第五話 説明の無い拉致
一瞬のまばたきの後、わたしは見知らぬ風景に囲まれていました。……精霊に抱き上げられたままで。
「あの、逃がしてくれてありがとうございます。それでここは一体どこなのでしょう?」
一先ずの危機は去ったという事実にほっと胸を撫で下ろし精霊に尋ねました。けれどこちらの顔も見ずただ無言を貫いてさくさくと歩き出します。
「申し訳ございません、自分で歩きますので降ろして頂けますか?」
子供ではないのにいつまでも抱えられたままなのは他に誰も見ていないとはいえ恥ずかしさが募ります。
「もしもし? 聞こえていらっしゃいますか? どこへ向かって歩いているのですか? わたしはどうなるのでしょうか?」
次第に不安になってきました。もしかしたらこの精霊は人間を食べたりするのでしょうか?せめて少しでも不安を解消したくて質問を繰り返していたら
「これ以上口を開けば、元の場所に捨て置くぞ」
冷たい声で釘を刺されてしまい口を噤むしかありませんでした。
何も出来る事が無い以上落ち着いて周囲の景色に目を向けると、何とも幻想的な雰囲気が漂っています。一見ただの森の中ですが、草木は仄かに光を帯び、蛍のような光の玉が浮かんでいるのを時々見かけます。奥に進むにつれて兎や小鳥などの動物も見かけるようになりました。
……動物達がわたしを見ているような気がするのはわたしの勘違いでしょうか。
結構な距離を歩き続け、ようやく森の中の小道から開けた場所へ辿り着きました。輝くような水面の泉と咲き誇る花々は、ここが紛れもなく人間の居場所ではないと感じさせるに十分でした。
「あらお帰り。……手土産付きなんて珍しい」
泉のほとりから声を掛けてくる存在がありました。
鮮やかな赤銅色の髪を揺らし、こちらへ顔を向けると琥珀色の瞳でわたしを見つめ妖艶な微笑みを浮かべる女性。その方もまた人間とは思えない美しさを体現していました。
「お前の為に持ってきた訳ではない。……放って置くと危険だと判断した為ここで監視することにしたまでだ」
「へぇ、この辺りで最近人間が妙に増えていると思ったらこんなやり方があったなんてね」
「せせこましいやり口は実に人間らしいと言ったところか」
精霊は今までの無口ぶりが嘘のように、赤銅色の髪の女性と軽快に会話をしています。その間わたしは完全に放置です。
話している内容も理解できませんし未だ立ったままの精霊に抱えられたままですし、だんだん泣きたくなってきました……
「それにしても随分と無口なお嬢さんなのねぇ」
「あれだけ騒々しかったというに何があった。挨拶もまともに出来んのか」
それを聞いた途端今まで必死に押し留めていた感情が溢れだしてきたのです。
「だって! 貴方が口を開くなと! 声を出したら元の場所に捨ててくると言うので黙っていましたのに!!」
ぽろぽろと両目から涙が止まりません。
「お願いしたのは確かにわたしですが、ここがどこかも教えてくれませんしお知り合いと話し込んで放置されましたし事情もさっぱり分かりませんし、いつまでも降ろして下さらないし……わたしにどうしろというのですか!」
初対面で泣いて感情をぶつけるなんて普通の人間相手にやっても嫌がられる行為でしかありません。それを自身より遥かに上位の存在である力を持った精霊相手に行っているのですから精霊の怒りを(それも二体)買ったわたしは生きていられないでしょう。
……もう疲れました。数時間前までは幸せの絶頂だったというのに自身の出自を知り、生贄にされかけ、助かったかと思えば見知らぬ場所で放置された挙句礼儀知らず扱い。
元々十月も経てば出産を強要され死ぬ筈だったのですもの、ほんの少し早まるだけです。内心でこの後の自分の事を考えながら感情のままに泣くだけでした。
「……はぁ」
泣き続けていたわたしの身体が大きく揺れると、わたしの身体はすっぽりと抱きしめられていました。ふわふわと柔らかい感触に包まれ一瞬涙が引っ込みます。
「よしよし、可哀想に。どうせこの陰険根暗のロクデナシに大した説明も無しに連れてこられたんでしょう?」
頭上から聞こえてくるのは女性の声。いつの間にか赤銅色の髪の女性に腕を回され、背中を優しく撫でられていました。
「……言ってくれる」
「アンタはいつも言葉が少なくてわかりにくいって何度も言ってるのに直さないほうが悪い」
わたしを挟まない会話が続くのは先程と同じですが、背中を撫でられていると少しずつ感情が落ち着いてきて……そうなると顔がすっぽりと埋まっている豊かな胸の存在が気になりだしました。
侍女の中には胸の大きな女性も何人もいましたが、この精霊はそれ以上です! 一体何が詰まっているのか……魔力でしょうか?でも魔力ならわたしも沢山持っていますのに……
考えがおかしな方向に流れつつあります、いけません正気に戻ってきちんと事情を説明してもらわなくては!
バッと胸から顔を離すと涙は完全に止まっていて細められた紅い瞳と三日月型になった琥珀色の瞳に揃って覗きこまれました。わたしを膝に抱く赤銅色の女性とわたしと目線が合うよう、白い精霊も泉の横に座り込んでいます。
「お嬢ちゃん怖かったでしょ? 歳はいくつ? コレは目付きも態度も性格も悪いけど害は無いから安心してね」
目付きや態度はともかく、性格が悪くて本当に害は無いのでしょうか。女性が話しかけてくれますが、どうも幼児のような扱いをされているような気がします。
「あ……急に喚いたりして申し訳ありません。わたしの名前はフィナリールと申します。年齢は十八歳になりました」
「十八かぁ、まだまだ可愛らしい盛りねぇ」
年齢を伝えた筈なのに子供扱いが変わらないのは何故でしょう。
「あの、もう抱きしめなくとも落ち着きましたから。お二人は精霊様でいらっしゃるのですね?お名前は何とおっしゃるのでしょう」
放って置くといつまでも撫で回されそうです。腕を伸ばし無理矢理女性の腕の中から脱出して改めて精霊二体の前に向き直りました。
「……名前、か」
「どうする?」
名前を聞いただけなのにどうして揃って顔を見合わせるのですか? もしかして精霊の名前を聞いてはいけないとか、聞いたら呪われるとか、そういった掟があるのでしょうか!? わたしは内心いけない事を尋ねてしまったかもしれない恐怖に怯えるのでした。