第二十一話 一年経ったら3
男性に連れられて宿を目指して歩きますが……次第に周囲の雰囲気が不穏なものへと変わっていきました。大通りにはまだ多少の人通りもあったのに、そこから建物の隙間にある狭い路地の奥へ入り込んでいきます。男性は笑顔でこちらに話しかけてくれますが周りが気になって上の空の返事ばかりでした。
「服とか随分上等そうだけど実はどこかのお嬢様?仕草とか品があるよね」
「あ、はい……」
「すごい美人と一緒だったから目立ってたけど中々声掛けられなくて」
「そうですか」
「あの美人は侍女とか保護者かな? 早く戻らないと心配してるだろうね」
「そうですね」
その間にもどんどんと迷路のような入り組んだ道を歩きます。もう何度角を曲がったのか、どの方角から来たのかさえ全く分からなくなりました。……本当にこの道でいいのでしょうか。
「着いたよ」
男性のその言葉に正面を向くと、眼前には粗末な造りの倉庫らしき小屋があるだけでした。……ここまで来れば流石に異常事態だと気付きます。
「あ、あの、わたし用事があったのを思い出して」
一歩ずつじりじりと後ずさるわたしの背が何かにぶつかり、振り返れば人相のあまりよろしくない、粗暴な風体の男性が立っていました。どうやらこの方にぶつかったようです。
「申し訳ございません。失礼しま……あっ!」
距離を取ろうとしてもそれは叶わず、わたしは腕を取られ捻り上げられて拘束されました。
痛い。
こんな暴力に晒されたのはあの日以来で、身体が震えて動けません。
「こんな上等な服で一人で歩いてるのが悪いんだぜ」
「どこの箱入りお嬢様だか知らないけど、身代金を取る前に遊んでくれよ」
少し前まで紳士的に話しかけてきた男性が、下卑た笑いでわたしの全身を下から上まで舐めるように見上げてきました。こんな視線で見られたのは産まれて初めて背筋に冷たいものを感じました。
暗い路地に二人の下品な笑い声が響いても人が通る気配はありません。二人組はわたしが動けないのをいいことに無遠慮に触れてきました。
「嫌っ……!!」
怖い。触らないで。助けて。
わたしの頭の中がそれで一杯になった時の事でした。突然彼らが悲鳴を上げて吹き飛んだのです。
「あ……」
周りには相変わらず誰もいません。それならば今のはわたしが? どうやって? 吹き飛んだ二人は壁に強く打ち付けられたせいか身動きせず、そのまま崩れ落ちるように倒れました。
逃げなくては。何が起こったのか分からなくとも、一刻も早くここから立ち去りたくて無我夢中で走りだしました。
「はぁっ……はぁっ……」
どれくらい走ったでしょうか。疲労でようやく足が止まったものの、何も考えていなかったせいで自分がどこにいるのかさっぱり分かりません。最早最初の大通りの方角も把握できずそこから一歩も動けなくなりました。まだここは路地の中で、先程のような二人組の存在を考えると迂闊に周りに助けを求める事も危険なように思えます。
結局どうすればいいのか分からなくなり、そのままぺたりと地面に膝を抱えて座り込みました。
「どうしましょう……このまま戻れなかったらわたし……」
宿ではいつまでも戻らない自分をルージュが心配しているでしょうか? それとも気にも留めていないのでしょうか? もしかしたらわたしが精霊達から逃げ出したと思われて何らかの罰が下されるのでしょうか……
それならその方がまだいいかもしれません。見つけてもらえなければわたしはここで野垂れ死にで終わりそうですもの。震えを抑えようと自分の両腕を掴むと一緒にマントも握り込みます。……こんな時でもこのマントはわたしを暖かく包んでくれる。
「ブラン……」
つい彼を思い出し名前を呼んでみたら、途端に泣きたくなりました。
一度彼の事を考えると頭の中がそれ一色になり、だから目の前に現れるまで人影が近づいてきたことにも気付きませんでした。
「……ここにいたか」
暗い夜でも存在感のあるその姿。白い服は僅かな月光を反射し輪郭が形作られています。そして何よりいつも聞いているその声が問うまでもなく誰というのを教えてくれました。
「ブラン!」
気付いた時には、わたしは彼の胸に縋りついていました。本当ならとてもはしたない行いですが不安の中ようやく見知った顔に出会えた喜びに比べたら些細な事、だから感極まって涙を零しても仕方がないのです。
