第十話 今日から特訓
「痛っ……強くしないでください」
「余計な事は考えるな、集中しろ。」
今わたしは自分自身の状況に頭を抱えています。どうしてこうなってしまったのかと。
元々は昨夜の話し合いの続きからでした。味のしない焼いただけの肉を食べ人心地着いたところでお互いの常識の確認をします。
そしてやはりわたしにはお願いしたい事がありました。
「屋根と壁のある場所で眠りたいのですが」
昨夜も野宿していたのだから必要ないと言われましたが冗談ではありません。あのような…恥ずかしい思いを毎晩繰り返しては死んでしまいます。主に精神的に。
ですが流石に人の住むだけの家はすぐに用意する事は出来なくて後回しにされてしまいました。
この話し合いの中で決まった事は、わたしの日々の食事事情や魔力の使い方、精霊の位に関する知識の習得。また逆にこちらが人間の生活について教えるというものでした。
「あと、ブランはもう少し接触をしないよう考えて頂けますか?」
「突然何だ。何故私にだけそのような事を言う」
気を悪くされたみたいですがわたしの心の平穏の為には譲れません。正当な理由があるとはいえ、当人に何の意識も無いとはいえ、こちらが恥ずかしいのです。
「種としては全く異なる者同士でそのように考えるか? お前は犬猫相手にも同様の感情を持つと?」
「動物と人間は違いますから」
「人間と精霊も違う」
「ですが外見は人間そのものではないですか」
「精霊が人間に似ているのではない、人間が精霊に似たのだ」
「そこは気にするところではありません!」
反論しても同じだけ返ってくるので埒があきません。自分が人間に対してどのように扱ってもいいと考えているのでしょうか。
「面倒だしお嬢ちゃんが慣れてもらうしかないわね」
この中で最も友好的に接してくれていたルージュに裏切られました。
「お前をここへ連れてきたのは私なのだから私の所有物のようなものだ。人間の感情を考慮した態度など取っていられるか非効率な」
何という傲慢な考え。少しだけ、お優しいところがあるかと思っていましたが勘違いのようでした。
「ともかく話はこれで終わりだ、取りあえずは魔力の扱い方でも教えるか」
「お? 終わったかそれじゃ俺は帰る」
「じゃあね、また会いに来るから」
「待ってください! ルージュが教えてくれるのではないのですか!?」
そそくさと退場しようとする彼等を引き留めますが答えは何とも無情なものでした。
「だってアタシ達の中じゃ一番繊細な力加減出来るのってコイツだし」
「俺は忙しい、というか人間にこれ以上の手間を取られたくねぇしそもそも俺の担当分野じゃねぇ」
バッと振り返るとブランがこちらに問うような眼差しを向けています。
「火、水、風、地。先程お前が必要とした火等は私の得意分野でもある。精霊は得意とするもの以外は扱いが不得手だと教えたではないか」
最初に話していたであろう?と睨んできます。彼との少なくない会話の中で、話した筈の事を再度問われたりするのが嫌いだというのがよくわかります。
「あのお二方は何の分野を扱うのでしょうか」
「あれは癒し、守りと精神、記憶の精霊だ」
優しく接してくれましたし最初に泣いた時慰めてくれましたし、ルージュが癒しと守りの精霊でしょうか。
「癒しと守りがグリス、精神と記憶がルージュだ」
「え」
こう、癒しの精霊と言えば慈愛に溢れた情け深い方ではないのでしょうか……建国童話にあるような。
「人間が求めるものと言えば太古の昔より不老不死、永遠の命と相場が決まっている。癒しの力を持った精霊が人間に甘くては無闇に力を与えてしまいかねん。だからあやつはあれでいい」
「そういうものなのですか……」
では人間に対し冷たく尊大なブランの扱う力とは一体。そんな考えを見透かしたように口の端を歪めて笑っています。
「聞きたいか?」
「……何だか恐ろしくなりましたので遠慮しておきます」
そして今のこの現状があるのです。
「手首が痛くなってきました……もう少し緩くしてください」
魔力の扱い方の指導という名の下、わたしの左手首と二の腕が強く握られています。その為隣に寄り添うように密着しているのです。
「集中しろと言っておろう。指の先まで魔力で満たせ、まだ手首にすら届いていない」
緊張と羞恥で動悸がしているのに集中しろとはひどい無茶振りです。ですが言われた通りにしないといつまでもこのままでしょう、わたしはこの方の有無を言わさぬ強引さはよく理解しています。
「火が扱えれば明かりにも出来よう、お前の言う『最低限の人間らしい生活』には必要ではないか?」
耳元で喋るのはやめてください、ますます集中できません。
「水も風も地もそうだ。早く覚えてお前の望むようにすればいい……それまでは私が助力してやろう」
「随分手間を掛けて下さるのですね。ここで出来なければ『面倒だ』と言って放り出すのかと思っていました」
面倒、という言葉は相当な回数聞いています。この指導もわたしが不出来ならばやり方だけ説明して途中でどこかへ行ってしまう覚悟をしていました。
「確かに面倒だ、だが目に見える範囲で人間が苦しむ様を見て楽しむような趣味はない」
ルージュの言葉通り目付きも、態度も、性格もよろしくない方。面倒くさがりで傲慢。けど生真面目で誠実。
単純に一言で済ませられない性質なのは人間も精霊も同じなのですね。
ふっと緊張が無くなり、身体に満ちる魔力を強く感じるようになりました。それを徐々に腕から掌、指先へ運んでいく想像をしていきます。
「そう、いいぞ。あと少しだ」
指先がチリチリと焼けるような熱を感じたその時、目の前には小さな炎が玉のようになって浮かんでいました。
「成功……ですか?」
「ああ、よくやった」
恐る恐るブランの方へ顔を向けると、初めて見る表情をしていました。
炎より深い紅の瞳が細く形を変え笑みを浮かべていたのです。
「ブランが教えてくれたからです……ありがとうございます」
こちらも同じように思わず笑みが零れました。そういえば王女時代は褒められる事と言えば国への祈りの時ばかりでした、こうして学んだ事を褒められるという経験は久しく感じていません。
「まだ初歩の初歩にしか過ぎん。この程度で満足しては溜め込んだ魔力の無駄というものだ」
お礼くらい普通に受け取ってくれてもいいのに偏屈ですのね。
「ではこの後も引き続き教えて頂けますか?」
「中途半端な知識が最も危うい。全てを理解するまでは見てやろう」
それから日が暮れるまで、ブランの意外と熱血な指導の下初歩的な火と水の扱いを教わり続けたのです。
なおこの日もブランの側で眠る事になりましたが、手頃な洞窟を見つけてくれていたのでその入り口にブランが控えるような形になった為前回のような状況にならずに済みました。