1-5
……その場で待つこと、二分と少し。
「ふう」
魔王カルティスが息を吐き、ついで、「ぱたん」と乾いた音が執務室に響いた。
「待たせて申し訳ないね」
「いや、のんびりしてましたので」
立ち上がって言う彼に、マグナが、ソファに座ったままで掌をひらひらさせた。
「それで、……そういえばなんの用事だっけ? 俺は一応、マグナに頼んだ用事に関してはノータッチで行くつもりだよ?」
「まあ、別件ですよ。いやね、悪神神殿の話を確認しときたいと思ったんです。次のフェーズに移るって区切りだし、ちょうどいいかと思って」
「……、……」
そこで魔王が、曖昧な調子で肩眉を上げた。
……やはり、私には彼の本質が掴めない。あの魔王然とした体躯が行う妙に垢抜けない所作は、言いようのない違和感を私に催す。
なお、私がそんな見分をする傍らにて。
――他方の魔王は、
「あれ? 知らなかったんだっけ?」
「……、」
「……、」
と、どこまでも抜けた表情でそう返した。
「…………、あ、そっか、知らなかった感じか」
「いや、一応逆条集めての軽い打ち合わせはしましたケドね。まあでもリベットちゃん込みの話し合いはまだです。それに、あんたは彼女に『次のフェーズに移る』って話をしたらしいが、その『次のフェーズ』ってのんの具体的なやり方はあたしも知らない。一通り確認しておきたいと思いましてね」
「なるほどね、そっか。……そりゃあ失礼」
言って彼が、私たちに背を向けた。
……どうやら、飲み物の用意をしてくれているらしい。かちゃかちゃと食器擦れの音がしてしばらく、彼が、グラスを二つ用意してこちらに戻った。
「ソーダ水しか用意してないから、申し訳ないけどこれで我慢してね。その分しっかり氷は入れておいたから」
「どうも」
「……ども」
彼がグラスをテーブルに置くと、かたりと、気泡の無い氷が揺れた。しゅわしゅわと水面を弾ける炭酸が、グラスを取った私の手の甲を涼しく濡らす。
「一応、乾杯」
それに応じる。
――こりん、と。
澄んだ音が執務室の優しい闇に上がった。
「……とりあえず大将、この間の打ち合わせの部分から始めましょう」
「だね」
マグナが見上げるようにして言う。それを受けた彼は、しかし、再び私たちに背を向けた。
「?」
「ん? ……ああ、窓を開けようと思って。構わない?」
「はあ。あたしは別に」
「私も、構わないよ」
そう? と彼。
……遅れて、髪を揺らすような軽やかな夜気が、明かりの香りのする部屋に満ちた。
「まず始めに言っておくと、当日の作戦は申し訳ないけど伏せておく。これは別にリベットさんだけじゃなくて、ウチの連中全員に内緒なんだ。だからここで確認するのは、ウチのハナシと悪神のハナシ。それから、まず間違いなくここに絡んでくるだろうストラトス領のハナシだね」
「……、……」
背後からの声に、私は視線だけ振りむく。
少し待つと彼がグラスを手に取りこちらに戻ってきて、……だけど結局ソファには座らず、手ごろな壁に身体を預けた。
「まず、俺たち逆条八席は、生存競争のために悪神神殿を攻略する。その辺の事情は?」
「マグナさんから聞いたよ」
曰く、北の魔王勢力は今、存続の瀬戸際にあるらしい。
……バスコ共和国を三等分する、『北の魔王』、『サクラダカイ』、『ストラトス領』。これら三つは今日までに、「絶対不可侵」である悪神神殿を境界線としてギリギリの拮抗を保っていて、それが過日、崩れ去った。
その発端は、悪神神殿が消滅するまでのカウントダウンにある。……信者のいない神は、この世界に存在するためのアンカーを失う。数年前の「悪神信者の自然消滅」により彼の神は、今日までに少しずつその存在を希薄化させていた。
