東南アジアでNONONO
よく、バス停や駅のホームで、キャリーバックを片手に持っている人を見かける。
そのたびに「ああ、いいなぁ」と思ってしまう。今すぐに荷物をまとめて旅に出たいと,
そう思ってしまう。
なぜ旅に出たいのかというと、おそらく子供の頃によくテレビで見ていた、旅番組が原因だろう。
母親とショッピングセンターに行ったとき、商品売り場の片隅にキャリーバックが置かれていれば、引っぱって歩いてみたり、開けて中を見てみたりと、その場からなかなか離れなかった。
こういう経験はだれにでもあると思うし、旅行に行きたいと思ったりするだろう。
キャリーバックを放さない僕の姿を見て、母親は「この子はいつか、旅行に行くのだろう」と思ったにちがいない。
そんな母親の期待に答えたのは、僕が二九歳のときだった。
仕事を辞めたタイミングで「チャンスは今しかない!」と、外国へ行くことを決意した。
はじめはインドに行こうとしていたのだが
、数人の友人に相談してみたところ「初めての海外旅行で、インドに行くの危ないから辞めた方がいい」といわれ、諦めることにした。
いろいろ相談した結果、東南アジアに行くことに決定。
まずはじめにマレーシアへ行き、タイ、カンボジア、ベトナムの順番に行き、タイへ戻り、チェンマイで首長族を見て日本に帰るという約三十日間の計画ができあがった。
しかし、それが九日間で終わりを迎えることになってしまった。タイのバンコクから、日本の関西空港行きの飛行機の中で、「ああ、これからどうやってご飯を食べていこう……」と途方に暮れていた。
二九歳、無職。貯金はほぼゼロ。頼りになるのは、もう家族しかいなかった。
一人旅で外国へ行くと決まったところで、友人の先輩が経営しているゲストハウスで、送別会を行うことになった。大げさかもしれないが、英語の読み書きができず、地図の見方もよくわからない。それに、国内旅行すら行ったこともない僕が、一人で外国へ行こうとしているのだ。もしかすると、生きて日本へ帰ることができないかもしれないのだ。
手当たりしだい友人達に連絡をとり、送別会に誘った結果、二十人ほど駆けつけてくれた。なんともいい人達である。
旅の間、連絡が取れるようにゲストハウスのオーナーと、僕とルームシェアをしている友人、そして僕の三人でLINEグループを作った。
送別会では「生きて帰ってくるよ」なんて冗談をいいながら、楽しい時間を過ごすことができた。
最後に「行ってきます」と手を振って、送別会はお開きとなった。
いよいよ旅の当日である。
いざ出発しようとすると、なぜかばたばたしてしまう。必要なものは全部持ったか。忘れ物はないか。部屋やトイレ、キッチンの電気は全部消したか。問題がないことを確認して出発しようとすると、まてよ、空港にはバスで行きたいのだが、どこから空港行きのバスが出ているのかわからないぞ。
この時点で計画性がなにもないことがわかるのだが、とりあえず空港に行かないと話にならない。
グーグルで調べてみたのだが、いまいちよくわからず、ルームシェアをしている友人に尋ねてみたところ、グーグルで調べるとすぐにわかったらしい。
アパートからバス停まで歩いていくことにし、バックパックを背負う。
子供のころ、あんなに憧れていたキャリーバックだが、持つより背負う方がらくだと気づいたとき、バックパックに浮気したのだ。
駅のすぐ隣にはコンビ二があり、夜食のおにぎりを買う。
ベンチに座って待っていると、ようやく空港行きのバスが来た。
ルームシェアをしている友人が見送りに来てくれるみたいなので、空港に着くとロビーに置いてある椅子に座って待つことに。
しかし、これが待てども待てども来ない。
出発時間まで残り十五分。僕も少しずつ焦ってきてしまい、とうとう残り時間十分をきってしまった。もうこれ以上は待てないと思いながら荷物チェックを受けに行く。
「間に合わなかったかぁ。仕事が忙しいのかなぁ」と少し肩をおとして荷物検査を終わらせた。
バックパックを背負い、飛行機へ乗りに行こうとしたとき、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。振り向くと、友人が見送りに来てくれていたのだ。
「やったぁ! 来てくれた!」僕はつい嬉しくなってしまい、その勢いでロビー側にいる友人の元へ駆けつけてしまった。
友人は「来なくていい! 来なくていい!」といっていたが、もう遅い。
出発までの時間がない中、再び急いで荷物チェックを受けることに。さすがにこのときチェックをする職員も急いでいた。僕みたいな客はさぞかし迷惑だろう。
透明なガラス張りを挟み、ロビー側にいる友人いにスマホで写真を撮ってもらい、飛行機へ乗りに行く。
席は窓際ではなく、通路側だった。そしてびっくりしたのはトイレだ。流すボタンを押すと水が流れると思いきや、穴の奥へと音をたてたてもの凄い勢いで吸い込んでいったのだ。僕はその音にびっくりして肩をビクつかせた。何せ初めて飛行機のトイレを使ったのだ。まさか吸い込むとは。
席に凭れて仮眠をとっていると、関西空港に着いた。
関西空港のターミナルビル内にあるファーストフード店に入り、腰を落ち着けることに。
マレーシアへ出発するのは明日の朝なので、それまで英語の勉強をすることにした。せめて多少は簡単な英語でもいえないといけないだろう。何せ外国へ行くのだ。日本語が通じない。
前もって買っておいた英会話本を開き、これは使うであろう言葉をメモ帳に書く。しゃべって通じなかったときに、メモ帳を見せればいい。
注文していたドリンクを飲んでいると、ベンチの上に寝転がっている人が見えた。
なるほど、その手があったか。ならばと思いながらテーブルの上を片付けて、すたこらさっさとベンチがある方向へと向かう。
進んでいくとだんだんベンチが見えてきた。しかしその上にはよっぱらいが寝転がっ
ているのかと思えるろうな光景が広がっていて、足を伸ばせそうな場所はどこにもなかった。
ファーストフード店に戻り、再び英語の勉強を始めたわけだか、ほかにやることもなく時間がすぎていった。
しばらくしてもう一度ベンチを見に行くと、「どうぞここへ寝転がってください」といわんばかりに、ぽっかりと空いたベンチがあるではないか。
