第三十三話 穏やかに時間は過ぎて
三か月程経つと、流石に妊娠の兆候が出てくるようになりました。
具体的には悪阻という形で。
「……大丈夫か」
「全然、大丈夫ではありません……」
ぐったりと寝台で寝込むわたしを前にブランが声を掛けてきます。この日は彼は外出せず側についていてくれました。
「今日は、わたしには秘密の外出はしないのですね」
「……常に出ている訳でもなかろうに」
からかうように問えば憮然とした態度で返ってきて、やはりそこは突かれたくない事なのですね。その罪滅ぼしのつもりなのかやけに甲斐甲斐しく世話をしてくれました。
食欲のないわたしがかろうじて食べられる果物を、彼が手ずから皮を剥いて切り分けてくれたり、吐いた後に背中を擦り続けてくれたり、本来わたしがやるべきである家事を片付けてくれたりと至れり尽くせり。
家事まで全て彼任せは申し訳なくて動こうとしても「無理はするな」の一言で寝台へ戻されてしまいます。当の彼はさして苦にしていないようで教えた覚えのないことまですいすいとこなしていました。……わたしが普段何をしていたかを覚えていたのですか。本当に、妙な事まで記憶しているんですね。
家事をする精霊なんて今後二度と現れないでしょうね……作業をする彼をぼんやり見守っていると一段落着いたのかわたしのところへ戻ってきました。
「ありがとう、全部やってくれて」
「構わん。それよりも調子はどうなのか?」
ほんの数十分程の時間で何があるというのでしょうか、心配し過ぎというものです。彼はわたしの様子を確認すると安堵したように寝台横の椅子へ腰かけ、わたしのお腹に手を伸ばしてきました。
「この中に子がいるというのは、何とも奇妙なものだな」
ゆっくりと撫でてしみじみと呟く彼は不思議そうにしています。今までは実感が薄かったのかこうしてわたしが不調を起こした事で改めて感じるものがあったようです。
あんまり熱心に撫でるものですから少しくすぐったくなって手を押さえると不満そうにその手を戻していました。
「そういえば精霊はどうやって生まれるのですか?」
精霊の姿形は様々で、実体のあるものないものと合わせると人間や動物のような産まれ方はしないでしょう。魔力を与えて子を産ませるにしてもそれでは精霊として生まれる訳ではない。わたしが彼の子供を妊娠したことで彼らが一般的な出産の知識が乏しいと理解し、ふとその疑問に行き当たりました。
「気が付いたら生まれる、そういうものだ」
「説明を省略しないでください」
「……省略も何も、事実そうとしか言いようがない」
それでも粘って聞いてみると、世界のどこかで精霊が消滅した時に精霊の領域で同じ力を持った精霊がどこからともなく生まれるのだというのです。
「精霊もいずれはその力を失う、それが精霊の『死』とも言える」
「死んだ精霊はどうなるのでしょう……」
「……死の経験などないから知らんな」
「またそうやって茶化して……人間の場合だと、死んだら精霊によって導かれ大地へ還ると言われているんです」
彼の手にわたしの手を重ねて軽く握り込み、横たわった姿から彼を見上げました。
「だから、わたしが死んだ時はブランが導いてください」
それなら少しは死が怖くなくなるから。
「……精霊が人間を導いてやるという話は聞いたことがない。それは恐らく人間の幻想というものだろう」
「え……」
今まで信じていたものが否定されるのは悲しいもので。それが心の拠り所としていたものなら猶更。
「死んだ人間がどこへ行くのか、それは精霊の知るべき領分ではない。癒しを司る精霊ですら死した者を蘇らせる事など出来ないからな」
「あ……」
「……それが出来れば、お前の事でここまで悩む事も無かった」
ブランもグリスもルージュも懸命に手が無いか考えてくれたのでしょう、それでも見つからなくて今がある。わたし自身は既に諦めていますが彼らはそうではなかったのですね。
「お前が死んだ後に私がしてやれる事は恐らく何もないだろう、だから今の内にお前の為に出来る事は何であろうと叶えてやる」
ぐっと、彼が身を乗り出して力強くわたしに約束してくれました。嘘をつかない、口にした言葉は絶対の精霊だから気休めの言葉はくれない。
けれど現実的な言葉の中に彼の優しさが混ざっている事をわたしはよく知っている。その優しさがあるから少しずつ近づく死にわたしは取り乱さずにいられる。
「では、これからしばらく外出は控えてわたしの側についていてください」
「……それなりに考えておこう」
「あやふやな言葉で濁すのも駄目ですから」
「……二日に一度を、四日に一度で手を打たないか」
「ふふ、仕方ありませんね」
渋々答える彼の眉間には皺が寄っていてこれでも苦渋の決断だったのでしょう。あまり責めるのも可哀想なのでここまでにしておいてあげます。
「あとは布もまだまだ出して欲しいですし説明する時はもう少し言葉を多くして欲しいですしそれから……」
「……一度に言われても対処しきれん」
「精霊は記憶力がご自慢なのでしょう? これくらい簡単に覚えてられますよね?」
「何でも、とは少々迂闊だったか……」
それから続けてお願いを口にすると拒否の出来ない彼がややうんざりとしていました。自分の発言を後悔するなんて珍しいこともあったものです。
「それから、その……」
「まだあるのか」
「子供の名前、考えておいてくださいね」
「……私が名付けていいのか?」
彼が目を軽く見開いていて驚きの色が窺えます。それもそうでしょう、名付けに関しての彼は本当に不器用で信用できませんから。
「まだ生まれるまで時間がありますから、それまでの課題です。でも出来るだけ早く決めてくれると嬉しいです」
貴方の付けた名前で呼びかけたいから。
「好むものから取るなどだったか……その場合は『フィナル』しか思い浮かばんが」
「それはわたしの名前ですよ?」
「だからだ」
「っ……もう!」
一日一日が過ぎていく。穏やかにそして確実に。
子供が大きく育つ嬉しさと身近な死を感じながら……。
――わたしの死ぬ日まで残り約七か月――




