2‐4
時刻は進んで、現在。
黄昏れ始めて光量を増した日差しが、濃い影を作る客間にて。
「……、……」
「……、……ふう」
そこでは、先ほど済ませた「腰を据えた授業参観」も踏まえての結論を、レオリアが出すところであった。
「はっきり申し上げますと」
「……、」
「――あなた方の教育スキルは、私共の領地においても非常に魅力的であると、認めざるを得ません。……ユイさん」
彼女はそう言って、
――片手を差しだした。
「これは、思わぬ拾い物をした。あなたの申し出は、何ならこちらから平服申し上げたって良いものでした。是非とも、我が領にあなたの事業のお力添えをお願いいたします」
「そりゃァ良い。はァ、今日は実に良い日ですなァ!」
そしてユイが、レオリアの手を取る。
それは、明確なストラトス領と桜田會の和解であり、
そして何より、――バスコ共和国の明日に希望が灯った、その瞬間であった。
「……んで、結局あれか。レオリアは、ユイの奴隷事業を教育事業だってラベルに張り替えるつもりだってオチだ?」
「そうらしいですね。……公国騎士の立場としては、少し悩ましい光景でしたけど」
帰路にて。
俺とエイルは二人、馬車に揺られて今日のことを振り返っていた。
なお、ユイとレオリア(と携帯シンクタンク二名)は、別の馬車で打ち合わせ中である。なんでも「ここからはグランとパブロの知識が必要になるから、申し訳ないけどこの席割りで」とのこと。
……察するにレオリア自身も、こうもあっさりと話がまとまる予定ではなかったのだろう。桜田會の国際的な印象を思えば、少なくとも公国騎士であるエイルの意見は聞いておきたいはずであって、こんなふうに人数が二手に分かれるというのからレオリアにすれば苦渋の一手であったはずだ。
まあ、言ってしまえば「俺とサシで話すための裏工作」がアダになった形である。実際レオリア的にはギリギリまで全員で一つの馬車に乗れないか試行錯誤していたのだが、ありゃどう考えても無理だった。何が無理って男二人に囲まれてギューギュー詰めってのが完全に無理。むさ過ぎて窒息死するかと思ったね俺死なないはずなのに。
……まあ対岸の方は天国の光景だったけども。
「しかしなあ。分からんのがあの『学校』の教育水準だよ、なんだってあんなにみんな活き活きと勉強してんだろーなあ」
「確かに、驚きました。一般教養の授業以外にも、敢えてあの『左脳と右脳にそれぞれ働きかける授業』、でしたか。そんなものが体系化しているというのは破格に思えます」
「……、……」
エイルの言っているのは、何のことではない。ただの『国語』と『数学』のことである。
ユイが俺たちに説明したのは、敢えて一般教養を後回しにしてまで「脳を育てる」という教育論だ。俺もレオリアも、ユイからそれを聞いて改めて「なるほどあのクソ忌々しい勉強の時間はそのためにあったのか!」と冗談めかして話していたのだが、
「そもそも、私たちの世界における教育の定義には、『脳を育てる』なんてお題目はありません。ユイさんの行う『教育』は、私たちの言う『教育』とは全く別のモノだ」
……その辺については、俺なりに納得感のある答えを見繕ってはいた。
まずは、この世界は俺の世界と比べても「死と闘争」が民間レベルまで身近に浸透しているという点だ。
魔物がいて、個人が魔法やスキルと言う無形の凶器を常に携帯していて、更には冒険者なんて言う荒くれの事業が幅を利かせる。……様々な要因が個人の寿命を短くして、また子供の成人率を引き下げる。そんな世界で「脳を育てるなんて言う遠回しな教育」をしていて、「脳が仕上がる前に子どもが死んでしまった」なんて展開は考えるまでもなく嫌厭されるだろう。
それに加えて言えば、そもそもの「一般教養の幅」にも、ここと俺の世界とじゃ明確な差がある。
日々の生活が、俺たちの世界のそれよりもずっと「自然」に直近であるこの世界では、個人の持つ教養がそのまま生活必需品となる。更にはこの世界には、魔法だのスキルだのと便利すぎる教養が席巻してもいる。
……やはり、こんな状況で敢えて「大器晩成のための教育」を選ぶ人間が生まれづらいという背景は、あって然る筈だ。
が、しかしさてと、
