閑話 聖女が消えたそのあとは
町人は日々を平凡に暮らしていた。
「そういや最近聖女様って全然出てこないな」
「病気だかで臥せってるんだって? 次の聖女様もまだ決まってないのにな」
城下町の雑踏で何気なく交わされた会話、話題となったのは国を支える聖女のこと。
しかし所詮は雲の上ともいえる地位の人間。真剣に話し合う程の興味は彼らに無くすぐにありふれた雑談へと流れていった。彼らが特別聖女に対して興味が無い訳ではない。この国の民にとって聖女とは「いつの間にか代替わりしているもの」でしかないのだ。
国の為に魔力を使っていると言われてもその魔力というものがよくわかっていない。建国の童話や伝説では国を救った偉大な存在で今も国の守りや実りは聖女によって保たれているとは知っている。それでも年に数回、城のバルコニーから手を振る姿しか知らない彼らにとっては恩恵を受けている実感が無いのだ。
故に聖女の不在など一瞬の話題にしか過ぎなかった……一部の者を除いては。
国の代表は心を痛めていた。国と血を分けた娘を愛するが故に。
「陛下、ご決断をお願い致します!」
「フィナリール様は国内の何処にもいらっしゃいませんでした。早急に【聖女の器】を用意しなければ来年以降のこの国はどうなるか……」
王城の一室に集まるのは国の重鎮ばかり。国王は居並ぶ臣下に一つの決断を迫られていた。
「我が娘を、シルヴィアを器とする他にないのか……!」
遥か昔に精霊の力を得てからというもの、災害への対策も収穫の上げ方もこの国は必要に迫られる事も無くその全てを失伝しており聖女の守り無しで国を存続させる事は不可能だと誰もがそう考えていた。実際は他国から知識人を招くなどして教えを請い学べばよい事であるのだが聖女に頼り切っていたこの国の者はそれすら思いつかない程に思考が停止していた。
そしてそんな彼らが取る手段は当然、「再び聖女を作り出す」というものとなった。かつての一族の男もこのような苦痛を味わったのだろうかと、父から王の顔となった彼は無言で頷きそのまま儀式の日取りの会議を始めた。
輝かしい未来を夢見ていた少女は、最近の自分へ向けられる視線に怯えていた。
誰も何も言わない、けれどその瞳は雄弁に物語っている。
「お母様、まだ新しい聖女の候補は見つかりませんの?」
「残念ながら……でも大丈夫よ、国中を探しているのだから器に相応しい娘の一人くらい見つかるわ」
整えられた城の一室で抱き合っては涙を流す母娘。これだけなら愛情に満ち溢れた美しい光景と言えただろう。それが誰かを犠牲にする事が前提でなければ。
「本当に可哀想なシルヴィア……あの娘がいれば貴女の将来は安泰だったというのに」
「生贄だなんて絶対になりたくありません! わたくしはエリオット様の妻になって王妃となるのですから」
憎々しげに呟く母親は、少し前まで娘として遇していた者に対する恨みの念に満ちていた。まさか結界を破る程の精霊が現れるなんて、そしてその精霊があの娘を連れ出すなんて。おとなしく生贄になっていれば自分や可愛い娘がこんな事で苦しまなくて済んだのにと。それは娘も同様でかつて姉と呼んだ存在だけでなく見知らぬ国民が選ばれ犠牲になる事に何の疑問も抱いていなかった。
「王妃殿下、シルヴィア王女殿下、こちらにいらっしゃいましたか」
先触れも無しに現れた大臣の姿に母娘は揃って戦慄した。何よりも恐れていた事態が現実になった事を理解したから。
「シルヴィア王女殿下には時代の聖女の器としての役目が与えられました。そして王妃殿下、陛下が新たに側室を持つ事が決定しましたのでご了承頂きたく」
王家の血を残す為ご理解下さい、無情にも用件だけを告げて大臣はその場を下がっていった。立場が、地位が変わるのは娘だけではない。王妃である自分自身にも今回の件は多大な影響があった。
王家の血を引いた者は国王と王妃の間に産まれたシルヴィアのみ、本来なら次期王妃の母としてその地位は盤石なものであった。しかしシルヴィアは器に選ばれ、そんな未来は存在しない。同じ事をしようにも自分の年齢では新たな子は望めない……側室の産んだ子が次代の王として立つのならば自分は今後どうなるのか。
未来を失い泣き喚く娘を支えつつ自分の未来について思案を巡らせるこの時だけは彼女は母親とは言い難かった。
優秀で人当たりも良く、誰からの信頼も厚い前途有望な青年は自室で表情に苛立ちをにじませていた。
「フィナリール……君がいなくなってから私の人生計画は台無しだよ……」
聖女の夫として選ばれ、その後は妹王女の夫となり次期国王としての未来が待っている筈だった。しかし次代の聖女も無く妹王女は身代わりの器として選ばれた。そうなると予定していた地位などある筈もない。この国の王となる為どれだけの努力をしてきたのか、無知で愚かな聖女を宥めつつ精霊の為に接触も許されない、そんな相手に恋情を抱いている振りをするのも中々の苦痛だった。
妹王女にも愛想を振りまき仕込みは万全だった。それが全て無駄に終わったのだ。思わず手にしたティーカップに力が籠りひびが入る。侍女が慌ててテーブルを片付けようと近づいた時彼女の容姿が目についた。
「……!」
「ひぃっ! な、何をなさるのですか」
フィナリールと似た黒に近い髪色の侍女。途端に渦巻いていた激情が抑えきれなくなって侍女にカップを投げつける。同時に怒りも苦痛も彼の心中からすっと消え失せた。傷つき怯える侍女を見下ろした自分の心境に戸惑いを覚えつつも心当たりがあったのか、うっすらと微笑みを浮かべて侍女に手招きをする。
