最終話 引退聖女のそのあとは
生国から遠く離れた国の、辺境の小さな村へ移り住んだわたしはそれからは必死に娘を育てました。
他所からやって来たにも関わらず子供連れで大変だろうと気遣ってくれる親切な人々に囲まれて、平穏な時間が流れていきます。
赤ん坊だった娘はすぐに喋りだし、歩き出して日々わたしを驚かせました。
白髪紅眼のその姿は誰もがその愛らしさを褒め称えてくれる程で、その度にわたしは胸を張って「父親似」だと答えるのです。親の欲目というものかもしれませんが成長するにつれてその美しさは磨きを増していくようで、それなのに村の同年代の子供達と泥だらけになって駆け回る姿は好奇心が旺盛だった彼を思い起こさせました。
娘は父親の顔を知りません。だからわたしの知っている彼の事を毎夜話して聞かせ、一緒には暮らせなくともどれだけ娘とわたしを愛していたか伝えてきました。
何不自由なく暮らしていけるのは全て貴方の父親が手を尽くしてくれたのだと。
そのお陰か片親ながら沈み込む事もなく強く育ってくれたと思っています。
魔力の扱い方も、わたし達母娘だけの秘密として伝えました。少なくともわたしのように成人と寿命がほぼ同時ということはないでしょう。
……本当に、何の憂いもなく育ってくれました。
いつしか年頃になった娘は見た者が目を見張る程に美しくなり、村中どころか近隣の街からも求婚者が現れる始末でした。
中には立派な家柄の後継者といった方もいましたが、それら全てを袖にして娘が選んだのは幼い頃から一緒に遊んでいた幼馴染の男の子。
わたしへ「もっといい相手がいたのでは」などと言ってくる方もいましたが二人が寄り添う姿はとても幸せそうでそれだけで一つ肩の荷が下りたような気がします。
やがて孫が産まれました。
わたしは娘に兄弟を作ってあげられませんでしたからもしかしたら寂しい思いをさせていたのでしょうか、十数年の間に孫が三人になりました。
家族が増えて通り過ぎていく日常はかつてわたしや彼が夢に見た光景そのもので娘が時々無性にうらやましくなります。
……実を言うとわたし自身にも結婚の申し出はいくつかありました。
わたしのように子供を抱えて伴侶に先立たれた方、お年を召した富豪の後添い、またはわたしのどこが気に入ったのか年下の男性からの申し出もあって、その気になれば共に生きる伴侶を得て残りの時間を過ごすこともできたでしょう。
だけどわたしは彼を忘れられない。彼以外の男性を夫と呼ぶ事などしたくありませんでした。
そもそもわたしは独り身になったつもりなど最初からなくて、会えなくても彼はわたしの中で生きているのですからそれでは彼に対して不義を働いてしまいます。
……最後の瞬間まで彼を愛そうと決めたあの日の誓いは、少し長くなりましたがどうやら果たせそうです。
寝台に寝付いたわたしの頭に、昔の事が次々と頭に浮かんできてはその時の感情まで鮮明に思い出されました。
娘もその伴侶も孫も、皆わたしを慕ってくれて穏やかに過ごしてきた幸せな日々。それもそろそろ終わりが近付いてきたようです。
少し前まで全身が痛くてたまらなかったのに今はもう何も感じない。
これが「死ぬ」ということでしょうか。周りからわたしを引き留める声が聞こえても、もう何も返せない。まだかろうじて生きているようですが指一本も動かせません。
ああ、本当にいよいよわたしの人生もこれでおしまい……最期に旅立つ前にこれだけは、彼が唯一残してくれたマントだけは持っていきますね。わたしをずっと守ってくれたこれがないと安心できませんから。
ありがとう、五十年間守ってくれて。わたしに時間をくれて。でもそれももう終わりだから。
やっと貴方を……解放してあげられる……
意識を完全に手放そうとした瞬間懐かしい姿が脳裏に浮かびました。きっとこれはわたしの過去の記憶、それでも最期に会えてよかった。
わたしは、幸せでした。
数百年程前に存在し、今は亡きとある国には「聖女」と称される王家の娘が存在していた。
いずれも年若くして命を落とし国の為に利用されるだけであった彼女達は不幸な存在だったのだろう。
ただ、国が亡ぶ切っ掛けとなった最後の聖女については一切の消息が掴めず、その後も数十年は国が満たされていたことからその間は生存していたことは間違いなくその多くは謎に包まれている。
国を見限り逃げ出した悪女と罵る者もおり、また精霊に無理矢理連れ去られ慰み者となったのだろうと憐れむ者もおり、予想だけならいくらでも立てられるが本人はどのように感じていたのか。
引退した最後の聖女はその後どうなったのか、歴史研究家としては興味の尽きぬ話ではある。
終