これはもう寝そべるしかないと思い、ベンチの下にバックパックを置いて、さっそく横たわる。寝心地はさすがに良いとはいえないが、ファーストフード店で過ごすよりましだろう。
朝、朝食をセルフのうどん屋で済ませると、マレーシア行きのチェックインカウンターに並ぶ。ここまではまだ日本語が通じるのだ。しかしこれからはそうもかない。そのことにはあまり不安はなかった。
余裕をぶっこいて飛行機に乗り込むと、席を確認して座る。どうやら通路側の席らしい。そして隣の席には外国人の女性が座る。
通路を挟んで隣の席には、僕の隣に座っている外国人の女性と友達なのか、おしゃべりをしている。
すると「チェンジオッケイ?」と尋ねてきた。もちろん「オッケイ」と答える。その方が話しやすいだろう。
日本と少しの間お別れをした後、機内食が
運ばれてきた。
機内食はチケットを渡すともらえるようにしていたのだが、あまり食欲がない、しかし食べないとさすがにもったいないので食べることに。
前の席の背もたれからテーブルを出すと、さっそくフタを開ける。アルミで出来た入れ物の中には、ごはんとテリヤキチキンが入っていた。これはおいしそうではないか。テリヤキソースの甘くて香ばしい香りにすっかり食欲を取り戻したのだった。
マレーシアの市都クアラルンプールに到着したのは夜のことだった。さすが東南アジア有数の世界市都、大都会である。
空港からタクシーに乗って、マレーシアのチャイナタウンへ向かう。「タクシーに乗るときは乗る前に『メーター』といってメーターを回してもらえ。じゃないとぼったくられてしまう」と教えてくれていたので、その通りメーターを回してもらった。
チャイナタウンに着くと、お金を払ってタクシーから降りる。
いよいよここからが本番。子供の頃から憧れていた海外の旅が始まった。
辺りを見渡すと、服屋や雑貨屋などの出店がずらりと並んでいる。頭上には沢山の赤提灯が明々と光を放っていた。
辺り一面お祭り騒ぎのようで、行き交う人々も活気に満ちている。
しかし、見知らぬ異国の地で一人、頼れるものは自分の勘。ここでは常識なんて通用しない。
ドキドキ感やワクワク感よりも不安な気持ちの方が大きかった。
LINEグループの友人とオーナーに連絡をとりたいため、とりあえず早くゲストハウスにたどり着きたい。そう思いガイドブックを見ながら歩く。
すると、ゲストハウスの客引きに声をかけられた。オーナーからお勧めのゲストハウスを教えてもらっていたのだが、一人でそこを探すよりも、この客引きについて行く方が早いかもしれない。僕はこの客引きについて行くことにした。
ゲストハウスにたどり着いた。チェックインと同時にお金を払おうとしたとき、客引きが電卓を見せて、六十リンギットだといった。
僕は「まあこんなもんか」と思っていると、「NО!」と客引きがいった。「やられた! ぼったくられた!」と思っていると、電卓に三十リンギットに打ち直して見せてきた。
ああよかった。ぼったくりじゃなくてよかった。LINEグループの友人達とも連絡がとれて一安心だ。
さて、楽しみにしていたご飯をこれから食べに行こう。外国の料理はどんな味がするんだろう。子供の頃から一度は食べてみたかった。
期待を膨らませつつゲストハウスを後にして、チャイナタウンに行く。すると、さっきまでお祭り騒ぎのようだったチャイナタウンには、出店が一店もなくなっていた。
あれっ!?。辺りを見渡すと、地面をほうきで掃いている人が一人いるだけだった。
ゲストハウスにチェックインして、LINEで連絡を取り合ったといっても、ほんのわずかな時間だ。
楽しみにしていた海外の料理、今日はもう食べられないのだろうか。いや、もしかすると、まだやっている店があるかもしれない。
期待を少し取り戻し、チャイナタウンを歩きだす。
しかし、歩けど歩けど店は見つからない。吊り下げられた赤提灯は明かりが消されている。これはもう仕方がないと諦めかけたとき、コンビニの明かりが見えた。
コンビニのイメージといえば、おにぎりがあったり弁当があったりと、選ばなければ困ることはない。
しかし、イメージとは違い、おにぎりも弁当もない。腹を満たしてくれそうなのはパンだけだった。
「現実は厳しいなあ」と思いながら、パンを買う。
この日は、これ以上なにもせず眠りについた。
ぐっすり眠れたかといえば、眠れなかった。枕が変わると眠れない体質でもあるのだが、何せ暑い。
翌日、目が覚めるとゲストハウスを出てチャイナタウンへ行く。今日こそは何か料理を食べてやろうと、出店をぶらつきながら料理店を探していると、あった。
メニュー表に指を刺して食べたいものを店員に伝える。もちろんミネラルウォーターも注文。
店の外に置かれてあるテーブルに座り、しばらく待っていると、ミネラルウォーターが運ばれてきた。ボトルにはストローが付けられている。
注文していたメニューもできたようだ。しかしそれはお皿に乗せられておらず、お持ち帰り用のパックに入れられていた。
「お持ち帰りで注文していないんだけどなあ」と思いながら、袋からパックを取り出す。まあ、どんな形にしても、楽しみにしていた海外の料理。どんな味がするのだろうか。わくわくしながらひと口食べてみる。美味い。
注文したのはナシゴレンという焼き飯料理だ。インドネシアやマレーシアの料理である。
独特なスパイスの味と香り、そして何よりパクチーの香りが口いっぱいに広がる。
すっかりナシゴレンが好きになってしまい、この日の夜も、同じ店でナシゴレンを食べた。明々と光る赤提灯の下、初日に抱えていた不安は何処へやら。ようやく旅が楽しくなってきた。
LINEのグループで、何処か他に観光できる所を聞いてみると、どうやらマラッカ海峡という世界遺産となっている港町があるらしい。
翌朝、さっそくマラッカへ向かった。
バスを降りると、教えてもらっていたゲストハウスを探す。ガイドブックに書かれてある地図を頼りに探すのだが、どうもよくわからない。
苦労してようやくゲストハウスにたどり着いた。さっそくLINEのグループに連絡する。
すると「チャイナタウンとか面白いよ」と教えてくれた。
あれ? せっかくマラッカまできたのに、またクアラルンプールまで戻らないといけないのか……。そう思っていると、マラッカにもチャイナタウンがあるらしい。
どうやらチャイナタウンは固有名詞らしく、僕はそれをしらなかったのだ。
