マッチ売りの少女は戦争中の日本に来ました
ドナドナのうたにすこしにていました。花子はしのふちにいました。
おなじときマッチ売りの少女がうりもののマッチをすってゆめをみていました。
「せんそう」はなにもうみません。犬や猫は「もうじゅう」では無いのでころされはしなかったですが、花子とおなじく「がし」するうんめいなのでしょう。いまでこそ「あいがんどうぶつ」ですが、とうじはさつまいもくらいしかたべるものはなく、にんげんがたべていきていくのでせいいっぱいで犬も猫もしゅうにせめていっかいさかなのほねををあたえられればいいほうでした。
マッチ売りの少女は「ぼうめい」とでもいうのでしょうか、あとにかきますがうんめいてきに、にほんにきました。そのほうがマッチがうれるかもしれないから。まほうのマッチでせかいをすくうのだ、とかみのおつげをきいたものですから。
ときは1943年。さつまいもがほうさくになったのはマッチ売りの少女のまほうのおかげでした、マッチ売りの少女ははどんなきせきでもおこしました。かみのつかいのせいじゃ。ジャンヌダルクのようにしょじょであることで、けがれをしらないおんなはみんなまほうをつかうというがいこくのふるいどうわ。それにあいまっていました。
「もうじゅう」でなければいいのだとおもいました。マッチ売りの少女ははどうぶつたちをすくいたいとおもっていました。いえひとも。「ばいしゅんふ」も「はんざいしゃ」も。げきかするせんかのなかで。
ぞうの花子をまほうでちいさくすればいいのだとおもいました。マッチはまたたくまにきえるのでかなしいですがまだまだたくさんあります。だいじょうぶ。しょくりょうぶそくでひとがしんでどうぶつもころされてみんなそのひのごはんのことをかんがえるのがせいいっぱいだったのがすこしみたされました。せかいは1つのあくまのゆめだったのかもしれません。おわったいまとなっては。そして花子はマッチ売りの少女にきもちをうたいました。げいをするのがきらいではなかったかもしれませんが、ひとをにくんでいましたが、マッチ売りの少女にならげいとしてではなくきいてもらいたいとおもっていました。げいをしてもえさをくれなかったしいくいんをのろいころすうたを。
にんげんよおごりたかぶるな。われらにはなにもつみはないのにころすことでなにもなかったことにするのか? あんなにいっときはちやほやしておいてかわいいねなんてよろこんでいたのにかってにあらそいあって、いつもそうだ。きさまらにんげんのしょぎょうはかみがすべてみている。またすぐにせんそうがはじまるだろう。きえるのはおまえたちだ。われらは、それならばしんでもかまわないと花子の呪詛。にんげんにはわからないしゅうはすうでほかのどうぶつたちにかたりかけました。そしてマッチ売りの少女はかれらすべてを救うつもりでした。ひとはおそらくつみぶかきすぎて、「ておくれ」かもしれなかったですが。
そして罰がくだされるときがきました。1945年さつじんへいきがひかりました。ひとびとはみずがほしくてのどがかわいて川にとびこんでまさしく皮になりました。
当時マッチ売りの少女、いやヒトラーのむすめであり、そのしょぎょうをじょうざいするためにえらばれしものだと信じ込んでいました。もしかしたら狂気かもしれませんが。せいぎのために東奔西走しましたし、ほんのわずかではありますがいのちをすくったこともじじつです、れきしじょうになをのこすこともありませんでしたので、かのじょも花子とおなじようなうんめいのもときえさるとおもわれていました。しかしせんご亜米利加とどうめいこくとなったにほんはほうこうてんかんしはじめていました。せんごのにほんにおいてはすでに天皇と会談をするなど、ジャーナリストとしてかつどうを秘密裏におこなっていました。ヒトラーのざんぎゃくなしょぎょうをしっているものにとってはヒトラーのむすめなどあくまです。ですが花子やそのたのもうじゅうたちとかいわし、そのおもいをせんそうのひさんさとともにしていいつたえました。それはせんごのひとびとをゆうきづけました。かのじょがせいじんした暁には独と日本のはしわたしをし亜米利加たんどくのにほんしょくみんちかににはんろんしゆいいつのきぼうですらあったのかもしれません。
まぁそれはまたべつのおはなしです。へいわな日本ではどうぶつえんいうものはたいそうおもしろく、子供達がもっともすきなれじゃーらんどとなりました。どうぶつをあいするこころのよゆうができていろいろなどうぶつをしいくするようになりました。
でも、わすれないでください。かわいがれないならどうぶつなどしいくするべきではないんです。みせものじゃないのだと花子は「しぬちょくぜん」にマッチ売りの少女にそんなことをいいました。どうぶつたちはひとのまねをしてかいぬしをあいしたい。花子だってきっとおなじきもちでした。かわれてるいじょうにんげんをあいしたいししんようしたい。そしてじぶんもにんげんであるかのようにふるまいひとだとおもいこめるくらいまでかいぬしをたいせつだとおもうこころがあるのです。花子は像になりました。象が像になる、いやこれはまったくもってすばらしいせいしんです。じだいがかわりゆたかすぎるほどゆたかになった日本。すべてのどうぶつにしゅくふくあれ。
マッチ売りの少女はどうぶつをそそのかすあくまだったのかもしれません。ふるくさい「ごうまん」なにんげんにせいさいをくわえるための。かのじょはどんなきせきでもおこしましたが、げんだいのにほんでおぼえているひとはむかし「へいたい」さんだったひとくらいでしょう。せいぎをつらぬくためにマッチをつかいつくしたかのじょはたべるものもすべてひとにあたえてしまって、マッチはみんなせんじちゅうのどうぶつをすくうというねがいのためにつかってしまったので、まったくもってざんねんですが、うえてしにました。かのじょにはすでに「みより」はありませんでしたのでしぜんとわすれられていきました。でもどうぶつたち、すくなくとも花子にはにんげんをあきらめないでほしいと、みんなにあいされてねとねがいをこめてしんだのですから「ほんもう」でしょう。
かわいそうな象はすくわれました。こくごのきょうかしょをかきかえてでもつたえたい。おろかな「せんそう」に「ほんろう」されてたくさんのどうぶつがこまっているなか、そのうらにとあるひとりのしょうじょのちからぞえとまほうのマッチできせきをおこしたことはすこしづつわすれられていきました。マザーテレサやナイチンゲールよりも「いだい」で、せんそうのかなしみにあらがうために、「ぼこく」をすててまで「せんそう」のなかいのちのたいせつさをみをもって「しょうめい」した、いまとなってはえほんのなかにしかそんざいしないかのじょ、でもたしかにどうぶつたちを「せんそう」からまもってくださったじつざいのじんぶつであるとぼくはしんじています。
にんげんは「あやまち」をおこします。ときに「ざんこく」なほどあくまにもなります。でもいいじゃないですか? いまのへいわな日本ではどうぶつたちはにんげんとこころかよわせるたいせつなおともだちです。ドナドナのうたはかなしい葬送歌だったんでしょう。
マッチ売りの少女よ。さむかったでしょう。ありがとう。どうぶつたちを戦火からまもってくれて。これはもしものものがたり。