」
「――ッシ!」
ゼロ距離からの一太刀をポーラは、前蹴りで私との距離を離すことで無理矢理に空間を作り、そこに剣を差し込んで防ぐ。――ならばもう一度。もう一度。もう一度。都合四度のゼロ距離必殺を、ポーラは破れかぶれになりながらもあくまで対処しきって、――そして、
「再現召喚ォオッ!!!」
続く五合目で私は、ポーラの神業じみた技術を、竜種の圧倒的質量による一撃で強引に叩き破る。
不可視の大盾に押しつぶされたようにポーラの身体が沈み込み、対するポーラはただ一瞬で大魔術級の魔力を編み上げながら叫んだ。
「参考:抽象性:ブリューナク!!」
そして現れたのは輪郭の不明瞭な『槍のようなもの』であった。霞のようでありながら、その槍は立ち上る霞にさえ質量があると私の千里眼が即座に見破る。
「――ッ!」
「解除! ッ!?」
私の命令が一手遅れて、ポーラの一撃が私を強かに打つ。その本質は、どうやら槍ではなく竜の息吹のような範囲制圧だ。トーチを振り回して広がる炎で不規則に周囲を灼くように、私の身体中を満遍なく衝撃が叩く。
「武器が消えるのは厄介ね。剣聖による神器生成の応用で、私とあなたのパス越しに命令が届いてるってトコロ?」
「さあ、どうかな!?」
「試せばわかることよ。解除!」
命令された瞬間に私の武器が光を伴って消える。当然だ、私はポーラと同一であるからこそ彼女の武器を能動的に消せる。ならばそれが逆であっても成立して然るべきだろう。
だけど、だったら私は別の武器を使えばいいだけの事。
「星墜し!!」
『逆条の枝の冒険譚』の本質は登場人物の技術の再現である。
ただただ当人から教えを受けた剣技や魔法を自分で使うのとは違い、この術式の効果で私は「本人そのもの」の練度でそれらを使いこなせる。
元来ならスクロールによる起動が必要なマグナの『時間停止』や、妖精女王であることの証明と実際的な格を用意せねば発動できないティアの『命令権』、或いは詠唱により再現する必要のあるニールの『竜の力』を、『逆条の枝の冒険譚』は寸分たがわず、そして無条件で再現する。
ならばそれは、「ユニークスキル」であったとしても同じこと。星墜しと呼ばれる彼女の桁外れのスキル性能が、その本質が、反復し習得した体術のように私の指先から流れ出す。
星墜し。
その性質は星を墜とす事。彼方にある星なら「撃ち落とす」必要があるだろうが、この距離ならば矢一つがあればいい。
姿勢を低く、握りこぶしを腰元に引く。
目前に迫るポーラの拳撃には目もくれず、スローモーションになる世界の只中にて、私はするりと目を閉じる。
そして、――放つ!
「ご、ァ!!?」
スライドじみた挙動での推進。私自身が矢じりとなり撃ち放たれて、貫きこそせずともポーラの腹部を陥没させる。
「ぐゥ!? か、風よ!」
その言葉と共に、先の洪水じみた質量の風が生み出され私の身体を叩いた。足が地面から離れて、刹那、私の身体は為すすべなく後方彼方まで弾き飛ばされる。
「(くそっ!)」
背後に不可視の壁を作り跳躍。竜の膂力で突風を真正面から割ってポーラに奔る。が、
「神器:グングニルッ!!」
「ッ! 解除ッ!」
投擲された必中の槍。それを私は鼻先ギリギリで霧散させ、目前で生まれた光子が弾けたようにして流れ、消える。それで一瞬、私の視界が塗りつぶされ、
――そして彼方にて、轟音を挙げる突風の奥底にてポーラの詠唱が大気を割った。
「魔法:ベテルギウス!!」
ごぅ! と光景が陽炎に揺れる。
しかしそれは一瞬の事。ポーラの魔法によって生み出されたカーテンのような獄炎が、塗りつぶすようなオレンジで世界を染め上げる。
揺らめく炎そのものの、輪郭の無い洪水。或いは風が彩を得たかのような奔流。この翠の地表全てを覆う炎の濁流には、どう見たって逃げ場がない。
――更に、
「魔法:フォーマルハウト!!」
燃え盛る地表を覆うようにして、――闇色の天空にて。
燦然と蒼く照らす流星群が宙を切り裂いた。
「『骨爺一刀流』」
まずは、私は目前に迫る獄炎に身体の正中を向ける。
それと共に、骨爺などと適当な名前を名乗るとある剣聖の刀が現れ、美しい刀身が緋色を一つ照り返す。そして、
「『悪竜』」
足元から。
降り注ぐ流星群をさえ塗りつぶす光量で以って、地表全てを覆ってなお重なり合うほど膨大な量の魔法陣が地平線まで広がる。
