第三十七話 存在の証明
「わたしの中に……?」
それを聞いてぼんやりと思うのは以前の会話。「精霊は自我を持った魔力の塊」と。
わたしの身体には無数の精霊の魔力が宿っているからこそ死に掛けた……いずれもグリスが話してくれたことです。
「奴は純粋な魔力へと身を変じ、お前に宿り、そしてお前を蝕む全ての他の魔力を取り込んでお前の身体に影響が出ないようにしている」
「そうすることでお嬢ちゃんがこれから先人間としての寿命を過ごせるようにってね……そうじゃなきゃ出産で死ななくてもそろそろ命の期限が来てた頃よ」
ブランが生かしてくれた、とはそういうことなのですか。ですがそれではいつブランが戻ってくるかという答えにはなっていません。
「ブランは、どうなるのですか?」
沈黙。グリスすらも悲痛な顔をして目を伏せて、語るまでもない彼らの様子に話を終わらせたくなってもわたしは聞かなくてはいけない。黙って次の言葉を待っていると意を決したように口を開いたのはグリスでした。
「奴は……二度と戻らない」
「どうして!」
「一度姿を変えてしまえば意識や自我なんてものは消える。お前の身体に宿った以上、奴の魔力はお前が死ぬまで留まり続け死後は大地に溶け込むだけだ」
認めたくない事実を告げる彼につい大声が出てしまいました。グリスは怯みもせず淡々と説明していきます。それを聞くわたしの身体から力が抜けていきました。
「どうして……どうしてブランが……」
胸が苦しい。視界が揺れる。身体が熱い。……感情が抑えられない。
「おい! 落ち着け!!」
「お嬢ちゃん!」
彼らが目の前で声を荒げて叫んでもまるで遠く離れた場所からのように感じて、渦巻く感情が止まらない。自分が自分でなくなりそうな混沌とした意識の中で自分が立っているのか座っているのかすらあやふやで、全て夢だったらと現実を忘れそうでした。
「……っ!」
けれどそうならなかったのはルージュの腕に抱かれた娘が視界に入ったから。一瞬何もかもがどうでもいいと自暴自棄になり娘の存在を忘れてしまった自分がとても情けなくて恥ずかしい。この子を守る役目は彼がわたしの身代わりになった以上わたししかいないというのに。
わたしは警戒するルージュから娘を受け取ると何も知らずに丸い瞳でわたしを見つめるその姿に波立った心が落ち着くのを感じました。
「だから冷静になれなきゃ話したくなかったんだよ」
彼はそう言っていますが、こんな話いつ聞いても冷静でいられるはずはありません。改めて周囲を見渡すと室内の壁などに亀裂が走っていてそれはかつて見た光景を思い起こさせます。
……無意識にブランと同じことをしていたようです。ほっと安堵した様子の彼らがわたしを見守っていまた。
「……彼は、死んでしまったと?」
俯いたまま絞り出した声はかろうじて彼らの元へ届きました。わたしの為にブランは自らを犠牲にして、こんなにも愛らしい娘の顔すら見る事も叶わないという現実が冷静になった今重くのしかかります。
「……そう思ってもらって構わない。もう奴という存在はどこにもいないんだ」
「そう……なんですね……」
同情の目で彼らはわたしを見ているだけ。知らず知らず娘を抱く腕に力が入り、滲み出た涙がわたしの頬を滑り落ちていきました。
ブランが死んだなんて信じたくないけれどいないのは事実。これでは助かっても素直に喜べない。
「ブラン……」
名を呼んでも当然返事はありません。泣いてはいけないと目を擦ると視界に娘とそれを包む布が目に入りその瞬間わたしは思い出しました。
「……ブランは死んでなんかいません!」
顔を上げるとグリス達が目を見開いていて、その表情からわたしの正気を探っているのがわかりました。わたしは至って正常ですが彼らからすると悲しみのあまり現実から逃避したかのように見えたのでしょう。
「だって、ブランがくれたマントも娘の服も残ってる……ブランは生きているんです!」
作り出した当人が死なない限り残る魔力の布。あの日のマントは今だってわたしを包んでいる。
