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楽園の王に告ぐ.  作者: sajho
第一章『旅のはじまり』
10/430

2-4

04


 彼女、エイリィン・トーラスライト改めエイルとの面談を終え、俺は施設一階の受付ロビーで、ギルドの登録証と、()()()()()()()()()()()()を受け取った。

 登録証の方は、ぱっと見では俺の世界の免許証などと変わらない様子のカードであった。ちなみに受付さん曰く、俺の名前のところはこの世界の言葉に直しておいてあるらしい。確かによくよく考えてもみれば、身分証提示を求められるたびに名前表記が文字化けしてるとか不審者待ったなしに違いない。

 また、流石に顔写真などは乗っていないが、俺の素性や身元証明人の情報などの、個人信用にかかわる項目と、それから冒険者ランクなる項の表記が確認できる。そのうちの冒険者ランクとは、窓口で聞いたところそのまま冒険者の等級を示すものであるらしい。下は準三級から上は一級まで、このランクによって受けられる依頼や、設定報酬などが変わるという。

 なお俺については、この項目は空欄であった。どうやら例の「強襲者捜索任務」の設定難易度に合わせたものを後日改めて入力してくれるらしい。今はまだその依頼の難易度が不明なため、俺の等級も決められないのだとか。

 さて他方、布袋の方であるが、

 ――当然、中身は貨幣である。なおその中身は全て硬貨であった。

 曰く、中身の総額を相場で例えれば、中流の宿に二十日泊れる程度であり、食事換算で言えば一日に二度の外食で一か月分程度とのこと。

 ここは少し掴みづらいが、窓口の人間が具体的に日本円換算で説明してくれるわけもない。今後の生活で金銭感覚をつかんでいくほかにないだろう。

 ただ、

「……、……」

 仮に一日二度の外食を一五○○円程度で済ませられるとすれば、この布袋の中身は四五〇〇〇円分に当たるということになる。それを宿二十日分で割れば、一泊当たりの宿代はおおよそ二三○○円程度だろうか。俺の世界で言えば、その値段で泊まれる宿など中流どころかカラオケか漫画喫茶が関の山である。

 つまりは、物価同士の相関にもある程度の違いがある。仮に宿代が特別安いのであれば、この世界ではそれだけ宿を借りるという選択肢が当たり前なのだろうし、逆に食事代が高いのであれば、つまりはこの世界で外食は嗜好品色の強いカテゴリーに入るということになる。

 そのあたりの理屈を探れば、今後の節約は難しい問題ではなさそうかもしれない。そもそも、ギルドという根無し草概念が身分証を発行できるまでに普及した世界であって、まずこの場合、外食が高いのではなく宿代が安くなっているのだろうし。

 ……ちなみに、俺が金を使い果たした場合には、またこの施設に逃げ込めば保護してくれるのだとも言っていた。その場合、先にあのシアン・ムーンが言っていた通り、俺は堅いベッドで寝ることになるのだろうが。

 さてと、閑話休題である。

 時刻は夕暮れ時だ。

 この世界の今の季節は、風の具合だけでなく日の傾ぎ方も春のそれであるらしい。先ほどあの施設を出て俺が街を見聞していると、すぐに日が傾ぎ、街の石畳は橙色に染まった。

 それで、いったん俺は引き上げることにして、

 そして、例のシアン・ムーンのいる宿屋を探し当て、俺はその門扉の前で呆けていた。

「……、……」

 そこは、シアンと出会った近辺の一角である。案外、先にシアンと出会った時にも視界には入っていたかもしれないという距離感だ。

 また、宿舎の外観としては、こじんまりというイメージが非常に強い。

 地上二階建てで、灰色の石造りの壁はところどころ風化が目立つ。

 ――しかし、である。

「……。」

 ついさっきまで昼間の風景だったというのに、宿屋の中には早くも酒の匂いのする喧騒が響いていた。

 俺は、それに、

 誘蛾灯に誘われる蛾のような気分となる。

「……(じゅるり)」

 ――確認した通り、俺にはスキル『散歩』の恩恵で、睡眠も食事も必要のない身体である。しかしながら、睡眠も食事も、ヒトという生き物にとっては必須品であるのと同じくらい、「中毒性の高い嗜好品」だ。

