第三十九話 彼の日記2
あれだけお世話になっていて今更彼らと距離を取る理由が考え辛く一瞬驚きましたが、再び日記に視線を落とし続きを読みました。
『お前も我が子も人間だ。納得して自らここへ来たお前はともかく人間として生まれた以上人間の世界で生きるべきだ。人間の伴侶を得て子を持ち、育て、死ぬ。それが本来の在り方だ』
「……」
彼の言う通りでした。わたしが生き残り娘が生まれてもまだ問題は残っています。
これまでのわたしに加え、最高位たるブランの魔力まで持って生まれた娘は放って置けば多すぎる魔力がいずれ身を滅ぼすでしょう。そうならない為に魔力の扱いを知り人間の夫との間に子供を持たなくては長くは生きられない。
魔力の扱いはわたしが教えられても人間の夫を持つのはここにいては不可能といっていいでしょう。
……愛情も信頼もなく寿命を延ばす為に子を得る方法などより、娘には想い通じた方と結ばれてほしい。それは親として自然な感情でした。
『一度人の世に降りたからには精霊の領域へ戻る事は許されない。人間の中で生きていく為にもあやつらと関わってはいけない。これはあやつらも了承済みだ』
「そんな……」
彼らがいたからブランがいない今でも持ち堪えられていました。
助けてくれるからという理由だけではなく身近な友人としてこれからも仲良くしていけるものかと思っていたのに。見知らぬ場所で見知らぬ人に囲まれ、果たしてわたしは生きていけるのでしょうか。
『私の魔力を得た事によってお前の姿にも変化があったはずだ。その上で他国へ移ればお前の素性が知られる事もなく、人目を気にせず暮らしていけるだろう。もうお前を縛るものは何もない』
顔の横に垂れ下がる髪を一房手に取りました。好きではなかった黒髪が、絹糸のような白髪へと変化していることに気付いたのは出産から何日か後のこと。
以前聞いた話を思い出しました。わたしの魔力は様々な魔力が入り混じった結果黒い色で表わされていて、髪色と魔力は関係性があると。
ブランも白髪で、作り出す魔力は白一色でした。そこから考えるとこの髪色こそがブランの魔力に包まれている証明そのものということになります。
この姿なら確かに聖女であった事も気づかれず普通の人間として生きていける、かつてのわたしなら諸手を挙げて喜んでいたところでしょう……今になってそれが実現できるなんて皮肉な話です。
『お前と我が子が寿命まで平穏に暮らしていけるよう考えられる手は打ったつもりだ。それでもお前達の身に危険が及べば守りが発動する仕込みもあるので安心するといい』
ブラン、守りの術は自分では効率が悪いから使わないと言っていたのに。性質が正反対の術ではないですか。命を救ってくれただけでも十分なのに過保護すぎます。
『どれだけの手を打とうとも不安が拭えないのは側にいられない以上仕方のない事と己で納得しても、それでも共に生きられたらと願ってしまった』
ここから、それなりに整っていた文字が乱れ始めました。恐らく別の時期に書き始めたのでしょう、線が歪んでいたり力が入り過ぎていたりそれを書いた時の彼の心境がそのまま伝わってくるようです。
『私は死が恐ろしい』
それを目にした時、息が詰まりました。何物にも恐れない彼が、ここまで赤裸々に内心を告げていることに。
『覚悟はしていても日々育ってゆく腹の子を見る度、我が子がどう育つのか見守りたいと思う気持ちは消せなかった。
フィナルと子と私とで生きていられる未来を夢想しては正気に戻る事を繰り返していた。
己の未練がましさを思い知らされた今、もしもお前が私の消滅を嘆いてくれるのであればどうか私を覚えていてほしい。』
どこまでも続く本心に項を捲る手が止められず一心不乱に読み耽りました。
『人間を愛し役目を忘れ、その全てを投げ捨てた愚かな精霊がいたことを。二度とこのような事態が起こらないように』
日記に添えた手に力が入り爪が手の平に刺さりました。身の内に渦巻く感情をどう処理すればいいのでしょう。
彼への申し訳なさ、感謝、寂しさ、怒り、愛しさ、その全てがない交ぜになって一つの言葉へ集約されました。
「……忘れられる訳ないじゃない」
死んでも構わないと命を賭けて愛した唯一の存在。そんな彼からも同様に自らの命を引き換えにして救われて。
そして今もわたしの中で彼は息づいている。
「ずっと、死ぬまで一緒だから……」
かつて交わした約束が思い出されます。
彼はわたしの為に力を尽くしてくれたのだから、今のわたしに出来るのは彼の代わりに娘を守り、彼を忘れない事。
例え意識がなくとも不安なんて感じさせないように。
……日記には最後にこう綴られていました。
『語りたい言葉は尽きぬが、それでもこれだけは言わせてほしい。
我が妻フィナルよ、我が娘リィルよ、二人の行く末に永遠の幸いあれ。
お前達をこの世で最も愛した者より』
「……ありがとう」
彼を失ってから悔んだり申し訳なかったりとで、感謝の言葉を口にする事ができませんでした。
それを言ってしまえば彼が本当にこの世にいない事を認めてしまわなくてはいけないから。
けれど彼の覚悟と想いを知った今ではそんな甘えた考えなど持っていられません。
わたしは彼の全てを背負って生きていくのだから。
「今までありがとう、さようなら」
それから時が過ぎて、わたしが精霊の領域を娘と共に去ったのは日記を読んでから三か月後の事でした。




