Epilogue..
『昨日の悲劇については、領民諸君の不安に私も心が痛い。――だからこそ、私が今ここに立っている。どうか、聞いて欲しい』
――静かな拡声音が、夏の炎天直下にて。
数万人の耳に浸透するように、するりと滑り出した。
「……、……」
私、エイリィン・トーラスライトは、
瞑目するようにしてそれを聞いていた。ボウル状のアリーナの最中央にて、しかし私に刺さる視線は、きっと一つさえして存在しなかった。
――ストラトス領立営競技館、第一競技場。
そこにはもう、あの巨大な氷雪迷宮の影形一片さえ残っていない。アリーナ上にあるのは、レオリアと、彼女の語る演説台と、
……災禍を語る瓦礫と、数万人分の沈黙と、そしてそれを暖め、或いは風でさらう今日の日和と、
そして、――レオリアの背後に整列する、「私たち」だけであった。
『諸君も見ただろうあの「鉄の繭」、……アレは、名を「パーソナリティ」と言う』
……過日、公国を襲い、彼のウォルガン・アキンソン部隊を壊滅させたという人類の敵対者の名だ。
と、彼女は続けて、
『それが、この国、我が領地にも表れた。私たちはこれを、――偶然ではないと考えることにした』
会場の誰かが、息を呑む。
或いはそれは、誰も彼もの心境を代弁する音であったのかもしれない。
『諸君も知るように、「北の魔王」に動きがあった。例の、飛空艇襲撃事件だ。それはここにいる「ゴブリン・ブレイカー」、グラスホッパー氏と、そしてここにはいない鹿住ハル氏によって不発に終わった。が、……しかしこれは、看過することなどできない明確なテロ行為だ』
そう、
ここに、カズミハルはいない。
昨日この場で戦い合った十二人、
その内で唯一、カズミハルだけが、この場には居なかった。
『「北の魔王」の蠢動。「パーソナリティ」という魔物の襲撃。この二つは、……彼の悪名高き「名前」へと結ぶ、一つの線でつながっている』
「 」
鎮痛に、
その「次」を待つ。
『――「悪神神殿」が、攻略されようとしている』
私は思う。
これが、為政者の苦悩なのか、と。
彼女、レオリアにしたって理解はしているのだ。バスコ共和国の三つの要、「北の魔王」と桜田會、そしてここストラトス領地。この三つがあくまで冷戦を維持できたのは、ひとえに「悪神神殿」という緩衝地帯が存在していたためであった。そして「北の魔王」は三つの爆弾の内一つである以上に、大前提からして「ヒトの敵」である。
翻って言えば、彼の神殿によって最も「侵略行為」から守られていた勢力こそが「北の魔王」だ。
そして、それはつまり――、
「(これは、攻略ではあっても侵略ではない。――北の魔王は、自国領民をヒトから守るために、反抗に出ざる得ないんだ)」
ステージ上の十二人、その誰もが分かっている事である。いつか無くなる「悪神神殿」を敢えて能動的に攻略したということの意味を。
ただ死ぬか、或いは戦って幸運にも生き残ることが出来るか。
「北の魔王」は今まさに、そんな瀬戸際に立っていて、
――しかしレオリアはそれを、
『これは、宣戦布告無くして起きた、戦争だ。』
……「生存行為」ではなく「戦争行為」だと定義する他にない。
それが、或いは為政者の責任なのだろう。「攻撃を始めてしまった相手」にまで心を砕き、例えば「ヒトと魔族とだって話せばわかり合えるかも」なんて理想論を口に出すことが許されない。自分の領民を優先するためには、それ以外のヒトを全て「それ以下」と定義しなくてはならない。
だからこそ彼女は、この衝突を「戦争」と呼んだ。
『しかし諸君、どうか安心してほしい。私たちには彼の公国騎士と……、』
「――――。」
レオリアがこちらに視線を振って、それに私は、ステージ上で整列を一歩進み出ることで答えた。
『――そして彼ら、「桜田會」がいる』
次に、ユイがゆらりと一歩進む。
『……この名前に不安を覚える人間もいるだろうが、しかし彼らの事業を正しく精査し、私たちは桜田會を、正式なギルドとして認可することにした』
「……、……」
十二人分に希釈されて感じられていた人の圧力が、一気に増したような感覚を、私は覚えた。
