#5 「それは良い心掛けですね!」
心身ともに疲れ果てたというのは、言葉一つを口にするのも億劫になる程の状態のことを示すという事を、サクラコは実感した。
思わぬことで時間を取られたながらも授業は終了し、学校から引き上げて心持ち逃げ込むような勢いで自宅の自室へと飛び込んだのが、日没の前である。
塞ぎ込むと気が滅入ってしまうかも知れないという思いから、せめてもの気晴らしになればと窓を開放して手すりに身体を預けていたのだが、変わり映えのしない外の風景を呆然と眺めている内に時間だけが経過し、いつの間にか夕刻の中程を過ぎた頃合いに至っていた。
未だ着替えもせずにいた自分に呆れながら、食事と風呂のどちらを優先させるべきかを考え始めたその時、視界の端を人影が横切ったことに気付く。
広いとは言えない庭先で、手入れの行き届いている花壇の前に屈んで何やら作業をし始めた姿から、最初は賃貸を管理している祖父母のいずれかであると思ったが、それにしては動きが機敏過ぎる。
良く見れば見知った顔であり、つい今朝方顔を合わせたばかりの隣人、日雇い労働者のアサミヤ=ジロウが神妙な表情で花壇の世話を始めたところであった。
彼が外で働き口を得ていることはサクラコも承知しており、つまり今の作業は彼にとって本業と言う訳では無い。
仕事帰りで疲れているであろうジロウが何故そのようなことをしているのかを考えて、恐らくは帰宅したタイミングで大家である祖父母のいずれかと鉢合わせし、手伝いをさせられる破目に陥ったのではないかと推測した。
お人好しな人だ。
それがサクラコの抱いた、率直な感想である。
無意識の内にジロウの作業する姿を凝視していたようで、視線に気付いたらしきジロウが顔を上げて彼女へと向き合ったことで、その視線が正面から衝突した。
自分が見られていたとは思わなかったのだろう、若干驚いた様子で目を見開いた後に会釈をしてきたので、サクラコも慌てて頭を下げる。
黙って奥へ引っ込むのも失礼と思い、挨拶と合わせて訪ねて見れば、やはり大家からの依頼という体で庭掃除をすることになったという経緯を説明してくれた。
そうなった直接の原因がジロウ自身の建前として述べた一言であったと言うのは気の毒だったが、それを差し置いても彼の生真面目さと人の良さは十分に伝わってくる。
サクラコがそう伝えると、彼は苦笑を浮かべながら言葉を返してきた。
「何にせよ、やりますと言ったのは自分だからな。別に悪いことをやってるわけじゃないし、いいだろ」
「……そうですね。良い心掛けじゃないですか」
気負った様子も無く、ただ自分が正しいと思うことを実行する単純明快な結論こそが、ジロウの持つ根本的な価値観なのだと、サクラコは理解した。
それは奇しくも、クラスメイトの行いが原因で自らに向けられることになった奇異の視線に対し、周囲に対して訴えた自らの考え方にも通じるものがある考え方である。
やや上から目線の物言いになってしまった態度を気にした様子も無く、ジロウは雑談を終えて本来押しつけられただけの筈の作業へと戻る。
真面目が服を着て歩いているような姿をしばらく眺めていたサクラコだったが、やがてエールの言葉を残して窓を閉め、部屋の奥へと引き上げていった。
ほんの僅かでも、自分と同じような考えで動いている人が居るという事実は、彼女の沈んだ心をほんの少しだけ軽くしたのである。




