05.
人のいない館内の道中は、妙に短く感じられた。
「……、……」
「……、……」
不要な会話は無く、慣れた道順には滞りがない。デイモン執事の案内こそ用意されているが、レオリアからすればこの行程は「知ってる道」でしかなく、少しばかり気長に感じられるものであった。
短い道を、迂遠に歩く。
そんな類の、気の焦りを催す時間だと、レオリアはふと思う。
「…………。」
出来ることなら、早足でグランの部屋に辿り着いてしまいたい。そうしてさっさと用事を済ませて、今日はもう館に帰りたい。
そして無論、そんな我儘が許されるわけもない。
彼女がただすらゆっくりと、音を立てずにカーペットを踏むという作業を続けてしばらく、
……目当ての部屋は、それでも遂に目前に至る。
「こちらに、グランさまがいらっしゃいます。今日は何やらご気分がすぐれぬらしく、ご容赦いただければ幸いでございます」
「了解です。……ちなみに病名ってご存知ですデイモンさん?」
「…………ゲフンゲフン患いだと聞いております」
「……、……」
いや全く、見上げた忠誠である。レオリアはそう、胸中で一つ溜息を洩らした。……さらに言えば、自分が恋煩いの病巣扱いされていたらしいことに溜息をもう一つ。
そして、
「わたくしはこれにて失礼させていただきます。何かあれば、お手数ですが階下のものをお呼びください」
「あ、はい」
デイモンが静かに通路を消える。
残されたレオリアは、
一度、静かになった通路へと視線を回した。
「……、」
建築の上手さか、通路は敷地面積の実質以上に広く見える。彼女は、左右に伸びる静謐の回廊に耳を癒しながら、その他方で「ノックがやたらと響いて聞こえそうだ」と気持ちをさらに重くする。
しかし、ノックをしないわけにはいかない。当然、このまま臆して逃げ帰るのもあり得ない。
ゆえに彼女は、
――ノックを二つ。
「……、……」
――はい、と。
短い返答が返った。
それから、……待っていてもドアが開けられる様子がなかったため、レオリアはそのままドア越しに彼、グランに声をかける。
「ぼくだけど、……あの、無事?」
「レ、レオリアっ?」
木製のドア一枚越しの返答は、ほとんど素通しと言っていいほどクリアに聞こえた。
やり取りにはこのままでも苦がなさそうだ、とレオリアはアテを付けて、敢えて開錠を待たずに言葉を続けた。
「あのね、……グラン。あの、その、……調子はどう?」
「…………、」
無声の返答。更に言えばドア越しであるため、グランの表情も彼女には見えない。
しかしながら謎に、口いっぱいの苦虫をかみつぶしたっぽい雰囲気が、ドアの向こうから発露されてきた。
「…………。グラン、ねえグラン? ナントカ患いだって聞いたけど、……あの、ぼくに出来ることがあったら言ってよね。なんでもするよぼく」
「……、……」
「ど、どうしたんだよ!? 今朝はあんなに元気だったじゃないかっ! あんな、あんな挫折一つで折れる君じゃないはずだ! グラン! 返事をしてよグラン!」
「……やめ、やめてくれぇ(小声)」
声が小さくてよく聞こえなかったので、
……レオリアはひとまずそのまま畳みかけることに決める。
「謝るよ! ぼく、謝るからさあ! ごめん! 振ってごめん! 反省してる!」
「やめてえ……っ」
「もうぼくねっ、振ったりしないよ! 絶対に君のことを振ったりなんてしない! ちゃんと忖度をするよ! だからグランっ、もう一度元気な顔を見せてよ……っ!」
「もうやめ、やめろぉ……! いい加減にしてくれぇ……っ」
「ほら告って!? また告って!! 今度はきっと、君のためにぼくは優しい言葉を掛ける! そう誓うからお願いだグランっ、こんなしようもないことでイ〇ポになったりしないでくれ!!」
「っだぁあやめろっつってんだろ『ほら告って』って言われて誰が告るか馬鹿野郎ォ!!」
どたどたと音が響いて、
――果たして、固く閉ざされた扉が遂に、
遂に開け放たれた!
「――グ、グラン!」
「貴様この野郎! 惚れた弱みだと思って優しくしたたらつけ上がりやがって! 何が忖度だ! 何が『こんなしようもないことでイ〇ポになったりしないでくれ』だぁ! 傷心の十歳児にこれ以上難しいことを言うのはやめろォ!」
「グ、グラン……?」
「大体なあレオリア! お前はいっつもそうだ! 人がガチで落ち込んでるときに限って本気でお前は爆笑だ! 惚れた弱みだよ! 惚れた弱みで許してるけどなあ! お前マジでそこは人として最悪だからな!?」
「あれ? おっと? 説教が始まったっ?」
「説教だよ! これは説教だ! お前は常日頃なあ! 人が傷つけば大爆笑! 肥溜めにハマれば大爆笑! あとはなんだ!? 俺がおねしょした時も大爆笑だ! 人としてどうだよ!? 人としてどうだ答えてみろ!?」
「えー……?」
「あぁ畜生! 今ばっかり常識人ぶって困惑面してやがる! ズルい! ズルいんだお前は! 可愛ければ全部許されやがる! ちっくしょうどうして俺はお前が好きで好きでたまらなくなってしまったんだぁ……っ!!」
「それはもうぼくのせいでも管轄でもないだろ……?」
「お前のせいだ! お前が可愛くてフランクで妙に小悪魔気質なのが悪いっ! いいかレオリアっ、今朝のは俺の気の迷いだ! 俺が素面ならお前に告白するなんてありえない! きっとあれは、今朝のあの花がやたらと綺麗に咲いてたせいでちょっと間違えちゃっただけなんだ!」
「あー、あの赤いコスモスだよね? ありがとね」
「ガーベラじゃ! ガーベラって言う花だァ心に刻めェ!」
「あ、はい」
「空返事だなあ! くっそうもういいよ! いいかレオリア! 俺は寝るっ、今日はもうこの街にA級の魔物が現れたってこの扉を開けない! 俺は寝る! お前も帰れっ、帰ってくれ!」
「え? でもあれならホント、今日はマジで何でも言うこと聞くよ?」
「お……っと。いや、いやいやいやその手には乗らない、その展開の先に待ってるのは俺の赤っ恥だ。全部わかってる。その手には乗らない」
「触ってあげようか……?」
「どこを!? やめろ!! いいから今日はもう帰ってくれぇ!!」
語調の勢いのまま、強い音を立ててドアが閉められる。
ばたんっ、と。
そんな乾いた音が、広い通路の右から左へ反響して、厚手のカーペットに吸われて消える。
……あとに残るのは、階下、庭で上がる兵士たちの素振りの掛け声だけである。それが妙に威勢がいいからか、通路の静寂が、執拗に物寂しいものにレオリアには思えて、
「……、……」
その代わり、昼間の日差しの勢いが、彼女のうなじを焼く。
「……、」
――たぶん、あれならもう大丈夫だよね。なんて彼女は胸中で呟いて、
一人通路を階下へと向かった。