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※本日、これを合わせてあと三話を持ちまして第一章「旅のはじまり」は簡潔となります。
皆様におかれましては、どうぞ今しばらくのお付き合いを!
04
冒険者リベット・アルソンは馬を走らせる。
ただし、黄昏に馬の陰影を落とすのは何も彼女だけではない。街のギルドに大きく張り出されたあの「大規模クエスト」。標的は入れ食いで、各標的に掛けられた賞金は相場のおよそ三倍……。
街は、今朝からまるで祭りのようであって、――それが先ほど、遂に決壊した。
「……、」
具体的な依頼内容の掲示があったのは昼前のことだった。
曰く、ネームドエネミー『赤林檎』の来襲。自分たち冒険者に求められているのは、何やらその露払いであるらしい。
「……、……」
準二級冒険者たる彼女がこの街に訪れたのは、全くただの偶然であった。
元来ここは妙に依頼が少ない。食いでがない地域に、準級という試用期間にある彼女が訪れたのは、単に、遠征への足かけであった。
……しかしながら、
この忌々しい「準」の文字が、今日ここで取れるかもしれない。
向こうに奔る二級冒険者『オリバー・ウェスティニテ』のクランを追いかけて、彼女は更に馬を叱咤する。
そして、――彼女は轟声を聴く。
「 」
その時、向こうに見えたのが、
『赤林檎』の異様なシルエットであった。
――暴れる蜘蛛。
しかしながら、スケール感が壊滅的だ。
『赤林檎』の足元で陣形を成す黒い粒が、ヒトの群れだなどと誰が信じられようか。
天を突く、地を崩す。アレの威嚇が、太陽の緋色さえ畏怖させる。そう見えた。
そう見えたのだが、
……先の「声」のニュアンスは、外敵への悲鳴ではなかった。
冒険者たちの先頭を走るオリバーが、もう一度、
神話の目撃に、
――神の勝利の予感に身を焦がすように、胃の腑から叫んだ。
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ちなみにさっきの「虎を殺すように」っていうのは、我ながら割とうまい比喩だと思ってる。
「うひー、やばいね」
その独白が、蜘蛛が舞い上げる砂礫に消えた。
俺は適宜自爆を挟みつつも、あくまで蜘蛛の腹下に食いつき、足の刺突を避けるようにタップを踏む。
そして思う。
――あと少しだ、と。
「……、……」
俺の作戦は、まさしくトラが狩りの疾走で自滅するのと同じやり口である。つまりは、俺はアイツの、熱暴走による自壊を狙っている。
……例えば、
ネコ科の大型肉食獣は、汗をかく機能というものがないのだという。時速八十キロで走る彼らは、しかしながら自身の優れ過ぎた身体機能によってオーバーヒートを起こす。そしてそれなりの確率で獲物を逃がす。百獣の王などと言えば聞こえがいいが、実のところ彼らの、野生としてのカーストはそれほど抜きんでたものではない。
ここで俺が、「かような実例」で以って立てた作戦が、「熱暴走による自壊」である。そもそも(と言いつつ仮説の域ではあるが)、あの蜘蛛が外部摂取によって体内の熱魔力を諫めようとしているのなら、アレには熱を代謝する機能はないとみるべきである。或いは、仮にあったとしても、それはスチームパンクよろしく水蒸気噴射のような工程になる、と言ったところか。
ゆえに、そこを突く。この蜘蛛がただすらオーバーヒートを起こして体組織を熱崩壊させてくれるならそれでよし、仮に水蒸気噴射のような形で熱を外に逃がしたなら、つまりそれは、内部体温を追い出すために外部装甲に隙間を作っているということである。そこに自爆をねじ込めば勝ちの目はある。
――まあ、
「……、……」
後者はないと、俺は踏んでいる。
なにせ「元来の生態にはない遠征行動をしてきた」ほどに熱をため込んでいるというのがこの蜘蛛である。自発的に熱を発露させるような身体機能を持っているとしたら、「慣れない真似をする」前に、自前の「スチームパンクギミック」で身体を冷やすはずだ。
そうできないなら、そこには一定の意味がある。
例えば、自爆魔法がテンで効かないほど堅牢な蜘蛛の背面装甲には、蒸気を発露する程度の「遊び」さえ無い、だとか。
――蜘蛛の足が墜ちる。
俺はそれを再度躱す。
そもそも俺のスキルを思えば躱す必要などは無いのだが、しかし鋭利な「モノ」が俺の身体の軌道上にあるというのはどうしても精神衛生上いけなくて、回避行動は半ば無意識の行為である。
ふと、それで、
……俺は疑問を思い出した。
つまり、「俺の身体とはいったいどうなっているのか」ということである。
痛みはなく、損なわれることがない。そこまではいい。ならばさて「こういった超質量に、例えば貫かれたとしたらどうなる」?