ゲストハウスから歩いて行ける距離なので、すごく近い。その途中に「オランダ広場」という観光地もあった。
オランダ広場はマラッカの観光の起点となっていて、教会や博物館などの見どころがたくさんある。
一通り見物して、チャイナタウンへ向かう。
マラッカのチャイナタウンには、「チキンライス」という料理が有名な料理店がある。これは他の観光地でも食べることができるが、マラッカのチャイナタウンにあるチキンライスが本場だ。
これは食べないといけないと思い、さっそくその料理店に行ってみた。すると、店の前には人がたくさん並んでいた。僕もその行列に並ぶ。
ようやく店に入ることができ、さっそくチキンライスを注文した。
しばらくして、チキンライスが運ばれてきた。丸められたピン球ほどの大きさの米が六個、そして刻まれた野菜と鶏肉。つけダレもあった。
お腹がいっぱいになったとまでいわないが、美味かった。何が美味かったかといえば、タレだ。独特な味と香りがて、肉と合う。
マラッカのチャイナタウンは、クアラルンプールのチャイナタウンとは雰囲気が違う。僕はこっちの方が好きだ。
ゲストハウスに戻ると、日本人らしき男性客がいた。僕は日本人と期待しながら声をかけた。「あの、日本の方ですか?」すると、男性客は「はい」と答えた。
おおっ! やっと日本人に合えた! 日本語が通じる。もうそれだけで凄く安心できる。東南アジアに来てからまだ数日だが、言葉が通じないということが、不安でしょうがなかった。
その日本人男性は、ここに来る前のゲストハウスで、ほかの日本人男性と会いここに来ているらしかった。
そしてこの日は僕を含め、日本人同士で夜ご飯を食べに行くことになった。
ゲストハウスの周りをうろうろして、良さそうな店があった。中に入ると、店員に案内されてテーブルに座る。
皆でシェアして食べることになった。それぞれがメニューを決めていく。
店の壁にはガクに入れられた人物の絵が飾られてあった。しかし、なぜか全部少し右斜めになっている。
「もしかして、右肩上がりになるように、わざとしてるんじゃない」なんて笑いながら話した。
凄く楽しい時間だった。料理もあっという間になくなっていった。
ゲストハウスに戻ると、それぞれ部屋に戻っていった。皆は明日、ほかの所にいくらしい。
また一人になった。「寂しいなぁ」と思いつつ、生ぬるいシャワーを浴びて、ベッドに入った。
朝になると、マラッカ動物園行きのバスに乗った。
動物園に着くと、さっそくお金を払って入場する。
受付で貰った地図を見ながら進んで行くと,
なにやら写真撮影をしていた。よく見ると、家族連れの客の子供が、ヘビを首に巻いているではないか。
これは僕もやりたい! いや、やらないといけない! なぜなら子供の頃からの、小さな夢だったからだ。
そのためにはお金を払わないといけないらしい。なので、お金を払い自分の順番がくるのを待った。
スタッフの指示に従って、ヘビを首に巻く。
その感触といえば、鱗でざらざら。そして何よりも、ヘビの骨が動いている感触が、首から伝わってくる。それが凄く気持ち悪い。
しかし、その感触を味わえて嬉かった。そして写真を何回か撮ってもらい、一番良いのを一枚えらんだ。
小さな夢を叶え終えると、地図を頼りに歩きだした。
夕暮れ時まで魅力的な動物たちを見物して、帰りのバスに乗る。ヘビを首に巻いた自分の写真を見て「宝物がまた一つできた」と、満足。
ゲストハウスに戻り、部屋に荷物を置いて出る。すると、一人の日本人らしき男性がいた。これは声をかけなければ。「あの、日本人ですか?」尋ねてみると「はい」と返事が返ってきた。日本人だった。
どうやらこの男性は、マレーシアで七年ほど仕事をしているらしい。せっかくなので、夜ご飯を食べに誘い、イルミネイションが輝く夜のチャイナタウンへ行った。
日付が変わって、まだ朝の早い時刻に荷物を纏める。タイへ行くのだ。
早めにゲストハウスを出て空港へ行くため、チェックアウトをしたいのだが、オーナーが起きてこない。そりゃそうだ、まだ空は明るくなっていない。
この日は昼前までに空港に行って、チェックインしないと間に合わない。しかし、いつまでたってもオーナーが起きてこない。
松山空港で、見送りにきてくれる友人を待っているときのようだ。
待ち始めてしばらくすると、足音が聞こえてきた。オーナーだろうか、そうであってほしい。足音が聞こえる方向を見ていると、それは姿を現した。オーナーだった。
よかった。チェックアウトをして、バス停に向かう。
マラッカから再びクアラルンプールに戻る。なんとかタイ行きの飛行機に、チェックインすることができた。
まだ少し時間があったので、軽く腹ごしらえすることに。
コンビニで買ったカップラーメンを食べて、タイ行きの飛行機に乗る。
タイのバンコクには思ったより早く着いた。さすがタイの市都、マレーシアと負けず劣らず都会だ。
とりあえずタクシー乗り場を探す。目的地はカオサン通り。
空港内をうろうろして、ようやくタクシー乗り場を見つけた。そこには、一緒に飛行機を降りた人たちもタクシーを待っていた。
ようやくタクシーに乗れるときがきた。もちろんメーターを回してもらう。「カオサン通り」と行き先を伝えると、タクシーは走りだした。
オーナーの話しだと、空港からカオサン通りまで、だいたい三十分ほどらしい。しかし、一時間ほどかかった。
運転手は、カオサン通りにある警察署の前に、タクシーを止めた。
これは少しぼったくられたかと、そう思いながらお金を払う。
このときは、三千バーツしか持っていなかったので、とりあえず三千バーツ渡せば、おつりがくるだろうと思っていた。
しかし、タクシーの運転手はいったのだ「NO!」
どういうことだろうか。三千バーツもあれば足りるはずだ。
残りのお金は、タクシーに乗るときにトランクに入れた、バックパックの中にある。僕はそれを運転手に伝えた。
バックパックを取ってもらい、お金をタイバーツに変えて払えないか「マネーチェンジOK?」と尋ねると、運転手は首を横に振った。
どうやらこの運転手、僕をタクシーから出させないようだ。仕方なく封筒に入れていいた日本円の一万円札を一枚渡した。
「NO!」
あれ? もう一枚渡す。
「NO!」
まだ足りないのか! また渡す。
「NO!」
四枚目でどうだ!
