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第三十八話 彼の日記

 今わたしの目の前には一冊の日記帳が置かれています。

 この中に彼が何を考えていたか残っている。わたしに内心を悟らせなかったのにわざわざ紙に残して伝えようとしたことが何なのか、それを思うと項をめくるのにも勇気が必要でした。


「……もしも実は嫌いだった、なんて書いてあったらどうしましょう」


 有り得ない事を想像して気を紛らわせつつ、わたしは文字を追いました。

 最初の日付は日記帳をあげた翌日。まだ稚拙な文字は解読に時間が掛かりましたが贈り物を初めてもらった驚きと文字の練習を約束させられた不満でした。

 練習は嫌なのにもらったからには使わないといけない、と延々と言い訳のように書き連ねています。


『使っていないなどと知れたら、あれがうるさく言うに違いない。全く面倒なものを寄越したものだ』


 ……文字を書くのが苦手だという文句を書くのですか。結果的に練習になっていますね。

 想いを通わせてからの彼はたまにからかうように言うことはあっても不満を口にする事は無かったので何だか懐かしく感じてしまいます。

 こうやって少しずつ彼の言葉を追っていくと一緒に過ごした日々が鮮明に思い出されました。


 それからは無言で読み耽っていました。

 毎日書き記していたのではなく、書きたいような出来事があった時だけのようでそのほとんどにわたしが登場していたのには思わず苦笑が零れます。大半は発想がおかしいだとか何を考えているのか分からない、でしたが。

 それが変化を見せたのはわたしが、自分の死の可能性を知った辺りから。


『あれが何やら苦しんでいた。だというのに私を拒むなどどういうつもりだ。あれが感情を乱した場面には多々遭遇したがあのような態度は初めて故に気にはなるが、無理矢理問い質す事もできん。……何故私がこのような事で悩まなくてはならんのだ、腹立たしい』


 ……やはりあの時は少なからず彼を傷付け悩ませていたようで、それからはどう尋ねようかと言葉を選んで苦悩する様子が垣間見えました。

 そして、わたしと彼が気持ちを確かめ合ったあの日以降。ここからは日記としてではなくわたしが読むことを想定した書き方になっていました。


『フィナルがこれを読んでいる頃には、私は既に存在しない者となっている』


 そんな書き出しで始まった彼からの言葉を一つたりとも見逃さないようゆっくりと視線を動かします。


『お前の寿命を知って、お前が私の為に死を選ぶと知って、私はただお前を生かす方法が無いかと考えた。そして思いついたのが私の魔力を宿らせて一時的に出産に耐えられるようにするというものだ。何故このような方法を考えたのか、切っ掛けはお前の一言だった』


 ……心当たりがありませんが、わたしの何が彼をそこまで動かしたのでしょうか。答を知る為に更に読み進めます。

 そしてその一言が記された場所でわたしは目が離せなくなったのです。


『自らの命に代えても守りたいものがある、と』


 覚えがありました。わたしが彼の子供を望んだ時死を顧みないわたしへ向けた問への答。けれどそれはあくまで人間の考え方でした。


『精霊としての私はそれを愚かで無意味だと感じた。己が命以上に大切なものなどある筈が無いと考えていたから。だがお前を愛した存在としての私はそれを理解できた。この先お前を失った私が何千年も生き永らえるより、お前が生きる数十年が余程有意義だと思える程に』


「馬鹿……精霊と人間となんて、どちらが世界の為になるかなんて分かり切っているじゃないですか……」


 つい口を突いて出た悪態は反応などある筈もなく静寂に飲み込まれていきました。


『あやつらは私を散々馬鹿だ愚かだと詰った。恐らくお前もそう感じているであろうな。私自身でも精霊の役目を忘れた愚かな行動だと自覚しているから仕方あるまい』


 わたしの反応まで先読みされ見透かされていました。


『最初は誰にも知らせずに事を進めるつもりであったが、あやつらが強硬手段に出た為協力してもらう事に決めた。お前に気付かれないよう気を払いつつ私が消えた後に考えられる様々な事柄に対応できるよう』


 それがあの外出の頻度だったと。それなのにわたしは知らないからといって彼らの邪魔をしていたも同然ですね……ですが、何故彼はここまで徹底して事実を隠していたのでしょう。

 わたしが絶対に反対するから? とは言ってもわたしの意思など関係なく彼は自分の姿を変えられるのですから何を言おうと無視すればよかっただけの話です。現にルージュ達相手にはそうして協力を取り付けていたのに。


『できる事ならお前には子が産まれてから私に関する記憶を全て消してもらおうかとも考えた。ただそうすると誰が父親かも知らぬ子を育てる事になるお前の不安を考えその案はすぐさま却下したが』


 そこまでして隠したかっただなんて只事ではありません。


『全てはお前を苦しめたくなかったが為だ』


……どういう意味でしょう。隠されていた今だって後悔でこんなに苦しいのに、今以上に苦しむ事なんて……


『私と子供と、どちらを生かすか。そんな選択をさせたくなかった』


「!!」


『現にお前はあやつらに脅されても私も子供も諦めなかった。だがどうやっても全てを手にする事など不可能だ。お前にこの選択を突き付けて選んだ結果、私を死なせたと罪の意識を持ってほしくなかった。私の選択で自ら消滅を望んだのだから』


「ブラン……」


 どこまでも彼の行動はわたしの為でした。

 確かにいざどちらを助けるか選べと言われても決められず、やがて月日が経って選べないまま彼が消えてしまっていたら。

 一瞬でも子供を産んだことを後悔しない、とは言えません。逆に彼を選んでいても失った子供を想い八つ当たりをしないとも限らない。

 わたしが苦しまないようにとはそういう事なのですね……どうして彼はこんなにも……!

 両手で顔を覆いこみ上げてくる嗚咽を抑えようとしても無駄でした。


「本当に……勝手なんだから……」


 ひとしきり涙を流すとほんの少しだけ冷静になれて、ようやくそこから先の項へ手を伸ばす気になれました。わたしと娘の今後について、何をすればよいのか教えてくれるようです。


『私のいない現状、お前が頼る事が出来る者はあやつらしかいない。出産後身体の辛い時期には大いに助けとなるだろう』


 ええ、まともに身動きが出来ないわたしに代わって雑事を済ませてくれたり、彼ら無しではわたしは娘共々共倒れだった可能性もありました。彼らに内心で深い感謝をしています。

 ですが、その次に記された内容はそれを否定するかのようなものでした。


『いずれお前の身体が完全に回復し動けるようになったのならここを去り、あやつらと別れろ』

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