 腹は減っていないが、しかし入ることには入る。眠くはないが、寝ようと思えばすぐに寝付ける。そんな不思議な感覚は、睡魔と空腹を刺激すべき脳が起こしたエラーだろうか。

 俺は、摂取の必要はないし我慢するにも造作ないと感覚的に理解しながら、しかし妙に、今夜の晩酌とベッドの安寧に心を奪われていた。

 と、そこで。

「あれ? 今朝の?」

 ――などと、聞き覚えのある声が後方から響いた。

「……、……」

 振り返るまでもなくわかる。

 そこにいたのは件のシアン・ムーンその人である。

 買い出しか何かの用事であったらしい。布をかけたカゴを抱きかかえるようにして持ちながら、呆けた表情で彼女がこちらを見ている。金糸の髪が、風になびいて緋色の黄昏を照り返している。

 彼女はそして、やはり今朝のような活発な表情で以って、俺を迎えた。

「あ、やっぱり! 約束通り来てくれたんですかっ?」

「……、……」

 ここで敢えて金を使う必要は、俺にはない。確かにない。

 ……けどさ? いや、だってさ、この子にはお世話になったもんね?

 これは使わなくていい金を使うのではない。なにせ彼女は俺の恩人。それに彼女の父も恐らくは俺の恩人に当たる人物であるからして、これはそう、仁義だ。俺は仁義で以って酒を飲むのだ。

「――そ、そうなんだよ! 紹介してくれたあそこで、異邦者保障的なお金ももらったから、あんまり高いんじゃなければお邪魔したいんだけど……?」

「それは任せてくださいよ! ウチは安くて旨くて私が可愛いで評判なんですからっ!」

 そう言って彼女が俺の手を取る。

 慣れたもので、両手で抱えていたカゴは、俺を引きながらでもバランスを崩さない。

「よかった。なんだかお兄さんも元気になったって気がします」

「うん? そうかな? 元々俺不死身で常に良コンディションなんだけどな」

「? ……まあいいですよ、サービスしますから今夜はぜひウチで!」

 そう言って彼女は、なお一層微笑んで、

「きっと今朝は、知らない場所にきて不安だったんだろうなって思います。だから今夜は、ぱあっと飲んで明日のことは忘れちゃいましょう!」

「…………。分かったって! カゴ落としちゃうよっ?」

 ――大丈夫です。と元気に言う彼女に、俺はなおも笑んで返す。

 ふと鳴った風が、また彼女の金糸の髪を高く揺らす。それはどこか、潮の香りのする風であった。

 俺は、

 彼女の父がバルク・ムーンではないことを、切に願った。


 </break..>



 彼女が宿屋の木扉を開けると、酒の匂いと歓声が一段と濃くなった。

 その内部は広く、その一面を赤ら顔の人々が覆いつくしている。それらを、外の黄昏よりもなお鮮烈な黄色灯が照らす。

「……こりゃすげえな」

「でしょうっ?」

 俺が一人ごちると、それにシアンが誇らしげに答えた。

 ここは、全くもっての祭り騒ぎだ。ギリギリのマナー感覚で席に着いたままでいるのが奇跡的なほどに、それぞれの円卓では遠慮なしの笑い声が響いている。場合によってはテーブル間の垣根さえもないような有様だ。

 ……なんだここは、スト◯ングゼロの店なのか?(暴言)