「NO!」
もう仕方ないので、お金の入った封筒を運転手に渡す。
すると、運転手はお金を取り出し、数え始めた。そして封筒に一万円札を二枚戻して渡してきた。
それから僕は、ようやく開放された。最後にひとこと「サンキュー」といって、走り去っていくタクシーを棒立ちになって見ていた。
ついさっきまで、東南アジアを一周できるほどのお金があったのだ。オーナーや友人と一緒に考えた旅の計画が、音をたてて崩れ落ちた。
警察署の前に、一人ぽつんと残されたぼくは、「やられたっ! パクられたっ!」そう心の中でつぶやいた。しかしもう遅い。
僕は、「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。これはもう楽しもう」と割り切るこ
とにした。
LINEのグループから「警察署の近くに、日本人が経営しているゲストハウスがあるから、そこに泊まるといいよ」と、教えてもらっていた。
しかし何を思ったのか、カオサン通りを間逆の方向へ歩いた。そして、教えてもらっていたゲストハウスとは、全然違うゲストハウスにチェックインしたのだ。
さっそくLINEのグループに連絡を入れる。もちろんお金をパクられたことも。
カオサン通りは四車線ほどの幅があり、一直線になっている。その両脇に、屋台や土産屋がずらりと並んでいる。僕はその屋台で焼きそばを買って食べていた。
これがあまりの美味しさで、これからどうするかなんてことは、タイ焼きそばの煙りに混じって、どこかへ飛んでいってしまっていた。
土産屋をうろうろした後、ゲストハウスに戻ってシャワーを浴びると、我に返った。知り合いに連絡して、これからどうするか相談にのってもらおう。
朝になると、チェックアウトをして隣にあるゲストハウスに、チェックインする。
これからのことだが、LINEのグループ相談した結果、僕の家族に事情を説明することにした。
その日の夜、知り合いのおかげで、何とか家族と話すことができた。僕の母親の携帯電話はガラケーなので、直接電話をかけることができないのだ。
そして僕の兄に、日本まで帰る飛行機のチケットを、インターネットで買ってもらった。
朝になり目が覚めると、荷物をまとめてゲストハウスを出た。そしてすぐ近くにあるゲストハウスにチェックイン。なかなかいい部屋がとれた。
さて、後は日本に帰るまで遊びまくるだけだ。といっても、サソリを食べたり、食べ歩きをしたりしたぐらいだ。サソリを食べた感想は、エビフライの尻尾を食べているみたいで、あまり味はなく、美味しくなかった。でも、一度ゲテモノを食べてみたかったのでよかった。
そして最後にやることといえば、お土産を買うこと。
日本に帰る前の日の朝、僕は泊まっていたゲストハウスの日本人オーナーに、どうすればお土産を安く買えるか尋ねてみた。
知り合いがいうには、ぼったくってくるから、上手く値段交渉したほうがいいのだそうだ。
ということで、日本人オーナーは「安く買いたい気持ちはわかる。でも、商売というのは、売る方も買う方もフィフティーフィフティーじゃないといけない。それに、現地の人たちよりキミの方が金持ちなんだ。そんな不公平なことしちゃあいけない」そういった。
なんて僕はバカだったのだろうか。たしかに、日本人オーナーのいう通りだ。
だがしかし、それもおかしな話しだ。なぜなら、タクシーに十五万円パクられた僕はどうなる。僕が損をして、向こうが得をしているではないか! 不公平ではないか!
考えれば考えるほど腹が立ち、同時に情けなく思ってくる。
一日かけて家族や友人達のお土産を買った。そして東南アジアの旅の、九日目の最後の夜は、旅をした一日一日を振り返った。
タクシーの運転手に十五万円パクられて、三十日間ほどの旅が、九日間で終わってしまっても、最後には「来てよかった! すごく楽しい旅だった!」そう思える自分がいた。
そして朝になると、ゲストハウスから空港行きのバスに、日本人の女性と一緒に乗った。
タイの市都であるバンコクの空港から、日本行きの飛行機に乗る。空へ飛んだとき、座席から景色を見ながら、「また来よう。でも次は、絶対お金はパクられない」と強く思った。
よく、「遠足は、家に帰るまでが遠足だ」
といわれているように、旅もまた家に帰るまでが旅なのだ。
僕は飛行機の中で、これからどうするか考えていた。無職で貯金がほぼゼロろいっていい。財布の中に二万円ほどあるだけだ。
それについての答えは簡単。仕事を早く探して、働けばいい。このことは、旅に行くその前からわかっていたことだ。「後のことは、旅が終われば考えればいい」と、後回しにして、旅を楽しめばいい。そう思っていた。
飛行機は関西空港に着陸した。僕は飛行機を降りると、安心感でいっぱいになった。「日本語が通じる!」当たり前のことだが、昨日まで日本語が通じない所にいたのだ。向こうでは、不安感でいっぱいだった。
空港内にあるマクドナルドに行って、LINEのグループに無事に帰ってこれたことを報告する。
関西空港から、地元へと飛ぶ飛行機に乗るために、チェックインを済ませに行く。
自動チェックイン機に、予約番号を打ち込もうとしたとき、「あれっ、予約番号Gあ無い!」インターネットで予約したときに、メールで送られてくるはずなのに!
もしかすると、予約できていないのかもしれない。僕はLINEのグループに、すぐさま連絡を入れた。
どうやら大阪南港から、フェリーが出ているので、それに乗って帰ればいいという結論になった。
そこで「大阪南港まではタクシーで行けばいい?」と尋ねると、「いやいや、関西空港から大阪南港までタクシーで行くと、ぼったくりじゃなくて、ほんとに十五万円ぐらいかかるから!」と返ってきた。
けっきょく、大阪南港まで電車で行くことになり、切符を買いに行く。
大阪南港行きの電車が来るまで、あと約三十分。よかった。何とか返れそうだ。しかし、本当に飛行機のチケットは予約できていなかったのだろうか。
チェックインカウンターに行き、尋ねてみると「予約できてますよ」という声が返ってきた。
チェックインインをしてもらうと、大阪南港行きの電車のチケットを戻しに行った。そして、LINEのグループに飛行機のチケットが予約できていることを知らせた。
いよいよ大阪ともおさらばだ。飛行機の中から外を見ると、街の明かりはどんどん小さくなっていく。
空の旅を終えて空港に入ると、懐かしい風景が目に飛び込んできた。それは九日前、僕が友人に見送られながら、手を振り合ったあの場所だ。
外に出ると、ちょうどバスが来ていたので乗りこんだ。
バスは走りだし、バス停に止まるたびに乗客を降ろしていく。そして僕もバスを降りる。
後はアパートまで歩いて帰るだけだ。
僕は旅をした九日間を、思い出しながら歩いた。そしてアパートにたどり着くと、玄関の扉を開ける前に友人と遭遇。