それと共に私は刀を上段に構え、全身の筋肉を内部の隅から隅まで一連にイメージし、そして私の身体は「刀と同一化する」。
ただ一刀。
それを振り抜くために私の掌と腕と背と脚は存在していた。
空想するのは雲耀たる一糸。それは半ば概念と化し、目前に一つの断界を成す。
無為未空。その世界には何もなく、ゼロの世界においては全てがゼロとなる。刹那のみ、この剣で、私はそれを創ろう。世界を創ろう。――さあ。
「――――。」
「――――ッ!!」
獄炎と流星が地上を撃つ。それと共に地表を覆った魔法陣が『竜の咆哮』を幾億と放ち、そして私は、炎を断ち切る。
衝突。
三千世界を燃やし尽くしてなお盛るほどの無色の爆発が宙を塗りつぶす。
ベテルギウスの焔が袈裟に断たれて、――そして、停まる。時間が遡行したように炎が、咆哮が、流星が還る。
「な、なん――ッ!?」
「神の権限で命じたのよ。時間の進行値をマイナスに。老人は若返った果てに死ぬように、花は枯れてから芽吹けとね。……ひとまずこれで、あなたの時間停止は無力化」
そして、とポーラが告げる。
「これは児戯だけど、この戦いにおいては最高の手札だと思うのよね。だから採用」
言うと、ポーラの傍らの地面が隆起した。ぼこり。と若葉が芽吹くように翠の石畳が割れて、そこに現れたのは一振りの剣だ。
「解除は無駄よ。先に言っておくけどね。……これは、暇に飽かした私が、神になったばかりの頃に作った終末装置。魔力を編んで生み出すニセモノの武器なんかじゃなく、この世界の経年劣化とともに生きてきたホンモノ」
その、地面に突き刺さった剣には鞘があった。
ポーラがそれを手に取ると、
――断末魔。
どこから聞こえるのかもわからぬ生物の悲鳴の束が、金属音の代わりとでもいうように、剣の一挙手一投足に合わせて響いた。
「これで私の世界は終わり。時間も空間も滅茶苦茶になっちゃった。……でも良いの、どうせ消えることになってるんですもの。――だからね?」
「――――。」
「手向けにあなたの死を頂戴。破れかぶれになれって言ったわよね? これが、私の自棄よ。どうせこんな世界、私の妄想でしかないけれどね。それでもなくなるよりは、在った方がよかったんだから」
「……、……」
私は、
ポーラの、こちらに向ける切っ先を見て。
「……。」
……沈黙と共に、一つを残して武装を解除する。
持ち込んできたありとあらゆる武器も、魔法具も、ことこの戦いにおいてはもう無意味だろう。私の武器は、あと二つだけあればいい。
「――。」
「それ、神器? 良いのかしら、消しちゃうケド」
「良いよ。消してみたら?」
だって、どうせ消えないのだから。
「ふぅん? まあいいけど」
ポーラは抽象的な物言いで、そのように応えた。
……まあ、彼女の言い分は分かる。
神器を創る術がある以上、神器を持ち込むなどという酔狂な真似をするイメージが湧かなかったのだろう。この戦いでこそ湯水のように消費されているこれらは、元来ならば国一つの力を使ってようやく拝めるようなものである。
しかしながら、これは、とある友人からの餞別であった。
「どうせなら試してみたら? 言ったでしょ、手加減しないでって。……だけど無駄だよ。これは人から借りたものだからね。パスを経由したって消せないよ」
武器を借りている間の繋ぎで使ってくれ、というのが彼女、エイルの言葉であった。
――神器:ライオンハート・レプリカ。
曰くこれは、彼女が決して負けぬと誓ったときにのみ使う剣らしい。
特別な力があるわけではないが、決して折れない剣。
……レプリカと付いているのは、曰く「絶対に初見じゃ使いこなせないし邪魔にしかならない特殊な機構をカットしているから」らしいが、その辺までを詳しく聞いている時間は流石になかった。
それに、これで十分だ。
私はどうせ折れないのだから、武器に求めるスペックもそれだけだ。彼女が絶対に折れないというのなら、きっと、この剣は本当に決して折れることがないのだろう。
「……、」
「……、」
きっと、これが最後だ。
お互いに手は出尽くして、後に残るのは総力戦。私には、……一応、まだ見せてない自前の魔法や作戦なんかもあるけれど、それもきっとここで出し尽くす。
これで最後。これで最後なのだ。
ゆえに、
――言葉は十分。
あとは、どちらが最後に立っているかだけでいい。
./break..