「あの、シアンさん?」

「なんですか? ちなみにシアンちゃんで大丈夫ですケド」

「…………シアンちゃん、俺端っこの席がいい」

「ご新規さんはみんなそう言うんですよね、分かりました。――おかあさーんお客さん一人でーすっ!」

 はーい! とこれまた明朗な声が響く。恐らくは厨房の奥からのものだろう、この喧噪の上を通ってなお聞こえてくるとは、ちょっとやそっとの断末魔じゃない。

 ……さらに、

「おおシアンちゃんお帰りィ!」

「ただまでーす!」

「なんだぁその男は彼氏かァ!?(泥酔)」

「ご新規さんですよー、優しくしてくださいね?」

「じゃああんたもシアンちゃんに騙された口かい? 気をつけろよその娘、可愛い顔してとんだザルだぞ……?」

「なんですかーやるんですかーマルコさーん?」

「結婚してくれーい!(泥酔)」

「きゃーおかーさーんプロポーズされちゃったーっ(きゃぴ)」

「――――ッ!!(厨房の奥から響く机を叩き割るような音)」

 ……なにあれ奥にオーガでもいんの?

 というのは置いておいて、彼女への周囲の歓待は実に分厚いものであった。流石「私が可愛いでおなじみ」みたいなことを言っていただけあって、確かに彼女の人気は相当なものらしい。

 また、よくよく確認してみれば、客層自体も男の比率が非常に高い。というかこんな空間にその辺の女の子連れてきたら溶けちゃうまであるかもしれなかった。

「お兄さんは、あっちの席でお願いします」

「ああ、うん。ああ」

「それから、……お兄さんっ」

 気圧されつつ言われた方へと人混みを分け入る俺に、彼女がそう声をかけてくる。

「お兄さん! お名前を教えてくださいようっ!」

 俺のほうは半ばまで喧噪に身を浸してしまっていて、彼女はそんな風に、少し声を張り上げて言ってきた。

 それに俺は、自分の名前を答えて……、

「――ごめんなさい聞こえませんっ! なんですってぇ!?」

「だからっ! 鹿住ハルだよっ! ハルって呼んでね!」

 改めて、少し大きくした声でそう答えると、……彼女は満足げに、厨房の方へと走っていった。


 </break..>



 あてがわれた席は、頼んだ通りの隅っこ特等席であった。

 背面に聞こえる歓声に耳を浸しながら、他方俺の視線は窓の外、静謐そうな黄昏終わりの平原へと釘付けになっている。

 刻々と闇が濃度を増していて、草いきれ一つの隙間に溜まる影にさえ夜の気配がわだかまって見える。それが、地平まで遠く続いている。

 先ほどオーダーは済ませたところであって、俺は、ぼうっと景色を眺めながら、「それ」を待っていた。

 ――はてさて、

「お待ちどうさまです!」

 ガタンと、グラスの重みに机が揺れた。

 元気な声とともに現れたシアンは、まずもって俺の机に重厚感のあるグラス、――黄金色の輝きをしこたまにため込んだ「エール」なるそれを置いて、次に料理を――、

「……(すげえおいしそう)」

「こちらがグラスエールですっ。それでこれが――」

 俺はたまらず、――グラスの中身を胃の腑に流し込むっ。

 なにせ、今日は妙に面倒な一日だったのだ。カモとはいえ人一人を騙すのには多少気を使ったし、見知らぬ土地の街に放りだされるというのも神経を削る。そのうえで俺は、今日はまだ何も口にしてはいなかった。

 というわけで、()()()()()()()といって……、

「――っぷあァ! ごっそうさん! お代わりねシアンちゃん!」

「それでこれがソーセージですけどそれは置いといて無茶しちゃダメですからね!?」

 とにかく、追加のオーダーは通ったようである。いやなにせ、俺が飲んだことのあるビールとはまた別の味わいであった。苦みは薄く、その代わり清流のような飲みやすさと強いホップの香りがある。花束に顔をうずめたような極上の香りは、魚介と発酵食品の国日本では嫌厭されるに違いない。しかしながら、

「……、……」

 それが肉とハーブの円卓で戴くのであれば話も変わる。

 目前に(いつのまにか)置かれたソーセージグリルから漂う、肉の焼ける甘い香りと、香草とハーブが織り成す、気品のあるこの風味であれば、共にある酒はこういう風であるべきだ。

 ソーセージは厚く太く、豪快な焦げ目があって、いまだ表面で脂を燻らせていて、そして皿一面に肉汁を滴らせてなおはち切れんばかりの具合であった。手元にあったフォークでそれを刺すと、ぱしゅりと鳴って肉汁が飛び散る。

