#3 「町内会長の会議」
十数人が顔を突き合わせて座っている会議室に、怒声が行き交うのはいつもの光景だ。
本来、話し合いというものは参加した者たちがそれぞれの意見を提示し、お互いを尊重しつつ妥協点を探ることをその本質とする筈である。
しかし、己の利益となるところを譲らないことに固執するあまり、他者の意見に対して排他的な思考になってしまえば、口論に至ってしまうのは当然の流れだった。
例え責任感からくるものだとしても、自らの考えを曲げない頑なさを押し付け合うことになれば、それは口論の為の火種にしかならないのである。
正論の押し付けによって相手の持論を否定し合う行いは、言葉を武器として相手を制圧しようとする"暴力"に等しい。
そんな行いが日常茶飯事として行われている会議室は、まさしく戦場と呼ぶに相応しい激しさを伴っていた。
その場に於いてただ一人、町内会長という役職が宛がわれていることで最終的な責任を擦り付けるのにうってつけな立場になっている1人の男が、あくまでも冷静に話の推移を見守る体で沈黙している。
エイジは座したまま、飛び交う強い言葉に押し潰されてしまいそうなことの本質、すなわち発言に対する根拠を聞き逃すまいと意識を研ぎ澄ませながら、雑音でしかない怒声を聞き流していた。
会議が白熱するのはいつものことながら、その実態は一部の声の大きな者たちが他者を扇動しつつ主導権を握り、望んだ方向へ話を持っていこうと画策しているに過ぎない。
その声もまた一つの意見であり、頭ごなしに否定しようとする思いは彼には無い。
そんなことをしてしまえば、町内会長は意見に耳を傾けないという論調で罵倒するための”大義名分”を与えることになるからだ。
対して、少数派となる意見の全てを反映することも、予算や時間的な問題を考えれば不可能と言わざるを得ない。
だからこそ、こうした意見の異なる者同士が顔を突き合わせて話し合いをしなければならないのだ。
こうした会議の場で強い口調で言われたからと引き下がってしまえば、その程度の話と切り捨てられてしまうことはあり得ることである。
指摘を強めて攻め過ぎれば、反発を招いたり萎縮して本音を引き出せない可能性がある。
口調を弱めて守り過ぎれば、好き放題に話を引っ掻き回されて収拾がつかない事態に陥ってしまうだろう。
ならばどうするか。
エイジは遠回しに自分に責任転嫁をしようと試みている会議参加者の弁を一通り聞き終えた上で、極力声の抑揚を抑えながら告げた。
「現状、私の管理が行き届いていない点が現場の不利益に繋がっているというお話は分かりました。であれば先ずは具体的にどのように改善をしていくのか、要点と実行する優先順位を決めて行きましょう」
自分に非があると言われるのなら、それを受け入れた上でどうするべきかを話し合う。
会議室とはその為の場所であり、取り決めをする骨子さえあらかじめ用意しておけば、後は現場からの意見を聞き入れた上で修正していけば良い。
責任者として大切な心構えは”当事者意識を持つこと”だとエイジは考えていたが、それは実際に行う段取り全てに口を出すことではない。
決定した事柄に対して最後まで責任を持つために、これから何を実行していくのかを正確に把握した上で、これ以降継続していけるよう管理することこそが、責任者の仕事である。
だからこそただ耳を傾けるだけでなく、自らの言葉と行動を示すことによって、実行力が明確に相手に伝わるように示し続けていかなくてはならないのだ。
親の仇でも見るような眼差しを無遠慮に突き付けてくる、話の腰を折られた強い口調の参加者の方々を前に、ストレスの刃で胃をえぐり取られるような気分に心を折られそうになりながらも、彼は取り繕った笑顔で真っ向から対峙していた。
この時ばかりは、町内会長の必要経費の中に胃薬がしっかりと明記されていた理由を、心から理解せざるを得なかったのである。




