どっちがホントの閻魔様?
目が覚めると、そこは知らない教室の中だった。
見慣れないタイルカーペットの上に、長机がいくつか設置されてある。壁際にはホワイトボードも備えられており、少し距離を置いたところにプロジェクターが電源を切った状態で置かれてあった。
察するに、視聴覚室らしい。
だが、オリエンテーションで教えてもらった視聴覚室は別の棟にあったはず。入部届を追いかけて階段を上がったものの、別の棟に足を運んだ記憶はなかった。するとここはどこだ……まさかさっきの一撃で死んだ? 僕、死んでも学校の中にいるの? どんだけ高校生活に憧れてたんだよ……。
天国、もしくは地獄で教室のなかをジロジロ見渡していると、
「ここは第三視聴覚室、新入生はきっとこの場所を教えられていないわ」
僕を蹴り上げた閻魔様のお言葉が耳に入ってきた。閻魔様って言うくらいだから男かと思っていたけど、意外や意外、女性だったらしい。声だけ聞くと美しいお姉さんといったボイス。
「あの……僕、死んだんですか?」
僕は閻魔様に恐る恐る尋ねた。
「何言ってるの。ひょっとして私が天使にでも見えるのかしら?」
いえ、あなたは閻魔様では……。
そう返そうとしたが、自分の命が惜しかったので今の言葉は心のなかに押し留めた。もう死んでいるのに命が惜しいなど、女々しいな自分。
僕は閻魔様のご尊顔を拝もうと、声の方を振り返る。
「――」
そこには本当に天使がいた。
怜悧さを醸し出すキレ長の目に通った鼻筋。ブラウンに染められた髪はウェーブがかかって肩甲骨あたりまで降りている。程よく主張した胸にくびれた腰つきのプロポーションも抜群だ。
「はい……天使がいます」
思わず肯定してしまった。
「そ、そう。悪い気はしないけれど、さっきのことで頭が混乱しているのね。あなたはまだ死んでいないから安心なさい」
あろうことか、天使は僕を死んでいないと言う。はは、そんなまさか。天使がいるのだから、ここは天国では。
「それとも、もう一度蹴られて本当に天国に行きたいかしら?」
前言撤回。地獄だった。天使のような閻魔の笑顔。
僕の顔から冷や汗が滴る。
「あの……ここは」
「だから第三視聴覚室よ。ついでに言うと私立紺学園、東棟の四階。当然だけれど現実ね」
本当に現実だったらしい。
「だとしたら、僕は何故ここにいるのでしょう?」
「何故って、うちの部に入部を希望するからじゃなくて? あなた、まだ部活決まっていないのでしょう?」
「はぁ、そうですが」
「だったら丁度良いじゃない。さ、ここに部活の名前を書いて」
目の前にいる天使のような閻魔様が悪魔のように囁いて入部届を差し出してくる。
わけがわからないよ。
「そう、ここ。コンサルタント部って書いて」
「はぁ……ってコンサルタント部? 何ですかそれ?」
唐突に飛び出てきた横文字に、僕の目がようやく覚めてきた。
「コンサルタント部はコンサルタントをする部活よ、あなたコンサルタントって職業は知ってる?」
「単語だけは知っていますが、正直何をするかはサッパリ……」
「そうね、一口にコンサルタントって言っても戦略、経営、人事、IT…多様に存在するけれど一括りにするなら、クライアントの課題解決をサポート、もしくは直接解決してあげることが仕事かしら」
「随分ざっくりですね……」
「ええ、案外そんなものよ。それにクライアントによって解決したい悩みは千差万別だから」
「はぁ……」
あまりにザックリし過ぎて要領を掴めないでいた僕に、隣にいたもう一人の女性から助け舟が出された。
「もう、牡丹さん、駄目ですよちゃんと説明してあげないと。彼も混乱してるじゃないですか」
「それは困ったわね。麻優、お願いできる?」
「分かりました……ってホントに困ってます?」
「ふふ、どうかしら」
「あの……あなたも、コンサルタント部の人ですか?」
「あ……自己紹介が遅れてごめんなさい、私は如月麻優。よろしくね。こっちは部長の末永牡丹」
僕が訝しむような視線を向けると、如月麻優は僅かに悲しそうな顔を浮かべて自己紹介を述べる。
末永さんが美人で知的な女性と言うならば、如月さんは可愛い活発な女の子だ。赤いポニーテールが特徴的で、くりっとした大きい目と小さい唇が浮かべる笑顔が愛くるしい。