「おかえり」
「うん。ただいま」
「今から、ゲストハウスに行くんだけど、来る?」
「行く」
お土産も渡したいので行くことにした。
「その前にちょっと寄る場所がある」
バックパックをアパートに置いて、お土産だけを持って友人について行った。
たどり着いた所はカフェだった。店内に入ると、知っている顔がいくつかあった。その中に、送別会に来てくれた知り合いもいた。
その知り合いが「なんでここにいんの? 東南アジアにいるはずだよね」と、驚きながりいう。
「そうなんだけど、タイのバンコクで空港からタクシーに乗ったら、十五万円ほどパクられた。それでもう旅ができなくなったから帰ってきた」
そういうと、「はあ?」と知り合いは答えた。
カフェを出て、ゲストハウスのオーナーに会いに行く。
九日ぶりのゲストハウス。凄く落ち着く。送別会が行われた部屋で、僕とルームシェアをしている友人、そしてオーナーの三人で、朝まで旅のことを話した。
一人で海外へ行き、旅をしたことは非常に良い経験になった。結果としては、お金をパクられて旅はできなくなってしまったが、心の底から「また行きたい!」と思っている。
生きていれば、なんだってできるし、どんな所にでも行ける。たった九日間の旅が、僕の目には全て新しい世界に見えた。だからまた旅をしよう。だって、世界はこんなにも美しいのだから。
よく、バス停や駅のホームで、キャリーバックを片手に持っている人を見かける。
そのたびに「ああ、いいなぁ」と思ってしまう。今すぐに荷物をまとめて旅に出たいと,
そう思ってしまう。
なぜ旅に出たいのかというと、おそらく子供の頃によくテレビで見ていた、旅番組が原因だろう。
母親とショッピングセンターに行ったとき、商品売り場の片隅にキャリーバックが置かれていれば、引っぱって歩いてみたり、開けて中を見てみたりと、その場からなかなか離れなかった。
こういう経験はだれにでもあると思うし、旅行に行きたいと思ったりするだろう。
キャリーバックを放さない僕の姿を見て、母親は「この子はいつか、旅行に行くのだろう」と思ったにちがいない。
そんな母親の期待に答えたのは、僕が二九歳のときだった。
仕事を辞めたタイミングで「チャンスは今しかない!」と、外国へ行くことを決意した。
はじめはインドに行こうとしていたのだが
、数人の友人に相談してみたところ「初めての海外旅行で、インドに行くの危ないから辞めた方がいい」といわれ、諦めることにした。
いろいろ相談した結果、東南アジアに行くことに決定。
まずはじめにマレーシアへ行き、タイ、カンボジア、ベトナムの順番に行き、タイへ戻り、チェンマイで首長族を見て日本に帰るという約三十日間の計画ができあがった。
しかし、それが九日間で終わりを迎えることになってしまった。タイのバンコクから、日本の関西空港行きの飛行機の中で、「ああ、これからどうやってご飯を食べていこう……」と途方に暮れていた。
二九歳、無職。貯金はほぼゼロ。頼りになるのは、もう家族しかいなかった。
一人旅で外国へ行くと決まったところで、友人の先輩が経営しているゲストハウスで、送別会を行うことになった。大げさかもしれないが、英語の読み書きができず、地図の見方もよくわからない。それに、国内旅行すら行ったこともない僕が、一人で外国へ行こうとしているのだ。もしかすると、生きて日本へ帰ることができないかもしれないのだ。
手当たりしだい友人達に連絡をとり、送別会に誘った結果、二十人ほど駆けつけてくれた。なんともいい人達である。
旅の間、連絡が取れるようにゲストハウスのオーナーと、僕とルームシェアをしている友人、そして僕の三人でLINEグループを作った。
送別会では「生きて帰ってくるよ」なんて冗談をいいながら、楽しい時間を過ごすことができた。
最後に「行ってきます」と手を振って、送別会はお開きとなった。
いよいよ旅の当日である。
いざ出発しようとすると、なぜかばたばたしてしまう。必要なものは全部持ったか。忘れ物はないか。部屋やトイレ、キッチンの電気は全部消したか。問題がないことを確認して出発しようとすると、まてよ、空港にはバスで行きたいのだが、どこから空港行きのバスが出ているのかわからないぞ。
この時点で計画性がなにもないことがわかるのだが、とりあえず空港に行かないと話にならない。
グーグルで調べてみたのだが、いまいちよくわからず、ルームシェアをしている友人に尋ねてみたところ、グーグルで調べるとすぐにわかったらしい。
アパートからバス停まで歩いていくことにし、バックパックを背負う。
子供のころ、あんなに憧れていたキャリーバックだが、持つより背負う方がらくだと気づいたとき、バックパックに浮気したのだ。
駅のすぐ隣にはコンビ二があり、夜食のおにぎりを買う。
ベンチに座って待っていると、ようやく空港行きのバスが来た。
ルームシェアをしている友人が見送りに来てくれるみたいなので、空港に着くとロビーに置いてある椅子に座って待つことに。
しかし、これが待てども待てども来ない。
出発時間まで残り十五分。僕も少しずつ焦ってきてしまい、とうとう残り時間十分をきってしまった。もうこれ以上は待てないと思いながら荷物チェックを受けに行く。
「間に合わなかったかぁ。仕事が忙しいのかなぁ」と少し肩をおとして荷物検査を終わらせた。
バックパックを背負い、飛行機へ乗りに行こうとしたとき、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。振り向くと、友人が見送りに来てくれていたのだ。
「やったぁ! 来てくれた!」僕はつい嬉しくなってしまい、その勢いでロビー側にいる友人の元へ駆けつけてしまった。
友人は「来なくていい! 来なくていい!」といっていたが、もう遅い。
出発までの時間がない中、再び急いで荷物チェックを受けることに。さすがにこのときチェックをする職員も急いでいた。僕みたいな客はさぞかし迷惑だろう。
透明なガラス張りを挟み、ロビー側にいる友人いにスマホで写真を撮ってもらい、飛行機へ乗りに行く。
席は窓際ではなく、通路側だった。そしてびっくりしたのはトイレだ。流すボタンを押すと水が流れると思いきや、穴の奥へと音をたてたてもの凄い勢いで吸い込んでいったのだ。僕はその音にびっくりして肩をビクつかせた。何せ初めて飛行機のトイレを使ったのだ。まさか吸い込むとは。
席に凭れて仮眠をとっていると、関西空港に着いた。
関西空港のターミナルビル内にあるファーストフード店に入り、腰を落ち着けることに。
マレーシアへ出発するのは明日の朝なので、それまで英語の勉強をすることにした。せめて多少は簡単な英語でもいえないといけないだろう。何せ外国へ行くのだ。日本語が通じない。
