05.
この図書館は、大きく「表層・中層・下層・深層」の四つで蔵書を管理している。
この内で、司書さんやカフェの店員氏がいるのは表層にあたる。ここから「下」に下がれば下がるほど蔵書は、主に秘匿性と専門性と、それに加えて希少性や情報の持つ価値や「その情報が変えるモノの多さ」などが大きくなっていくらしい。
……実のところ言えば、僕にしてもここの下層以下に訪れたことは殆どなく、深層に至っては先ほどで人生二回目の訪問だったりする。
「(……人気のない場所なんて幾らでもあるだろうに、一番最初に思いついたのがあそこだったってことかな)」
冷静なようで、司書さんもしっかり焦ってくれていたらしい。……というのは妙な言い回しかもしれないが、それでも彼女が自分のために気を逸らせてくれたというのは素直に嬉しいかった。
さて、
「……、……」
暗がりの縦穴に、螺旋階段が降りている。
それは、「絢爛豪華たる貴族の城から赤と黄金と灯のみを引き抜いた」ような、美しく精緻であるが生気の類いを感じない風景であった。その、「栄華の化石」のような白亜と薄闇の帳、その奥に、「中層」へ続く扉がある。
広大な円柱状の縦穴の、その底にある「扉」は、
――しかし、拍子抜けしてしまうほどに安っぽい造りで、学校の教室か会社の事務室のドアのような見た目をしている。
「……、」
中層には、それなりに来たことがある。
この階層における秘匿性の度合いは、「出版世界において組織外秘とされる程度のものまで」、また専門性の方については「読むために特定職能知識が必要なもの、或いは特定分野においてのみ情報として求められると考えられるもの」であるらしい。……どことなく一括りに済ませるには広すぎる扱いな気もするが、それはまあ、考えるのは僕の仕事ではない。
ゆえに、ひとまず僕は広大な螺旋階段を下り終える。
その下にあるのは「絨毯を置き忘れたように」のっぺりとした床と、件の、安っぽい扉が一つである。
「……さて、と」
その扉には、のぞき窓が付いている。そこから僕が中を伺うと、まずは、「立体駐車場じみた幾重の階層」と、そこに整然と並ぶ本棚が確認できた。
白色の明かりが、遠く彼方の天井から足元までを幽鬼の如く照らしている。打ちっぱなしじみた色の壁がどこまでも続いていて、僕はそれに冷感のような何かを錯覚する。
立ち入るのを躊躇するほどに、それは静謐とした「密室」であった。「中層」などと呼ばれる割に、向こうの景色は既に立派な「深海」である。ただし、……躊躇に身を浸すのは良きところで切り上げる。あまりのんびりしていては、司書さんを待たせてしまうかもしれない。
僕は、
――その「深海中域」の最中へと、扉を引き開けて一歩踏み込んだ。
〈/break..
「 」
静かだ。
実に、静かであった。
まっすぐに胸を逸らすのに妙に気後れて、わざとらしく手元のメモに視線を落としたくなるほどに、その光景には堆積したような静謐があった。
整列する棚に割り振られた番号に逐一視線を上げながら、僕は、指折り数えるようにして目的地への距離感を反芻する。
目当ての本棚は、
……貰ったメモ通りであればこの先すぐにあるはずだ。
「ああ、ここか。……通り過ぎるところだった」
耳朶に残る静寂を振り払うつもりで独り言を言う。
それは、硬質な壁や遠い天蓋に吸収されることもなく、どこまでも響いて聞こえた。
「……、……」
僕が司書さんに求めたのはジルハ街道における公的記録である。
貧しい国の地方一角に大した組織外秘などあるわけもなく、この広大な蔵書空間にて、その棚はどこまでも景色に埋没して見える。
また、見分したところ、この棚一つで「この世界中のジルハ街道の記録」が賄われているらしい。本棚の中の仕切りごとに、『バスコ王国記録』、『その他諸外国記録』、『ギルド記録』など様々な銘が確認できる。
……さて、
「(小さな本棚だけど、それでも結構な量だな。……どれから確認したものか)」
ここで探すのは、無論ながら先ほどの魔物、仮称バジリスク=オルムについての記録である。
何せ、見た目の印象を信じればアレは「卵生の魔物種」である。ならば確実に、アレをあの地に産み落とした親がいる筈だ。
あれだけ強大な異形性を放つ魔物が、人の目に留まらずにあの地に存在できたはずがない。どこかに、僕にも秘された「アレとヒトとの履歴」が、確実に、どこかに残されている。
「(諸外国記録は、……煩雑だな。後に回そう。それより本命はギルドの記録だ。魔物が相手なら、たぶん、この辺は向こうサンの本領だろうし)」
などと思考を捏ねつつも、……一応目線は本棚の一番端から並び順になぞらせる。その初めの行列は、我が国におけるジルハ街道絡みの記録であった。
貧しく非理性的な我が国に勤勉さなど求めるつもりはないが、それでも情報をさらい損ねるのは面倒だ。一応、目星をつけるなら軍事系の記録項目になるだろうか。
「(まあ、ウチに居て知らなかったような魔物の記録だし、国にとっても埋没するような端したネタ扱いなんだろうけどな。……やっぱり、本命はギルド情報か。ウチの館で十年生きてて見当たらなかった資料ってことは、つまり、ウチの兵じゃなくて『外部武力』に頼ったんだろうし)」
九割九分九厘それで間違いない。だけれどもし「そうではなかったら」、僕はギルド資料という活字の迷路に嵌ることになる。
「(えっとー……?)」
冷めた目で僕は、自国の組織外秘資料を流し見していて、
そして――、
「あっ」
「ソレ」を見つける。
「 。」
そのファイリング資料の銘には、ただ、
――『ジルハ街道における、ギルド評価脅威度A級個体バジリスク=オルム成体種の自治的討伐記録』とあった。
〈/break..
