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季節は夏の暮れ。時刻は、夜のはじまり。
――場所は、人の領域の、その埒外。
「……、……」
この夜の城の回廊を見上げれば、いつも、窓の外には燦然と満ちた月が見える。
私の隣にいる「その女性」は、月を落とし込んだような清涼感のシルエットで、こちらに力の抜けた笑みをまずは向けた。
「やあ、どうも。今日の夕餉はどうでした?」
「相変わらずおいしかったわ。……魔族って、意外とグルメだったんだね」
「ネズミやトカゲでも主食にしてると思ってた?」
「……そんな食いでの無いモノを食べてるとは、流石に思ってないけど」
そうですか。と彼女、
――北の魔王勢力第二席、ヒト種、『白銀のマグナ』は気だるげに返す。
「まあ、それについてはいいですか。それよりも今日は、あたしが来ました。用事に心当たりはありますか?」
「食事の席で魔王さんに言われたわ。『特訓を次のフェーズに移そう』って。……それ絡みなのは予想が付くけど」
「そりゃ重畳。説明の手間がないのは素敵なことですね」
彼女、第二席『白銀のマグナ』は、このバスコ共和国における一種の「忌み名」らしい。
北の魔王勢力唯一の「ヒト種」にして、彼の軍勢のうち最も「決定的にヒト種に仇為したもの」。残虐なわけではなく、卑劣なわけでもなく、しかしそれでも彼女は、この国において最悪の「敵」なのだとか。
私は、彼女の素性を良く知らない。知っている事はあくまで、冒険者の界隈に根差す「御伽噺」の類である。……それ曰く彼女は、「最低最悪の裏切り者」と。
そんな彼女はしかし、
――パッと見た限りでは「シャツもろくに着こなせないような自堕落な女の子」に見えた。
「ウチの大将が言う通り、あたしはその『次のフェーズ』っていうのんの用事で来ました。……あ、ちなみに、『次のフェーズ』ってフレーズに心当たりは?」
「……、……」
私と「北の魔王」は、同胞と言うことになっている。
或いは、彼の軍勢に私が「客として招かれている」と言い換えても間違いではない。私と「北の魔王」、――『魔王カルティス』は、とある利害の一致にて行動を共にしていた。
「『悪神神殿』と、その主、『悪神ポーラ・リゴレット』の攻略。私がここでやってるのは、全部、そのための布石だよ」
「…………」
先の「広大な密室」にて行った模擬戦は、私がその舞台に立つための予行練習である。或いは私がその戦闘で使った魔術系スキルである「ラフ・ショット」や「クリアパルス」、それに「虚空を蹴る技術」も、ここで身に着けた全ては「舞台に立つに足る役者となる」ためのものだ。
「『次のフェーズ』って言葉の具体的な意味は流石に分からないけど、でも、ギアが一つ上がるんだってことは想像が付くわ」
「……、……」
私が言うと、彼女は、
「……ふぅん」
曖昧な溜息のような何かを、言葉の代わりに吐き出した。
「? なに?」
「ギアが一つって言うのは、はっきり言いましょう。果てしなく不適切な表現です」
「は、果てしなく……?」
「ええ、申し訳ないことに見当違い。先に言っときましょう、覚悟を決めてくださいね。ここから上がるギアは、一つ二つや、三つ四つ五つって次元じゃない」
「……、……」
挑発的な言葉が、憐憫に満ちた口調にて紡がれる。ゆえに私は、腹を立てることもできずに彼女の
言葉を聞いた。
「これからヤるのは、」
「……。」
「――はっきり言えば、魔王との一騎打ちです。あんたは間違いなく死んだりはしないケド、でも、死んだほうがマシって目には合う」
「………………。」
魔王。
北の魔王カルティス。
バスコ共和国の抱える腫瘍の一つ。この国の「裏」を総て掌握する犯罪集団『サクラダカイ』や、人の上位存在たる神、『悪神ポーラ・リゴレット』と同列に語られる、「ヒトには対処しきれない外敵」の一つ。
それと「一騎打ちをしろ」と、マグナはそう言った。
「…………、なる、ほど」
「怖気づく気持ちは分かります。私だってそんなの御免だし、ウチの逆条八席の連中なら全員這ってでも逃げる案件ですね。しかしまあ、あんた」
「……、……」
「あんたはウチの大将と同格の『神サマ』に殺し合いを挑もうって言うんでしょ? ならここは飲み込んでおかないとね。――まーでも、安心しといてください」
「何を……、安心しろって?」