「――――。」
先に踏み込んだのはポーラだった。
神域の魔力の全てを脚に注ぎ、それと共に地面を『祝福』。神の意図によってその地面は「ポーラをただすら速くする」ためだけの宿命を、刹那得る。
先の超加速の根幹がこれである。ポーラと同じ世界視を以ってなお確認できないほどの超高速起動は、ポーラと、そして「世界」の助けによって為されたものだ。
……これを唯々諾々と受けるわけにはいかない。それにより先ほどの私は先手を数手畳みかけられ、果てに必中の槍に貫かれた。ここは、人域の戦いではないということを正しく理解すべきだ。
後の先などと悠長なことを言っていてはそのまま圧倒される。互いの一手が世界ごと相手を破壊するものなのだとすれば、先の先。その更に先の「最先」を奪い合う。シンプルに言ってしまえば、この戦いは常にそうであった。
「――クリアパルス!」
無色の魔力を背後に起動。迫るポーラは既に見えないが、どこまでも加速した私の思考が世界を置き去りにしてその先を予見る。そして、――激突。圧倒的加速で物理的な質量さえ増した様な物理現象規模の一撃を、私の剣と背後の斥力が真正面から撃ち返す。
――火花。
恒星爆発で星の死骸が飛び散るような、白としか形容の出来ない火花の本流。その一つ一つが翠の地表をマグマに変えて泡立たせるが、私たちの間には既にその程度の熱量など木っ端と変わらない。更に、更にと先を取る。
剣が輝き、打ち震え、音を鳴らす。
ただただ互いに敵の一撃を叩き返す。幾十幾千幾億とそれを重ね、つま先一つ分だけの『先』を取り合う。
そこに、一つ。
「――ッ!?」
異物。
『先』を取り合うだけだったはずの打ち合いにて、ポーラが私の剣を避けた。それにより成立した私の一撃が世界を削り飛ばしポーラの半身をズタズタに穿つ。
――そう。こうなるはずだったからこそ、私たちは『先』を取り合った。
既にここに存在する一挙手一投足は、その全てが神域の『魔術』である。成立した時点で相手を世界ごと損なうからこそ、ここに『後の先』などという悠長なやり取りは存在しない。それでも、それをポーラが選んだというのなら――ッ!?
