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楽園の王に告ぐ.  作者: sajho
桜章『餓鬼道』
142/430

(05)

 


 共有拠点にて。

 ピラーの気配が消えるのを待ってから、エイトは静かに階下へと降る。


「……、……」


 一人になると、部屋はどこまでも静かに感じられた。室内はもちろん、薄壁一つ隔てた室外にも人の気配は殆どない。耳鳴りがするほどの静寂に、エイトは敢えて足音を抑えるようにして歩く。

 階段を一つ降り終えて、見慣れた一階部分を通り過ぎて、

 彼が目指すのは、この家屋の地下へとつながる一室であった。


「……、」


 くたびれた扉を押して開け、逐一立つ埃に眉根を寄せる。

 その向こうの部屋は、物置と呼ぶにも粗悪な、採光のための窓さえないくすんだ三畳一間である。石造りの壁が室内を冷やし、すえた埃の匂いとボロの梯子以外には何もない。そんな部屋だ。

 エイトは、慣れた様子でそのボロの梯子に手をかける。それから靴底で、木床をノックするように数度叩き、

 ……床板のささくれに指を差し込んで、それを引き上げる。

 すると顕れたのが、地下へ続く昏い孔である。彼は一度そちらをのぞき込むようにして見て、それからその孔に、梯子を降ろした。



「オイ、ガキ。いるよなァ? 上がって来い」

「……、……」



 返答はない。

 耳を澄ませてみると、しかし子ども一人分の呼吸は、かすかに聞こえた。

「……。」

 舌打ちを一つ。エイトが梯子を伝い、昏い孔の中へと降りる。

 ――そこで、



「――――。」



 突然、梯子がバランスを失した。

 梯子の床をひっかくようして滑る挙動に、その上のエイトは反射的に梯子から飛び降りる。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――――うッ!!?」

「……ったく、やっぱ首輪ァ買っとくべきだよナァ。景気が悪ィと手間ばっかり増えてイケないネ」


 梯子がバランスを失ったのは、どうやらその少女が体当たりか何かをしたためらしい。

 先ほどの、()()()()()()()()()に少女の意図を先んじて感じ取っていた彼は、そこで、……少女の選んだその一手に、溜息を一つ。

「勝てない相手にヨ、果敢に挑むってのァ悪手だナ? いつか勝つために、今ァ伏して耐えるってのが上策じゃねーの?」

「――――っ! ッ!!?」

 先ほどの上段蹴りは、綺麗に少女のこめかみを打ち据えていた。そのため彼女には、その「中途半端な皮肉」が聞こえてこそいても返答を返すことが出来ない。

 暗闇の中で、少女一人分の声にならぬ悲鳴の気配をエイトは浴びながら、

「調子が戻ったらヨ、上がって来い。いいナ?」

 それだけ言い残して、梯子を立て直し階上へ昇った。


〈/break..〉



 数分程度待つと、少女は、……案外あっさりと梯子を伝って登って来た。

「じゃ、いこーかい?」

「……、……」

 そのほの暗い目を見ながら、エイトはふと昨晩の彼女を思い出す。

 昨日少女を捕縛して、次に彼女が目を覚ました時には、辺りはすっかりと夜になっていた。その際の彼女は饒舌で、目覚め、状況をエイトから聞いて、自身の身の上をエイトが問うままに応えて返す。その間の彼女の眼は、言いようのない、緊張感と現実感が欠如したような不思議な色をしていた。

 ……それから次に見たのが、拷問で血に塗れた彼女の獣の眼であった。会話をしていた時の饒舌な表情とは似ても似つかぬ、暴力と非理性の凝固。彼女の瞳孔の奥に、エイトは確かにそれを見た。

 では翻って、今の彼女は、

「……、」

 率直に言えば、よく分からない。

 このほの暗い眼の奥には、確かに「悪人」の思考がある。彼女は恐らく人を殺せるし、それはきっと、感情の暴発ではなく冷静な損利計算で以ってなされる行為だ。「人を殺した方がいいなら、そうする」と、そういった質の冷静さが彼女の瞳の奥にはある。

 しかし、さて、


 ……それは、冷えた毛布にくるまれるような、名状しがたい感覚であった。


 突き刺すような不和と、奇妙な静謐。それを感じる。或いは冷たい夜の湖に落ちて、四肢が冷え切り感覚を失った時の「あたたかさ」にも似ている。

 彼女の視線には、不可解な安心を誘うものが介在していた。


「ンじゃヨ? 昨日も言った通り、テメエァ今度奴隷にして売る。そこまでァいいかい?」

「……、……」


 不可思議な感覚に半ば無意識で以って言葉を取り繕ったエイトだが、対する少女からの返答はない。

 ……すぐに売りに出す奴隷に、話すべき言葉など思いつかない。と、

 エイトは静かな少女を見て、今更ながらそう気付いた。


「…………。その見てくれじゃヨ、売れるモンも売れねえ。仕方ねェンで怪我は治してやる。さしあたってァメシだ」

「……」

「こいつ被っとけ。腫れたツラ拝ンでじゃァメシがマズくなるからヨ」


 言ってエイトが、傍らのボロ布を少女の頭に被せた。叩けば叩くほど埃を吐き出すような不衛生なものだが、それなりに厚手で、寒々しい格好をしていた少女は受け取ってすぐにそれを自身の身体に巻き付ける。


「傷にァ当てンなヨ? テメエに使うガーゼなんてねェンで、傷が病むのがヤだったらナ」



「……あんた」

「……、……」



 それが少女の声であったことに、エイトはわずかばかり遅れて気付く。

 悲鳴と嗚咽ではない彼女の声は、鼻にかかったようなたおやかなものであった。いつかの饒舌さも鳴りを潜めていると、彼女の、粗暴さに介在した「品性」のようなものが、立ち代わり印象に強くなる。


「――昨日の傷も、治してくれたんだろ? ……助かった」

「…………。言ったよナ、売値が安くなるってダケだ。妙な気ィ起こしたら殺すぞ?」


 ぺこり、と首を垂れる彼女に……、

 エイトは、中折れ帽の奥から乾いた視線を返すのみで応えた。



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