4.
「あんたのために用意したんだ」
「 」
真夏の白昼が、奇妙に陰っていた。
日向の最中にいる筈なのに不思議と「昏い」。焼け焦げた網膜が、ユイに、そんな感覚を投げ返している。
――気付けば、周囲にはもう、誰もいない。
「種明かしは未だだが、これは、あんたのために用意した武装だ。……一応こっちも、あんたの手の内はある程度調べといてるからね」
「 」
「……魔力漏洩体質。あんたの内魔力は、蓄積器官が無いんで作った先から外に揮発する。あんたは、それを諦めることにした」
あらゆる魔術を使用するには、ある程度「固まった量の魔力」が必要となる。例えば神代の巨人剣を再現する大魔術を使うなら「神代の巨人剣を編み上げるだけの魔力」が必要だし、或いは小さな灯を作り出すのにでも、「灯を構成できるだけの量」は求められる。そう言う意味で言えば、彼は、ありとあらゆる魔術を使うことが出来ない。
「魔族なりの魔力生成量があっても、最大MPが決まってゼロなんじゃしょーもねえって話だ。でも、あんたはそれを受け入れた」
「 」
「身体に魔力を溜めるのは諦めて、揮発する魔力がそれでも魔術的効果を発揮できるってほどに、あんたは魔力生成能力を高めた。それが、さっきの私を堕とした手品の仕掛けだろ?」
「 」
人と喧騒が一様に鳴りを潜めたそこで、彼女は返事のない対話をあくまでも続ける。
彼女の話しかける先、――炭化したエイトの焼死体は、
「 泣ける、努力だロ? リスペクトしてくれて構わねえヨ」
「……、……」
焦げた肉となった口腔を震わせ、そう「返事」をした。
「……尊敬はするさ。嫉妬もな。あんたのやってンのは、ヒトには絶対に出来ない真似だ。砂漠に水を一滴たらすんじゃ染み込んで終わるだけだから、砂漠と同じ量の水を用意した。そう言う遠回りだろ?」
「よく分かってやがる。しかし褒められるほどの真似でもねェンだわ。俺が出来るのァ砂場を湿らせるまで。ここまでやってようやくヒト並みだネ。手前の背中ァちょいと小突くが関の山だ」
「なンだ。手の内を教えてくれるのか?」
「せこせこしねえさ。オレァな」
干乾びた声が、徐々に「捲き戻る」。焼け付いた四肢が肉を取り戻し、顔が肌を取り戻す。それどころか着ていた服までが元通りになっていく。
「驚きもしねェ。ンじゃァ『これ』も知ってたか?」
「トップ・リジェネレーションって最大級の魔法、って話になってる別のナニカ」
……オレが思ってるよりもバレてたな。と彼は微妙そうな顔で哂った。
「それが、あんたが気の狂った魔術師に捕まった理由か?」
「さあな。無力化した魔族ってだけでも一級品の奴隷だろ。何が琴線に触れたのかなんぞ知らん」
「……、……」
「さて、見ろよ。オレァすっかり元通りだァ。手前もこらァ流石にどうしようもねえんじゃァねえのか?」
「あン? 何が言いてぇの?」
「手前にゃ勝てねェって話だヨ。オレァどうせ死なねえヨ、見ての通りな。それでも手前、まだやるか?」
「……分からねえな。手前はマジで、ナニ言ってんだか」
「……、……」
戦線は、水を浴びせられたように終息している。
ヒト二人分の声が静かに響くその場所には、剣戟の残響が、耳鳴りのようにいつまでも残っている。太陽が一つ減ったその光景は、未だ、不思議と陰日向の色をしていた。
「殺せねぇなら手前に封をして海に捨てるさ。腕が生えるなら、生えるたびに切り落としてよ、二度と生えてこねえように切り口を焼いてやる。ほら見ろ、どうしようもねぇなんてことぁマルでねぇ」
「……そらァ、末恐ろしい」
「そもそもよ、ウチらぁ手前の手の内調べて来たって言ってンだ。準備ぁしてるよ。だから手前も何でもして来い」
「――――。そうかィ」
エイトが、服裾の煤を掌で払った。ユイはそれを、刀を下ろしてただ見ている。
――彼が、上着の内ポケットから「タクト型の棒」を取り出しても、ユイは状況を耽々と見る。
「髑髏を三つ。一つは望郷。人は胎児に立ち戻れ。」
「あぁ、成程?」
エイトの「言葉」に、ユイはその手の刀を持ち上げた。
ふらりと切っ先を指し上げて、照準を定めるようにエイトに向けて、
――そして、それを打つ!
