バンバード_00.
「支度は?」
「上々で」
「そらァ重畳だネ」
「では?」
「ああ」
――行こう。
そう、私は晩夏の真昼へ呟いた。
『バンバード
_00.』
場所は、私のオフィスである。
夜には茶色の漆喰に夜気が溜まる一方のこの部屋は、しかし、昼間となれば印象が大きく変わる。
デスク後方の広い窓は今、夏の名残る白昼が照らし、私のうなじを風が攫う。
鼻を鳴らせば、香るのは空虚な風である。
草の根も山背もそこにはない。ただすら色の無い風が鼻腔を満たす。私は、
「――――。」
手元の資料をとんとんと揃えて、
そして席上にて、凝りを解す感覚で胸を逸らした。
「ゴードンは起きたかい?」
「――いるぜ。姐さん?」
開けっ放しの扉の向こうから声がして、私は素直にその先に視線を向けた。
……全く、鼻に付く登場だ。とは思っても言うべきではあるまい。
「ヨオ。おはようサン? 何年ぶりの寝起きァどうだイ?」
「悪くない。今朝食ったオムレツがよかったみたいだ」
ここも変わったな、と彼が言う。
私はそれに、鼻を鳴らすのみで応えた。
「……、……」
彼、ゴードン・ハーベストは「とある事情」で以って生涯の殆どを寝て過ごしている。しかし彼は、そんな事情を感じさせない類いの「こなれた所作」で以って、そこの扉に背もたれこちらを見やる。
実に気合の入った金髪のオールバック。長身を包む、季節に合わないシルエットの外套。どれもこれも、妙に、彼が着こなす分には不思議と小洒落たジョークのように見える。
「姐さんは変わらねえな。しかしコルタスが老けた。手前、明後日にでも死ぬんじゃねえのか?」
「ああ、言ってろよ、クソガキになっちまってからに。手前もそろそろ年甲斐がねえってのが許される歳じゃねえよな?」
コルタスの「らしくない物言い」に、私は少し口端を上げる。
……らしくない、と思ってしまうことこそがきっと経年劣化であった。彼は、元来こういう男であるからして。
「見て映える口喧嘩ぁ良いがね、盛り上がる分は祝杯の席にとっとけよ。――ゴードン、今日の用事ぁ聞いてるね?」
「聞いてるよ。俺の役者は立会人だろ? ……んで、相手はエイトさんだ。ったく、俺らに身の振り方を教えてくれたセンセーがよ、こんなヘマすんじゃ笑えねえ」
「その辺ぁ良いんだよ。手前が寝てる間に話ぁついてンだ。あたしらぁね、アイツを殺す。アイツぁあたしらに抗う。今日の用事ぁ、それだけだね」
「……ふん? いいならいいがね。それよか……」
――助太刀は? と彼が言う。私は、
「したら殺す」
そう答えて、席を立ちあがった。
〈/break..
この街は、私が訪れた頃から変わらずに掃きだめであった。
昼に聞こえるのは耳鳴りと、時折の弱者の断末魔だけである。概ねここは、昼に寝て夜に起きる生活サイクルを保っている。
しかし、
「……ほぁあ? ヒトがいる。今日はお祭りか?」
「お上りサンみてぇにそこかし見回すのぉ止めろ。こっぱずかしいヤツだ」
私が言うと、ゴードンが芝居がかって眉根を寄せた。しかしながら、この街の元来を知る人間からすれば、この光景は確かに奇妙に見えるに違いない。
この街は、基本的に昼に人はいないが「例外がある」。
過日のこの街は非常に高純度な「悪人の街」であったが、……その純度の部分については、ナメクジの歩み程度の速度感ではあるが確かな変遷があった。
「餓鬼がいる。露店もある。女と男が『普通に』歩いてる。驚いた。いつからこの街は他国になった?」
「自治はウチだよ。手前が前に起きてた頃と変わらねえ。多少、あたしの権限が及ぶ範囲で締め付けぁ厳しくしたがね」
「締め付け? なんで?」
「単にな、旨い飯が足りてねぇのよ。ヒトぁやっぱり余裕があって平和じゃねぇとクリエイチブにぁならねえらしいね」
「なんだ、飯が旨いのか。……妙な匂いがしねえか? あの串焼きの露店だ、様子を伺った方がいい」
と、そこでコルタスが、