前もって買っておいた英会話本を開き、これは使うであろう言葉をメモ帳に書く。しゃべって通じなかったときに、メモ帳を見せればいい。
注文していたドリンクを飲んでいると、ベンチの上に寝転がっている人が見えた。
なるほど、その手があったか。ならばと思いながらテーブルの上を片付けて、すたこらさっさとベンチがある方向へと向かう。
進んでいくとだんだんベンチが見えてきた。しかしその上にはよっぱらいが寝転がっ
ているのかと思えるろうな光景が広がっていて、足を伸ばせそうな場所はどこにもなかった。
ファーストフード店に戻り、再び英語の勉強を始めたわけだか、ほかにやることもなく時間がすぎていった。
しばらくしてもう一度ベンチを見に行くと、「どうぞここへ寝転がってください」といわんばかりに、ぽっかりと空いたベンチがあるではないか。
これはもう寝そべるしかないと思い、ベンチの下にバックパックを置いて、さっそく横たわる。寝心地はさすがに良いとはいえないが、ファーストフード店で過ごすよりましだろう。
朝、朝食をセルフのうどん屋で済ませると、マレーシア行きのチェックインカウンターに並ぶ。ここまではまだ日本語が通じるのだ。しかしこれからはそうもかない。そのことにはあまり不安はなかった。
余裕をぶっこいて飛行機に乗り込むと、席を確認して座る。どうやら通路側の席らしい。そして隣の席には外国人の女性が座る。
通路を挟んで隣の席には、僕の隣に座っている外国人の女性と友達なのか、おしゃべりをしている。
すると「チェンジオッケイ?」と尋ねてきた。もちろん「オッケイ」と答える。その方が話しやすいだろう。
日本と少しの間お別れをした後、機内食が
運ばれてきた。
機内食はチケットを渡すともらえるようにしていたのだが、あまり食欲がない、しかし食べないとさすがにもったいないので食べることに。
前の席の背もたれからテーブルを出すと、さっそくフタを開ける。アルミで出来た入れ物の中には、ごはんとテリヤキチキンが入っていた。これはおいしそうではないか。テリヤキソースの甘くて香ばしい香りにすっかり食欲を取り戻したのだった。
マレーシアの市都クアラルンプールに到着したのは夜のことだった。さすが東南アジア有数の世界市都、大都会である。
空港からタクシーに乗って、マレーシアのチャイナタウンへ向かう。「タクシーに乗るときは乗る前に『メーター』といってメーターを回してもらえ。じゃないとぼったくられてしまう」と教えてくれていたので、その通りメーターを回してもらった。
チャイナタウンに着くと、お金を払ってタクシーから降りる。
いよいよここからが本番。子供の頃から憧れていた海外の旅が始まった。
辺りを見渡すと、服屋や雑貨屋などの出店がずらりと並んでいる。頭上には沢山の赤提灯が明々と光を放っていた。
辺り一面お祭り騒ぎのようで、行き交う人々も活気に満ちている。
しかし、見知らぬ異国の地で一人、頼れるものは自分の勘。ここでは常識なんて通用しない。
ドキドキ感やワクワク感よりも不安な気持ちの方が大きかった。
LINEグループの友人とオーナーに連絡をとりたいため、とりあえず早くゲストハウスにたどり着きたい。そう思いガイドブックを見ながら歩く。
すると、ゲストハウスの客引きに声をかけられた。オーナーからお勧めのゲストハウスを教えてもらっていたのだが、一人でそこを探すよりも、この客引きについて行く方が早いかもしれない。僕はこの客引きについて行くことにした。
ゲストハウスにたどり着いた。チェックインと同時にお金を払おうとしたとき、客引きが電卓を見せて、六十リンギットだといった。
僕は「まあこんなもんか」と思っていると、「NО!」と客引きがいった。「やられた! ぼったくられた!」と思っていると、電卓に三十リンギットに打ち直して見せてきた。
ああよかった。ぼったくりじゃなくてよかった。LINEグループの友人達とも連絡がとれて一安心だ。
さて、楽しみにしていたご飯をこれから食べに行こう。外国の料理はどんな味がするんだろう。子供の頃から一度は食べてみたかった。
期待を膨らませつつゲストハウスを後にして、チャイナタウンに行く。すると、さっきまでお祭り騒ぎのようだったチャイナタウンには、出店が一店もなくなっていた。
あれっ!?。辺りを見渡すと、地面をほうきで掃いている人が一人いるだけだった。
ゲストハウスにチェックインして、LINEで連絡を取り合ったといっても、ほんのわずかな時間だ。
楽しみにしていた海外の料理、今日はもう食べられないのだろうか。いや、もしかすると、まだやっている店があるかもしれない。
期待を少し取り戻し、チャイナタウンを歩きだす。
しかし、歩けど歩けど店は見つからない。吊り下げられた赤提灯は明かりが消されている。これはもう仕方がないと諦めかけたとき、コンビニの明かりが見えた。
コンビニのイメージといえば、おにぎりがあったり弁当があったりと、選ばなければ困ることはない。
しかし、イメージとは違い、おにぎりも弁当もない。腹を満たしてくれそうなのはパンだけだった。
「現実は厳しいなあ」と思いながら、パンを買う。
この日は、これ以上なにもせず眠りについた。
ぐっすり眠れたかといえば、眠れなかった。枕が変わると眠れない体質でもあるのだが、何せ暑い。
翌日、目が覚めるとゲストハウスを出てチャイナタウンへ行く。今日こそは何か料理を食べてやろうと、出店をぶらつきながら料理店を探していると、あった。
メニュー表に指を刺して食べたいものを店員に伝える。もちろんミネラルウォーターも注文。
店の外に置かれてあるテーブルに座り、しばらく待っていると、ミネラルウォーターが運ばれてきた。ボトルにはストローが付けられている。
注文していたメニューもできたようだ。しかしそれはお皿に乗せられておらず、お持ち帰り用のパックに入れられていた。
「お持ち帰りで注文していないんだけどなあ」と思いながら、袋からパックを取り出す。まあ、どんな形にしても、楽しみにしていた海外の料理。どんな味がするのだろうか。わくわくしながらひと口食べてみる。美味い。
注文したのはナシゴレンという焼き飯料理だ。インドネシアやマレーシアの料理である。
独特なスパイスの味と香り、そして何よりパクチーの香りが口いっぱいに広がる。
すっかりナシゴレンが好きになってしまい、この日の夜も、同じ店でナシゴレンを食べた。明々と光る赤提灯の下、初日に抱えていた不安は何処へやら。ようやく旅が楽しくなってきた。
LINEのグループで、何処か他に観光できる所を聞いてみると、どうやらマラッカ海峡という世界遺産となっている港町があるらしい。
翌朝、さっそくマラッカへ向かった。
バスを降りると、教えてもらっていたゲストハウスを探す。ガイドブックに書かれてある地図を頼りに探すのだが、どうもよくわからない。