『彼女らの違法性については、過去のモノも併せて私たちストラトス領官が責任を以って除染させる。ゆえにどうか一つ、みんなにも、悪感情は抑えて欲しい』
なにせ、この国はこれから戦争を迎える。
些末な感情に足を取られている暇はない。
それは、アリーナを外から俯瞰する数万人の観客の誰にしたって分かっている事だ。それでも、……感情とは、そんなものを理由に押し殺せるものではない。
だから、レオリアは、
『せっかくだから、諸君にも一つ、桜田會からの土産を紹介しよう』
敢えて声のトーンを一つ落とすようにして、観客の意識を一層集中させた。
『桜田會は我が領に、素敵なプレゼントを用意してくれた。――他でもない「北の魔王」の幹部が一人、「五席・理性のフォッサ」の身柄だ』
観客席がにわかにどよめく。
この国の住民であれば、誰にしたってその名は知っている。何せ「それ」は、この国が王制を敷いていた頃に、バスコ王国軍空中艦隊による「北の魔王」への侵攻を、ただ一人で迎え撃った者の名である。
「……、……」
――星堕としのフォッサ。
誰もがその異名を、胸中で呟いたに違いない。
『これが、過日の飛空艇襲撃事件の実行犯の一人だ。もう一人の方、「苛烈のベリオ」の所在は掴めていないが、しかし私たちは既にこの戦争で、「二歩」先に出ている』
一つは、魔王軍勢幹部の確保。
もう一つは、強力な同盟者。
……レオリアは、二指を立てて、そう言った。
『私たちは誓う。この戦争を、即座に終わらせる、と。……諸君らは、あくまで、幸せに生きるためにこの領を選んでくれたんだ。こんな茶番は、足踏みは、時間の無駄だ。そうだろう?
――バスコ共和国はこの戦争を以って、我が国土が抱える三つの腫瘍を全て切除する。そのための、これは、「最後の戦争」だ。どうか、諸君ら。……諸君ら自身の明日のために、今は不安に耐えて欲しい』
……以上だ。と彼女。
そして拍手が、
一つ。二つ。三つ……。
『 。』
――それは、白昼の天気雨のように、
途端に会場を、溢れんばかりの「音」で埋め尽くした。
</break…>
昨日の雪合戦の賭けは、結局、『パーソナリティ』の襲撃によってご破算となった。
しかし、あのゲームの観戦については「一口以上の賭け札」が実質の入場費となっていたとのことで、払い戻しの作業にはやや煩雑な手続きが必要となる。
ゆえにレオリアは、今日、
「ちょっとした一計」をこの集会演説に用意した、……ということらしい。
「……、……」
競技場エントランスには、先ほどの演説中と地続きとは思えないような活気であふれていた。
彼らが一様に握りしめているのは、昨日の賭けで使った札である。そこには購入者名義とベット先、そして購入口数が明記されてある。
『購入札を持ちの方はこちらの窓口へどうぞ! 新規ご購入の方はあちらからお願いいたしまーす!』
曰く、今日のこの後には、レオリアとユイによる個人戦演習が、見世物として予定されているのだとか。そちらにも昨日のような賭け事の催しを用意しており、昨日の賭け札を、ここでそのまま名義変更し再利用することが可能らしい。
……妙に阿漕なやり口の気もするが、しかしまあ、こんな風にみんなが夏日の活気で挑んでいるのなら問題もあるまい。強いて言えば、私なんかはその熱気に充てられて、そろそろ座って休みたくなってきたけれど。
「……、」
とはいえ、暑くてむさくるしいのはもうしばらくだけである。
なにせ、長い行列にもようやく終わりが見えてきた。六つほど並べて用意されている窓口が一気に開いて、私を含めた待ち人六人が、案内の指示で以って窓口へ進む。
「いらっしゃいませ。賭け札を確認いたしますので、ご提示お願いいたします」
「ええ、はい」
言われて、私はそのようにする。
「えー、……に、二万口でお間違え無いですか?」
「ええ、ベット先は桜田會の方にお願いします」
「かしこまりました。ではあちら出口からお進みください。ご幸運を、お祈りしております」
「どうも」