「(くそッ!!)」
「祝福する」
私の一撃は袈裟の切り返しであった。それをポーラは手を地面につき身体を反転させることで避けた。
脇腹から鮮血をまき散らしながらも、しかしポーラの表情は変わらない。地面に着いたその掌に、祝福という名の宿命が宿る。
「ぉあ!?」
命じられたままに地面が隆起した。
石柱が新緑のように、私を天辺に乗せたまま宙へ伸びあがる。更に、――直下。世界が切り裂かれる音が聞こえた。それと共に芽吹く石柱が轟音を立てて崩れ落ちる。ポーラが一刀にて柱を切り落としたのだ。崩壊する足場の向こう、地上にて、こちらに掌を翳すポーラが見えた。
「(魔法、――じゃない!)」
一挙手一投足が致命の魔術となるなら、そこに詠唱など必要もない。
ポーラが『先』を捨ててまでこの盤面を取ったなら、次に来るのもまた致命的な魔術だ。
「――――憤ッ!!」
「クリアパルス!!」
足場を伝わぬ攻撃でいなし切れるとは思わない。ポーラの剣が振り抜かれる間際に私は魔術を起動。空中をバウンドするように剣筋を翻って避け、しかしその「魔術的な余波」に身体を切り裂かれる。
「ぁぐッ!!」
でも、
それにより好位置を取れた。ポーラの背後真正面。ポーラはこちらを視ぬままでそれでも正確な剣をこちらに打っているが、しかし不完全な姿勢の一撃なら私に圧倒的に分がある。
「――っがぁアア!!」
獣のように私は吼える。叫んだ喉には、鉄血の味が広がった。それが私に高揚を誘う。斬るのではなく、敲くように。なんなら気持ちは頬をブン殴るくらいのつもりで込めて、迫る刀身を撃ち返す。
「んぐ!!?」
ポーラの向こう、いまだ崩落を続ける石柱の中までポーラが弾き飛ばされた。しかし、体勢は崩れない。強風にでも耐えるようにポーラの大腿部が肥大化し、がりがりと石畳を削り飛ばしながら崩落の最中にて「姿勢」を取る。
それは――、
「(間合いを取られた!?)」
そう、一撃の間合いである。
ポーラのつま先が、華麗なダンスのように大地を蹴った。そして、――加速。ポーラが身体をコマのように回し、都合三歩分の距離で以って切っ先に惑星一つを想起する程の速度を乗せる。
……さて、ならばどうするか。
回避すればポーラのあの一撃が成立する。しかし、ならば真正面から打ち合うか? それこそあり得ぬ。それが私の終わりだろう。クリアパルスによる膂力の補助は間に合わない。そもそも――、
「――――ッ!!」
手傷を負わぬ戦いではないと、既に覚悟はしていたはずだ!
「――疾ッ!!」
「ッ!!!!」
後方に身体を翻して迫る剣を避ける。それにより成立した一閃の魔術には、肉食獣のように身を伏せて耐えるが、それでも体中の筋肉が軋む感覚に私は思わず熱息を吐く。
耐えられぬ、――ものではない。
それが私の目前に光明を創った。耐えれば先には活路がある。「先」を取り合うだけだった戦場に、更に『その先』が生み出される。ポーラも私も、きっとそれを理解し覚悟した。肉を切らせて骨を断とう。或いは、骨を断たせて骨を断とう。その果てには、勝利一つが残ればいい。ここに、
――嗚呼! 決闘などでは言葉が足りぬ!
『死闘』の火蓋を、斬って落とそう!!
「かかってこォい!!!!!」
「行くわよ、リベットッ!!!」
四足の姿勢から私は吼えて、かかって来いなんて叫んだくせにこちらから彼に飛び掛かる。対する彼は、行くわよなんて応えたくせにただすらその場で魔力を編む。
終末装置。
そんなふうに彼が名付けた世界最期の剣が、彼の魔力を、或いは世界を喰らい尽くし煌々として輝く。
――焔。剣戟で舞う火花などとは比べ物にならぬ熱量だ。受ければ私の四肢が灼かれて、避ければ剣が為す魔術は世界に致命的な災禍をもたらすだろう。
しかしながら、この世界は既に終わりを告げていて、他方の私に決死以外の覚悟などはない。ならば遠慮も、必要はあるまい。目前、振るわれた剣を翻り避けて、その余波に身体を炎上させながら私はもう一度彼の背後を取った。
「くッ!?」
私の身体が、燃える。燃え盛る。それでも声を漏らしたのは彼の方だ。焦り切っ先を振り抜くポーラに、私は膂力を込め切った剣を打ち返し、
「神器生成ッ!!!!」
「なにッ!!?」
更に焦燥の瞳で私の手元を見た彼。しかし、――そこに顕れるべき必中の槍は顕れない。彼はきっと、私の言葉を一瞬だけはブラフと受け取ったのだろう。しかし、それなのに魔力は神鎗一つ分確かに消失している。と、そのように彼戦況を見失った。
――祝福。
彼が私に与え、私という身体を使って儀式を行ったように、彼たる私は万物に祝福を与え、それで儀式を、――つまりは魔術を行使できる。
元来は、カルティスとの戦闘で使ったように祝福した武器を魔術媒介とするだけのつもりだったが、しかし、
ここには、切り落とされた私の腕という一級品の触媒がある。
――発動は後方。彼方からその必中の槍は圧倒的な加速で以ってポーラを狙う。消すか、避けるか。その刹那の空白こそが私の勝機。ここばかりは「先」を取る。前後同時に彼女を狙う二択必殺の一撃に、彼は、
「奪取!!」
そんな、第三の選択肢を選び取った!