「一つは悔恨。一つは不利益。産まれた罪に、干乾び給え。」
「――――ッ!」
長大な二刀が幾度となく大地を割る。凪いだ二閃がそこかしこを蹂躙する。その災禍の最中にある彼、エイトも、幾度幾度と身体を欠損し、それを完全に回復させる。
「罅が唄った。夜は来た。足踏むが佳い。月が出るぞ。」
ユイの乱撃は、全てエイトの身体の心中を穿つ。しかしながらエイトは、頬を濡らす雨を厭うような適当な調子で、乱れた前髪を首を振って揃えるのみだ。
「おォよォ! 手前の不死が回数制限だってのぁ分かってんだよ! 魔法じゃねえが、ルールぁ魔法だ! 舐めんじゃねえぞッ、今ここで魔力切れまで全部切り飛ばす!」
ユイが接近。二振りの刀身を掴み直し、舞うような動きで「回転する斬撃」を折り重ねる。
しかし、無意味だ。彼は瞬く間に回復する。エイトは目下の少女ではなく、虚空にある「ナニカ」を注視して寿ぎを紡いだ。
「悪鬼よ並べ! 灯を飲み干せ! 肉が散らばる栄華が在るぞ!」
彼の「言葉」、その詠唱が熱を持った。
それに伴い彼から揮発した内魔力が可視化した。
――それが色付くのは、墓場の冷気の色だ。肌を指す青白い色。陰鬱と退廃と生命の向こう側を溜め込んだ、死者の国の霧の色である。ユイは、それに悟る。彼はここを、地獄に変えるつもりであった。
「殴れ! 引き摺れ! 引き千切れ! 悼む者のいる墓標から倒せ!」
詠唱は続く。斬撃が折り重なる。彼はその外傷に拘泥をしない。彼は一団を率いる指揮者の如く、その「不可視の感情」を先導する。
感情が渦巻く。無限に湧き立つ。滞留するそれらが、ヒトガタを造る。
霧色のヒトガタが、そして、拍手喝采に「骨の手」を鳴らした!
「さあ! 諸君らを尊重しなかった全てに報復を! 今宵は、誰もが平等である!
――『生を否定するために、まずは死を否定せよ(The Dead Blessing The Graveyard)』!!」
「 、あぁ。」
ユイは、
その声が、自分のモノであったことに、遅れて気付いた。それほどまでに彼女は、「その光景」に自我の全てを奪われていた。
――それは、現世と地獄の境界線が無くなった世界であった。
幽霊。
歩く死体。
嗤う白骨。千切れた赤子。
此の世にあるべきではない全てが、ダムが決壊するようにして、この世界になだれ込んでいた。
死者が家屋に群がる。扉を押し倒す。そのナカから人を引き摺りだして、その内臓を引き出し歯噛んで吐き捨て嗤う。白昼が錯覚ではなく宵に堕ちて、今、空には死者の国の月が上がった。
それを見て、彼女、――ユイは、
「あぁ、あァ! 素晴ラしイねェ!」
正気を放り投げたような嬌声を、まずは上げた。
「ゴードン! コルタス!」
「おう!」
「こちらに!」
主の呼び声に、二人がどこからともなく彼女の傍らに顕れる。
「こいつら邪魔モンを下がらせろッ、一騎打ちの場を作れ! この喧嘩を、誰にも邪魔させるなッ!」
「「了解ッ!」」
二人が消えて、――刹那、空白色の爆裂が二つ起きた。
否。それは衝撃であった。爆発の如き「衝突」が周囲の躯を一様に蹴散らす。この街の住人たちが挙げる悲鳴、狂声を、塗りつぶすような破裂音が彼方へと抜けて行く。
音が、……そして遠のく。周囲の喧騒、ヒトの悲鳴が波のように返る。断末魔がありふれて鳴り響く。その災禍の中心にいる二人は、
――まずはユイが、他方に嗤った。
「よぅ? これが、テメエの創りたかった景色かヨ?」
「……、……」
「応えてみろ。ホラ。これが見たかったンだって言ってみろ。どうだ?」