 俺はそれが、()()()()()()()()()()()()()を思ってたまらなくなり、いまだ盛大な湯気を上げるそれに大きな口でかぶりついて、

「――――っ!」

 爆発的な歯ごたえと旨味でノックアウトしそうになる。

 ソーセージに詰める肉ダネは、こねればこねるほど強い弾力を持つものだが、それで言えばこのソーセージは最上級だ。隙間なく繊維を練り込まれ一塊の「肉」となった歯ごたえがある。

 そして、混ぜてあるのは何の香草であろうか。俺の世界で言うアジア地方のスパイス料理のように、積み上げられた繊細かつ新鮮な風味が口内に舞い込み鼻を抜ける。舌の端に溜まる肉汁を、さわやかな香りで更に沸き立たせていく。

 ……先ほど俺は、「腹は減っていないが食べようと思えば食べられる」などと考えたのだっただろうか。どうやらそれは、間違いであったらしい。俺は、――いつのまにやら腹が減っていたようだ!

「――ふふふ、そんなにおいしそうに食べてもらえると幸せです」

「ふがっ、もぐもふ!(あ、シアンちゃん! 最高の料理だね!)」

「ちょっと分かんないですけど、これ追加のエールです! ……ちなみに他のオススメは、今日だとマッシュポテトを添えたグレービーガーリックソースのキノコ炒めだったりしますよっ!」

「もぐもふもふっ!(それももらおう!)」

「よくわかんないけどかしこまりましたーっ!」

 ということでそれが来るらしい。いやなに、これがもっと別の、食指の動かない料理であれば俺だってもっとはっきりと否を突きつけたに違いない。が、しかし彼女の提案はあまりにも悪魔のソレであった。

 グレービーソースとは、俺の世界ではアメリカ発祥の、肉汁とタマネギをベースにしたソースである。彼女は察するに、俺がこのソーセージグリルの迸る旨味に白旗を上げていたのを目聡く見つけてきたのだろう。肉汁とガーリックで炒めたキノコに、あろうことかマッシュポテトを添えるなど、そんなもの、俺を殺しに来ているに違いない!

 いいよっ! 殺してよ! 本望だよ!(酩酊)

「……、(こほん)」

 ……などと謎のフレーズを気がふれたように叫びだしそうになった俺は、いったんエールで落ち着きなおすことにして、

 そして改めて、――次の一皿を待ちわびて、思わずフォークを握りしめ子供のようにわくわくするのであった。


 </break..>



 私は、荷物を取りまとめる。

 これからする仕事は、私が私自身で請け負ったものであった。

「……、……」

 死神になったような気分だ。と、ふと思う。

 それから、――こんな仕事をするためにこの立場に着いたわけじゃなかったはずだ、とも。


 英雄の死を伝える私は、つまり、傾国の兆しを伝える政治犯とも違わない。

 エイリィン・トーラスライトの名を、私は今、ここで、自らの手で汚しに行く。


 ――用語解説。


 公国通貨について。


 通貨単位は「ウィル」。日本円に換算すると、およそ1ウィルが七円程度となる。

 通貨保証は発行国の信頼性に準拠。ウィル通貨は、公国も名を連ねる「世界国家連合」による発行であり、この世界においては最も信用の高い、「通貨価値基準」となるものである。

 また、魔物の脅威にさらされるこの世界は硬貨を基本としているが、頑丈ではあるものの重くかさばることから、一般的な取引は主に電子マジカル決済で行われる。この技術については、とある異邦者が流通システムを理論的に大成させているが、世間的な信頼度は未だ未成熟で、「仮想所持通貨履歴を清算することで実際の硬貨と交換可能」という「通貨兌換制度」とも呼ぶべき保証に信頼性を依存している現状である。これについて、硬貨発行のコスト削減のため、主に「世界国家連合」によって信頼性の獲得が進められているが、個人資産は未だ硬貨による貯蓄が一般的である。


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