第九話 家なき子
目が覚めたわたしの視界では、木々が横に向いて生えていました。大木に寄りかかる形で眠った筈なのにいつの間にか横になっていたようです。
「夢じゃなかった……」
昨夜の出来事は全て夢だったと思いたくとも森の中で目覚めたという現実がそれを許してくれません。
「起きたか」
ふと、頭上から声が聞こえました。昨夜から何度も迫られたり怒られたりしたこの声の持ち主が誰か知っています。
「ブラン……おはようございます」
二、三度瞬きをしてよくよく自身の状態を確認すると何かを枕にして眠っていたようです。枕は少し硬い弾力を保ち、ひやりとした冷たさを感じます。
そこで気が付きました。何故ブランの顔がわたしの真上にあるのかと。
理解した瞬間眠気も消え去り跳ねるように起き上がりました。
「申し訳ございません! ブランを枕にして眠っていただなんて……」
胡坐をかいて座り込んでいたブランの足を枕にし、何時間も寝こけていたのです。今はすっかり日も高く夜明けからどれくらいの時間が経ったのか見当もつきません。
起き上がると同時に肩から布がはらりと落ちました。最初に出会った時からずっと借りたままになっていたマントです。横になったわたしにわざわざ掛け直してくれたのでしょう、何てことをさせてしまったのかと申し訳なさ、恥ずかしさ、情けなさで涙が出そうです。
「どうせあやつらが戻らん限り話の続きも出来んのだから問題はない」
「あれからどのくらい時間が経ったかご存知ですか?」
去っていったグリス達はどこへ行ってしまったのでしょう。
「人間の時間の計り方など知らん」
「……まだまだお互いの認識のすり合わせが必要ですね」
この様子だと先は長そうです。軽く笑みが零れるとふと地面に落ちたままのマントの存在を思い出しました。
「昨夜からお借りしたままで申し訳ありません、お返しします」
本来ならば新しいものを仕立ててお返しするべきでしょうが不可能な事を言っても仕方ありません。せめてと綺麗に畳んで差し出したのですが受け取ってもらえませんでした。
「人間が身に着けた物など必要ない、好きにしろ」
好きにしろと言われましても……。
布地は軽く柔らかく、羽織れば程よい暖かみを感じ、地面に落ちても汚れ一つ着かない純白のマント。よくよく見れば一切の縫い目が無く人の手では及ばない製法である事が窺えます。
人の世に出せば国宝にも成り得るでしょう、これ程の物を必要ないと言ってのけるとは人間とはやはり感覚が違います。
「それではこれからも使わせて頂きますね。ありがとうございます」
心からの感謝の気持ちを伝えると、ふいと顔を背けられてしまいました、
「……直にあやつらも戻る。それまでは好きにしていろ」
そうでした、わたしまだ寝起きの姿のままでした。幸い話し合いをした場所が泉の側だったのでその水を手に掬い顔を洗います。ついでに水も飲んでおきました。
……はぁ、お腹が空きました。
きっとこの後も長時間の話し合いとなるでしょう、少しでも空腹を紛らわせる為何度も水を飲みました。
それから少しして、グリスとルージュが泉へ戻ってきました……何やら荷物を抱えています。
「今戻ったぞ。加減がわからねぇから少しやり過ぎたかもしれねぇ」
「アタシもちょっと予想以上かしら」
そう言って彼等が布に包まれた荷物を解くと、中にはいくつもの食材が入っていました。
パン、果物、野菜、何かのお肉、チーズ等……わたしの為に用意してきてくれたのでしょう、しかし出処が気になります。
何せ人間の生活にあれだけ疎かったのですもの、お金を支払っての取引を知っているとは思えません。
「これ食べたら話の続きしましょ」
後ろ暗いところなど無いような笑顔で勧めてくれるルージュ。ですがもし人様の物に手を着けていたのなら黙っていることは出来ません。
「あの、こちら、一体どのようにして手に入れられたのですか?」
緊張で震える指で食材の一つを指し示すと、彼等は何の気負いもなく答えてくれました。
「そこらにあった人間の作物に魔力注いで増やした余剰分を持ってきた」
それはわたしが今まで行っていた聖女の役目と同じ? けれど短時間で収穫できる程まで育てられるなんて……流石本家は違うといったところでしょうか。それよりも問題はルージュの用意してきたものです。
パンやチーズなど、人の手でないと作れないものをどこで手に入れたのか……
「人里に降りたら随分にぎやかでさ、ちょっと悲しい顔して立ってたら人間の男が寄ってくるのよね。そこで『家も無くお腹を空かせた可哀想な子に何か食べさせてあげたくて』って言ったら色々くれた訳」
「その、『家も無くお腹を空かせた可哀想な子』というのは……」
「嘘はついてないから」
間違ってはいませんが……確かにその通りですが……
はぁ、と取りあえず盗品ではないという事実にほっと安堵の息を吐き、そして現実に直面します。
ここにある物は食材です、料理ではありません。
城での教育に料理の作り方なんてありませんでしたし、パンや果物はともかく生のお肉なんてどうしたら……
「どうしたの? 遠慮しなくていいのに」
「この俺が直々に出向いて実らせてやったんだ、いらないとは言わせねぇ」
ルージュの笑顔とグリスの得意げな顔が罪悪感を募らせます。
「このままでは食べられない食材がありますから……せめて火があれば……」
そう呟いた時、目の前に小さな焚火程の炎が現れました。
「これでいいか?」
「この火はどこから?」
「私が出した。早く事を済ませろ」
ブランが出してくれた炎を前に、まだ問題点があった事に今更ながら気付きました。
「お肉が大き過ぎますから、小さく切り分ける事が出来れば」
言うが否や、ブランの手には白銀の短剣がその存在感を放ち、肉の塊を不揃いながらいくつにも切り分けてくれました。
「あとは串になるものが……」
「いい加減にしろ!」
そして今度は同じ色の串が。怒られてしまいましたが文句を言いつつ肉片を串に刺してくれています。
「それらはどのようにして出しているのですか?」
「全て魔力で作り上げた。もう要求する物は無かろうな?」
心底面倒だというように睨まれました。何気なく呟いただけの事がその場ですぐに叶うのがおかしいのです。
「魔力って便利ですね……」
「これは応用だ。お前が使い方を知らないだけで、お前の方がより活用出来よう」
「それじゃその内魔力の使い方も教えてあげないとねぇ」
「今までやってた大地に魔力を注ぐなんて初歩の初歩だ、その気なら教えてやってもいい」
いつの間にかわたしは魔力の扱い方を教わる流れになっています。
「わたしが力の使い方を知ってしまうと危険なのでは?」
元々その為にここへ連れてこられたというのに。
「どうせここから出られんのだ、日々の暮らしで使えるものがあれば使うといい」
毎度あれこれ頼まれても面倒だ、と、
やはり最後は結局それなのですねと思いつつ、果物にそっと手を伸ばしたのでした。