「――ああ、いいヨ。オレァ、これが見たかった。……手前らの悲鳴で胸がすくヨ。助けを求める雑魚の表情が可笑しくてたまらねェ。救われた思いだ。間違ってたヤツが間違ってたことを自覚するのは快感だ。罰を受けて、罪を顧みて、それでも苦痛から逃れたい一心で、軽んじてきた連中に命乞いをする。涙ながらに許しを請う。それをオレらは慈悲深く殺す。痛みを長引かせたりしない。その場で殺す。オレらは奴らとァ違うから、オレらは一撃で終わらせてやる。オレァ、……オレはよォ! ああ、これが見たかった!」
「これが地獄? これが、これが地獄だといったなァ! ふざけろ! 違う違う全然違う! 違うんだよなァまるでなってねェ!」
「何が違うものか! これが戦争だ! これが最悪だろォ! 後悔して死ね! 地獄に落ちることを自覚して死ね! もう二度と生まれ変わらないことを切に願って死ね! 恥じ入って手前の生涯に価値なんざへったくれもなかったって認めたうえで死にやがれェ! オレァこれがよォ! 見たくて見たくて仕方なくってここまで来たんだよ!」
「違うんだよなあ全ッ然違う! こんなモンが戦争であるはずがねえ! こんな楽園で誰が絶望する!? 誰が諦観の向こう側に行けるってンだよォ! これは、絶対に、地獄にァ足りてねェ!」
――アンロック。
ユニークスキル『世界観〈EX〉』を、『赤紙一路潰壊堂中《EX》』に昇華。
――あなたは、あなたの見たその光景に、必ず答えを見出すこと が可能です。
天啓の如くして、その声は地獄に降った。声を上げる二人のその最中に。
彼は絶句し、他方の少女は意味を得る。
――彼女は過日、地獄を見た。この世界で長く生きた彼女は、しかしその原初の地獄風景に未だ意味を見いだせてはいなかった。
人が人を殺し、食らう。兵が民を殺し食らい、民が兵を殺し食らっていた。そんな地獄を、地獄の死者が燃やして回った。放っておいても全滅するような「鉄格子の無い餓鬼どもの檻」に、執拗なほどに火の雨が降っていた。
人は絶望していた。それはもはや当たり前となった。絶望を諦観を食人を当然とした人々は、ならば、次に何に成る? 彼女にはそれが分からなかった。
死ななかったのは幸運か、不幸か。ヒトを止めた連中はそのまま死んだ。ヒトを続けた連中は鬼の餌になった。誰もが飢えて、それは疫病のように伝染をした。
人が、鬼になる。人が鬼になる。人が鬼になっていく。それを誰もが止められぬ。誰もがそれを受け入れる。腹が減るくらいなら隣人を食らうべきであった。少女は、それを見て、
――訳が分からぬと、そう感じたのだった。
「――起動」
音が鳴る。
鉄の塊が飛ぶ音。鉄の塊が瓦礫を踏み砕く音。折り重なるような発砲音。音だけではない。火の手が上がり人が死に、亡霊が弾け飛んで躯が燃える。どれもがはっきりと、今、ここで起きている事であった。
「なに、を、……しやがった。テメエ……?」
「これが地獄だ。これが災禍だよ。手前の用意したような片一方に都合のいい楽園を地獄とは呼ばねえ。地獄ってのは、外側から降る銃弾で誰も彼もが鬼になる場所のことだ」
「……、……」
「望みはそもそも思いつかない。復讐しようにも相手に手が届かねえ。じゃあどうすべきだ? 理性を、捨てるべきだろう。誇りなんざァ最初に食らう。それでも腹が減るもんだから、次にゃ隣人に手を出す。食い尽くしたらその次だ。手に付く知り合いから順に弱者を見繕って食べるんだ」
「……それが、テメエの見た地獄か。ユイ」
「分からねえんだよ。分からねえ。エイト。アタシにぁ分からねえ。アレは地獄だったのか? アレぁなんだ。アタシにぁアレが白昼夢か何かに見えるんだ。エイト。アタシぁ、絶望を外側からしか見れねぇんだよ!」
――接近。
刀身で持った二振りを回し、エイトに四つの斬撃が降り注ぐ!