「バスコ共和国を分かつ境界線である悪神神殿が消失すれば、この国の趨勢が強引に動く。あなたたち北の魔王は、人の敵であるからこそ、悪神神殿という『相互不可侵の大義名分』を失った瞬間に窮地に立たされる」
「そうだね。俺たちはあくまでこの城に住んでるからさ、人に迷惑をかけるつもりも余地もないんだけど、でもきっとニンゲンは俺たちに宣戦布告する。いずれ、必ずそうなる」
――魔族とは、人間にとって、無条件に殲滅すべき敵である。
だからこそ、この拮抗は、崩壊が約束されていた。
「だから、こっちから出る。悪神神殿がある間は向こうは引きこもってるし、無くなれば戦争が始まる。なら俺たちはせめて、その戦争の始まるタイミングを操作しようって話だ。能動的に神殿を消失させることでね」
「だけど、予定が狂った」
そう、私が言うと。
彼、魔王が、軽い調子で鼻を鳴らした。
「だね。とある事情でこっちの『悪神神殿攻略作戦』が漏れた。……個人的には、これはフォッサとベリオのミスやほかの事情よりもずっと手前のところに事情があると読んでるけど、それは後に置いておこう。ひとまず結果だけ確認すれば、最悪の状況になったね。レオリアとユイが手を組んだ」
「……一応。ストラトス領の領主と、サクラダカイの首魁のことですよ」
マグナの補足に、私は首肯を返す。
「――ということで、だ。これがこの『戦争』の背景だね。さっき言った通り本作戦は伏せるから、ここから先は役者の紹介」
「待って」
「?」
「どうして作戦を伏せてるの?」
彼、カルティスが、私の言葉に沈黙を返す。
……私の質問は、きっと、普通に考えれば敢えて問う必要もないような簡単な疑問だ。「作戦が漏れるのはマズいから、作戦を伏せる」。それが当然のことである。だけれど、
「……この城の事情を考えれば、基本的には万に一つも外部が干渉することはないでしょ? この執務室での秘密の会議がスパイに聞かれてる可能性はゼロだし、なんなら、この城の下に広がってる街であなたの作戦を演説したっていい。間者が紛れ込んでる可能性はほぼ確実にないからね。……もしも漏れる可能性があるとすれば、それは、この街の住人が能動的に外部に情報を洩らす展開だけなんじゃないの?」
言葉裏に私は、誰かを疑っているのか、と。
――私を疑っているのか、と。そう彼に問う。彼は、それに対して、
「……、……」
沈黙を一つ置いて、
そして、両手を上げた。
「事情は、今は言えない。だけどね、そうだよ。俺は君の裏切る展開も、ある程度視野に入れてる」
「――――。」
「だけどそれは、理由の半分、……いや、三分の一だ。君が言うほど、この城の守りは盤石じゃない。その上でこの作戦は、基本的にバレたらお終いだし、それに代案も用意できない」
「代案が用意できないって?」
「言葉通りの意味だよ。作戦の内容を一つだけ洩らすなら、俺がやりたいことは対して多くない。これだけだ」
「…………、ふうん。別にいいけどね」
疑られるのは当然のことだ。当然のことだし、私の「この覚悟」をさえ疑われれば、私はそれに反証を用意できない。ゆえにこれについては、これ以上の拘泥はしないでおく。
それに、作戦の内容や「作戦を伏せる理由のもう半分」の方も、この場で聞くのは無理そうだ。
「私は疑われたっていいよ。作戦も聞かない。それよりも話を先に進めよう」
「そう。……申し訳ないね」
こほん、と彼が一つ咳払い。
「じゃあ、改めて役者の説明をしよう。と言ってもストラトスやサクラダカイの方の役者は、なにせどれも人間だし、君もそれなりに知ってるだろ? なんでここから先は、ウチの役者の紹介だ。……まあ、手元のソーダの肴程度に聞いてくれ」