「……いい加減にしろよ田舎者のクソ野郎コラ。脳みそまで凍っちまって今がユイさんの仕事の前だってわかってねえのか? 目移りすんならその十年物の時代遅れコートから買い替えるかおい?」
「……手前コルタス、ツラだけじゃなくて皮肉まで老けちまってからに。もうちょっと声張ってくれねえと張り合いねえよ?」
じっとりとしたゴードンの表情に、私は思わず吹き出す。
「だはは、言われてんねぇコルタスよ?」
「何年前の声のボリュームなんて覚えてねえんすよ……!」
「姐さんよ、貨幣は変わってねえのか? それなら俺は、個人的にさっきの串肉焼きの露店を調査してくるけど」
「変わってねぇよ。行ってきな。しかし、用事の頃までにぁ食っとけよ?」
――了解。と短く答えたゴードンが、そのまま露店に早足で往く。
私もコルタスも、敢えて待ちこそせずとも気持ち歩みは遅めにとって、
……少しすると直ぐに、彼が、人数分の串焼きを持ってこちらに戻ってきた。
「ホレ、みんな分」
「気が利くネ。貰う」
「……貰う分には貰う」
渡された串焼きは、白煙を伴って肉と濃い色のソースの香りを振りまいている。何の肉だかは知らないが、分厚い見た目は実に私の食欲を逆撫でするものであった。
「いいねぇ。あたしぁ慣れた景色だが、メシ持って歩いてるとこりゃぁ確かに露店の屋台だ。祭り気分も悪くぁないねぇ」
「ああ、平和になったって気がするね。俺はこっちのが好みだ。時間が許せば、釣りで一日潰したいもんだ」
「……、……」
――うむ。旨い。
これにありつけただけでも、この街を「子供が歩ける程度」には平和に設えた甲斐があった。
「酒がありゃぁ重畳だがねぇ……」
「ユイさま、それはどうかご自重ください」
「……なあコルタスよ? その『ユイさま』ってのはなんだ?」
「事情があんだよテメエは黙ってろ」
「……ああ、俺もあんまし聞きたくねえ」
ちなみに、前回ゴードンが「起きてきた頃」は、コルタスは私のことを「ユイさん」とか呼んでた気がする。が、まあそれは別の話である。
「……話も盛り上がるよぉないい日和だが、一応気ぁ張っとこうヤ。そろそろよ、見ろよ、場所に着く」
「――――。あー、そうだな」
ゴードンが、咀嚼していた肉をそこで嚥下した。
――目前の、祭りのような喧騒は未だ旺盛であった。晩夏の日差しは天頂にあり、時折の風が無ければ首筋が汗ばむほどの陽気である。そんな光景が、目前の大通りの地平線まで続いて見える。
いや、正確に言うならこの光景は、地平線よりも少し手前で途切れてはいた。
私たちの往くすがらを遮るのは地平線と空ではなく、「とある建物」である。
――トラッシュボックス本部棟。
この街を牛耳る組織の名を冠した、この街には不釣り合いな楼閣が私の目前にはある。……とはいえ、私が前世で見た「ニウヨーク」の摩天楼なんぞと比べれば、あれは頭幾つも背が低いけれど。
「……アレは、変わんねえな。俺からしちゃ三日四日前の風景だが、あんなに目立つ建物が何年も残ってるってのは不可思議だ」
「言われたら確かにだね。まあ、今日であれも取り壊しだけどよ」
「そら残念」
嘯くゴードンが、串焼きの塊を一つ歯で引き抜いた。旺盛な肉汁を吐き出すそれを、彼は口を大きく動かして豪快に咀嚼する。
「……ユイさま。準備は?」
「心配性だね。んなもん物心ついたころから出来てるよ。そら、明るいうちにハナシつけようかい」
周囲の日和は未だ濃い。
……ここに、私は一つ、災禍を堕とすことになる。
「……、……」
火事と喧嘩は江戸の華。なんて言葉があるが、しかしはてさて、
「――んじゃ、行こう」
この街が久しぶりに「この街らしくなる」。それはきっと、この街に根差した人間なら誰だって焦がれた展開に違いない。
私は敢えて、胸中にさっそく渦巻く暴力性に蓋をせず、歯ぎしりじみた感情で以って串焼きの肉を一つ噛み切り飲み込んだ。
※ツイッター及び前回あとがきでお知らせいたしました通り、本日より『桜章_餓鬼道』最終話までを毎日更新とさせていただきます。
次回更新は10月2日の午前1時までを予定しております。よろしくお願いいたします。