「!!?」
グングニルへの命令権が即座に消失する。それを私は、本能的に理解する。ただしこの槍は、投げれば必中となる槍である。このままならば槍はあくまで彼の心臓を狙うだろう。ゆえに所有者として更新された彼は迫る槍をただすら手で受け止めて――、
「――――。」
振り返り、振り下ろすように、掴み取ったその槍で私を穿たんと狙う!
「ッ!!!」
私の身体のド真ん中を狙う一撃。避けきれず、私の太腿が貫かれる。そこで、――解除。槍が消失して私のふとももにぽっかりと開いた穴だけが残った。
「(回避、を――ッ?!)」
痛みはない。しかし足が命令を聞かずに、私は続く彼の一撃を避けきれない。と、そう予言じみた直感を得て、振り下ろし二刀目の終末装置を真正面から受けた。
――それに、今度は私の腕が耐え切れなかった。
「――――!!」
肩がメリメリと音を立てて、そして振り下ろしを受けた剣が、もげた肩口ごと弾き飛ばされた。そしてそのまま、ポーラの剣が私の片脚を両断する。右腕と左足。あって当然だったはずのそれを喪った私は完全に重心を見失って体勢を崩し、そこに、――何の躊躇もなく、三つ目の振り下ろしが襲い掛かる。
「今度こそよ、さようなら」
「(――――。)」
喪失感に、
私は刹那、意識を朦朧とさせる、――けれど、
「(ああ、私は)」
そうだ。
そうとも。
何度だって、私は言おう。
「(私は、まだ負けてない――っ!!)」
――心に浮かべるのはあの夜の事。
久しぶりに友人と出会ったのだ。気持ち良い酒の席で出会おうと高らかに宣言した、あの友人と。……エイルと酒を酌み交わせなかったのは残念だけれど、顔を見られただけでも私は満足だ。
楽しくて、キラキラしてて、笑いの絶えない時間だった。あの夜だけじゃなく、その前からだってずっと。ハルもエイルも私にとっては一級の恩人だし、それが無くてもあの二人とは妙に気が合った。彼らと出会ったあとの日々は、
いや、案外その前からだって、それなりに――。
「(帰ってきなさい)」
それでも、思い浮かべるのはあの夜の事。
具体的に言えば、あの夜にハルから譲り受けた、とあるなんだかやぼったい名前の剣のことである。
「(バイツァ・ドルヒ=星切蜻蛉ッ!!)」
ほとんどゼロまで時間が収束した戦場。私に、彼が剣を手向ける。
曰くその剣は、この世界の終末装置。それはこの世界に最期を告げて、だからこそあの剣には、世界を終わらせるだけの力がある。
世界等価。
そんな剣だからこそ、アレはこの世界において破格の存在強度を持っている。祝福が、魔道が、世界のルールが、あの剣を絶対不変のものとする。それを、
――ただの鉄のように断てるのがこの剣だと、ハルはそう言っていた。
きぃん。
と、金属が割れるときの綺麗な音がした。
それと共に、終末装置ががなり立てていた悲鳴のような音がゼロになる。或いは、勢い余って戦場までゼロになってしまったのか。奇妙な空白感の向こうで、私と彼は共に視線を交錯させた。
「それは、なんなの……?」
「さぁね」
片脚では立つのもやっとだった。
だから私はそのまま倒れ込む。後ろに倒れるのでは癪なので、せっかくだから前のめりに。
すると、そこにはポーラの身体があって、私は半ば、彼に抱きしめられるような格好となる。
嗚呼、
嗚呼――。
「これで、私の勝ちだよ、ポーラ」
抱きしめるように、古い友人とハグでもするようにして、
私は彼の身体に手を回し、手に持った白銀の短刀を彼の背中に突き刺した。
※次回、六章完結。更新は来週の水曜日を予定しております。
どうぞもう少しだけ、お付き合いください。




