Extra..
ねえ、聞いた?
聞いた! 知ってるよ!
この奥にニンゲンがいるんだってね!
どうしてだろうね。食べちゃわないのかなぁ?
キャハハハハ。
キャハハハハ。
でもね? 会ったらいけないんだってよ?
どうして?
どうしてかしら。
メンカイシャゼツって言われちゃったの。
大ケガしてるんだ! かわいそう!
違うわ。ケガはしてるらしいけどね。
じゃあ、どうして?
どうして?
なんかね? 魔王サマが言ってたんだけど……
この奥には、あのカミサマの巫女がいるんだって!
「こら、うるさいぞ」
とある夜色の回廊にて、
「彼」、……ヒトと竜をまぜこぜにしたような風貌のその男が、とある扉にまとわりつく「妖精ども」を掌で追い払った。
「全く君たちは。この奥にいるのはヒトである以前に魔王殿の客人だぞ? もう少しくらい遠慮はないのかね……」
彼はあくまで独り言ちるが、そこに先ほどの妖精たちの姿はすでにない。
いないが、聞いているのは分かっている。ゆえに彼は、あくまでそれを、声に出して言葉に変えた。
「失礼、客人殿」
言って、彼は小さくノックを三つ。
その奥からは、未だ若い女性のものらしい声が、短く返った。
「長く待たせてしまって済まない。こちらの準備が整ったゆえ、用意がよろしければ扉を開けていただきたい」
――用意? なんの? と、問いが返る。
「それは、……いやなに、君はヒト種ではあるが女性だろう? ぶしつけに戸を押しのけることなど出来ないよ」
彼のその返答に、言葉は返らない。
その代わり、
……ぎぃと蝶番が音を立てた。
「――用意なんてないわ。三日も監禁されてたんじゃあ、時間なんて幾らでもあったもの」
「……いや失敬。こちらとしても急いだつもりなのだがね。それに、君を外に出すわけにはいかない。分かって欲しい」
「……、……」
意地悪を言った、ごめんなさい。と、
「彼女」は彼に、そう短く返す。
「それでは、付いてきてくれ給え。これより往くはヒトの領域の外にある文明の極致だ。一つ試しに、気に留まるものがあれば遠慮せず足を止めてくれ」
「要らないわ。用事を済ませるだけよ」
「ふむ。そうか。……では、行こうか」
彼が、彼女を先導する。
そうして歩くのは、延々と続くような絨毯の路である。
右手には壁と扉が、そして左手には夜を映す広い窓がある。
今宵は、……どうやら月の明かりが強いようであって、
二人の行く姿を、月が、細く長く回廊に映し落としていた。
「……ちなみにな、あそこにある花瓶は立派だぞ。ドワーフの国の秘宝だ。それに活けた花は――」
「いいって」
「失敬。………………あっ、でもこれは凄いぞ? 彼の有翼種の名工による――」
「興味ないってば」
「…………。そうか」
「……、……」
「……、……」
「……。」
「……。」
「(そわそわ)」
「(溜息)。……あれ、見事な絵だね」
「! そ、そうなのだよ、目の付け所が素晴らしい! あれも有翼種による一品でな、彼らは空が身近ゆえ、文化的なスケールで以って俯瞰的な造形美に縁が近しいようで……」
「……歩きながら聞くわ」
がっつりと足を止めて目を輝かせた彼に、彼女はそう言って先を行く。
……情に駆られて乗ってはやったが、これは逐一セーブを掛けなければあと追加で一日くらいは足止めされそうだ。なんて胸中で呟きながら。
「こっちでいいのよね?」
「ああ失敬……!」
先行を始めた彼女に彼が追いつき、更にもう三歩進んでこちらを振り返る。
「いや申し訳ない。人間種族に我が王の城を紹介する機会には縁がなく、少しばかりはしゃいでしまったかもしれないな」
「……………………、お構いなく」
三日かけて築いた緊張感がものの三十秒で瓦解しそうな予感に、彼女は強いて気を引き締めた。
「それで、これだけ待たされて私は、そっちの王サマになにを話して聞かせたらいいわけ?」
「ふむ? それは、どうだろうな」
「……なによ? はっきりしたら?」
「いや、なに。……我らの王は、意図に希薄でな」
「?」
意図に希薄、とは妙な言い回しだ。と彼女は思う。
「意図が希薄」と言われれば言葉の通りだろうが、はてさて言葉の取り回し一つで、ここまで意味が不透明となるものか。
「まあとにかくだ。君は聞かれたことに答えればそれでいい筈だ。そう気負う必要はない。我らが王は、まあ。……呆れるほどどこまでも寛大であるゆえにな」
「……、……」
言葉通りに受け取るはずがなかった。
なにせこれから行うのは「一国の主との謁見」である。服芸を生業とするような手合いに、思い付きそのままで返答を選んでいいわけがない。
彼女は、
「(言葉を濁したってことは、……アドリブで答えてほしい質問が飛んでくるってわけね?)」
――再三、強いて気を引き締めた。
そして……、
「では、この先である」
「……、……」
「その扉」が、彼女の前に現れる。
「……、……」
まず初めに、彼女は、……その扉が思いのほか「小さかったこと」に驚いた。
何せ相手は『魔王』などと誇大な広告を掲げる手合いだ。彼女としては、巨大な観音開きの扉の奥で楽団一つが待機しているくらいあってもおかしくはない、と。そう考えていたのだが、
しかし、
……思考の片隅で、彼女は「その匂い」に気付く。
「(料理の、匂い?)」
まずは、果物に火を入れたような官能的な香りがある。
その内を精査すれば、香草や香味野菜の匂い、それに肉脂を炒めた匂いなども確認できた。
それはまさしく、……食事の香りである。
「では、――これより待つは我らが魔王殿との謁見である。その拝見に預かれる至極をよく噛み締め、また惧れながらもこの先に行き給え」
「……、……」
戸が、開かれる。
まずは光が、そして香りが彼女の頬を撫でる。
闇夜に目が慣れた彼女は、……遅れて向こうの景色を確認する。
「――――。」
――白く、
そして清潔で、どこか暖かな印象の介在する一間であった。
壁には白磁の生地が敷かれ、各所には柔らかな木目調の調度品が確認できる。また、食事の香りの奥底にはなにやら木の匂いがあり、それで彼女は部屋の奥の、火の無い暖炉に遅れて気付いた。
それから、
……なによりも、
「――どうもこんにちは、遠慮なく座ってください」
「……、」
「彼」の存在が、彼女の意識の最中央にある。
――魔王カルティス。
バスコ共和国における三つの力点、『北の魔王』の首領にして、ヒトの敵対者である魔族の最有力候補の一人……、
彼は、
「歓迎します。――冒険者、リベット・アルソンさん。今宵はどうぞ、友として歓待を楽しんで下さいね」
「……どうも」
そう彼女を手放しに迎え、
他方のリベットは、表情を消して席に着いた。
〈第五章『ビフォア・ラグナロク』へ続く〉
※次回第五章『ビフォア・ラグナロク』につきまして、
更新は8日後、6月27日のいつも頃を予定しております。もしよろしければ、引き続き当シリーズをどうぞよろしくお願いいたします。