epilogue_02
「おーい、起きろー」
ぺしぺし。と俺が「彼女」の頬を叩くと、
フードが降りて、その中の貌が露わとなる。
――風景は、夏の夜の空虚たる平原の下。巨大な月が地表を暴き、ここから空を見上げるのでは星が一つたりとも見つからない。そんな夜のこと。
彼女、「理性のフォッサ」は、
「ぅう。……んむ」
妙に気の抜けた声をくゆらせて、長い睫毛をふるりと揺らした。
俺と彼女との戦闘は、あまりにも呆気なく完了した。
飛空艇からの強襲落下と、それに追随する石礫の爆撃。それから地表での衝突ではただ一度分の破砕爆発である。これだけで、この夏の夜の陰謀は滞りなく収束したのであった。
そんなわけで現在は、首謀者の一人である「理性のフォッサ」を連行しつつ手近な人のコミュニティを探しているところである。
果てさてしかし、いや全く。
……文明の光が全然見当たらない。どうしようかなあ。
「おらー。きりきり歩けー」
「……うるさい。蹴るな」
ちなみに彼女の拘束は、自爆スクロールにて行っている。やり方は簡単、スクロールを広げてそれを彼女の身体に二重三重に巻き付けるだけだ。無論ながら大した拘束にはならないが、「俺がちょっと起動命令を送ったら即座に爆発四散だぞ」って言っとけば抑止力には十分である。
問題があるとすれば、……彼女の不穏な動きを見逃さないよう、俺が常に気を張る必要があるという点だ。まあ彼女自身結構な美人さんで眺めてる分には現状眼福なんだけど、でもやっぱ多分いずれ飽きると思うのである。
「(……いやマジで、どっかで自治体に引き渡さないと最悪『もういいやコイツ逃がしちゃおうかな』ってなりそうで怖い)」
なにせ、行けども行けどもヒトの気配が皆無なのだ。
目的地が見えているなら、「まあそこまでは俺だって頑張ろうかなあ」ってなるけど。これじゃ終わりのないマラソンである。人類に対する奉仕の精神のみで彼女を捕まえている俺的には、そもそもこのボランティア自体に対して思い入れはないのだ。っていうか、ここでこの女を逃がして北の魔王に多少なり恩を売った方が得だったりしないかな……。ぶっちゃけ多分俺人間側より魔族側の方が能力活かせると思うんだよね。さっきロリのヤツにも「ヒトに仇為すマインドしてる」って言われたし。
「おい、人間」
「……うん? なんだ? トイレか?」
「違う。……貴様の目的はなんだ。どうして私たちに敵対した?」
「……、……」
それを、敢えて聞くのか。
「……。」
まずそも、彼女は魔族である。
魔族はこの世界において、人間種族と敵対している。ゆえに「俺が魔族の思惑を挫いたことに理由などはない」と考えるのが普通だろう。
仲間を助けるのに理由が要らないように、敵を倒すのにも理由はいらない。見敵必殺とまでは言うまいが、しかし「魔族側の思惑」がヒト種族に対して少しでも不利益をもたらすのであれば、それは条件反射で以ってヒト種には唾棄される。
もし、……仮に。
この「条件反射」を克服し、敢えて「魔族対ヒト」の構図を利益で計算しようと思う手合いがいるとすれば、そいつは為政者の類か、或いは……、
「人間。貴様が冒険者であるなら、言い値を出そう。この拘束を解いて、ギルドには私を取り逃がしたと伝えろ」
「……、……」
「私が『北の魔王』の幹部であることは理解しているだろう? 我らが王は、恩人の種族になど拘らない。なんなら私の客人として迎えてやってもいい」
「敬語使え捕虜こら」
「……興味はないと、そういうことか?」
「先に言っとくけど、テメエら二人の起こしたこの事件については、底の底までお見通しだ。バスコ共和国における『サクラダカイ』の孤立。これが失敗して、しかもこのままじゃ黒幕が『北の魔王』だってところまでバレんだろ? そっちのボスは、そんな極刑モノの大ポカやらかした部下にも優しいのかね」
「……、」
「ただまあ、今はまだポカはしてない段階だ。今から全力で急げばまだ飛空艇をクローズドサークルにしたままで撃ち落とせるかもしれない。今はまだ、この一件の成否が決まり切ってはいない状況だ。当然、いつ飛空艇が緊急着陸でもして、他所と連絡を取り合える状況になるかは分からないけどな」
「……。」
つまり、俺が彼女を逃がせば、その足で彼女は飛空艇を撃ち落としに行く。逆に言えば、そのタイムリミットが完全に不明となったからこそ、彼女は俺との交渉を可能な限り迅速に進める必要がある。
例えば、
――このように。
