『ビフォアラグナロク_/3』
バスコ共和国内領ストラトス領地。
そこは、肥沃な山と、それら自然から流れ落ちる栄養素を領内各所に分配する大きな河川を内包した、国内きっての有力地領である。
一時期こそ斜陽の間際にあった彼の治世は、しかし当代領主レオリア・ストラトスの尽力によって現在の地位までの復権を遂げた。バスコ共和国の持つ「三つの悪性腫瘍」は国内外に周知されたいわゆる「爆弾」であるが、領主レオリア・ストラトスの都市開発整備によって、ストラトス領地は共和国内において、唯一採算に計上できるだけの観光収入を叩きだしている事でも知られている。
そんなストラトス領が観光分野において打ち出す強みは、肥沃な自然環境による「食事」と、そして人の感情を根こそぎ持ち上げるような、「景気の良い夏の日差し」であった。
しかし、その日。
暦上で言えば間違いなく「夏の日」であった彼の領地には、
――しんしんと、雪が降っていた。
「おー、マジで雪降ってんな」
「……さ、寒いっ? いや暑いっ? あれっ? 寒いのかな!? うぅー」
てな感じの景色を、俺こと鹿住ハルは、彼女ことエイリィン・トーラスライト、エイルと共に歩いていた。
「……上着着たら?」
「そしたら暑いんですよお……。あうぅ、汗かいたうなじに雪が当たるのホント辛い」
「……、……」
空では「魔術的に生み出された雪雲」が、太陽の光に放逐されることなく六部曇りを作っていた。振り落ちる雪は不思議と夏の気温でも地上まで到達し、しかし着地の間際、陽炎に焼かれて吹き消える。
「――うひゃ!? ち、ちくしょうまただ! またヒヤッとした! くっそぉ何が『真夏に雪とかロマンチック!』だってんだ! 領主だからって自分の領地に何降らせてもいいってわけじゃないだろうがあ!」
「…………。」
ウラの言い出しっぺこと俺的には、胸中で街行く全ての方に平服投身謝る他にない。
……と、言うのも。
全ては、昨日のあの晩酌の最中でのやり取りであった――。
――昨日のあの後、
俺がトイレから帰ってきても、執務室での晩酌は一向に終わる兆しがなかった。
妙に会話に花が咲くものだから一升瓶の減りも緩慢で、俺たちは何となく区切りを見いだせないまま、もうしばらくばかりとあの暗い部屋で酒を酌み交わしていた。
差しあたっての話題は、やはり、『仕事のこと』だ。
「……ということで、ひとまずウチとそちらが手を組むための『手続き』は決まりましたが……」
「問題はまァ、下々のキモチの方だよなァ。受け入れられてから実際に地盤を固めるまでで手こずるんじゃァ、その内に魔王サマの方が何しでかすか分かったもンじゃねーわけでヨ」
「問題は、アイスブレイクですか……」
アイスブレイク、アイスブレイク、と。
夜謐の空間に、呟き声が浮かんで消える。そんな状況であったものだから、
……あと、ついでに言えば俺たちみんな酔ってたわけで、
「アイス、ブレイク……」
そう、俺も呟いてしまう。
そして、口走る。
「アイス、ブレイク。……なあ」
「はい?」
「――雪合戦したくね?」
「ふっハハハっ! ンだそら傑作じゃねェか!」
――とまあ、これがコトの顛末である。あの後レオリアが酔った勢いで「もうじゃあ今魔法使っといてね、明日雪降らせちゃいましょう!」とか言ってたのは流石に冗談だと思ってたのだが、いやはやマジでやるとは恐れ入った。アイツはマジモンの馬鹿であったらしい。
……ちなみに何が馬鹿って「今日も普通に夏日だと思って前日から仕事の準備をしていた全ての人に対して何の配慮もしていなかったこと」である。率直に言ったら冷たいモノ屋さんとか丸一日分の仕込がパーに違いない。為政者としてはマジでアウトと言わざるをえない。
「……、……」