手続きはあっけなく完了する。こういうのがすぐに済むのは良いことに違いないが、……しかし何故だろう、並ぶ時間が長ければ長いほど、その呆気なさが妙に損に思える。
「……、……」
この札は、私のモノではない。
ゆえにこれは、……まあそれなり程度には、扱っておくべきだろう。
ポケットのカードケースに差し込んで、……それから私は、周囲を見回す。
辺りには、人がいて、屋台や売り子販売の声が響いていて、……そんな事情であるため、ベンチの空きを探すのには相当難儀しそうだった。
――あと数歩も先に進めば、アリーナの日陰が途切れ、私は日向に身を晒すことになる。
肌を炙るような暑さは心地が良いが、それも、こんな人込みでは少し野暮ったいものに思える。
ゆえに、私は立ち止まり、
「……、」
向こうに、背中を預けられそうなスペースを一つ見つけた。
妙にそこだけ人混みが薄く見えるのは、そこが、向こう二つの窓口への導線を上手く逸れた位置であるからだろう。競技館入り口からまっすぐこちらへと続く人込みを「川」にでも例えるなら、あそこはちょうど、小さな魚が住まう窪地のような空間であった。
目聡い人間は、さっさとベンチ探しに見切りをつけて、そこで日陰にうなじを晒している。
私も、ゆえに、そちらに足を延ばした。
「……。」
日陰を伝って、その空白へ。
人の活気を逸れると、その代わり、日差しが大気を炙るじりじりとした音が耳に残る。
と、そこへ――、
「あのっ、……公国騎士の方ですよね?」
「あ、はい。――ええと?」
いえ、と彼女はかしこまったように言う。
売り子、であるらしい。首から下げた売り台には、日を浴びて青い宝石のように光るソーダ水が、四列横隊で整列していた。
「先ほどの演説舞台で拝見して、声をかけてしまいました。お邪魔でしたか……?」
「……、……」
邪魔、ではなかった。しかし、人と話すのも、少し気怠い。
ただ、それ以上に私は、彼女の無邪気そうな表情に応えたくなって、
許容と拒絶の中間の、ほんの少しだけ許容寄りのつもりで、……口の端に軽く笑みを浮かべた。
「いいえ? どうぞ」
「そ、そうですか。よかった」
と言って彼女は、
整列するソーダ水のグラスを、一つ私に手渡してきた。
「私たちの領のために来てくださった騎士さまに、こんなお礼しか出来ずに恐縮ですが……」
「あー、……なるほど、せっかくですからいただきます」
私が受け取って、更に一つ笑みを返す。
「12ウィルです!」
「金取んの!?」
……いやまあ、喉は乾いてたしちょうどいいケドね?
私は、「商売上手ですねー(皮肉)」とにこやかに返しながら、彼女の差し出してきた魔術決済機にカードケースをかざした。
「じゃあ騎士さま! 頑張ってくださいね!」
「……善処しますよー」
たはは、と笑えてきて、
私はそんな溜息を、目的地の日陰にて。
ソーダ水で一息に飲み込んだ。
「……、あぁ」
……さらりとした甘みと、果物のジュースが織り上げる複雑な爽快感が、私の鼻を抜ける。細かく砕かれたアイスを口内でかみ砕くと、ひやりとした冷たさが舌の根に行きわたる。
確かに、おいしい。
夏の日に飲む炭酸は、どんなロケーションだって最高の一杯だ。
「――――。」
背を預けた壁面の冷たさが心地いいのか、それとも暑くて活気が気怠いのか、……或いは率直に、「してやられた」という感情か。
そんなものが綯い交ぜな、妙な気持になった私は、ソーダのグラスを壁の出っ張りに置いて、先ほど仕舞ったカードケースを三度手に取る。
「――。」
それを開けて、
中身、折りたたんだ『紙』を引き抜いて、用事の済んだカードケースは、もう一度ポケットへ。
その『紙』は、
――手紙であった。
「……。」
昨日の内に用意されていた、それはハルからの置き手紙である。
別れは、ただし、既に済ませてあった。私が敢えてこの手紙をここで取り出したのは、先ほどの、あの妙な心地による気の迷いだったのだろう。
その文章の最初の一文は、
……彼らしく、「遠回しで、本題を茶化すような小癪な話題」から始まる。
※次回、第四章完結。
更新はこのあと、午後六時ごろを予定しております。