ひょっとすると僕と同じ新入生だろうか。白いブレザーと赤いスカートのプリーツはパリっと張りがあって初々しさを感じる。反面、末永さんはこなれた着こなしで見るからに上級生だ。上着もブレザーではなく学校指定の白いカーディガンだし。
「どうも。僕は栗島新です」
二人の美少女に見つめられ、僕は緊張しながら自分の名前を告げる。そういえば女子と話すなんて久々かもしれない。ちょっと泣きそうになってきた。
「牡丹さんの説明じゃ分からなかったと思うから、補足するね」
「お願いします」
せっかくここまで来たわけだし、話だけでも聞いていくかと、僕は如月さんの声に耳を傾ける。
「お仕事の概要はさっき牡丹さんの言っていた通りで、企業の戦略だったり、経営だったり。会社の内部だけで解決出来ない課題や、お金をかけてでもより高い目標を達成したい場合なんかにコンサルタントは出番が回ってくるの。クライアント――依頼を受けた会社の弱点や改善点を調査して、解決策を提示してあげる、会社のお医者さまみたいなものかなぁ」
「ふむふむ……」
「これを我がコンサルタント部に例えると、クライアントは会社じゃなくて主に生徒個人や部活動、それに学食だったり、学校で何かしら困っている人に対して一緒に悩みを解決してあげるのが活動内容なの」
「おお、なるほど……そう聞くと高尚な活動ですね」
「と言ってもあたしも入りたてだから詳しくは知らないんだけどね。それに栗島くんも一年生だよね? 敬語使わなくていいよ」
やっぱり新入生だったようだ。
「あ、うん。了解」
「麻優、説明ご苦労様。栗島君も概ね理解出来たかしら?」
「はい、要は他の生徒達の課題を解決するってことですよね」
言いながら、僕は末永さんが最初に述べたことと同じ内容を口にしたことに気づく。確かにざっくりだけど的を射ていたな。いや、さすがにあの説明だけでは理解できないけど。
「立派な活動でしょう。それでどう、我が部に入る気はないかしら?」
「えっと……」
どうしたものか。僕は末永さんの勧誘の言葉に返答出来ないでいた。
入部テストに落ちたのだから、サッカー部に入部することはもう叶わない。加えて紺学園は文武両道がモットー。生徒はいずれかの部活に所属しなければいけない校則がある。
つまり、僕はサッカー部以外の何かしらの部活に入部しなければならないということ。
生まれてこの方サッカーひと筋――というわけでもないけど、それ以外の部活に興味なんて示したこともなければ、何か秀でたスキルを保持するわけでもない。それに、
「文化部……ですか」
正直、僕は文化部という存在をよく知らなかった。
運動部と文化部は両極端に位置する。これまでグラウンドでガムシャラに汗を流してきた人にとって、校舎の中で青春を謳歌する行為は想像し難かった。それだけに、『文化部』という括りに僕が持つのは、包み隠さず言うと負の感情に近い。
「大方、文化部なんて根暗な人がやるものだなんて考えているのでしょう?」
「う……」
僕はつい押し黙ってしまう。というかあなたはエスパーですか。
「ふふ、運動部にしか興味がなかった脳筋の方が考えることなんて簡単に想像できるわ。違って?」
「いえ、その通りです」
どうせこの人には何を言っても見ぬかれてしまうのだろう。そう考えると、僕には本音を口にするしか選択肢が残されていなかった。
「正直な子は嫌いじゃないわ。そのように考えているのはあなただけではないもの。でも、意外と文化部というのも悪くないものよ? このスライドを見て」
言うが早いか、末永さんはプロジェクターの電源をつけた。その合図に促されるように如月さんが教室の灯りを消す。
浮かび上がったのは、一枚のスライド。彼女らが履いているスカートの色を模したような、赤を基調としたデザインのプレゼンテーション資料だ。
タイトルは『運動部と文化部の比較』。
資料の中には、運動部と文化部における学校内での立ち位置、それに将来性の二点がそれぞれのスライドで簡潔に纏められていた。
まず学校での立ち位置。
文化部のイメージの悪さを所属比率と部活数の二点の原因に集約し、他の学校と紺学園のおける違いを表形式で比較。
全校生徒における文化部に所属する人数の割合、及び運動部と文化部それぞれの部活数の差を数値で提示することで、他校に比べ紺学園における文化部が如何に多数派であるかを裏付けていた。
それだけでなく、文化部は少人数での活動が多くなる傾向についても触れていて、紺学園は各文化部での密なコミュケーションを意識、具体的には毎月の定期交流会を図ることで文化部全体の団結力を高めているらしい。