確かに会って、話をすることは不可能であっても彼の存在を証明するものがある以上わたしは彼を死んだとは言いたくない。
「そんな状態でも生きてるなんて言えるのね……」
若干呆れられたような気もしますが、この意見を変える気はありません。わたしが死ぬまで彼の魔力が留まっていられるのならその間はわたしの中で生きている、この世に存在しているのだから。
「……お前は俺らを恨むか? 奴が犠牲になる事を知ってて見過ごしたってな」
ぽつりと呟かれた言葉。妊娠している間隠されていたのは恐らくその事で間違いないでしょう、ですが彼らに対し恨み言を言う気にはなれませんでした。
「……恨めません。貴方達にも事情があったのですよね? だって最初にわたしが死ぬと知った時、わたしの為にあんなに怒ってくれたんですから……」
僅か二年程の付き合いのわたし相手にあれだけ救おうと熱心になってくれた彼らが、何千年も共に生きて来た彼を見過ごす訳がない。きっとわたしのいないところで散々説得したのは想像に難くありません。
けれどわたしが彼らの説得に退かなかったように、ブランもまた……
「どれだけやめろって言ったって、それしかないで押し通しちゃってさ。反対しても意思一つで簡単に身体を変化させられるから阻止できないのよ」
ルージュが嫌そうな顔をして首を左右に振り、その様子から相当な苦労が窺えます。
「……いつから知っていたのですか?」
「お嬢ちゃんの記憶消そうと計画したあの後よ。……全部聞かされたわ、自分が消えた後の事を任せるって、自分が消えたらアタシ達しか頼る者はいないからって」
「そんなに早く……」
そこまで考えた上で彼が選んだ道はただの思い付きではないのだと思い知らされました。けれどそうなると何も話してくれなかった事がより一層悲しく感じます。
「どうしてブランは何も知らせてくれなかったのですか……知っていればもっと何かができたのに……」
わたしの言葉ならブランを説得できたかもしれない、そうでなくてももっとブランの為に何かをしてあげたかった。
妊娠中の間はわたしは彼に甘え通しで夜中に恐ろしくて泣きだした時も隣に彼がいたからこそ乗り越えられた。彼には与えられるばかりで何もできていない。
悲しみの次は後悔ばかりが押し寄せてきて俯いた顔を上げられなくなりました。
「奴から預かった物がある」
そんなわたしの内心など知らないように、彼が唐突に目の前に突き出してきたのは一冊の本……それをわたしは知っています。
「これは……ブランにあげた……」
革張りの装丁が施された重厚な日記帳は一年程前にブランへお礼としてあげたもの。娘をルージュに抱いてもらいそれを受け取ると中にはびっしりと文字が書き込まれていました。初めの方は以前見たような稚拙な文字だったのが、項をめくる内に少しずつ上達していっているのが見て取れます。
「ブラン……きちんと文字の練習頑張っていたんですね……」
一人でこっそりこれを書いていたのかと思うと想像して少し笑みが零れました。けれどただの練習ではないというのは明らかで、そこには私への言葉が書き連ねられていたのです。
「お前への言葉は全てそこに記したと言っていた。お前に話さなかった理由なんかもあるだろうよ」
ごくりと息を呑みました。彼がどんな気持ちで子供が産まれるまでの時間を生きていたのか、何故こんな方法を取ったのか、その全ての疑問に答えてくれるのでしょうか。
日記帳は最後の一枚まで使われていて全て読むのにも時間が掛かりそうだと予想されます。
「中身はアタシ達も知らない。読み終えたらまた話しましょう?」
「あ……どこへ……」
慌てて日記帳を閉じると部屋を引き上げようとしていた彼らへ声を掛けました。グリスは溜息をついて、ルージュは微笑みを浮かべて私を見ています。
「……そういうのは一人で読んどけ」
「アタシ達がいたんじゃ邪魔でしょ」
そのまま彼らは立ち去り部屋の中に娘とわたしと日記帳だけが取り残されました。
そしてその夜、わたしは彼の言葉と向き合う事にしたのです。