「わたしっ……騙されて、怖くて逃げたら帰れなくなって……!」
胸につっかえながら何とか現状を説明しようとしても涙が止まらずまともな言葉が出てきません。ああ、ブランはわたしが騒ぐのを嫌っているのにこのままでは遠ざけられてしまいます。
「このまま帰れなくなったらどうしようかと……」
せめて精霊の領域から逃げ出そうとした訳ではない事だけは伝えたくてどうにかそれを口にすると、わたしの背に彼の腕が回されました。
「面倒事を起こすなと言ったであろうに……」
「ごめんなさいっ……」
彼が突き放さないのをいいことにそのまま胸板に顔を寄せ、わたしも彼の背中へ腕を回します。先程の二人組に触れられた時はあれ程嫌悪感が一杯だったというのに、今ブランの腕に支えられていても全く嫌な気持ちになりません。逆に安心感で包まれるようでずっとこのままでいたいとうっかり考えてしまいました。
しかし何故ブランがここにいるのでしょう。人間の街には近寄ってはいけないらしい彼が……
「あの、もしかしてブランはわたしを探しに来てくれたのですか?」
「……お前がいつまでも戻らないとあやつから思念が飛んできてな、この国は以前私達以外の精霊が入れないようにした為直接出向くしかなかった」
グリスも来ていて、彼も同じように探してくれているとのこと。
「私も探していたが突然お前の魔力が発露したのを感じ、現場に辿り着いたはいいものの姿は無く、そのマントから感じる私自身の魔力を追ってようやく見つけたというところだ。随分と手間を掛けさせる」
いつもの面倒がった物言いの中に気になる言葉がありました。魔力の発露……? 意識して使った覚えはありませんが、心当たりは一つだけ。
「もしかしてあの時の……」
あの時、触れられたくなくて心から彼らを拒絶していました。吹き飛んだ二人組は全く動かなくて、もしかしてわたし人を殺……
「おい! どうした?」
「わ、わたし、どうしても嫌で、抑えきれなくて、でもそんなつもりはなくて、」
「落ち着け! 全て語れ! 私が聞いてやる!」
支えるだけだった彼の腕が力を込めて抱き締めてきました。痛みを覚える程の抱擁と彼の言葉に取り乱しかけたわたしの意識は現実へと戻ります。
「……ブランっ……苦し……」
「…すまない」
力が入りすぎて精神的に落ち着いたものの息苦しくて逆に何も話せなくなりそうです。腕が緩むと二、三度軽く呼吸をしてから改めて彼の胸に顔を埋めました。
「わたし、迂闊にも誘拐されそうになってその時犯人か触られたんです」
彼がぴくりと反応します。何か気になるところがったのかもしれませんが今はひたすらわたしの話を聞いてほしいのでそれに構ってはいられません。
「それが怖くて気持ち悪くて、嫌だと思った時犯人達が吹き飛ばされました……彼らは動かなくて、当たり所が悪くて命を失ったのか、そうでないのかもわかりません……これが魔力による攻撃なら、ブラン達がわたしを危険だと言っていた理由が身に沁みました」
人に無い力を持って産まれたわたしを管理するという言い分も、人の街から遠ざけて精霊の領域で生きていかなければならないのも、理屈ではなく現実で理解しました。
「……ブランが到着した時彼らは生きていましたか?」
怖いけれどこれは知っておかなければなりません。命を奪ったならそのつもりはなかった、では済まされませんから。
「私が現場へ来た時には意識があったようで、汚い言葉でお前らしき人物の事を罵りながら走っていったぞ」
「よかった」
罪を犯しても無闇に人を傷つけるような事はしたくありません。ほっと息をつくわたしとは対照的に今度はブランの様子がおかしいような気がします。
「……お前にそのような真似をしていたと知っていたら制裁の一つでもしていたものを」
「何を考えているのですか!? わたしは結果的に無事だったのですから何もしないでください」
苛立ちと怒りが含まれた声は初めて出会った時以来で、わたしに対して向けられたものではないのに背中に嫌な汗が伝う程で。息苦しい気配にどうにか彼を宥めようと努めました。何とか怒りの治まった彼の胸から顔を離し瞳を合わせます。抱き締められたままなので距離がとても近く以前の接近を思わせる程でした。
「ブラン……わたし、自分の持つ魔力が怖いです……」




