Organ_01.
『レオリアか? ジェフだ。伝言を聞いた。聞きたいことがお互いあるだろうがまずは聞かせてくれ、どういう状況だ?』
「ああ叔父さん。連絡待ってたよ」
洞窟から出てすぐに、僕はグランとパブロに連絡を取る。その後、ジェフ叔父さんからの折り返しは即座に来た。
そして、変わらぬ夏の色の木立の最中にて。
僕は凍り付いた表情筋をどうしようにも解けないままで、無意味に声を潜めて彼との通話をする。
「……ひとまず、僕は今バジリスク=オルムがいると思われる洞窟の前に来てる。館から街道を降って、馬車で一時間半の所にある丘が目印だよ。そのふもとに洞窟がある」
『ああ、すぐに斥候を手配する。しかしその前に、……魔物は、ソイツで間違いないのか?』
「バジリスク=オルムで間違いない。目撃証言による推察じゃなく、僕が直接確認した。……僕がなんでこの名を知ってるかとか、どうして個体判断が出来たかとかは、後でゆっくり話す。ひとまず聞いてね。――バジリスク=オルムは幼体だ。脅威度はB推定、伝言したような悲劇を挫くには今しかない」
『……、……』
「僕はここで待機しておく。叔父さんが来れるなら、帰りの馬車で事情を話すよ。とりあえずこの場に危険は感じない。バジリスク=オルムの活動は現状不活性だ。だけど、被害者を一人確認した」
『被害者? 石化呪か?』
「そうらしい。だけど一人だけだよ。洞窟内に迷い込んだ例の行方不明者が、半透明の卵越しに目を合わせたんだと思う。解呪は可能?」
『仕事はさせるが、期待はできない。クオリティ:Bの薬品準備には最低でも三日かかる。それにB級個体の討伐隊編成もそのくらいだ。解呪薬品を用意せずに戦いには行けない』
「オーケー、三日後って言ったら僕の誕生日だ。僕からのプレゼントってことでみんなに振舞えるね。とにかくそれじゃ、待ってるからね!」
最後にそういって、僕は通話を切る。
……、……しかし。
「――三日後、ね」
僕には、どうにも判断が出来ない。
先ほど見たあの資料、そこに書かれた「母の受けた呪い」についてのことだ。母さんの寿命を予言したあの事務的な語り口を、僕は、信じてここで絶望すべきか、或いは今は、杞憂と捨て置くべきか。
「……、」
薬品準備はおよそ三日後、ゆえに討伐も、三日後以降となるはずだ。母が死ぬ「かもしれない」のも三日後だし、それに、僕の誕生日だって三日後だ。
全く――、
「どこかでカミサマに嫌われたか、もしくはこの『三日後』ってのが、僕の厄日なのかもしれないな」
危機感を、どうしても用意出来なかった。
信じられないのか、信じたくないだけなのか。或いは案外、どこかに何かの致命的な論理的乖離があって、僕が気を揉んでいるのはただの勘違いによるもので、だからこそ信用できぬと心がそう気付いているのか。先ほど見た資料の内容は、どれもこれもただの間違いなのか。
「――――。」
覚悟を、するべきであった。
今は、緊急事態である。こんなにも絡まり切った思考でキャパを使い潰して頭を回せなくなるなんてのは絶対に正しいことじゃない。
ゆえに僕は、頭の上で葉を揺らす木々を仰いで、……深呼吸三つで以って、この煩悶から目を逸らすことに強く決めた。
..break〉
しばらくすると、木立が向こうからざわつき始めた。
それで僕は、日差しの高さを確認する。時計はないが、確かにそろそろジェフたちが到着するころ合いであった。
……小さな木の群れが、ささやかな風にも逐一揺れるような胎動。
僕がそれを眺めていてしばらく、――ジェフが、木陰から姿を現した。
「……レオリア。無事か?」
「無事だよ。洞窟の方にも、外からわかるような動きはなかったよ」
木陰の向こうから、彼は僕の目をまっすぐに見ていて、
……だけれどなぜだか、そのすぐ後に僕から視線を逸らした。
「そうか、それならいいんだ。じゃあ、洞窟の規模を聞かせてくれ、『アレ』は夜行性だ。中で道に迷ってるうちに夜になったら危険だからね。把握してるか?」
「僕の足だと徒歩で数分。それで一番奥まで行けるよ、大した規模じゃない。基本的には一本道だったと思う。だけど一つ罠らしいものがあった。薄岩を足元に敷いた落とし穴。下は、広い空間につながってる。装備によっては落ちて怪我をするかもだ。それより、叔父さん」
