第6話
案の定さらに僕は何も手が付かなくなった。
ベッドの上に携帯を置いて、メールよ来い、と祈祷師のように祈りを捧げ続けた。
ラブレターを送った事を敦に話したが、やるじゃんと一言放っただけだった。あいつにとっては些細なことかもしれないが、僕にとっては大きな一歩だ。
女の子と仲良くしたこともないし、ましてや好きになったこともない。
さらにはラブレターなんて書いたこともない。大きな一歩じゃないか。僕はそう思った。
だが、メールが来ない。
待てど暮らせどメールは来ない。
もちろんあれから、雑貨店の前で何度もバイトをしている。
あれから少し打ち解けたような小雪さんは、目があってにこりと僕に笑顔を見せてくれることが増えた。その度に僕の胸はキュンキュンと危険信号を発した。
だが、メールは来ない。もしかして携帯電話のサーバで止まっているのではないかと何度も受信をしてみたが、来ない。
メール送った? と聞こうかと思ったが、なんか言いづらい。もし万が一あの時の「行きたい」という言葉が社交辞令的なものだったら気まずかったからだ。
でも嬉しそうにしていた彼女の顔が頭から離れなかった。
行きたいと小雪さんは言ったけど、メールは来ない。
一体どういうことなのだろうか、と僕は悩んだ。
そして、手紙を渡して4日が過ぎた時だった。
僕の携帯が静かに揺れた。
まさか、と思って僕はウサインボルト並の速さで携帯をかすめ取った。
彼女からのメールだ。
血が逆流したかのようにぞわぞわと僕を逆撫でた。
だが、そのメールに僕の身体は硬直した。
『手紙今気が付きました。すごく嬉しいです。でも付き合ってる人がいます。友達としてお付き合い出来ませんか?』
僕はそのメール文から目が離せなかった。
携帯の上下ボタンを何度も押し、文章が続いてないかを何度も確認した。違う人からのメールじゃないかと確認した。
でも確かに彼女からのメールだった。
『題名:斉藤小雪です 本文:手紙今気が付きました。すごく嬉しいです。でも付き合ってる人がいます。友達としてお付き合い出来ませんか?』
彼女には彼氏がいた。
心臓がギュッと潰された気がした。
でも、辛くは無かった。
「すごく嬉しいです」その一文に何処か救われた気がした。
友達でも構わない。僕は知りたい。彼女の事をもっとたくさん知りたい。
ただそう思った僕は「ありがとう、よろしくお願いします」と一文を返信した。
***
次の日、彼女にどんな顔で会えば良いのか判らなかった。
「昨日はごめんね」と言うべきかと考えたが、別に悪いことはしていないから却下。
「メール嬉しかった」と言うべきかと考えたが、付き合う事になったわけでもないので却下。
そうこう考えてた後、シンプルに「ありがとう」と言おうと思った。
「遠藤くん、メール遅れてごめんね」
昼食に向かおうとブースを一時たたんでいた僕にやさしい声が語りかけた。小雪さんだ。
ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめながらそう言う彼女はすごく綺麗だった。
「あ、いや、ううん。大丈夫。こっちこそいきなりあんなこと言ってごめんね」
結局僕は謝った。
そうしてしばしの沈黙が僕と小雪さんを包み込んだ。
何か言わなきゃと、僕は言葉を探したが、そんなヘタレな僕よりもずっと勇敢な彼女はもじもじと良いにくそうにしながらも言葉を漏らした。
「あの、良かったらお昼一緒に行かない?」
僕は耳を疑った。彼氏が居ると確かに彼女は言った。でも告白した僕をご飯に誘っている。
早くも僕のキャパシティは決壊寸前になり、緊急警報が鳴り響いた。スクランブルです。デフコン1です。戦争準備態勢です。
「え、あ、うん、行く!」
そう答えた僕の返事に小雪さんは嬉しそうだった。
その日僕と小雪さんはフードコートで食事をした。どこか湿った雰囲気がある社員食堂で二人の時間を過ごすわけには行かない。
なんといっても、初デートなのだ。僕にとっては、ですけど。
女の子と話したことすらない僕は一体何を話せばよいか歩きながらすでにテンパっていた。
何を頼りに話せばいいんだ! 誰か教えてください。神様、仏様、敦様。
だが、そんな心配が無に帰すほど、何を食べたか思い出せないくらい、僕らの会話は弾んだ。
小雪さんの事を色々聞いて、僕は自分の事をたくさん話した。
小雪さんは僕の3歳年上で、東北の出身だった。
看護師を目指すためにバイトしながら勉強しているらしい。彼女は僕に夢を嬉しそうに語った。手芸が得意らしい。ラッピングとか得意だと鼻の穴を広げて自慢した。そんな彼女も可愛かった。
音楽も好きらしい。J-POPから、House、Technoなどのクラブ・ミュージックやJAZZ、ボサノヴァまで範囲は広く、音楽が好きだった僕と熱く語り合った。
「最近ボサノヴァのカヴァーにはまってて。遠藤くんも聞く? ボサノヴァ」
「あ、いいよねボサノヴァ」
「色々あるから、今度貸してあげるね」
少しづつ彼女の事がわかっていくに連れて、ますます僕は小雪さんに夢中になってしまった。
自分の好きなことを真剣に話す彼女の眼差しがとても魅力的だった。夢に真剣でまっすぐな女性。思った通りの人だった。彼女に恋して良かったと改めて僕は思った。
それからも色々聞いて、答えて、共有して、を繰り返した。
だけど、僕は聞けなかった。最も重要で気になっているその事。
彼氏はどんな人なんですか。彼氏とはどの位つきあってるんですか?
ーー彼氏とは上手く行っているんですか?
瞬く間に過ぎた彼女とのひととき。
その大人びた彼女の姿から想像できなかった可愛いウサギがプリントされた財布が僕の心を締め付けた。
***
あれから僕と小雪さんは昼食を一緒に取る事が多くなった。
ボサノヴァのCDを借りたり、JAZZのCDを貸したり。
イベントにも遊びに来てくれた。
僕はDJが回す音楽のバックで映像を流す「ヴィジュアルジョッキー」というものをやっていたが、カッコイイと喜んでくれた。
お酒に頬を赤らめる彼女はすごく素敵で、グラスを片手に僕が流す映像に食い入っていた彼女のふっくらとした頬がライトに浮かび上がる度に、僕は胸が締め付けられた。
夢だと思った。
夢なら覚めないでほしいと思った。
「すごい」と声をださず、口だけを動かし、笑顔で僕に語りかける彼女をギュッと抱きしめたかった。
だけど、できなかった。
彼女には彼氏がいて、それは僕の知らない男の特権だからだ。
そんな友達以上恋人未満の関係がしばらく続いた。
バイトが上がるときに、ちょっと恥ずかしそうに僕に手を振る彼女をとても愛おしく思った。
貸したCDが良かったとキラキラした笑顔を見せる彼女を愛おしく思った。
だが、彼女には彼氏が居る。
その事実は僕の心を苦しめた。
そして2月14日。雪が降るバレンタインデー。
僕と彼女の関係は、動いた。