4-6
彼、グラン・シルクハットの半生は、嫉妬と誤解とオフレコ案件に彩られたものであった。
……彼がその「冒涜的な事実」を聞いたのは、齢九つの頃。
彼と、レオリア・ストラトス、そしてパブロ・リザベルの三名はともに幼馴染であり、
――その日は、幼き彼らが、「彼女」に告白をした日であった。
「 」
彼は追懐する。
それは、とある春のうららかな日。
夏の兆しはまだ先だけれど、風に香る新緑は日を増すごとに瑞々しくなっていく。そんな頃の、
――日向の石畳が輝いて見えるような、そんな或る日のこと。
「おれと、けっこんしてください!」
幼きグランは言う。
「いいや、ぼくとけっこんしてください! かならずしあわせにします!」
幼きパブロが、そう言った。
その二つの未熟な恋心に、
……彼女、レオリア・ストラトスは、
「え? やだよ」
そう応えた。
「 」
それ以降の彼らの人生は、常世の地獄であった。
二人がその告白の場で聞かされた、彼女の抱える「倒錯的な真実」は、幼き精神にはあまりにもオーバーキルなダメージであった。しかしながら領主の娘たるレオリアに、側近の息子である二人は自分の都合だけで距離を置くこともできない。
また、……幼き二人にはあまりにも酷なことだが、彼女、レオリア・ストラトスは女神の造形美であった。
学友には「羨ま死刑」と喧嘩を売られ、頭のおかしい大人の悪の手を下した際には心無い嫉妬の罵声を浴びせられ、過日、お隣の国の王様がレオリアを、そのあまりのキュートさに我が孫の如く溺愛した際には、自制を求めた挙句ソレがこじれて国交問題になりかけて二人そろってストレハゲが出来そうになった。パブロに関しては実際出来たって噂さえあった。
彼らは、彼は、――その生涯において幾度となく叫び出す直前まで来ていた。
「こいつは、中身がおっさんだ!」と。
「お前らは、この加齢臭立ち上る言動に違和感を感じないのか!」と。
しかし、……それを言うことを、彼自身の「理性」が阻む。ストレスと理性に板挟みにされ、今日まで苦節二十数年。
彼は、そんな折に……、
「 」
自分を組み敷く男、……自分とパブロの、ただ一人と言っていい理解者の「声」に、
なぜだか分からないが、
――結果的に言えば、涙があふれて止まらなくなった。
「え!? な、泣いてんの!?」
「ぉあぁああああああああああああ(号泣)」
「……大の大人泣かせてンじゃないヨ。ったく。何しでかしたんだい? オネーサンに言ってみな?」
「こっ、心当たりがねえ! おいテメエ落ち着け! これじゃ俺が悪役みたいじゃないか!」
「まごうことなく悪役だよお前ぇえええええええん(号泣)」
「やめろ! やめ、やめろォッ! あーもー俺嫌だこの泣いた奴が一番強いシステム! こんなもん小学校までなんじゃねえの!? 大の大人が泣いてるんじゃどう考えても一番弱いのはこいつだろ!? おっかしいなあ俺今滅茶苦茶針の筵なんだけど!」
「あァあァあァあァ、こんなにハナミズ垂れちまってからに……。ほら、こいつのシャツでハナかみな?」
「俺のシャツを引っ張るな! ちっくしょうテメエ! いいから言えよ地図は誰が持ってんだよ! おい! おいてめえ!」
……さて、閑話休題である。
拘束を解いて座らせてやって、それでようやく落ち着いたグランに、俺は改めて言う。
「ほ、ほら。な? あんま悪いこといわないんだケドさ? 一応ほらあの、俺もこの勝負は勝ちたいって思てるし? それにあたっては君らのね? 地図なんかがあると助かるなあって思っててさ!」
「……、気持ちで負けた悪役の見苦しいこったァねーやなァ」
「うるさいユイ! だーってろ馬鹿!」
だってあれだろっ? また泣かれたら堪んないじゃん!