「……何でもする。支払える代償ならなんだって支払う。だからどうか、あなたに、――お願いします、どうか、人類を裏切ってください……っ」
「……。」
さて他方、俺であるが。
……人類にも、魔族にも、求めるものなどがあるだろうか。
彼女などは今まさに、瞳を潤ませ貞操さえを交渉卓上に挙げたような顔をしているが、それに魅力は感じない。彼女自身は眺めていてしばらく飽きないくらい魅力的ではあるが、しかしそもそも、人一人の身柄など俺にとってはただの荷物である。そこに容姿や能力における貴賤などはない。
そして、――無論ながら種族を考慮したって貴賤は無いのだ。
「……、……」
人も、魔族も、俺にとっては並み一通りに貴賤のない「ただの知的生命体」である。背反する彼ら二種族に何も求めるもののない俺は、ゆえに至極フラットに彼らを見ている。
ここで、……仮に、俺が「ヒト」と「魔族」と、どちらに与し、どちらと敵対するかを決めるとすれば、
利があるのは、或いは……、
「失礼ながら、鹿住ハルさまとお見受けいたします」
「……あ?」
忽然と、
月明りのみの平原に、人影がもう一つ浮かび上がった。
後方から響く声に、俺は振り返る。
「お初にお目にかかります。私の素性は明かせませんが、あなたをお迎えに上がりました」
「――――。」
それは、初老の紳士だ。
この世界の意匠とは明確にかけ離れたデザインの黒スーツに身を包んだ老紳士。それが唐突に、……だだっ広い平原に現れた。
「…………。知らない人について行っちゃダメってことになってるんだよ。悪いけど」
「成程。では不承ながら、座標の方を引き寄せることにいたしましょう」
世界が、
――流転する。
「 」
それは、夜が朝になったような、或いは地が天に成り代わったような現象であった。
下が上に、上が下になったような「不自然な感覚」。それは、しかし思い直してみれば一瞬にさえ満たない幻覚であって、
そして、
「……。なんだ、こりゃ」
再び、朝が夜となる。
星は元の位置に戻り、雲は先ほどと同様のシルエットにちぎれている。
変わったのは、それ以外の全てであった。
……周囲の風景にて。まず初めに目に入るのは「明確な文明性」である。先ほどの平坦な草の群れとは違う、それはどこまでも石積と整序で成り立った「街並み」だ。
宵闇の降りる一帯には、夜に底冷えした灰色のレンガが軒を作り、またその全てには「明かりが灯っていない」。
ゴーストタウン、などと言うには秩序が過ぎる。
過日楠木の国で見た街の遺骸とは全く異質の、或いは毒殺にて死に至った街のような印象だろうか。「損壊のない死体」とでも称すのが最も妥当に違いない。その「街」は、ただすらに魂のみを欠いたような有様であって、ゆえに、
俺ははっきりと、その異様に意識を「空白」にする。
それが、いけなかったのだろう。俺が「それ」に気づいたのは、明確に状況より半歩遅れてのことであった。
「ちょっと待て、……フォッサどこやったジジイ」
「こちらに」
再び、俺は声のする後方へと振り返る。そこにはやはり、先ほどと同様にして老紳士が忽然といた。……ただし、今度は彼女、「理性のフォッサ」を片手に引きずりながらであるが。
「……、……」
「お荷物は預からせていただきましょう。私は、これにて」
遠目にもはっきりと、彼女「理性のフォッサ」は意識を手放しているように見えた。しかしそれ以上は分からない。分かるのは、今彼女が「死んだように」四肢をなげうっている事だけだ。
……しかしながら、
「……、……」
それに拘泥すべき時間は、今ここに終結したという他にないだろう。
何せあの老紳士は、「自分『は』離脱する」とそう言ったのだ。
事態は今、何かしらの、――『次の段階』に移ったらしい。
「……。」
「見つけた。アイツだなぁ? って、なんだ、大して強そうでもないな」
「また悪い癖が出た。アイツがフォッサをのしたの見たでしょ?」
「……ね、ねえ。なんでわざわざウチら真正面から登場してんの? 絶対悪手じゃない?」
「大将のお申しつけだ。なんでも、しっかりド正面から痛めつけてやってほしいらしい」
「…………。気の毒に、アイツは一体なにをしでかしたんだ」
声のやり取りと共に、「足音」が五つ。
彼ら、彼女ら、先の紳士と同様に、この世界のモノではないスーツを気崩したそいつらは、
名乗りも上げず、俺と視線を交わすこともなく、
――至極当然のように、
「――――ッ!」
「――――なっ!?」
ただ一足の跳躍で以って、俺の懐へと殺到する!