「……。」
試すのは、後にしようか。
なにせぶっつけ本番でやるには俺の本能が「警鐘」を鳴らし過ぎる。どうせ試したって無事ってオチだし、何ならこの後に似たようなことを試す予定だし。
ゆえに、それよりも、だ。
「ハ、ハルぅーーーーーッ!」
向こうからエイルの声がして、俺はそちらを確認する。
そこには馬を走らせるエイルと、それから同様の騎兵が数人。更には、その向こうになにやら統率だっていないように見える騎乗集団が確認できた。
後者はいい。俺はエイルに返事を返す。
「おーーーう!」
「頼まれたものです! 用意が出来ました! どうすればいいっ!?」
「俺の合図で、一斉に矢にくくって蜘蛛の背中にぶち込んでくれー!」
「くっ!? 蜘蛛の背中ですか!? 具体的にはどこにっ? それに合図とは!?」
「俺に当てたら百点だな! 合図はほら、遠くでもわかりやすいのを一個ぶち上げてやるからさっ!」
そこで、
蜘蛛の索敵に、騎兵一群が捉えられる。不吉な金属音を立てて蜘蛛の前足が高く上がり、それで以って騎兵たちが蜘蛛の足元を離れていく。
「ハル! ハルぅーーーーー!?」
「まーかしーたぞーーーーーーぅッ!」
砂塵が上がる。
――続く轟音。
蜘蛛の一撃が、俺と騎兵たちとを断絶した。
そこに、――俺は見る。
蜘蛛の一撃が、明確に鈍い。威嚇に上がる金切り声が、いっそ悲痛なニュアンスでさえある。
そして何より、
蜘蛛の八肢が燻りを上げていた。
「頃合いだ」
さて、
……そもそもこの街は海に近接している。
ならば、疑問がある。なぜ蜘蛛は、海を目指さない?
想像するのは簡単だ。生物は、それがどんな種であっても自己に対する脅威性の察知は可能である。例えばそれは、駅のホームを特急電車が通過するのに、人が本能的に恐怖を覚えるようなものだろうか。生物には、加害性のある可能性を想像する術に皆すべからく長けているべきだ。
それを踏まえて、例えば俺は、今ここで海に飛び込める。
「ガソリンを浴びて煙草を吹かすのには禁忌感を覚える」俺という人間は、しかしながら海には飛び込める。他方こいつはどうだ。今にも熱暴走で八肢の先端が燃えて溶けているというのに、それでも海を目指すことはしない。
――水蒸気爆発を、
こいつは察するに、本能で理解しているのだ。
人が、水を過剰加熱するのは恐れないけれど、しかし油を過剰加熱する際には、「油は一定温度を超えると炎上し、加えて媒体が油であるために水をかけて鎮火しようとすると爆発を起こす」という物理法則など知らずとも、曖昧な日常感覚で以って危険性を理解し、心をざわつかせるように。
こいつは、科学という分野が埋没したこの世界で、それでも水蒸気爆発の危険性を強く理解している。
――ここまでが前提条件だ。
これを以って答えが出る。そして答えの方は、たった一言で完結する。
つまり、
「……。じゃあ、仕上げだ」
こいつは、「一定以上の物理的衝撃」を明確に忌避している。
先ほどの状況下では、自爆一つでは足りなかったのだろう。その程度ではこの装甲を抜くことはできない。しかしながら、既に致命的に熱暴走を起こしつつある今の状況であればどうだ? ――貴様自身だってよく動いて身体が火照っているように見えるし、何より、俺の自爆都合六度は、貴様の身体を良く揺らしたんじゃあないのか?