「……良かったら! うん! ホント良かったらなんだけど! 君らの内の誰が地図持ってんのか教えてくれたらーって思ってさ!」
「……、……」
と、そこでグランは、
……思った以上にしっかりとした言葉と視線で、
まずは俺に、――頭を下げた。
「すなまい。情けないところを見せた。……ストレス社会の弊害だ。勘弁して忘れてくれ」
「お、おう……?」
「それで、――はっきり言うと、俺はあんたの脅しに屈するよ。……レオリアが喫煙者だからって離れてくファンはいなくても、あんたの言ってるのはファンの意地とか培ってきた信頼じゃ如何ともしがたい性癖の話だ。結果的にレオリアが民衆に受け入れられようがそうじゃなかろうが、どっちにしたって国が揺れる」
「(く、国が揺れるのか……)」
「だから、俺の負けだ。――言うよ、あんたの聞きたいことを。……率直に言うけど」
――たぶんそっちの予想通りだけど、レオリアだよ。と、
彼、グランは、……妙に憑き物の落ちた表情で、そう言った。
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フローズン・メイズ南方、公国陣地最奥にて、
私ことエイリィン・トーラスライトは、……ちょっとだけ涙目になりながら、都合一五〇〇個目の雪玉を作って積み上げた。
「……寒い、寂しい。ううぅ(鼻水をすすりながら)」
これもそれもどれも全て、あの憎きカズミハルのせいである。私たちの頭数が二人な以上、どちらかが自陣にかかりつきで旗を守らなくてはいけない。それは分かる。分かってる。だけどそれって、じゃんけんとかで決めるべきなんじゃないの……っ!
「…………あーもお! もお! うわあ!」
腹が立って私は、手近な雪玉を壁に投げつける。
するとそれが、氷壁にぶつかってバサリと割れる。
あとに残るのは、――私の白い吐息と虚しさだけであった。
「……。(うるうる)」
先ほどの通話を追懐する。
それは、アナウンス曰く「ハルがウチの旗を三つ売り払った」と聞いて、私が掛けたものである。あの「交信」自体は半ば以上まで怒りと勢いだったし、実際私にはアイツへの文句の一つ二つ、言う権利があってしかるべきだ。だけど、
「――――。」
だけどやっぱりたぶん私は、あの時の楽しそうな雰囲気にいてもたってもいられなくなって、それでアイツに電話をしたんだって思うんだ!
「――――ッ」
切ることない! 切ることないじゃん! 私だって謝ってくれたら許すし、少しくらいそっちの状況聞かせてくれたっていいじゃん! 話し相手になってくれたって良かったはずじゃん! 無視って実際この世界で一番やったらいけないことなんじゃないの!? 違うの!?
「ぁああああ! ちくしょうぅ……っ!」
悔しさに私が二つ目の雪玉を無駄にしようと思った、――その直前、
「 」
――イヤーピースから、
懐かしい声が聞こえてきた……。
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『ハ、ハルですか! わ! ハル! ハルだ! もうっ、心配したじゃないですか! えっと、こっちはたくさん雪玉作りました! 私もそっちが謝ってくれたらこれまでのことは許してあげますからね! 良ければコレっ、雪玉一五〇〇個そっちに持っていきますよっ! どこにいるんですかハル! ハルぅ!』
「……、……」
犬の吐息が聞こえてきそうな勢いの電話口の様子に、俺こと鹿住ハルは、一瞬だけマジでさっきの放置プレイの反省をしそうになる。
……が、まあ仮に反省などをする機会が万に一つの確率で訪れるかもしれないとしても、それは少なくとも今ではない。喉元まで出かかる感情を俺は飲み込んで、その代わり通話先のエイルに、言うべきことを俺は伝える。
つまりは――、
「――出番だ」
『!』
そう、俺が短い言葉を言うと、
……打てば響くような返答が、向こうから返った。
『や、やった! 遂に! わた、私! 何でもしますよハル! どこにだって行くしなんだってします! どうしたらいいですかハル! 任せてくださいねっ!』
「……、……」
……やっぱ後でなんか甘いもの買ってあげよう。これはちゃんと覚えておこう。
ということで、話を本筋に戻そう。
「……ああ、ちょっと大変かもしれないけどな?」
『ドーンとこーいッ!!』
俺はエイルに、この先の作戦を説明する。
……そして、一通り話し終わった後の彼女の元気ハツラツな返答に、
「――よし、任せた」
俺はそれだけ言って、――通話を終了した。