まあ一応、これについてはどうやら、「急な異常気象」への補償としてストラトス領からお金が出るらしいことが、この街の今朝のローカル新聞に載っていた。その時などは「急な異常気象」なんてワザとらしい言い回しに流石の俺も思わず朝食を吹き出したりしてたのだが、……しかしよくよく考えるとこの領政府の重大な人災隠蔽を知ってしまった俺はもしかしたか危険が危ないのかもしれない。気を付けて生きよう。
というわけだったってことで閑話休題。
俺たちは今、『とある競技場』へと向かって歩いているところである。
……なおこれについては、今朝のレオリアとのやり取り曰く、
「や、っばい。マジでやっちゃった……」
「雪が降ってるゥ! マジでヤるたァ御見それしたぜセンセー!」
「…………。(愚王を見る目の俺)」
「…………………………………………分かった。分かりましたよアフターフォローです。良いですか皆さん。桜田會さんも公国ゲストお二人もそこのシンクタンクも、――今日は私たちで雪合戦をします」
「「「「「「「「えっ?(昨日寝てた連中の困惑)」」」」」」」」
「それを見世物にして顧客にお金を落としてもらって、そのカネを『この寒さで売り上げ不振があった業種』への補填金に充てます。良いですかほら皆さん急いで! 顔洗って朝ごはん食べたらお仕事ですよ! ホントマジで会場準備も広告宣伝も何もかも手付かずなんで私にできることでよければなんだってするんでお願いですから手伝ってください今日を逃したら本気でこの領が倒産しちゃいますッ!!(泣く寸前)」
――っていう経緯である。
レオリアの機転こそ流石の貫禄だったが、しかし残念、その手前にやらかしたことがマジでエグすぎて全員からの評価は底値の底値で落ち着いた。
のだがまあ、……しかしひとまずは、
「……、……」
今朝中に全力で各種準備を進めて、以下の、
……「ストラトス領が桜田會を正式にギルドとして認可すること」、
……「両勢力の結託で以って『北の魔王』との対抗を行うこと」、
……「そのアイスブレイクがいきなり今日ゲリラで開催されること」。
と、この三つを広告する手番だ。
しかしながらそれにあたっての具体的な「稼ぎ方のプラン」や「各種手続き」などは、素人に力になれることでもない。そんなわけで俺たち二人は、こうして雪降る夏の石畳を、たまに「ひゃあ」とか「つめてッ!?」とか悲鳴をあげつつ歩き進めている次第である。
「流石に、今朝は人が少ないな……」
「この寒さですし、平日ですしね。……あーでも、あんな損害補填なんてものを明言しちゃった時点で、今日は休みってことにしたお店も多そうですね。名目上はオープン貼っといて、中身は殆どもぬけの殻みたいにしておけばいいわけですし」
「……マジで大出費だな。下手すりゃこの街の一日分の総売り上げ全部賄うような羽目になるんじゃねえのか?」
「まあ、実際の支払保証金の方に目減りは少なからずあるでしょうケドね」
……とはいえ、昨日の馬車で彼女から聞いたことを思えば、この辺の実例造りはむしろ彼女の治世には好作用なのかもしれない。
曰く、「自家生産の自家運用」という彼女のテーマにおいて、「それが『偶発的要因』で上手くいかなかった戸口への補償的制度」を確立するつもりだとか。ならば今日のこれは、ある意味でその「偶発的(?)原因」の一つとも取れよう。
彼女がどのような一手で以って「一日分の経済停止」をフォローするのか(或いはそもそも出来るのか)は不明だが、しかしまあ、それを考えるのは彼女の仕事である。俺は遠巻きに眺めていればいい。
さてと、
「なんだか、ぐっと電車移動が身近になったよなぁ」
「コンテナ輸送がお気に召していましたか?」
「いや、……ありゃもうこりごりだ」
駅舎のシルエットが見えてきて、俺はそう独り言じみて呟く。
発車は十分後、そのあとは更に十分ほど電車に揺られることになる。
……別に名残惜しくなったわけでもないが、俺は、
ふと後方の、六部曇りに雪が降る夏の日差しを、振り返って少しだけ眺めた。