かつての婚約者が一番の美点として褒め称えていた穏やかな微笑みを浮かべ侍女に問う姿は優雅で気品溢れるものであるのにどこか不気味さが漂っていた。
未来を失った少女はその運命に抗おうとしていた。
「エリオット様! 今すぐわたくしを連れて逃げて下さいませ!」
愛し合う男女の逢瀬は古来より物語の定番である、それが理不尽な命令により引き裂かれる男女の駆け落ちともなれば多くの人々の涙と感動を誘うものだ。彼女もそんな舞台や物語を好んでいた。
しかし今自分の身に降りかかった出来事は物語ではない、自分自身の命が掛かっているとなればそんな感傷に浸る余裕も無かった。
「シルヴィア、落ち着いて。突然どうしたんだい?」
「わたくし聖女の器に選ばれてしまったのです……このままでは精霊の子を孕んで死んでしまいます! 死ぬのも怖いのですがエリオット様以外の子供を産むなんて耐えられません……」
彼は思案する、ここで彼女の言葉通りに国を逃げ出すなんて不可能だ。しかしそれを告げても命惜しさに単独での逃亡やもしくは絶望の果てに自害する可能性だってあり得る。ならばここは一旦話に乗った振りをするのがいいだろう。いつもの笑顔で声を掛けて背中に腕を回しそっと抱きしめる。それだけで彼女は多少冷静さを取り戻したようだ。
「……落ち着いたかい?」
「ごめんなさいエリオット様。でもわたくし本気です。エリオット様と一緒ならば城を出て追われる身となっても構いません……!」
「私もだよ、シルヴィアが犠牲になるなんてとんでもない。だけど今城を出る訳にはいかない」
「どうしてですか! 早くしないといつ儀式が行われるか……」
再び感情的になりだした彼女の背中を擦り耳元で囁き掛ける。途端に大人しくなるのはこれまで気に入られるように振る舞ってきた努力の賜物だ、決して無駄にはならなかったなと内心苦笑した。
「いいかい? フィナリールは精霊が現れた際の混乱に乗じて精霊を誑かしまんまと逃げおおせた。平時に城を抜け出してもすぐに追手が掛かる。なら儀式の最中に逃げ出せばすぐには追いかけてこれない筈だよ」
「そうですね……流石はエリオット様です」
「儀式が行われる時には私もその場にいる筈だからその時一緒に逃げよう。だからそれまでは王命に従う振りをして大人しくしておくんだよ」
あっという間に説得に応じた彼女を一先ず部屋に返し、自身は奥の寝室へ戻る。寝台の上には身体にいくつもの痣を作った侍女が力なく横たわっていた。
「はぁ、折角気分も落ち着いたと思ったのに台無しだ」
そして侍女の枕元にあった木の棒を手に取った。この日以後、時々彼の部屋付きの侍女は長時間拘束される事が増えたという。
精霊達は見守っていた。人間達が愚かな儀式を行う様を。
「流石は本職! やっぱりグリスの結界が一番ね」
「予定と違って随分慌ててやがる。いい気味だ」
赤と灰の精霊が揃って王城の地下室に潜んでいる。その場の人間には見えないよう姿を隠していた。だがそんな小細工をしなくとも彼らには気づかなかったかもしれない。今の人間達にはそれどころではなかったから。
「何故だ……どうして何の精霊も呼び出せない!?」
「魔力の無い娘を使ったのが原因か?」
「いや、方法は初代から変わりはない筈だ。もう一度試してみるぞ」
精霊召喚の呪文を必死になって唱える人間達。しかしどれだけ繰り返しても何の変化も現れなかった。次第に雰囲気が不穏な物となり一触即発の様相を呈してきた。
「かくなる上は身体ではなく、魂を捧げるべきか」
その中の一人が刃物を手に取り生贄の娘の喉元にぴたりと添わせる。拘束された娘は必死にもがくがその抵抗は何の意味も無かった。
「あー……目の前で流血沙汰は勘弁してほしいな」
「おい、そろそろいいだろとっとと出て来い」
その場の空気にそぐわない調子での精霊達の呟きに応えるように、魔法陣から白い人影が現れた。
「……まだ、このような愚かな行いをしていたか」
「ひっ……! あ、あの時の……っ」
「お許し下さい! 貴方様をお呼びするつもりなどありませんでした!」
白い人影は前回の儀式に現れた精霊である。冷ややかな目で周囲を見渡すとそれだけでその場の人間がひれ伏した。
「随分気取ってるけどアレで出番待ちしてたんだから笑えるよね」
「俺に国全部の結界張らせておいて自分ばっかり目立つ役目かよ」
少々外野がうるさかったのかちらりと後方に目を向けると再び人間へ向き直りその威厳溢れる物言いによって淡々と告げられた内容は人間にとっては衝撃的な話であった。
「この国の周囲に全ての精霊が近寄れない結界を張った。無論人間には解く事は出来ない。人為的に魔力を持つ人間を作り出すなど二度と出来ん」
「そんな……この国はおしまいだ……」
悲痛な声がいくつも上がるものの、そんな人間の感情など精霊が気にしてくれる事はない。本来ならば。
「我々が監視下に置いた魔力持ちの娘が、自分が生きている間は国に魔力を与えると言っている。娘の寿命が尽きるまでに魔力に頼らない方法で国を満たすがいい」
それだけ言い残すと白い精霊は姿を消した。聖女の寿命が尽きるまで数十年、その間に知識を得て人間の力だけで国を支えなければならない。だが一先ず目の前の危機が去った事にその場の人間達は安堵の息を漏らしたのだった。
……その後の人間関係などは精霊達の知る由ではない。




