第1話
バレンタインデーの短編で書いたのですが、長くなったので分けました。
切ない恋物語です。
「悠一の映像、クライアント喜んどったぞ」
「はぁ」
パソコンのモニタを見つめながら僕は曖昧な返事を返してしまった。「おい」というすこしドスの利いた岩本さんの声が再度僕の耳に突き刺さり、ぞわっと体中の毛が逆立ったような悪寒がした。
しまった。
先日も話すときはちゃんと相手を見ろ、と岩本さんに注意されたばかりだ。
「す、すいません。喜んでいただけて良かったです」
慌てて振り向いた僕の目に映ったのは眉間にしわを寄せている岩本さんの厳つい顔。
岩本さんは、僕が働くこの映像制作会社の社長であり僕の上司だ。
会社、といっても僕の他にあと一人スタッフが居る程度の小さな会社だが。
作っているのは花形であるTVCMや映画なんかではなく、中小企業の会社紹介映像や、中学校に配る高校の紹介映像などなど。
今はうだつのあがらない映像の編集マンだが、いつかは有名女優が出演しているCMを手がけ、なんやかんやでフライデーされるのが僕の夢である。
「うん。頑張ってくれたおかげだね。ありがとう」
「いえ」
今朝方、IT関連会社のサービス紹介映像を徹夜で上げた。
「ここぞという時に頑張りたいあなたに」と書かれた空き瓶がいくつも僕のデスクの上に陳列されている。
この会社は寝れれば御の字、帰れたら奇跡。それだけ聞けばブラック企業のようにも聞こえるが、そういう業界だと判って入ったし、フライデーされる夢を叶えるためには通らなくてはいけない茨の道だ。
ブラック企業とは、そういう志をもっていない社員に「夢を持て」と残酷に社長の夢を押し付けるから生まれる不幸だ、と僕は思う。
「次の仕事も頼むよ、悠一」
岩本さんがその厳つい顔に似合わない無垢な笑みを浮かべた。その笑顔と厳つい顔とのギャップでどこか憎めない男というキャラクターでクライアントからは人気があるらしい。
プロデューサーとしてはこれ以上の武器はない。
「今日も雪だな」
岩本さんがぽつりとつぶやいた。
そういえば今日はどこか肌寒いと思ったらまた雪だ。はらはらと細かい雪が降り注いでいる。
先日大雪で東京の交通網は麻痺した。帰宅難民者が出た、と噂は聞いたが、僕はどっちにしろ映像制作で缶詰状態だったから被害を被ることはなかったが。
「今の仕事はまだ時間があるだろう? また電車が止まるとイカンから今日は早めに上がったらどうだ」
岩本さんが窓の外を見ながらつぶやいた。
この会社のいいところの一つがそれだ。
仕事があるときは猛烈に忙しいが、休めそうなときは例え平日であれ休める。僕が勝手に決めることはできないが、上司である岩本さんの一言で突如休みが訪れる事は多々あった。
彼も同じく下積みを経験していたから、僕らの気持ちは判るらしい。
「携帯鳴っとるぞ」
デスクの上に置かれた僕の古びた携帯がその身を震わせていた。
とくにこだわりも無い僕の携帯は今だ旧式の携帯、いわゆるガラケーというやつだ。
『今日、どう?』
携帯に入ったメッセージにはそう書かれていた。
送り主は敦。
僕がこの会社に就職する前のアルバイト時代からの友人だ。その名前から分かる通り女ではない。そもそも、僕の携帯に女の子の番号は入っていない。
「今日、どう?」、その言葉に僕はカレンダーに目を写した。
2月14日。
「あ、今日はバレンタインデーか」
5年前からずっとバレンタインデーは敦と飲んでいる。
仕事で忙しい僕はある意味しかたないとおもうが、普通のサラリーマンをやっている敦が年に1回のバレンタインデーを「野郎」と一緒に過ごすという事はどうなんだ、と毎年僕は思う。
5年前ーー20歳の僕。
将来に希望が持てなくてただ目的もなくアルバイトを続ける毎日だった。
そうだ、あの時もバレンタインデーに雪が降っていた。5年前の雪のバレンタインデー。
ふと携帯の連絡先リストを開き、カチカチと上から順番に送った。
そうだ、僕の携帯には一人の女性の連絡先があったんだ。
5年前から僕の携帯の中にひっそりと佇む女性の名前。
僕よりも僕の事に詳しい小さな箱に残された女性の名前。
ひゅうと、強い風が会社の窓を揺らした。
くしゃ、と窓の外から雪の塊が落ち窓のサッシに白い欠片を残した。
雪はまだ小さいまま降り注いでいる。