「手前、ホントに、どこから来やがった!?」
「地獄なんだろうさ!」
エイトがタクトを振るった。それが生み出すのは「モザイク調の炎」である。ゆえにユイは即座に目を凝らす。「目前を見るのをやめて魔力の位相に焦点を絞る」。――そして見えたのは、エイトの揮発魔力に火が灯る瞬間だ。ユイは、瞬間的にその「魔法」の種を看破する。
「ッ!!」
「ハッ、流石に簡単には燃やせねえかよ!」
ユイの死角へと「蛇のような軌跡を描いて」燃え広がる炎に、ユイは、首をわずかに逸らすのみで回避して見せた。……その炎もまた、先ほどと同様に「エイトが自身の揮発魔力を反応させて」発生させたものであった。ゆえに、炎の軌跡は「魔力位相」を見れば看破できる。しかし、
「――でも簡単じゃねえのァ分かってんだよなァ!」
「ッ!!?」
エイトが拳を引き絞り、そして横方向に薙いだ。それでユイは、先ほど虚空から叩き落とされた時と同じように体幹をずらされる。一瞬の隙にユイは片腕を目前に構えて、――そして、そこに白炎を立てる。
「――――ッ!!!」
「――――ッ!!!」
銃声が響く。しかしそれはユイの白炎に全て吸い込まれる。ただしユイは、次の瞬間に瞬いた冷や水のような感覚に目を剥く。痛みはない。エイトの魔力弾は全て滞りなく白炎が食らった。違和感があったのはその後だ。――銃声が、あまりにも少ない。
「なにを……ッ!?」
「オレの銃弾の事情も知ってんだよナ? リロードが面倒で使ってンのは魔力製だ。でも、魔法がその炎に食われるってんなら実弾を使うわなァ!」
それは、あまりにも流麗な所作であった。シリンダーをノックして弾き出し、そこに放り投げた六つの弾丸が、惹かれ合ったように収まっていく。それをユイは、スローモーションの光景で見る。
「!!?」
「はっははァ!」
瞬間。六つの銃声。
しかしそれを、ユイは銃口を掴み引き寄せることで無力化した。
「笑ってんじゃねえぞロートルゥ!」
「だから歳は大差ねえってんだよォ!」
銃身ごと体感を崩されたエイトが、自身の顔を狙う拳を間際に見る。回避は不可能だ。頬を差し出す。――が、
「っだァらァ!!」
「ごォオオッ!!???」
拳が「白く発火」した。それを浴びたエイトは、自身の頬と、そして内魔力が焼けて焦げ付く不快感に悲鳴を上げる。痛みは構わない。しかし問題はそこではない。彼の頬は、先ほどの快復力を失って鮮血を吐き出す!
「成程ォ! その死なねえのァやっぱほとんど魔法スキルか! 理屈は知らねえがとにかく手前の魔力を枯らしちまえばしようもねえよなァ!」
「死霊どもォ! こいつを殺せッ!」
声に死者が殺到する。半透明のモヤ、腕を半ば千切れさせた死体。数人分の白骨の塊。それらをユイは、
「――――邪魔だァ!」
腕薙ぎ一つで燃やし尽くす!
「火葬ってんだァ上等だろ! 成仏しろよなァハッハッハァ!」
「チックショウがァ!!」
轟ッ! と白い炎が舞った。その奥で、ユイが両刀を「捨てた」のが見えた。エイトはギリギリの隙でシリンダーに銃弾を装填する。短い「タクト」を、その掌に握りしめる。
「殴り合いたァ上等だ! これが喧嘩の華だよなァ! かかってこいジジイ!」
「なめんなよ雑魚餓鬼のクソアマッ! 女と餓鬼が男に勝てる訳ねえんだろォがァッ!」
殴り、殴り、殴る。その度ユイの白炎が轟音を吐き出す。それをエイトは、揮発魔力を燃やした赤炎で以っていなす。
大気が燃える。拳が飛び交う。ユイの中段蹴りをエイトの腕が叩き落とす。それで崩れたユイの身体をエイトの回し蹴りが狙う。ユイは腕でそれを受けた。白炎を帯びた腕を、エイトは強引に蹴り飛ばした。
「ぎぃィイ!!?」
「腕イったなあ! それでどうすんだよォオイッ!」
確かな手応えに優位を確信したエイトが叫び、――即座にユイが、彼のその激情を吐く口を顔ごと「出来損ないにしたはずの方の腕」で殴り飛ばす!