その背表紙に指を掛けることに、僕は躊躇をする。
なにせその文字列は克明に、ジルハ街道において、件の仮称バジリスク=オルムなどというA級の個体が自治的に討伐されたと書いていた。これが、絶句を催さずになんだというのだ。
「(ウチの領地内の自治的討伐。相手がA級なら、集落付近の戦力だけでなんとかしたって話じゃ絶対にない。なんなら、ウチの領兵総出で掛かっても酷い損耗戦になったはずだ。それを、僕が知らない? 待てよ、待て。意味が分からない……)」
下手をすればこれは「一個の戦争」だ。弱小領が自らの持つ力のみでA級個体と相対するというのは、そういうことである。それを、領主の子として生きた僕に知らされていないことの意味が不明である。館にも資料を置かず、誰かの口から聞いたことだって一度としてない。
……ならば、つまり。
「(避けていた? 禁忌として言及に忌避感があったのか、或いは僕に向けて伏せられていた?)」
だからこそ僕は指の腹に躊躇を込め、背表紙を引き抜く最後の一手に出られずにいる。
どうしようもなく、僕には、この資料がなにか「致命的なこと」が書かれているように思えてならなかった。それでも――、
「読もう。……読む、しかない」
好奇心ではない。これはむしろ義務感に近い。
我が領が今まさに内包する推定A級個体と、その脅威。この資料から目を逸らすということは、すなわちこの先にきっと起こる災禍から目を逸らすことに他ならない。僕には、事態を直視するという責任がある。
指の腹に力を込めて、資料を引き抜く。
するとそれは、するりと、大した摩擦も返さずに本棚から抜けた。
「……、……」
その資料の表紙には、
……やはり見間違いなどではなく、先ほど確認した銘がある。
『ジルハ街道における、ギルド評価脅威度A級個体バジリスク=オルム成体種の自治的討伐記録
暦座標‐‐/‐‐
ストラトス領ジルハ街道にて、ギルド評価脅威度A級個体、バジリスク=オルムが確認された。
同個体はジルハ街道を南下、その道中にて死傷者86名(石化欠損含む)』
「暦座標」というのは、妙な表現だが年月日付で間違いない。また、死傷者表記の補足事項を見る限りこのバジリスク=オルムという個体は、僕が先ほど見た「卵の中の蛇」と同様に敵対者の石化を行う。
やはり、「アレ」はバジリスク=オルムと見て間違いなさそうだ。
「(日付で言えば、ちょうど十年前の一昨日か。……古い交戦事例だから埋没して僕にも教えられなかったってのは、まあありえないだろうな)」
……なにせ死傷者86人とは、いかに向こうがA級と聞いても現実感の無い数字であるからして。
『同日時刻‐‐:‐‐
当該街道を管轄する領主、ザック・ストラトス及びアズサ・ストラトスが率いる部隊及び招致冒険者が個体バジリスク=オルムを発見。交戦する。
――以下、交戦時の被害記録と戦闘内容記録』
「……、……」
それは、事務的な表記で見てさえ地獄のような光景であった。
淡々と人が腕を失い、足を失い、目や耳を失って、或いは命さえ当然のようにして消耗される。A級の脅威に戦士たちが恐慌をして、雇った冒険者や民を守るべき領兵までもが、少しずつ怖気づいて魔物に背を向ける。魔物は、その無防備な背中を容赦なく石に変える。
その戦線の一番前に立っていたのがザック・ストラトスとアズサ・ストラトス。つまりは、僕の両親であったらしい。
「……、」
嫌な予感に、僕は蓋をする。
僕の父は、ちょうど十年前に馬車の事故で亡くなったと聞いていた。
『暦座標‐‐/‐‐』
「………………。」
熾烈な生存競争は、幾つかの日さえを跨ぐ程だったらしい。
日付が、――ここで、明後日を示した。
『時刻‐‐:‐‐
八回目の接敵。
ここで、およそ半日の交戦を経て同個体の討伐が完了する。
なおこの際に、合同討伐部隊隊長ザック・ストラトス及びアズサ・ストラトスは、個体バジリスク=オルムとの1対2の交戦状況に陥る。その戦闘中に両名とも、この個体の体液を浴び、「上位毒呪詛」に侵される。(※同個体の討伐はこの直後に成功)』
「……、……」
『後日、ザック・ストラトス及びアズサ・ストラトスの上位毒呪詛効果の診断結果が確認された。
ザック・ストラトス――定命の呪い。期限100秒。
アズサ・ストラトス――定命の呪い。期限10年。
※ザック・ストラトスについては遺体診断』
「…………………………………………、は?」
『以上の功績は、A級脅威度個体の討伐という英雄的所業に加え、この気高き自己犠牲も踏まえ、バスコ王国叙勲記録に照らして「白紫花叙勲褒章授与認定」が妥当であると――』
「待て、待てよ。なんだコレ。おい?」
疑問が、どす黒く入り交ざった絵の具のように僕を塗りつぶす。
――定命の呪い。
命を定める呪い。これは、文字通りの解釈で間違いないのか? いや、そんなわけがない。そんなことがあるはずがない。だって、それなら、母さんが、まるで、
僕の誕生日その日に、死ぬみたいに聞こえるじゃないか……?