「落とし穴? それは幾つもあったのかい?」
「え? あ、いや。僕が見つけたのは一つだよ。……一応、足音に気を使って歩いてみたけど、あったのはあの一つだったと思う。だけど、大人の体重だと踏み抜いてしまうようなものは、まだあるかもしれない。そこは叔父さんたち本職が警戒した方が確実だ。脇道の有無も併せて、あまり信用しないでほしい。ってのは釈迦に説法か。それよりさ、叔父さん」
「そうか。分かった。それでも急いだほうがいい。レオリア、君はそこで待ってなさい」
「――叔父さん」
僕は、敢えて冷静に彼の眼を見据える。
不自然にこちらと目を合わせずにいた彼は、そこで、ようやく再び僕の目を見た。
「聞きたいことがあるんだ。お願いだ。お母さんは、どうしてる?」
彼は、――それに対して、
「……レオリア」
疲れた老犬のような表情を、まずはした。
「……、……」
「夜になったら、本当に危険なんだ。だから急がせてくれ」
「日和るつもりか? 叔父さん」
「…………行くぞ、君ら。トーリーは待機だ。レオリアを守ってくれ」
呆気なく彼は、僕から視線を切る。
そしてそのまま、……少しだけ早足で洞窟の中へ向かった。
「叔父さんッ! おい! ふざけんなよッ!!」
「レオリア様」
ジェフを追いかけようとした僕に、そんな声と手がかけられる。僕は、殆ど感情に身を任せてその男、……館の使用人の一人、トーリーに吐き捨てる。
「なんだ君、昼間は見なかったな。おかげで僕は昼食を自分で作ったぞ! このッ、仕事もしない役立たずが! 今すぐ手を放せ! これは命令だッ!」
「どうか落ち着かれてください。この先は本当に危険なんです。行かせるわけにはいかない」
「じゃあ代わりに答えろこのクソッタレ! 母さんは、母さんは死ぬのかッ!?」
「私どもは――」
そこで、彼は、
「――みな、その件について、言及を禁じられております」
「 」
それが、僕の思考に冷や水を浴びせた。
……「禁じる」と言うのは強い言葉だ。ゆえに、僕やジェフはそれだけを権限を使用人に対して持たない。持っているのは、ストラトス家ではたった一人だけ。
母さんが、言及を禁じた。
ならばきっと、「それ」は、
それを言ってくれたのは、彼の、僕への精いっぱいの忠誠心であったの違いない。
言えない。
――つまりは、否定をしない。そういうことだ。僕は、
「 そ、うか」
「……、……」
「申し訳ない。おかしくなってた。君は役立たずなんかじゃない。いつも僕は、助けられてる。たすけ、られてるよ」
「……。かまいません。…………紅茶を用意しております。どうかお飲みになってください」
「もらう。もらおう。ありがとう。ああ、」
言語を、ただ吐き出すようにして、彼にそう言った。
「 」
「レオリア様……」
紅茶。
それが水筒から冷気を吐き出すのを見て、僕はようやく「視界」を取り戻す。
それまでに、僕は、何を見ていたのか分からない。覚えていなかった。日差しの暑さが、ふと甦る。
謝意を伝えて、僕はそれを受け取り嚥下する。
……味は、特に何も感じない。
いや、
「――――。」
――瑞々しい感覚が、すぅっと、僕の口内に溶け込んで消えた。
清貧とした香りが、僕に「匂い」を思い出させる。
それが「味」にかわる。僕の四肢が、「感触」を取り戻す。僕は「声」を取り戻す。
そして、
……「いつかの思い出」を、僕は、
ふと思い出した。
「――――、」
「レオリア様……?」
「あぁ、ありがとうトーリー。……いや、本当に効いた。驚いた」
「こちらは、アールグレイでございます」
「分かるよ。ああ。……一昨年の母の日に、コーヒー党の母さんに僕が送った銘柄だ。コーヒー好きっていうのは大抵碌に歩み寄りもせず紅茶を色のついた白湯だと思い込んでるもんだからね。コレ、印象を変えさせるには良い品だと思ったんだ」
「……、……」
「気に入ってくれたみたいだったよ。それか、気を使ってくれただけなのかはわかんないけど」
「……そんなことはございません。レオリア様」
「どっちでもいいさ。それより、
――先に謝っておく。そんでそこのツノうさぎ君! 彼を足止めしてはくれないかッ!」
「えっ?」
僕の視線の方向につられて、彼がそちらに意識を向ける。そこで僕は、彼の手を強く振り払った!