「ばがァッ!!?」
「おォ痛ってェ! アァあア! クソッタレがよォ!」
殴り飛ばされた衝撃に上を向いたエイトの顔が、――正確に言えば「喉」が、まっすぐに蹴り飛ばされた。瞬間、自分の喉が「妙な位置にずれた」ような感覚に彼は襲われ、比喩ではなく「呼吸の仕方が分からなくなる」。呼吸だけではない。白炎が視界間際で燃え盛り彼の眼を潰す。それでも彼は「シンプルな直感」で以って腕を側頭部の横に置く。――次の瞬間、ユイの爪先がエイトの頭を刈り取り損ねて彼の掌に収まった。
「おっ、とォ!!???」
「あっぶねえなァ!!」
捕まえた爪先を無理やり引き摺り上げる。しかしエイトの掌はすぐにその感触を喪失した。取り戻した視界に映るのは「虚空で無理やりに身体を翻すユイの姿」である。その体幹の回転がエイトの捕縛を無理やりに引き剥がしたのだ。両者は、――ここにまた、対峙をし直した。
「――――。」
「――――。」
視線が刹那、衝突した。
その直後、拳が、
拳が、拳が、炎を伴った拳の群れが、
――激突する!
「がぁああああああアアアアアアアアアアアアア!!」
「おォおおおおおおおおぉァアアアアアアアアアアアア!!」
技術はない。先見はない。
先も読まず、両者はただ敵の頬を殴り飛ばすためにこぶしを握る。それに火を灯し更に殴る。大気が燃える。酸素を燃焼する轟音が唸る。敵の拳をいなし防ぐような理性は既にない。腹を殴られながら腹を殴る。顎を打ち抜かれながら顎を打ち抜く。防ぐ必要など考えてみれば皆無であった。今殺せばいい。ここで殺せばいい。この一撃で殺せばいいだけだ。それは抜身の殺意であった。殺すために握る拳はこんなにも清々しい。躊躇が無い暴力は心地が佳い。敵を殺せると信じて振り抜く素手は、風が空高くを突き抜けるようだ!
「おゥよォロートルどォした雑魚がァ! 腰が入ってねェなァ! もう息切れかァ!?」
「うるッ、せえなァ! 可愛げのねェアマがよォ! 男に殴られたら黙って泣けよオラッ!」
「効かねェ! ジジイの癇癪が怖ェわけがねェ! そもそも手前にゃ暴力が似合わねェんだよなァイキりくさりやがってるけどなァ!」
「あンだとこら……ッ! クソッ! 死んでろクソ餓鬼!」
「容赦してんじゃねェよ! 手前ァハナからそうだよなッ、喧嘩売ってきたヤツにさえ躊躇する! 詰めで殺しォしねェから悪だくみも上手くァいかねェ! 何がしてェんだロートル! 半端な覚悟で誰に喧嘩売ってやがる!?」
「クソッ! うるせェ……ッ! うるせェんだよォ!!」
ひときわ強い赤炎が弾けた。燃える大気が刹那、真空にさえ変わる。圧倒的な熱量が、ユイの踏み込みを半瞬躊躇させた。そこで――、
「オレァ、ちゃんと、やってんだよ……ッ!」
エイトの背中が「翼を吐き出した」。ユイの追随よりも、エイトの飛翔は半歩のみ早い。死者の国の月の傍らまで、彼は、その翼で以って一気に飛び上がる。
「なんだァ! 見てくれもヒト損ないじゃねェのジジイ! どうした! 逃げるのかヨ!」
「逃げるだと!? 俺が逃げる筈がねえだろうが! 俺は、ここで! 手前らの世界を終わらせてやるッ!」
その「宣誓」を以って、
――感覚が、変遷した。
彼の言葉で以って、知覚できる全てがここに更新された。下らないゴロツキの街の空に、彼の言葉が、「神代を紡いだ」。
「 」
ユイは言葉を忘失する。
否。自分が使っていた言葉が卑しい唸り声か何かであったかのように、彼女はそう思えて「言葉を控えた」。