「 」
――チャイムが聞こえた。
それは、僕を呼び出すためのものであった。察するに、司書さんが情報を索引し終えたのだろう。
僕は、
「 。あれ、?」
不可思議に感覚を亡くした足に、今更気付いて、
……そして、崩れ落ちた。
――モンスター
『バジリスク=オルム』
脅威度:B~A
基本属性:土・水〈特筆:左記混合性の呪属性〉
種族基本変遷:(幼体) → (成体)
※危険指定個体『ネームド:オルム』の原種と考えられる種の一つ。
備考:ミミズと蛇の中間種的特徴を持つ魔物。胎内に呪詛臓器を持ち、非常に長命。またこの個体は、成体に至るまでに、平均値として胴体直径30cm、体長65kmまで成長する。
幼体から成体までの成長を「種族基本変遷」と定義する個体。卵生である点は蛇的な生態的特徴だが、この卵が「透明である」点は非常に特殊である。幼体は、生まれた際にこの「透明の卵殻」を摂取し上記に確認した「呪詛臓器」を獲得する。なお、この卵殻の触り心地はスライムやゼリーに近い。これをヒト種が摂取した場合には全事例において即座に死亡が確認されている。
また、上記「呪詛臓器」とは、多く混合型呪属性の魔物が持つ「毒性生物が持つ体内毒のように、体内に呪詛を生成する臓器」であるが、この個体は、幼体においては直径1mほどの球型臓器を持つのに対し、成体に変遷するまでにこれは循環器官に変わる。これが、種族基本変遷の定義に生育段階を用いる根拠である。
なおこの種は、幼体時点でも胴体直径10cm、体長2kmほどとなる。上記球型臓器は身体のおよそ中間地点にあり、幼体の外見はこれにより非常に歪なものである。
特記事項:この種が持つ呪詛毒について。
バジリスク=オルム種が持つ毒はあらゆる呪詛毒性生物のうちでも特に害性が強い。この毒について、幼体では主に魔眼の魔術効果の成立リソースに、成体においては先記に加え体液の毒性に反映される。
幼体成体共に確認されるバジリスク=オルムの魔眼は石化の呪いを発露する。これは、「バジリスク=オルムと目が合うこと」が発動のキーである。ただし、成体した個体においては「バジリスク=オルムの視線を実感する」のみで効力が発揮されるケースも確認されている。この石化の呪いは、石化解除系統のクオリティ:B以上の薬物ないし加護薬物を被石化対象の表面に振りかけることで解呪及び石化の解消が可能である。また成体した個体の持つ体液の毒性は「上位毒」の定義であり、特に発揮効果にランダム性を持つ点で特殊である。なお、これはこの種の呪詛臓器が生成する「呪」が無彩色属性であることに起因する。(※無彩色属性の「呪」は、被効果対象が想像する「嫌悪する効果」を発揮するものとされる)なお、このランダム性のため、体液呪詛の解呪における確立した方法論は確認されていない。
この種が無彩色属性呪詛を獲得した理由は、種存続戦略によるものであると推測される。この種は、成体まで成長した個体があらゆる要因によって損失した時、この無彩色属性呪詛を純粋な魔力エネルギーに転嫁し、上記備考項に確認した「透明な卵」を生成する。これは卵生生物における有精卵的な振る舞いをする物質であり、この発生した「透明の卵」からは新たなバジリスク=オルムが発生する。これについて、この生態が「転生」に当たるものであり発生個体が「親」の同一個体である可能性が現在までに提唱され、その生態の術式転用の可能性から解明が急がれている。
出現事例
バスコ王国ストラトス領ジルハ街道。
死者八十余名。この内一名はストラトス領の当時の領首である。(当該記事に詳細)』