苦労してようやくゲストハウスにたどり着いた。さっそくLINEのグループに連絡する。
すると「チャイナタウンとか面白いよ」と教えてくれた。
あれ? せっかくマラッカまできたのに、またクアラルンプールまで戻らないといけないのか……。そう思っていると、マラッカにもチャイナタウンがあるらしい。
どうやらチャイナタウンは固有名詞らしく、僕はそれをしらなかったのだ。
ゲストハウスから歩いて行ける距離なので、すごく近い。その途中に「オランダ広場」という観光地もあった。
オランダ広場はマラッカの観光の起点となっていて、教会や博物館などの見どころがたくさんある。
一通り見物して、チャイナタウンへ向かう。
マラッカのチャイナタウンには、「チキンライス」という料理が有名な料理店がある。これは他の観光地でも食べることができるが、マラッカのチャイナタウンにあるチキンライスが本場だ。
これは食べないといけないと思い、さっそくその料理店に行ってみた。すると、店の前には人がたくさん並んでいた。僕もその行列に並ぶ。
ようやく店に入ることができ、さっそくチキンライスを注文した。
しばらくして、チキンライスが運ばれてきた。丸められたピン球ほどの大きさの米が六個、そして刻まれた野菜と鶏肉。つけダレもあった。
お腹がいっぱいになったとまでいわないが、美味かった。何が美味かったかといえば、タレだ。独特な味と香りがて、肉と合う。
マラッカのチャイナタウンは、クアラルンプールのチャイナタウンとは雰囲気が違う。僕はこっちの方が好きだ。
ゲストハウスに戻ると、日本人らしき男性客がいた。僕は日本人と期待しながら声をかけた。「あの、日本の方ですか?」すると、男性客は「はい」と答えた。
おおっ! やっと日本人に合えた! 日本語が通じる。もうそれだけで凄く安心できる。東南アジアに来てからまだ数日だが、言葉が通じないということが、不安でしょうがなかった。
その日本人男性は、ここに来る前のゲストハウスで、ほかの日本人男性と会いここに来ているらしかった。
そしてこの日は僕を含め、日本人同士で夜ご飯を食べに行くことになった。
ゲストハウスの周りをうろうろして、良さそうな店があった。中に入ると、店員に案内されてテーブルに座る。
皆でシェアして食べることになった。それぞれがメニューを決めていく。
店の壁にはガクに入れられた人物の絵が飾られてあった。しかし、なぜか全部少し右斜めになっている。
「もしかして、右肩上がりになるように、わざとしてるんじゃない」なんて笑いながら話した。
凄く楽しい時間だった。料理もあっという間になくなっていった。
ゲストハウスに戻ると、それぞれ部屋に戻っていった。皆は明日、ほかの所にいくらしい。
また一人になった。「寂しいなぁ」と思いつつ、生ぬるいシャワーを浴びて、ベッドに入った。
朝になると、マラッカ動物園行きのバスに乗った。
動物園に着くと、さっそくお金を払って入場する。
受付で貰った地図を見ながら進んで行くと,
なにやら写真撮影をしていた。よく見ると、家族連れの客の子供が、ヘビを首に巻いているではないか。
これは僕もやりたい! いや、やらないといけない! なぜなら子供の頃からの、小さな夢だったからだ。
そのためにはお金を払わないといけないらしい。なので、お金を払い自分の順番がくるのを待った。
スタッフの指示に従って、ヘビを首に巻く。
その感触といえば、鱗でざらざら。そして何よりも、ヘビの骨が動いている感触が、首から伝わってくる。それが凄く気持ち悪い。
しかし、その感触を味わえて嬉かった。そして写真を何回か撮ってもらい、一番良いのを一枚えらんだ。
小さな夢を叶え終えると、地図を頼りに歩きだした。
夕暮れ時まで魅力的な動物たちを見物して、帰りのバスに乗る。ヘビを首に巻いた自分の写真を見て「宝物がまた一つできた」と、満足。
ゲストハウスに戻り、部屋に荷物を置いて出る。すると、一人の日本人らしき男性がいた。これは声をかけなければ。「あの、日本人ですか?」尋ねてみると「はい」と返事が返ってきた。日本人だった。
どうやらこの男性は、マレーシアで七年ほど仕事をしているらしい。せっかくなので、夜ご飯を食べに誘い、イルミネイションが輝く夜のチャイナタウンへ行った。
日付が変わって、まだ朝の早い時刻に荷物を纏める。タイへ行くのだ。
早めにゲストハウスを出て空港へ行くため、チェックアウトをしたいのだが、オーナーが起きてこない。そりゃそうだ、まだ空は明るくなっていない。
この日は昼前までに空港に行って、チェックインしないと間に合わない。しかし、いつまでたってもオーナーが起きてこない。
松山空港で、見送りにきてくれる友人を待っているときのようだ。
待ち始めてしばらくすると、足音が聞こえてきた。オーナーだろうか、そうであってほしい。足音が聞こえる方向を見ていると、それは姿を現した。オーナーだった。
よかった。チェックアウトをして、バス停に向かう。
マラッカから再びクアラルンプールに戻る。なんとかタイ行きの飛行機に、チェックインすることができた。
まだ少し時間があったので、軽く腹ごしらえすることに。
コンビニで買ったカップラーメンを食べて、タイ行きの飛行機に乗る。
タイのバンコクには思ったより早く着いた。さすがタイの市都、マレーシアと負けず劣らず都会だ。
とりあえずタクシー乗り場を探す。目的地はカオサン通り。
空港内をうろうろして、ようやくタクシー乗り場を見つけた。そこには、一緒に飛行機を降りた人たちもタクシーを待っていた。
ようやくタクシーに乗れるときがきた。もちろんメーターを回してもらう。「カオサン通り」と行き先を伝えると、タクシーは走りだした。
オーナーの話しだと、空港からカオサン通りまで、だいたい三十分ほどらしい。しかし、一時間ほどかかった。
運転手は、カオサン通りにある警察署の前に、タクシーを止めた。
これは少しぼったくられたかと、そう思いながらお金を払う。
このときは、三千バーツしか持っていなかったので、とりあえず三千バーツ渡せば、おつりがくるだろうと思っていた。
しかし、タクシーの運転手はいったのだ「NO!」
どういうことだろうか。三千バーツもあれば足りるはずだ。
残りのお金は、タクシーに乗るときにトランクに入れた、バックパックの中にある。僕はそれを運転手に伝えた。
バックパックを取ってもらい、お金をタイバーツに変えて払えないか「マネーチェンジOK?」と尋ねると、運転手は首を横に振った。
どうやらこの運転手、僕をタクシーから出させないようだ。仕方なく封筒に入れていいた日本円の一万円札を一枚渡した。
「NO!」
あれ? もう一枚渡す。
「NO!」
まだ足りないのか! また渡す。
「NO!」
四枚目でどうだ!
