第三十六話 得たもの、失ったもの
少し前まで全身が痛くてたまらなかったのに今はもう何も感じない。
これが「死ぬ」ということでしょうか。周りからわたしを引き留める声が聞こえても、もう何も返せない。まだかろうじて生きているようですが指一本も動かせません。
ああ、本当にいよいよわたしの人生もこれでおしまい……最期に旅立つ前にこれだけは持っていきますね。これがないと安心できませんから。
ありがとう、五十年間守ってくれて。
やっと貴方を……解放してあげられる……
ホギャア ホギャア
泣き声が聞こえる……という事は無事に産まれたのですね。良かった、とても元気そう。間もなくわたしは逝く筈ですが、どうせならここで目が開けられたら子供の顔も見られるのに……まだ何とかならないでしょうか。試してみましょう。
「……お嬢ちゃん! 意識が戻ったのね!?」
「あ……れ……わ、わたし……どうして……」
できるものと思っていなかったのに、わたしの目は周囲の風景を確かに捉えていました。馴染のあるいつもの部屋、半分泣いたような顔のルージュ、そしてその腕に抱かれた小さな何か。
「わたしの……赤ちゃん……?」
白い髪の女の子。髪の色も顔立ちもブランによく似ている、わたしとブランの子供。
その瞬間両目から涙が溢れて止まらなくて。顔を見れたなら触れたいと願って力を入れれば腕がルージュの元へと延ばされました。
「ほら、ちびちゃん抱いてやって……お嬢ちゃんもちびちゃんも、よく頑張ったわねぇ」
ルージュに支えられゆっくりと身を起こし、腕の中に我が子を抱いてその重みと温もりでようやく実感できました。
わたしは、死ななかったのだと。
「嬉しい……」
奇跡なんて起こる訳がない、わたしが死ぬのは必然で最初から諦めていた。
ブランとわたしと子供と、三人で生きる事を。
けれど表に出せなかった願いは叶えられて、その喜びの全てを言葉になんてできない。
生き残った今だから言える、「嬉しすぎて死にそう」と。
「……あれ?」
しばらく幸せな重みを味わっていたのですが、ふとブランの姿が見えない事に気が付きました。意識が途絶える寸前までわたしの手を握っていた筈なのに……
「あの、ブランは……」
「……ほらほら、お産の後はただでさえ大変だって話なのに死に掛けまでいってたんだから取りあえず休んでなさい」
「ブランはどこに?」
「ちびちゃんのお世話はアタシがしておくから安心してちょうだい。……アイツから頼まれてるのよ」
ああ、ブランは後の事も考えていてくれたのですか、それなら安心です。当の彼はわたしが死んだものと思ってここを出て行ってしまったのでしょうか……わたしが生きていると知ったら、一体どんな顔をするのでしょうね。
もしかすると感動と喜びのあまりに泣きだしてしまうかも……そうなったらたくさんからかってあげます。一生。
家族が揃うのを楽しみにしつつ、およそ一年振りにわたしは何も思い悩む事も恐れる事もなく眠れました。
これからの幸せな日々を夢に見て。
それからしばらくは、体力の回復と子供の世話に明け暮れました。
わたし自身の事はルージュとグリスが何かと助けてくれても、数時間おきに母乳を与えるのは誰にもできないわたしだけの役目。本当に彼らがいてくれてよかった……そうでなければ疲労と睡眠不足で過労死していたかもしれません。これまではあれ程身近だった「死」を冗談で言えるようになったのも生きていられる今だからこそですね。
これだけ状況が変わって不満なのは一つだけ。
「ブランは一体いつ戻ってくるのですか?」
そう、生まれた日からどこにもブランの姿が見えません。初日は寝台から起き上がれず授乳と眠るだけで終わりましたが、その後何日経っても帰って来た様子がありません。何度も彼らに尋ねてみても、「それよりも子供のことを」と流されてばかり。大変なのは確かですが早く会いたい。
……急に変わってしまったわたしの髪についても聞きたいのに。
「話してもいいが、お前次第だ」
一週間程経ったこの日、初めて返答が変わりました。
「わたし次第、とは?」
「何を聞いても、知っても黙っていられるか。冷静でいられるか。……子を産んで世話でぶっ倒れそうな今の様子じゃ話してやれねぇよ」
胸騒ぎがします。わたしの寿命についてすらその場で知らせてくれたグリスがここまで前置きをするような事。
ブランに何かあったのは確実で、それがあれ以来の不在の理由でもあるのでしょう。
「……話してください」
「聞いて、後悔しても取り返しのつかない事でもいいのか?」
彼が再度問いかけても撤回する気はありません。死線すら乗り越えた今のわたしなら何にだって耐えられます!
……何より、母親になったのですから。
「お願いします、知っていることを教えてください」
強い意志を込めて答えると軽く溜息が聞こえました。
「……子の世話役にアイツが来てからな」
長丁場になるから、と続けた彼の言葉に頷くと彼はそのまま立ち去り、戻って来た時にはルージュも一緒でした。
中心になって話してくれるのはグリスですがルージュも立ち合いをするとのことです。
「……」
「……」
わたしも彼らも最初の一言が切り出せず黙り込んだまま時間が過ぎていきました。彼らが何を言うのか、ブランがどうなったのか予想が全く出来なくて不安と心配だけが胸に募ります。
先にこの長い沈黙を断ち切ったのはグリスでした。
「……お前、どうして自分が死ななかったか分かるか?」
「いえ……グリスの診断の見立て違い、という訳でもないのですよね?」
「当たり前だ」
突然の問いに何とか捻り出した答えは簡単に否定されてしまいました。そもそもグリスの診断が間違っていたとしても、精霊の子を産めば死ぬのはこれまでの歴史が語っています。そう考えると、何故自分が生きているのかがおかしなもののように思えてきました。
「奇跡だとかそういう都合のいいもんじゃねぇ。お前は生かされたんだ、奴に」
生かされた、その言葉に不安感が増していきます。最初からそんな方法を知っていたらブランはわたしにも教えてくれたでしょう、無駄に死に怯えて過ごさなくて済むのですから。けれどこれまでわたしに何一つ知らされなかったということは何らかの代償があって、それがわたしには知られたくない内容というのは簡単に想像が着きます。
「生かされたとは……どうやって……?」
彼らの答えを聞くのが怖い。ですがグリスに冷静に話を聞くと約束した以上耳を塞ぐ事も出来ません。
「お前は本来なら四肢がバラバラに引き裂かれて死ぬ筈だった。自分以上の魔力を持った子を産むのに身体が耐えられないからだ」
続くグリスの言葉に蒼ざめてしまいました。死は覚悟していましたが、まさかそんな恐ろしい死に様になるだなんて! ……産む前に知らなくてよかった。
起こり得た未来予想に震えるわたしを無視して彼は吐き捨てるように言いました。
「それをあの野郎……『それなら産む瞬間だけでも、子より母体の魔力が多くなれば死なない』とか言い出しやがった」
「お嬢ちゃんの事、発想がおかしいとかよく言ってたけどアイツも大概よね……」
苛立ちを隠せないグリスと呆れたように笑うルージュと、言葉の出ないわたし。理屈でいえばその方法は有効でしょう。ですが……そうやってブランが助けてくれたというのなら何故今ここにいないのですか?
「その為に奴は自身の全てを魔力に変えて、お前の身体に宿った……奴は今、お前の中にいる」