将来性については言わずもがな。運動部で実績を残せば将来の進学や就職に有利であることを否定しないながらも、それは文化部でも同様のことだと、幾人かの卒業生をサンプルにした成長曲線に、進学と就職結果の円グラフを用いて説明されていた。
「なるほど……」
資料と、プレゼンを行う末永さんの言葉を聞いていると、次第に納得感が増してくる。
人前で話すことに慣れているのだろう。身振り手振りを加えながら要点を抑えて喋る様は、まるでドラマで目にする凄腕の営業マンのようだった。多分、僕が同じ資料で同じように話しても、ここまで人を惹きつけることは不可能に違いない。
「説明は以上よ。文化部の良さ、そして我がコンサル部のことも分かってくれたかしら?」
資料が最後のページまで辿り着き、スクリーンが再び暗さを取り戻すと、末永さんは説明を一区切りして僕に問いかけてきた。
「はい。なんというか……すごいですね、同じ学生でこんなプレゼンが出来る人がいるなんて、思ってもいませんでした」
「ふふ、ありがとう。でも、私も栗島君と一つしか違わないのだから、きっとあなたにも出来るはずよ」
「いやいや、僕にはとても……って、末永さんは二年生だったんですか。てっきり三年生かと」
「あら、それはオバサンに見えるってこと? ストレートな物言いもケースバイケースよ?」
末永さんの眉が上がる。僕は選択肢を間違えたようだ。
「た、大変失礼しました……」
「まぁ、入部してくれたら許してあげるわ」
「は、はぁ。ちなみに、コンサルタント部はお二人以外には誰かいるんですか?」
「今のところ、私と麻優と、栗島くんの三人だけね」
「そ、そうですか」
何だかナチュラルに頭数に入れられている……。断りづらい雰囲気になってきた。
「栗島くん」
またもや助け舟を出さんと、如月さんが口を出す。
「あたし達と一緒に頑張ろうよ! きっと頑張れば、私達も来年の今頃は、こんなプレゼンが出来るはずだよ!」
訂正。助け舟を出したのは、僕にではなく末永さんにだった。というか煽られている。
「で、でも」
「それに、多分他の運動部はもう入部テスト終わってるよ? どのみち文化部に入らないといけないんだし、これも何かの縁と思って、どうかな?」
「う、うーん……」
決めかねている僕を見るや、やれやれと肩をすくめる末永さん。プロジェクターに繋いだパソコンを操作すると、スクリーンに動画が再生され始めた。
「捕まえた!」
「白……」
「それはもしかして、制服の色のことを言っているのかしら? それとも私の下着の色? だとしたら――」
再生されているのは、僕が教室に入ってきてすぐの一部始終。末永さんのスカートの真下に頭を突っ込み、見上げる僕の姿がくっきりと映し出されていた。
「こ、これはまさか!」
「そう、物的証拠。これを校内にバラされたくなければコンサルタント部に入ることね。どうせサッカー部も不合格になって、クラスでもぼっちなんでしょう?」
や、やっぱりこの人はエスパーだ。なんでそんなに的確に分かるのか不思議で仕方がない。
「あれ、でも……」
僕は、一つ不自然なことに気がついた。
ここに映っているのは僕と末永さんの二人。つまり、この物的証拠を抑えるために、カメラを回していた人物が一人存在するということに。
「まさか」
僕はゆっくりと、如月さんのほうを振り向く。
彼女の手には、ハンディカムが握られていた。
「えへへ、捕まえた!」
僕はもう一人、僕が発するのと同じタイミングで『捕まえた』という言葉を発した人がいることを今になって思い出した。
これはもしかすると、いや、もしかしなくても、計画的犯行だったのか。
「してやられた……」
「さ、ここにコンサルタント部って書いて。あと、印鑑持ってるかな? なければ拇印でも良いよ!」
項垂れながら、僕は如月さんに促されるまま入部届にコンサルタント部と記入し、カバンに持っていた印鑑でハンを押す。
「はーい、どうもありがとう! これからよろしくね、栗島くん!」
「しかし、私の下着まで見せるのは計画外だったはずなのだけれど……」
「良いじゃないですか牡丹さん、結果オーライですよ♪」
今の僕の目には、顔を赤らめる末永さんが天使に見えた。
何故かって?
真の閻魔様がここにいらっしゃるからだ。