「NO!」
もう仕方ないので、お金の入った封筒を運転手に渡す。
すると、運転手はお金を取り出し、数え始めた。そして封筒に一万円札を二枚戻して渡してきた。
それから僕は、ようやく開放された。最後にひとこと「サンキュー」といって、走り去っていくタクシーを棒立ちになって見ていた。
ついさっきまで、東南アジアを一周できるほどのお金があったのだ。オーナーや友人と一緒に考えた旅の計画が、音をたてて崩れ落ちた。
警察署の前に、一人ぽつんと残されたぼくは、「やられたっ! パクられたっ!」そう心の中でつぶやいた。しかしもう遅い。
僕は、「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。これはもう楽しもう」と割り切るこ
とにした。
LINEのグループから「警察署の近くに、日本人が経営しているゲストハウスがあるから、そこに泊まるといいよ」と、教えてもらっていた。
しかし何を思ったのか、カオサン通りを間逆の方向へ歩いた。そして、教えてもらっていたゲストハウスとは、全然違うゲストハウスにチェックインしたのだ。
さっそくLINEのグループに連絡を入れる。もちろんお金をパクられたことも。
カオサン通りは四車線ほどの幅があり、一直線になっている。その両脇に、屋台や土産屋がずらりと並んでいる。僕はその屋台で焼きそばを買って食べていた。
これがあまりの美味しさで、これからどうするかなんてことは、タイ焼きそばの煙りに混じって、どこかへ飛んでいってしまっていた。
土産屋をうろうろした後、ゲストハウスに戻ってシャワーを浴びると、我に返った。知り合いに連絡して、これからどうするか相談にのってもらおう。
朝になると、チェックアウトをして隣にあるゲストハウスに、チェックインする。
これからのことだが、LINEのグループ相談した結果、僕の家族に事情を説明することにした。
その日の夜、知り合いのおかげで、何とか家族と話すことができた。僕の母親の携帯電話はガラケーなので、直接電話をかけることができないのだ。
そして僕の兄に、日本まで帰る飛行機のチケットを、インターネットで買ってもらった。
朝になり目が覚めると、荷物をまとめてゲストハウスを出た。そしてすぐ近くにあるゲストハウスにチェックイン。なかなかいい部屋がとれた。
さて、後は日本に帰るまで遊びまくるだけだ。といっても、サソリを食べたり、食べ歩きをしたりしたぐらいだ。サソリを食べた感想は、エビフライの尻尾を食べているみたいで、あまり味はなく、美味しくなかった。でも、一度ゲテモノを食べてみたかったのでよかった。
そして最後にやることといえば、お土産を買うこと。
日本に帰る前の日の朝、僕は泊まっていたゲストハウスの日本人オーナーに、どうすればお土産を安く買えるか尋ねてみた。
知り合いがいうには、ぼったくってくるから、上手く値段交渉したほうがいいのだそうだ。
ということで、日本人オーナーは「安く買いたい気持ちはわかる。でも、商売というのは、売る方も買う方もフィフティーフィフティーじゃないといけない。それに、現地の人たちよりキミの方が金持ちなんだ。そんな不公平なことしちゃあいけない」そういった。
なんて僕はバカだったのだろうか。たしかに、日本人オーナーのいう通りだ。
だがしかし、それもおかしな話しだ。なぜなら、タクシーに十五万円パクられた僕はどうなる。僕が損をして、向こうが得をしているではないか! 不公平ではないか!
考えれば考えるほど腹が立ち、同時に情けなく思ってくる。
一日かけて家族や友人達のお土産を買った。そして東南アジアの旅の、九日目の最後の夜は、旅をした一日一日を振り返った。
タクシーの運転手に十五万円パクられて、三十日間ほどの旅が、九日間で終わってしまっても、最後には「来てよかった! すごく楽しい旅だった!」そう思える自分がいた。
そして朝になると、ゲストハウスから空港行きのバスに、日本人の女性と一緒に乗った。
タイの市都であるバンコクの空港から、日本行きの飛行機に乗る。空へ飛んだとき、座席から景色を見ながら、「また来よう。でも次は、絶対お金はパクられない」と強く思った。
よく、「遠足は、家に帰るまでが遠足だ」
といわれているように、旅もまた家に帰るまでが旅なのだ。
僕は飛行機の中で、これからどうするか考えていた。無職で貯金がほぼゼロろいっていい。財布の中に二万円ほどあるだけだ。
それについての答えは簡単。仕事を早く探して、働けばいい。このことは、旅に行くその前からわかっていたことだ。「後のことは、旅が終われば考えればいい」と、後回しにして、旅を楽しめばいい。そう思っていた。
飛行機は関西空港に着陸した。僕は飛行機を降りると、安心感でいっぱいになった。「日本語が通じる!」当たり前のことだが、昨日まで日本語が通じない所にいたのだ。向こうでは、不安感でいっぱいだった。
空港内にあるマクドナルドに行って、LINEのグループに無事に帰ってこれたことを報告する。
関西空港から、地元へと飛ぶ飛行機に乗るために、チェックインを済ませに行く。
自動チェックイン機に、予約番号を打ち込もうとしたとき、「あれっ、予約番号Gあ無い!」インターネットで予約したときに、メールで送られてくるはずなのに!
もしかすると、予約できていないのかもしれない。僕はLINEのグループに、すぐさま連絡を入れた。
どうやら大阪南港から、フェリーが出ているので、それに乗って帰ればいいという結論になった。
そこで「大阪南港まではタクシーで行けばいい?」と尋ねると、「いやいや、関西空港から大阪南港までタクシーで行くと、ぼったくりじゃなくて、ほんとに十五万円ぐらいかかるから!」と返ってきた。
けっきょく、大阪南港まで電車で行くことになり、切符を買いに行く。
大阪南港行きの電車が来るまで、あと約三十分。よかった。何とか返れそうだ。しかし、本当に飛行機のチケットは予約できていなかったのだろうか。
チェックインカウンターに行き、尋ねてみると「予約できてますよ」という声が返ってきた。
チェックインインをしてもらうと、大阪南港行きの電車のチケットを戻しに行った。そして、LINEのグループに飛行機のチケットが予約できていることを知らせた。
いよいよ大阪ともおさらばだ。飛行機の中から外を見ると、街の明かりはどんどん小さくなっていく。
空の旅を終えて空港に入ると、懐かしい風景が目に飛び込んできた。それは九日前、僕が友人に見送られながら、手を振り合ったあの場所だ。
外に出ると、ちょうどバスが来ていたので乗りこんだ。
バスは走りだし、バス停に止まるたびに乗客を降ろしていく。そして僕もバスを降りる。
後はアパートまで歩いて帰るだけだ。
僕は旅をした九日間を、思い出しながら歩いた。そしてアパートにたどり着くと、玄関の扉を開ける前に友人と遭遇。
「おかえり」
「うん。ただいま」
「今から、ゲストハウスに行くんだけど、来る?」
「行く」
お土産も渡したいので行くことにした。
「その前にちょっと寄る場所がある」
バックパックをアパートに置いて、お土産だけを持って友人について行った。
たどり着いた所はカフェだった。店内に入ると、知っている顔がいくつかあった。その中に、送別会に来てくれた知り合いもいた。
その知り合いが「なんでここにいんの? 東南アジアにいるはずだよね」と、驚きながりいう。
「そうなんだけど、タイのバンコクで空港からタクシーに乗ったら、十五万円ほどパクられた。それでもう旅ができなくなったから帰ってきた」
そういうと、「はあ?」と知り合いは答えた。
カフェを出て、ゲストハウスのオーナーに会いに行く。
九日ぶりのゲストハウス。凄く落ち着く。送別会が行われた部屋で、僕とルームシェアをしている友人、そしてオーナーの三人で、朝まで旅のことを話した。
一人で海外へ行き、旅をしたことは非常に良い経験になった。結果としては、お金をパクられて旅はできなくなってしまったが、心の底から「また行きたい!」と思っている。
生きていれば、なんだってできるし、どんな所にでも行ける。たった九日間の旅が、僕の目には全て新しい世界に見えた。だからまた旅をしよう。だって、世界はこんなにも美しいのだから。