目前には神代がある。そこに翻って自分の文明の稚拙さたるやどうだ。ヒトは未熟だ。ヒトは未完成だ。完成体を目前にした我らヒトは、神に、首を垂れる以外にどうしろと言うのだ、と。
ならば、それは――、
「禁忌術式。テメエ、なにするつもりだヨ?」
「テメエらを終わらせる! 知ったこっちゃねえ! テメエらが死ぬなら世界もまとめて終わったって構わねえ! おら、どうした支配種どもッ! 流石に本物の恒星一個にゃ敵わねえってかァ!?」
エイトの背後に、今、一つの魔法陣が浮き上がった。それが、数え切れぬほどに拡大複製される。一つ目の魔法陣の二倍半径の魔法陣が輝き、更に二倍、更に二倍と続いていく。空を覆って、なおも続く。
「――召喚詠唱。私は望郷する。」
「 」
魔法陣の群れが揺れ動く。最奥にある最も巨大な一つが、その更に奥に、「一つの光」を吐き出した。
――ユイは、それを見て、
「コルタスゥ! ゴードンッ! 今すぐに来いッ!」
死者の街の空に、咆哮を上げた。
「塩の柱と海の亡骸。一掴みの薪に灯を移そう。」
呼ばれた二人は即座に顕れた。言葉も発さず待つ彼らにユイは、ただ一言、怒鳴るような指示を飛ばす。
「おい! ありゃあどうすればいい! 何かアイディアはねえか!?」
それに応えたのは、ゴードンであった。
「世界は終わる。砂を耕せ。一を定義し、虫を名乗ろう。」
「竜の針なら恒星一つの神性に拮抗できるかもだ! 恐らくあの魔法陣には、花金四五六の消費が必要だ!」
「あァなるほどね! いいさ構わねえ今すぐに用意しろ! どゥせ祭りだ! 派手に行こうぜ!」
「目を逸らし給え。空転し給え。計り為し解れる卵殻に告ぐ。
――あなたの碑は、価値もなくここに水没した。」
「……装着、完了いたしました」
「オウ。……しかしこりゃ、小手ン中が血だまりだネ。刀身掴むなんて無茶な真似ァ金輪際しねェぞ」
ユイのジョークめいた物言いに、コルタスが、恭しい表情を少しだけ崩した。
花金四五六。
――その美しく光り輝く黄金色の半身甲冑に身を包んだユイは、ふらりと、恒星一つ分の眩しさを地表に吐き出す空を見る。その横顔に、二人は言葉を失していた。
「……、……」
「……なんだ、テメエら。妙な顔しやがって。……黄昏てんのかい?」
「い、いえ」
コルタスの返答に、
いいさ。とユイは、呟くように返した。
「黄昏てなヨ。別に、笑って泣いて怒って楽しむのに文句ァ言えねえよアタシァね。……そこで見てな。この街で言えば、これは、めでたい下克上だ」
それだけ言い残して、彼女は二人より二歩前に進む。その背をゴードンとコルタスは、ただすらに、口をつぐんで見守っている。
……魔人の詠唱が熱を灯す。魔法陣が吐き出していた光は、今、ヒトの網膜を焼き切る恒星に成った。
対峙する彼女、ユイは、
――その手の花金四五六を、空に向けた。
「 」
「 」
遠く虚空を隔てた距離にて、
不思議と彼は、彼女のその目の奥までが見えた気がした。
「今は亡き、親愛なる友よ。私はここにいる。叶うなら、もう一度だけ乾杯を――っ!」
「花金四五六・アンリミテッド! アサルトパージモード起動!」
「――『召喚術式:死者を癒す白日(the_rapture_light_up_the_dead_man)』」
「――さてェ、お終いの花火といこうかァ!」
魔法陣が、恒星を地表に堕とした。
それを、飛翔する「針」が貫いた。
――「音」と「色」が、ただ一瞬世界から消失した。