「俺が気になるのは、それよかあのガキどもの積極性だな」
そもそも『算数』や『国語』を授業に取り入れただけで、先ほどの208÷63みたいな複雑な暗算を小数点以下まで正確に答えられるはずがない。
……まあ実は、あれで本当にあの奴隷ちゃんってのがガチで破格の天才だったらしいことは後になってユイから聞かせられたが、しかしそれでも、あそこの『生徒』らはみな、「もう少し簡単な計算であればソラで小数点以下まで正確に答えられる」位の水準であった。
「……ユイさん曰く、私たちが見た教室は特に数字分野に素養がある子たちが揃っていたとか」
「でもだよ。それでも異常だ。……得意教科を伸ばすってんで、早い時期から文理分けしてるってのは、まあ連中が『さっさと手に職つけなきゃいけない奴隷って身分』だってんでよく分かるが、そもそもありゃ、既に手に能はついてるような状態だろ。実は全員転生者で中身は大人だって言われても俺ちょっと信じるぞ」
「……それは、奴隷の頭が良すぎる。という話ですか?」
「あーまー、それもあるけど。それ以上に積極的すぎるし効率的すぎる。人生一巡目のガキとは思えないくらいに、自分にとって必要なスキルに貪欲で、更に時間の節約に長け過ぎだ」
「それは、――奴隷だからこそではないでしょうか」
「……、……」
俺は、肩をすくめて押し黙る。
何せ彼女の言うのは、俺にだってわかっている事であったために。
「……、」
そもそも、――この世界はバランスが悪い。
街道が整備され、街並みは清潔であり、人々は活気にあふれていて、それでも人々は、未だ死と隣り合わせである。仮に俺の世界がゾンビなんかに侵略されたとしたら、俺の世界の住人達は死と隣り合わせの日常に潰され、倦怠感によって文明が先細って言ったに違いない。
……では、俺たちと彼らでは何が違うのか。それは簡単だ、胆力一つである。
じゃあ、――どうして違うのか。
それがわからず、俺は独り言のようなものを、一つ嘯いた。
「……奴隷ってのは、あんな風にふざけた速度で成長しちまうくらい、大変だってことなんだよな」
「正確に言えば、彼女らが奴隷に身をやつす前身でしょうね……」
――嫌なものを見た、と。
俺は思いながら、そして先ほどまでの光景をどうにか忘れてしまおうとしながらも、……それでも、あのガキどもの表情が脳裏に残ってどうしようもなかった。
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妙にダウナーな馬車の復路は、そんなわけでつつがなく終わった。
往復分の腰の疲れは流石に堪えていると見えて、エイルは馬車を下りた先で、思いっきり腰を逸らして伸びをしている。……俺は自前のスキルで疲労感の蓄積もないが、あんな風に気持ちよさそうにされると流石にちょっと羨ましかったり。
「いやぁどうも。すみませんねお二人とも、今日は付き合っていただきまして」
「いえそんな。私はこれも、仕事の一環ですので」
レオリアの気遣いに、エイルが答える。
そして、その他方で俺は、――ふと気付く。
「(ま、待てよ? どうして俺はわざわざ自分の時間を返上してまでこいつらに付き合ってるんだ……!?)」
そう、よくよく考えたら俺ってば全く以って関係ない。まあ確かにこの案件の企画発案には俺の一助もあるが、でも別に乗り掛かった舟だっつって最後まで乗り続けてやるような義理もない。
おっと待てよ? 俺マジでなんでこいつらに付き合ってたんだっけ……ッ!?
「……、……」
……今更ながらに甦る。今日の午前中の快晴の心地良さ。
しかしながら日差しは、今まさに傾ぎ落ちる最中に来ていた。
畜生ふざけんな、こんな世界に誰がした!
「…………(泣)」
なんて風に胸中で冬の海風のような感情が渦巻いている俺に、しかし、
――レオリアが、「回答」を一つ。
「ハルさんも、いやあ助かりましたよ。気だるげなフリで、しかし要所要所には的確な意見をいただいてしまって」
「えーえーまーまーそんな、お気になさらずぅ(渾身の営業スマイル)」
「ではね、約束通り……」
「……はい?」
「昨晩の約束通り、ですよ。――今日は、この領地で一番良いお肉を、ご馳走させていただきます……っ!」
「!」