1・DNA
世の中科学で解明出来ないことだらけです。
遠未来風に書いておりますがファンタジーとしてお読みくださいませ。
『今日のニュース。
第二集落・サルヒァイ氏宅でボヤが発生しました。
原因は虫眼鏡による集光で……』
ニュースという程でも無いニュースが、小さな丸いラジオから流れてくる。
シザーはベッドに横になったままぼんやりとそれを聞いていた。
身体を動かそうとするがどうにもだるくてかなわない。
一昨日から飲まず食わずで続けた耐久レースの疲れが溜まっているのだ。
シザーは13時間以上走り続け、800kmの過酷なレースを見事優勝で飾った。
手を伸ばしてベッド脇のチョーカーを取る。
うっすらと血の跡が残る首筋にそれをカチリと巻き付け、天井を見つめる。
アーチ状のゲルの天井は、もう何年も使用したせいか薄茶色い。補修した跡もちらほらうかがえる。
「…そろそろ替えた方がいいんじゃねーの」
掠れた声で呟き、彼は身体をゆっくりと起こした。
シザー・タルネス。16歳。
馬人・エルリーズ族第四集落長の長男。
汗血馬の血をひいており、その中でも能力は特に秀でている。
馬人のほとんどが顔の長い、いわゆる「馬面」なのに対し、彼は好青年で、その走りの才能も手伝ってエルリーズの中ではちょっとしたスターだった。
もっとも、彼はそれを好ましくは思っていなかったのだけれど。
適当な服に袖を通し、姿見の前に立つ。
寝癖で立ち上がった長めの栗色の髪を適当に撫で付ける。
首に巻き付けられた黒い布のチョーカー、「ルキ」の位置を調節する。血の跡が僅かに見えてしまうが、仕方が無い。
足腰はまだ自由ではない。普段通りに歩こうとするが、時々変な痛みが走りイライラする。
感覚を取り戻そうと部屋の中をウロウロしているうち太ももがつってきたので、シザーはまたばたりとうつ伏せにベッドに倒れ込んだ。
動きたくねー…と枕に顔を埋める。
ローカルニュースの終わったラジオからは、討論番組のようなものが流れている。
どうせ近くの長同士が世間話しているだけなんだろうが。
『まぁ、スケールのこれからの影響については我々は知る由もありませんが』
『確かに。だがこのままだと全人類の滅亡は免れないのでは』
『だから今こそ我々馬人が人人に対して…』
スケール。
今を生きる人類ならば、誰もが知っている単語。
シザーはその響きに思わず耳を傾けてしまう。
詳しい事については彼も良く知らない。
父親から聞かされた話は、大体こうであった。
昔、大きな隕石が地球に接近していた。地球への衝突確率は100%であった。
地球上の全技術者の知恵が絞られたお陰で、隕石は粉々に‐文字通り粉のレベルまで‐破壊された。
地球人は歓喜した。
だがそこからが彼らの計算と違った。粉となった隕石はそのまま地球に接近し、世界中に降り注いだのである。
そして、隕石の中には未知のウイルスが居た。
「スケール」である。
分裂の際にまるで音階のような連続した周波数を出すので(勿論人間には聞こえない高さである)、scaleと名付けられたのだ。
このスケールウイルスは、地上に降りるとまず人間以外の恒温動物に感染した。
動物の体内で繁殖したスケールは、その動物の一部のDNAをコピーしたまま、人間へ感染した。
この時、コピーされた動物のDNAが人間へ移植されてしまうという事態が起きた。
スケールにかかった人間自身に大きな変化は起こらなかった。
が、それから全世界で不妊が大増加したのだ。
異なるDNAを持ってしまったカップル‐例えば犬と馬‐の性細胞は、互いに受精を拒否した。
偶然同じ、または近い種に感染した者同士だけが子を産むことが出来た。
こうして人類は数年で激減してしまい、こうした交配を繰り返すうち、自然と種族が固定されていった。
彼らは同じ種の動物を愛した。
子供が生まれた時に幼い動物をあてがい、一緒に育てた。
共に育った子供にとっては兄弟同然の存在、カレス(caress)。
彼らとカレスの間には会話とも言うべきコミュニケーションが自然と発生した。
彼らはカレスを自分の次に大切な存在として扱った。
カレスが亡くなればその子孫、または新しい動物を育て傍に置くのだった。
自らの種を敬愛する余り、全世界で種族間の争いが起こった。
勝ち残った種族も傷ついており、それらは他の種族との接触を避けるように、種族ごとに世界中に散らばった。
こうして各地に種族がまとまって点在する今の「世界」が存在するのである。
さて、現在の地球上で最も力を持った存在が「人人」である。
彼らは「感染していない」生粋の人類であり、素晴らしい頭脳と財力を持っている。
スケールの蔓延以前に、国家的支援でスケールの届かぬシェルター内に閉じこもった科学技術者、権力者、文化人、その他著名人達が人人の祖先である。
卓越された人間のDNAを持った彼らの子孫は、天才集団の「人人」として生き残った。
スケールは一度感染してしまうと免疫が出来る。生まれてくる子供へその抗体は受け継がれるので、感染者がこの先他の動物のDNAを体内に取り込む事は無い。
人人はそれを利用し、科学力で人間に処女スケールウイルスを感染させ、それを更に人間へ感染させた。
こうして人人達は、人間以外のDNAを持たない、純粋な「人間」として君臨しているのである。
馬のDNAを持つ馬人は、丈夫な足と強い持久力を持ち、食の好みも馬寄りである(野菜を好む)。
シザーの一家には「血の汗を流すまで走る」との伝説で有名な汗血馬の血も混じっているので、余りにも長く走っていると首から血を滴らせる事がある。
タルネス一家は普段首回りを隠すために黒いチョーカー「ルキ」をつけているのだ。
「…昨日は血出しすぎたかもなぁ…」
一向に堂々巡りのスケール論から離れないラジオは、余り聞く意味も無い。
シザーは不調の理由に貧血もあると気付き苦笑した。
「…父さーん」
甘えるような掠れ声で父親を呼ぶと、隣の居間から髭をたくわえた痩せた中年男性が現れた。
「起きたのか。調子はどうだ」
彼はベッドの傍らに立ち、優しくシザーを見下ろした。
「あんまし良く無いよ…。
血、出しすぎちゃったみたいでフラフラする」
「そうか、今日一日はゆっくり休んでな。
しかし流石俺の息子。さっき女の子たちがニンジンとリンゴ持って見舞いに来たぞ。
食うか」
「食う」
「食い物は受け取るんだなお前。待ってろ、今蒸してるから持ってくる」
父親は息子の硬派さに笑いながら部屋を出ていく。
「…だって勿体ねーじゃんよっ!」
枕に顔を埋めてシザーは独り言をはく。
父さんはいつもこれだ。何かにつけて女の子たちと俺をくっつけたがる。
今は走ることしか頭に無いんだっつーの!
ニヤニヤした父親から、リンゴと蒸したニンジンの皿をシザーは無言で受け取った。
「何かあったら呼べよ?」
優しく一声かけ、父親は出ていった。
シザーは温かいニンジンを口にする。甘味が口中に広がる。
…人人も、ニンジンみたいに食ってやれれば良いのに、と思った。