「これは実際、一騎打ちじゃないんです。――大将があたしに言ったのは、『あんたを使って逆条全員で俺に勝ってみろ』って用事でね。言っちゃえばこれは、逆条八席の『一席対それ以外』の戦争ごっこみたいな」
「それは、どういう意味なの?」
「さてね。とにかく、……逆条の二から八席までが、今日からしばらくあんたの味方です。なんでとにかくあんたは試しに、本気で魔王討伐でも試してみたらいい」
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彼女ことマグナに連れられて回廊を進む私は、そして、とある扉の前に辿り着いた。
――それは、奇妙にミニチュアじみた扉であった。ここまでにいくつか見たのとも同様の装丁だが、しかしどう見ても「サイズ感が頭二つ分小さい」。
「(……小人用の部屋、みたいな?)」
そんな感じである。
だけれど、彼女の言うのを聞いた限り、この先に居るのは小人ではなく「逆条八席」。つまりは、魔王と同じ卓に付き椅子を戴く存在である。
ならばその一人に私は、どうしようもなく心当たりがあった。
「こんばんはー?」
「……マグナのこえ?」
扉の奥から、鼻にかかったようなソプラノの声が聞こえる。その声に私は、先の心当たりへの確信を強める。
果たして、マグナが扉を押しのけた先にいたのは――。
「こんばんは」
「あ、やっぱりマグナ。どしたの?」
私の予想通り、……先ほど私が模擬戦に相手取った一人、逆条第八席、妖精種、『女王ティア』であった。
「それに、りべっちも。どしたの?」
「たぶん、野暮用?」
「?」
屈むような体勢で、私とマグナは扉を潜る。見れば、内部のスケールについてはほかの部屋と変わらないようだ。
「……、……」
……部屋のスケールこそ変わらないが、外の静謐の回廊と地続きとはとても思えないような光景である。外の通路は見渡す限りが夜色だったけれど、ここには、むせ返る花の香りを伴う、何か抽象的な雰囲気が介在していた。
部屋のど真ん中に置かれた天蓋付きのベッドが、まずは目につくだろうか。調度品は高価なワインのようなボルドー色で統一されていて、それが更にこの「蜜のような雰囲気」を後押しして感じさせる。
さて。
ティアはそのベッドの上で、ぬいぐるみに囲まれながら私たちをふらりと眺めていた。ヒトサイズのベッドの上で毛布をまとう彼女の姿は、サイズ感も相まって人形のようである。
……いや、口には出さないけど正直ウチに欲しいくらい可愛いし抱きしめたい。
「やー、申し訳ないね。寝るところだった?」
「いいえ? まだ寝るには早いもん。みんなとはなしてたんだよ?」
「ああ、そりゃあ邪魔をした」
マグナが言って、周囲の「虚空」に目礼をした。私にも、或いはマグナの方にもその「みんな」とかいう存在は見えていないけれど、……だけど私たちには、「ソレ」が本当にそこにいることを知っていた。
――妖精女王ティア。
ヒトにそう呼ばれる通り、彼女は、妖精の当代女王である。
過日、魔王カルティスと同盟を結んだ「或る森の支配者」たる彼女は、配下の全てを伴って魔王と行動を共にしているらしい。私はその「配下」なる存在を一度として見たことがないが、話に行く限り、ティアの配下たちは自然になってこの城の至る所に隠れているのだとか。この城に「溶け込んで」潜む配下たちの主たる彼女は、つまり、この城そのものの主とも言い換えられる存在である、……らしい。
「邪魔だなんてことないわ。あんたがここにくるなんてめずらしいもの。いちばんのお茶をだすからまってて!」
「いやいいよ。歓迎してくれてるのに申し訳ないけど、今日は用事があるだけなんで。アナウンス、頼んでいいかな」
「そうなんだ、いそがしいの?」
「遺憾なことにね。忙しいって程じゃないけどやることはある。手伝ってくれる?」
「いいよ、マグナがいうならね」
毛布を被った彼女が、何やら虚空に囁いた。すると――、
マグナ、もうしゃべっていいよ。
うん? そう? ……あー、てすてす。
しゃべっていいんだってば! テストいらないよ!
失礼。――あーじゃあ。逆条八席諸君、私だよ。カルティスは耳を塞げ、…………オーケーかな。ってことでマグナですケド。これから諸君にウチの客を連れて会いに行くから、そのつもりでよろしく。用事は、「ウチの大将を倒すならどうするか」って相談だ。とかく諸君、見つけられる場所にいてくれ?
「……、……」
そんな声が、私の「脳内」に響いた。
※あけましておめでとうございます。
本年も、当シリーズをどうぞよろしくお願いいたします。