#6 「町内会長の憂鬱」
塩を振り掛けられたナメクジはこのような気持ちになるのかと、半ば以上に放心した状態で再び自室に引きこもることになったエイジが最低限度の職務に戻れる程度に回復するまでには、時計の長針が半周する程度の時間を必要とした。
正しく辛うじてという段階でしかない有様ではあったが、職務に影響が出るようなことがあれば周囲の人員を刺激し、その負担分と合わせて自分の仕事が増えるだけというのが結論ともなれば、いつまでもダウンしている訳にもいかない。
サテライト7での生活も安定軌道に乗り始め、各自の生活基盤というものがある程度見え始めてきた現代であるからこそ、逆に過激な言動や行為が目立つようになってしまったと、エイジは考えていた。
自らの住まう環境をゼロから作り上げなければならなかった開拓者であれば、その為の労力を惜しむ理由すら考える余裕も無かったことだろう。
安定し、先を考える余裕が出来たこと自体は喜ばしいことながら、逆に今を脅かす存在に対して強い警戒心を抱くようになってしまっているのである。
確立され始めた”常識”という言葉が、その範疇を逸脱する存在を排斥しているのだ。
意図的にルールを犯すものに関しては、厳罰を持って対処することに異論を挟まないと言うのがエイジの基本方針ではある。
しかし、不慮に事態によってやむを得ずその範疇を越えてしまう存在に対して、手を差し伸べるだけの余裕が常にある訳では無い。
事、一度犯罪に手を染めてしまった者を受け入れるだけの基礎が、この星には存在していないのである。
今回のように大事に発展してしまえば次の事件も遠からず起こるだろうし、それがどのような理由であろうと規律を乱すものは罰せられることになるのは当然だ。
そしてその行いが繰り返されることになれば、常識を語る者とそうでないものの溝は決定的なまでに深まることになるだろう。
生きるために水や酸素すら生み出さなければならない宇宙という環境で、思想的に相容れない者の対立を生み出してしまえばどうなってしまうのか。
エイジは、その先を考えるのを止めた。
「他人に使われる位だったら、上に立つ人間になった方が良いと思ったんだけどな……苦労するのはどこも一緒かぁ」
立場が変われば責任の重さも違うのは当然の理屈である。
町内会長という役職を背負っているエイジの責任とは、書類仕事や会議の仲裁と言った事柄だけに求められるものではない。
現場の人間が指示された内容を形にするという結果を示すのと同じように、責任者という人間はその結果を生み出せる環境を整えることに責任を持つべきなのだと、彼は考えていた。
そこには、個人の思想の違いによって人心が分断されかねない事態に対して、然るべき手段を講じることも含まれている筈である。
目先の問題を先送りにして後々修復不能な事態にでも陥れば、その時点でサテライト7という環境は崩壊するだろう。
それを阻止する為には、その環境に属する者たち全員の協力が必要なのは言うまでもないことだ。
その為の責任の比重に、優劣などはない。
だからこそエイジは、自らの果たすべき責任を果たす為の土台を予め用意しておく為に、常に自分からの行動を心掛けている。
大口を叩くだけの事はあると認めさせるだけの実績を伴い、信用を勝ち取る為に。
日頃キリキリと痛む胃は、その為の代償なのであった。