さて、それでは、
――そろそろ仮説の答え合わせといこう。
「――――ッ!」
『ギィイイイイイイイイイッ!?』
七度目の爆発が、俺の身体を再度上空へと舞いあげる。
蜘蛛の巨体が超質量の爆風に揺れ、――遂にその巨大な身体を半ばまで転げさせる。
先の騎兵たちに、ちょうど腹を向けるような恰好だろうか。蜘蛛の反転は、一瞬のことであったが、
――しかし、合図としては十分だ。
「ぅてええええええええッ!!」
彼方から撃号が響く。
幾つもの矢じりが、蜘蛛の背を、そして俺の身体を狙っている。その数を詳細に数えれば、五十八、――俺が彼女に頼んでおいた、この街にあるありったけの自爆スクロールの数だ。それが全て、俺の身体に突き刺さる。
「ッ!? って痛くねえんだった……」
そう一人ごちる俺の身体は、……客観的に見たとすれば、よくてキュートなハリネズミ、悪ければハチの巣のゾンビと言った風貌であろうか。
しかしながら俺に備えられた視点は主観のみであって、俺は自分がどのような有様でいるのか分からない。
そう、
――俺には今。主観のみしかない。
「――――。ああ」
黄昏が、丸みを帯びた水平に消えていく。
風が往く。こちらから、向こうへと。
俺の身体を舞い上げる風が、足を撫でて、腹を撫でて、頬にキスして彼方に消える。風が往く先には、沈む緋色と空の果てがある。
こうしてみれば、あの蜘蛛のなんとちっぽけなことだろうか。前腕を上げ、頭を上げ、視線を八つ持ち上げ破滅的な蒸気を上げて、そしてこちらを見上げるその姿のなんと矮小な――、
「……、……」
これが、
人為的な事件であったと仮定しようか。
……ぼちゅあッ! と音が立つ。蜘蛛の熱が俺の頬を焼く音だ。
蜘蛛の表皮が蒸気を上げて、不可逆までに熱されたその装甲が俺の身体を大気ごと灼く。
さてと、
――これが、人為的な事件だったと仮定すれば、どうだろう。
「……。」
彼はどこまでも平穏に、安寧に、どこかの生息地で何も害さず生きてきたはずだ。彼が仮に今日、こうして出てこなかったとすれば、
きっと、――彼の天寿は、明日も続いていた。
「……ああ、そう」
そうか。と俺は呟く。どうやら俺は、気に食わないらしい、と。
「……――お前がもし復讐を望むなら、言ってくれ。俺が叶える」
上昇気流が蹂躙される。
俺の五十八回分の自爆が、世界に太陽を堕とした。
</break..>
オリバー・ウェスティニテには、その、自身の胃の腑からこみ上げる感情が定義できなかった。
それは後方の冒険者群にしたって同様のことである。
これはなんだ?
自分たちはいったい何を見た?
これが、神話と称されずにどうする?
オリバーには、その感情をいかに名付けるべきかが分からず。
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エイリィン・トーラスライトは、しかし、
自身の感情にこそ名状を成しがたく合っても、しかし、
――これが勝鬨だと、そう明確に理解して声を上げた。
「――――っ!」
歓喜が、黄昏を押しのけた。