「え!? え、ちょ!?」
「ウソさ間抜けめ! うさぎと会話なんて出来ないよ!」
当然、僕の見た方向にツノうさぎなぞがいたわけでもない。これは完全にブラフである。さて、
「――――。」
……まずは、どうにか図書館を使って彼を撒く。そうして改めてジェフを追う。大人と子供の体格差では難しい賭けだが、それでも僕は、この場にただ居るだけなんてことなど出来はしない。
しかし、
「待って、ください!」
「っく!?」
彼の僕を思う忠誠も、どうやら本物であったらしい。彼は、今ばかりはと上下関係など度外視した羽交い絞めでもって僕を止めた!
「は、放せ変態野郎! どッ!? バカッ! どこ触ってんのかわかってんのか!?」
「いいえ放しません! 放しませんとも! どこ触ってるのかもわかりません!」
胸である。それも鷲づかみだ。十歳じゃ背中と大差ないのは分かるし僕中身男だけどさすがにちょっと嫌だ!
「行って何になるというんです!? おとなしく待っているべきでしょう! それがわからないあなたではない!」
「分かってないのは君だ! 君らだ! 君ら全員だ! 全員馬鹿野郎なんだよ叔父さんも母さんも日和りに日和ってここまで来やがって! 僕がっ、絶望してグレるとでも思っていたのか!?」
「そんなわけない! アズサ様だって、どこまでも強いわけじゃないッ!」
「――――。」
その言葉に、僕ははっきりと思考を空白にした。
――その時、
「あいたぁッ!?」
後方のトーリーが悲鳴を上げた。しかし、その悲鳴に僕は心当たりがなかった。……彼の腕に噛みつきかけているところではあったが、それでもあくまで未遂であったゆえに。
ならば、……その「攻撃」の出どころはなんだ?
僕はそこでふと、向こうの草むらの影を見る。何やら「動くもの」がいた気がしたためである。
そして、
――そこに僕は、「味方」を見た。
「リ、リスくん!」
「あだだだだ!? ド、ドングリやめろぉ!?」
そう、それは実にキュートなリスの、しかし鬼気迫るアウトストロークであった。前傾の片足立ちで、片腕をぶらりと垂れ下げさせた姿。そして、それだけではなく――。
『きゅうきゅう!(叛旗)』
『みぃみぃ!(決死)』
『ふしゅぅ!(忠誠)』
『『『『しゃーっ!(片腕を上げながら)』』』』
「み、みんなぁ……っ!」
「ウソだぁ!」
森の生物が全て整列したかのような、それは野生の一団であった。その誰もが今は毛並みを逆立たせて、戦の始まりに咆哮を上げている。
それを見て、
私は背後のトーリーに強く叫んだ!
「トーリー! 敵襲だ! 身を挺して私を守ってくれぇさあ早くッ!」
「え!? え!? 今レオリア様こいつら呼んでませんでした!? みんなぁって言って! さっきのレオリア様の呼び声にこいつら駆け付けたんじゃないですかね!?」
「そんなわけあるか獣畜生に人様の言葉がわかるわけないもん! さあ救けて! 僕の騎士になって!」
「えーっ!? う、うぉお! なんだかなぁ釈然としない気がするなぁ!!」
叫びながら、すでに拘束を解かれていた僕は当然のごとく洞窟へひた走る。
……後ろから聞こえる僕の名を呼ぶ悲鳴に、僕は、
「諸君! 殺すのは無しだッ!」
それだけ叫び返して、岩積みの階段を駆け下りた!